迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

棚、ほぼ完成!!

2012-01-30 00:08:48 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

ああ、やっと棚が完成した~!

1年間、ダンボールの山と資材の山の中で、ゴミ箱生活をしてきた。

床なんて、ほとんど見たことなかった。荷物を踏み除けながら(いや、実際には踏みつけながら)、埃にまみれて暮らしてきた。

床板を貼ったらすぐに収納棚を作るはずだった。

が、断熱方法の決断がつかず、結論を一冬見送りにしたので、そのあおりで壁板をつけることも出来ず、同時に作りつけの収納棚も中途半端なものしか作れずにいた。おかげで、工事のたびに荷物をあっちこっちに動かしながらの生活で、労働強度は増すばかりであった。情けないが、優柔不断のなせる業であろう。自業自得である。

あの食器、この日用品がどの箱に入れてあるのか探し出すのも困難で、お茶碗が汁碗に、お湯飲みがジュースやビール用にもなった。お皿だって、カレー用も魚用もヘッタクレもない。どれも同じ。

服も着たきりすずめ。2種類の服だけをずっと着続けていた。

壁もでき、食器棚の位置も決まり、何とか整理棚が出来てきたので、1月半ば頃から一気に片付いて、床が見え始めた。作りつけの棚が出来たので、今まで置いていた家具は、倉庫代わりに家の裏に出し、玄関デッキもどんどこ整理。廃品回収業者のような家から、やや抜け出してきた感じがする。近所の人たちは、「掃除もせんと、汚い家やなあ。だらしないなあ。」と思っていたに違いない。

これで、2月中旬に沖縄からノアの設計士が現況調査に来るときには、それほどびっくりされないでも済むだろう・・・かな?、やれやれ。

しかし、1年もゴミ箱生活してたんや~。我ながら、ようやるのう。

 

             

本棚に扉をつけたら、電灯の光が扉に反射して、一気に部屋が明るくなった。節電効果にもなるかな???

 

 

       

上の棚の引き戸が出来た。「下はアクリルの引き戸にしたら?」と大工が言うが、抵抗。下も木で統一。絶対こっちの方がいいにきまってるやんか!!戸の羽目板は天井板の残りを活用。随分台所らしくなった。

 

引き戸や棚の枠は、コーススレッドで止めていったので、どうしてもねじ穴が見えてしまう。穴を塞ぐために丸い木を埋めていく。出入り口の戸の作業の時は、大工にしてもらっていたが、今回は私もやってみた。

     

ねじ穴がよく目立つ。細い廃材をねじ穴よりやや太めにまでノミで丸く削る。削ったら、木工ボンドを穴の中にいれ、その上から棒を刺しこみ、はみ出た余分の棒はのこぎりで切り取る。

 

        

ボンドや木屑をふき取り、ヤスリでこすれば出来上がり。この作業はとても面白かった。棚は、穴だらけなのだが、今回は目立つところだけ作業。戸の横は後日。


 


竹遊び

2012-01-07 19:32:21 | 竹取物語(仮題)

中庭ライトアップ

1年ぶりに約1時間実施。

屋上デッキの空洞から天空に滲み出すほの灯かりが“門竹”を照らす様相は、ほぼ計算通り。ニンマリ。

南側にも黒竹数本をランダムに立てかける。これは、"我が家の青少年"以上に“我が家の青少年”らしいM君にやってもらった。

KOKKO:「あんたの好きにしていいから。」

M君:「ボクにさせるのは危険です。『美的センスがない』と人に言われてますから。」

そんなの関係ないんだけどね。

いちびればいいんだけどね。

楽しんだ方が勝ちなんだけどね。

ま、無理にさせるわけにはいけないので、大雑把なプランを提示して、彼に任せてみた。

完成後、1時間ほど中庭だけでなく梅の古木のライトアップも合わせてやってみた。これは、畑から見下ろすと、なかなかの光景。M君ともどもニンマリ。

 

少ないけれど、少ないなりに“竹遊び”はやっていける。

コンテナの天井とガルバリウム屋根の間にコンパネを敷き詰めるまでは、本格的に竹の収集は出来ない。現段階の工事状況だと、断熱材むき出し天井なので、その上に竹を押し込むと枝の切り口で断熱材がボロボロに傷ついてしまう。

秋以降の竹の伐採シーズンまで、じっと我慢の子。

少ない竹でも、やれるところからやっていこう。

 

            

                 枝干し作業

 

 秋に重ちゃんが竹の伐採仕事を家のすぐ上の山でしていたので、枝部分ばかりを分けてもらった。葉をそぎ落としと、1Fデッキの天井から吊るして干してみたが、あっという間に干す場所がなくなってしまった。

昨年は、“春隣”を大工の助っ人に壊されてしまうという痛い目を経験した。イルミネーションは引きちぎれ、1Fデッキの屋根もその時の衝撃で1部が剥がれてしまうという大惨事だった。

