迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

門竹

2011-12-31 21:47:51 | 竹取物語(仮題)

ボロボロの身体

夏以降、本当に辛かった。

平日は仕事の上、休日出勤の多さ。

土日は工事か明石の叔父の看病や引越し準備と大掃除。

普通なら休みの日に、私は肉体労働を続けてきた。我ながらよ~やるの~。

ゴロンとできた日は2日ぐらいか。

いつも、「休みたい。」とボロボロの身体がしきりに訴えていた。

が、ただでさえ、今年の工事の歩みは“亀”だ、休むなんてとんでもない!!

というわけで、紅葉の山の中に在りながら紅葉を眺めてぼ~っとするでなし、朝靄を眺めて見とれる暇もなし、ツキノワグマ事件以降山歩きもしなくなったし(第一、膝を痛めているから歩けない)で、ただ就寝する以外は工事するだけの「ノアの箱家」生活であった。

お楽しみの“水仙ロード計画”だって、昨年掘り起こした球根植えを夜明け後から出勤するまでのちょっとした時間にするものだから、いつも時間にせっつかれ、畑作業もろとも、楽しむどころの話ではなかった。身体がオートメーションで強制的に動いていただけの感じがする。

でも、来年はきっと楽しむゆとりが出てくるだろう。ゆったりした時間の流れの中で沈思黙考といきたい。

 

年貢納め

昨日は、我が家の青少年の友達がまたもややってきて、一緒に竹を切り出し、4本。

彼は竹の伐採は初めてだったらしく、面白がっていたが、全長8mの竹ともなると、20㎏はあるので、それを担いで家まで運ぶのは、

M君:「ちと、きついっす。」

KOKKO:「でも、それを私は一人でやっているのよ。そしてこれからも一人でやっていくのだよ。」

M君:「おばちゃん、よ~やるわ~。」

疲れ切っていたので、昨日は、竹を屋根の上まで運んで終了。

セッティングは大晦日になだれ込み。

今日は、夜明け前から中央市場に年末の買出しに行き、その足で工事資材をコーナンへ買いに行く。帰宅は昼前。

正直言って竹のセッティングをやりきる体力的自信がなかった。とにかく、疲れ切っていた。

「でも、KOKKO!! これしないと、一年は終わらないでしょう? 新しい年は迎えられないじゃない! 頑張れ、KOKKO!! あと一息だ!!」

自分で自分を鞭打ち、日暮れまでのタイムリミットを意識しながら頑張った。

中庭の竹の剣山(井戸状の穴)に突っ込み、四方からロープを引っ張って固定。しかし、一人で竹のバランスをとりながら固定するのは結構時間がかかり、イルミネーションのセッティングも含めて、2時間もかかってしまった(次回からは1時間もかからない)。

しかし、井戸?のおかげで、竹は倒れようがない。我ながらナイスアイデア!

ちと、悦に入りながら竹を眺めるKOKKOなのであった。

                  

                      今回は、前庭ではなく、中庭から天空に向かう“門竹”。依代。

 

 

                     

“門竹”の夜。村人からは、「イルミネーション好き。」「変わった趣味の人」と思われている。しかし、私が本当にやりたいことは、これではない。一気にやると、どえらいことになってしまうから、今は人ウケするやつでいくのが無難な訳なのでありまして、ハイ。


 

 


住みながら家を造るということ(セルフビルド考24)

2011-12-30 07:13:32 | セルフビルド考

ゴミ箱暮らし

入居してからとうとう1年になった。

床以外はコンテナの鉄むき出しのままで生活し始めたが、夏以降、断熱工事と内装が進み、やっと家らしくなってきた。が、収納棚がベッドの下以外使えない状態だったので、床に荷物や資材が散乱しまくっているゴミ箱生活をずっとしてきた。

というのも、南側に作った収納棚は、前に材木や巨大工具が陣取っているので、初めに荷物を適当に詰め込んだまま整理もできていなかったのである。おかげで、工事のたびに、今日はここを工事するから荷物はあっちに移動、明日はあっちを工事するからこっちに移動という具合に、引越し作業と工事はいつもセットの仕事となった。

この引越し作業がとんでもなく、重労働。もともと、人の何倍もの荷物を持っているから、重労働度も数倍。8時半には大工との打ち合わせ開始なので、早朝から荷物の移動を一人ですることになる。