「邪魔!」と今回も言われそうだが、試行錯誤だけは何としてでも開始させておかねば。

 

 

           

             粉雪降る中、竹設置作業をするM君。

 

本物の我が家の青少年がちっとも家に戻ってこないのに、その友人のM君は頻繁に我が家にやって来て、畑仕事や工事を手伝ってくれる。きっと、樫田の光景に癒されているんだろう。きっと、何か思うところがあるのだろうと推察している。

今や、M君は、れっきとした“我が家の青少年”の一人である。来るたび、食事もうちで食べている。

 

 

            

                  「???」


 

 


吹雪の中の味噌仕込み

2012-01-02 14:50:41 | 自給自足

3年ぶりの味噌仕込み

年末に味噌を仕込んで、我が家の旧年は終わる。味噌を仕込み終わったら、後はゆったりと寝そべって過ごすのが慣わしである。

ところが、引越しと建築騒動でとうとう2年間も仕込めなかった。

この2年間、市販の味噌で我慢してきたが、とても食べれた代物ではなく、塩辛い上に旨みが全くない味噌にうんざりし、味噌汁を食べることがめっきり減っていた。

「この冬こそは、何としてでも仕込むぞ!!」と強い決心で、大晦日に麹と大豆を買いに行き、元旦と今日の二日間にわたって2樽仕込んだ。

外は吹雪。

音のない樫田の豊かな雪景色を窓越しに眺めながらの作業だった。

 

減塩味噌レシピ

我が家の味噌は、減塩味噌。

“近藤式”の味噌作りをアレンジしたものである。

(近藤式味噌→作ってっ食べようみその本:文化出版局)

塩分わずか8%。一般の味噌が11%~13%であるのに比べ、相当の減塩なので、味噌汁はちっとも辛くならない。いつもたくさの味噌を入れている。市販の味噌よりもアミノ酸の旨みをたっぷり含んだ味噌汁を飲める。

人にあげるといつも喜ばれるので、毎年贈答用に多めに作ってきた。

我が家の上の青少年は、「味噌汁なんてどれも同じ」と思っていたらしく、自活するようになって、我が家の味噌の美味さに気付き、毎年味噌の出来上がりを楽しみにしている。

“近藤式”は、10割麹(大豆と麹の重量が同じ)だが、我が家では、12割~15割麹にしている(塩分は8%、近藤式と同じ)

近藤さんも、作り始めた当初は、味噌屋や麹屋から「そこまで減塩したら、味噌にならん。」と笑われたそうであるが、きちんとカビ・腐敗対策をすればできるというのは、私がその方式で長年作ってきたから間違いないと保障する。(現在、我が家では、麹比率をアップさせ、塩蓋の上をサランラップでさらに覆い、練り辛子も上に載せている。)

減塩化するためには麹比率を上げるのが普通だが、麹比率を上げれば腐敗しにくくなるものの、アルコール発酵してしまうので、発酵を止めるために冷蔵保存しなければならなくなる(白味噌:18割麹、塩分5㌫)。

私の味噌は、冷蔵保存しなくても何とかやっていけるぎりぎりのところだろう。(15割麹のときは、冷蔵保存した方が無難)

ただ、味噌は2年以内に使い切るようにしてきた。(3年もたしたことがあるが、発酵が進みすぎて真っ黒になったので、漬け物用にした)

 

           

大豆5㎏、麹6kg、塩1564gを二等分して作った。今まで“近藤式”の通り、ビール瓶で叩いて大豆をつぶしてきたが、さすがに体力的にしんどくなってきたので、今回はミンサーの値下がりを見計らって購入、作業楽勝。これなら、手作り味噌販売も夢ではないとニタニタ顔。

 

 

超早期熟成味噌

市販の味噌や醤油はどうかすると1週間で作ってしまうことがあるとのこと。

そういった味噌や醤油は、大豆油を絞ったあとの残りカスに化学調味料を使って作るらしい。

20年ほど前、「醤油や味噌などの発酵食品の原材料には、化学調味料の使用表示義務はない」というのを知るに及んで、醤油や酢・みりんはいいものを使うようにしてきた。 

勿論、だしも昆布・しいたけ・鰹節で取っている(ダシがらは佃煮にしたり、ふりかけにしたり、堆肥にしたり・・・)。

おかげで、化学調味料が使われている食べ物を口にしたとき、すぐに見分けがつくようになってしまった。これは、プラスかマイナスか? どうせ食べるなら「美味しい」と感じながら食べる方がいいに決まっているので、逆に損をしているのではないかと感じることがある。

 

庭の資材が片付いたら、近所の農家に教えてもらって大豆も育ててみたい。

以前、藁づとを土に埋めて納豆を作ったことがある(茨城県の古い方式)。自分で育てた大豆で、おいしい納豆も作ってみたい!!