そして、工事。

大工の昼食作りもしなければならない。一人だったら、お茶漬けで済ませるが、手伝ってくれている大工や彼の友人のことを考えると、そうもいかない。前夜、仕事から帰宅してすぐに山越えして買出しに行くことになる。樫田には店がないので、どんなに疲れていても、車で一山越さねばならない。これまた重労働で、居眠りしそうな時が何度もあった。

そして、工事の後の掃除も辛かった。

燃やせるごみは、出たはなから燃やしていくが、それでも追いつかない。

いくら布を被せても、工事で出てくる埃はどうしても荷物の間に入り込んでしまう。

工事ですでに疲れきっている身体での掃除は堪えた。それを毎週繰り返すので、とうとう嫌気がさし、最後の方になると、「どうせ、埃だらけになってしまうんや。えい、ママよ。」で、布を被せるのを最初から手抜きし、ひどいときは、掃除さえしなくなってしまった。

これが、この一年のゴミ箱暮らし、住みながら家を造るということの実態である。 

  

                       

南側コンテナ。工事が進むにつれ、「居間」でなくなり、「資材置き場」と化した。これは、かなりましな状態。以前は、足の踏み場を探さねばならなかった。

 

                 

東側コンテナ。これもまだましな方。この二日間で、棚が使えるようになり、大工の来ない日もあったので、その時間を利用して整理することができた。現在、壁の荷物は半減した。→「捨てる技術」

この部屋は、いずれギャラリー機能を持たせるので、荷物は一切なくしてしまう。

 

                     

仕事スペース。作りつけの本棚には、まだ扉をつけていない。地震で本が飛び散らないようにロック式の扉にする予定。

たいした本でもないのに捨てられないので、本棚は手前と奥に二重に詰め込んである。引越しの時、段ボール箱17杯分の本だった。→「捨てる」勇気を!

本棚の前に、囲炉裏茶屋から貰ってきたカーテン生地1ロール。部屋がもう少し片付いたら、これでカーテンを縫う。本当は冬が来る前に縫ってしまいたかった。

                   

扉はまだつけていないが、台所の棚が一応出来たので、床に散乱、もしくは段ボール箱に詰め込んだままの荷物をとりあえず突っ込んでみた。突っんでいくにつれ、床が見え始めたのには、感動。

おお!! ここは、「家」だったのか!!

 

                  

キッチンの上の棚が出来たので、ここぞとばかりに荷物を上げる。ノアの設計士からいただいたシーサー殿が鎮座する“神棚”。

それにしても、羽目板を貼ると、解体現場から貰ってきた窓の古さが目立つよのう。でも、ちゃんと塗装しなおす予定。色は・・・。

 

今、細部の仕舞いはまだとはいえ、家の内部の鉄はほぼ姿を消した。

外壁もスタイロフォームむき出しだが、家らしくなってきた。

断熱にも満足している。

先日、屋外が-5℃のとき、室内が8度あった。(うちは、窓が多く、カーテンもまだしていない)

下に住んでいた時、樫田よりも暖かい地域なのに、室内の気温が7℃しかない時があった。囲炉裏茶屋の離れで暮らしていた時も、屋外-3度の時、カーテンをしていて7℃(グラスウール断熱)だったから、これは、なかなかの断熱状況なのではないか。

安普請の以前の持ち家の断熱材は、グラスウールだったのではないかと今になって思う。

コンテナでも、屋根を工夫し断熱に配慮すれば、夏は涼しく冬は暖かく暮らせることの証明になったのではないか。


 

 


コンテナ扉の内装

2011-12-19 06:24:59 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

もしもし亀よ、亀さんよ

このところ、休日出勤が多く、障がい者となった明石の叔父の家の世話や引越し準備などもあり、工事はどうしてもとびとびになる。

扉の内装がまるきりできていなかった。

断熱材むき出しの壁にもたれてテレビを見ていた。出、体重をかける場所がずれると、断熱材をいためてしまいそうで、無理な姿勢でもたれていた。

「えい、、今日はここをやろう!」

台所を放置して、こっちの作業を先にすることに。

 

                     

         下から羽目板を数枚貼ったところ。ぶら下がっているのは、ケーブルテレビのコード。

 

以前は、間柱にもたれてテレビを見ていた。ここの羽目板貼りも結構ややこしかった。

左側の壁部分、そして扉の抱き合わせ部分、さらに右側の壁部分とのズレが生じないようにしなければならないからだ。人間の目はたいしたもので、じっと見ていると、1~2ミリのズレもはっきり分かるようになる。つまり、仕上がりが汚く感じる。

羽目板を上から板や金槌でトントコトントコ叩いてはめ込んでいく時の力加減で、あっという間に5ミリぐらいの段差ができてしまうので、力加減には注意していたものの3ミリほどのズレ。

「しっかり見て打たんか!今頃になって、何騒いどるんや。」と兄ちゃんにどやされながらの作業。

ズレのごまかしには、板をカンナで削って幅を1ミリほど薄くし、それを2~3枚貼っていくのだが、それでなんとか段差をフェードアウトしていくことができた。

なるほどね、さすがは大工!!と感心する。

 

 

                     

 コンテナ壁とコンテナ同士のつなぎ目部分の上隅板の幅の関係上、上部分が少し狭い。これは、「ひも」と呼ぶらしい。「紐というより、帯だぎゃ~。」と名古屋弁で考える亀KOKKOちゃんなのであった。

 


 

 


皆既月蝕

2011-12-12 22:12:11 | 高槻の観光案内

お~、素晴らしい!!

屋上デッキで皆既月蝕を眺めることにした。

明石の叔父が交通事故で障がい者になってしまい、アウトドアライフともおさらば。

そこで、私が叔父のドームテントをいただくことに。それを屋上デッキに張って・・・。

7時過ぎにはマイナス気温。

カイロを背中と足首に貼りまくって、ガタガタガタガタ震えまくって・・・。

月蝕が始まる頃には、身体の芯まで冷え切った状態で、それでもデッキに寝転んで眺め続けた。双眼鏡で月の欠けていく様子を見たが、オリオンの大星雲や昴も眺めてうっとり・・・。

テントで野営してマイナス4℃の夜明けを楽しんだ。

 

         

 

         

 

         

 

         

 

                      

                            最後にゃ真っ暗。肉眼では赤い月だったけど。

 

月蝕の前日、我が家の青少年の友達の野営のために、テントを張った時は、-5℃だった。

屋上のシーサーが白い髭を生やしていた。

                            

昨日の雨が凍って、屋上でスケートできそうな感じ。湿気除けにテントの上からブルーシートを掛けたが、まるで路上生活者。   

               

                       

私が行くと、青少年が寝ぼけ眼で起きてきた。外気温が低くても、私の寝袋は登山用のいいやつなので、暑くて汗をかいたという。夜中に暑さで目覚め、寝袋カバーを引っ剥がし、テントの入り口も開放状態で、彼は寝ていた。ムムム、さすがにあたしゃ其処まではできそうもない。

 

 

        

                   霜が凍って白髪頭になってしまったシーサー。眉毛まで白髪状態。しかし、美しい造形だよな。

 

樫田はこれからが豊かな季節。やがて雪が積もり、樫田にもっともいい季節がやってくる。


 

 


驚愕の断熱工事

2011-12-04 21:52:10 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

ゴミ袋からの断熱材

                         

もう、断熱材がない!!で、こういうことになった。四種類の断熱材の破片をごみ置き場から拾ってきての工事。

笑っちゃうね、まったく。でも、これが「ノアの箱家」の実情。これまた楽し!!

写真は、二重断熱の予定場所の内壁側。

 

 

さて、本日は工事をしながら焼き芋。

廃材をただ燃やすだけでは勿体無いので、焼き芋をしながら燃やして午前と午後のおやつにした。

濡れ新聞で芋を何重にもくるみ、アルミ箔で包んで焼けば、多少の焼きすぎでも焦げないし、半生状態も防げる。

紅芋と安納芋を焼いた。

兄ちゃんとひでちゃんと三人で食べた。美味かった~!!

昼ご飯は、KOKKO特性おでん。

                       

先日収穫したキワーノ。追熟してもなかなか黄色くならない。気温が低すぎて、熟す前に腐ってしまうかも・・・。