迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

セルフビルド考②

2010-06-30 20:22:01 | セルフビルド考

スローホーム「ノアの箱家」

すぐに完成しない。

その時その時手に入る資材を上手く活用しながら作っていく。

お金がないから、それしか出来ない。

だから、それを楽しんでいく。

私の場合、外壁を植物が覆うようになるまでゆうに4~5年はかかってしまうので、スローホームだ。

スローライフなスローホームを楽しみたい。

 

リサイクル御殿

昔、三宮にメルヘンというスナックがあった。

このスナックのマスター(メルマス)の家もスローホームだった。

メルヘンは売れないミュージシャンの溜まり場だったが、そこに集まる音楽仲間が休みごとにトラックで乗りつけ、みんなで造ったのがメルマスのスローホームだった。

メルマスの家は、“リサイクル御殿”として、完成してすぐに有名になった。

建築雑誌やテレビで紹介され、メルマスはとても嬉しそうだった。

家の外壁はさすがは神戸。

クッキーのしゃれた空き缶の蓋や欠けた外国製の食器がたくさん埋め込まれていた。

室内は黒で統一というところが、メルマスらしかった。

床は、JRの枕木を直接土の上に敷いていた。

ベンチは、電柱。

えっさえっさと一人運んできたらしい。

カップボードは、大きな柱時計をリサイクルしていた。

柱時計のガラス張り部分の扉を開けると、コーヒーカップがきれいに整理されていた。

下駄箱は和ダンスをリサイクル。

テーブルは、足踏みミシンの上に板を載せクロスをかけて・・・。

勿論、みんな拾ってきたやつ、全部真っ黒に塗ってある。

何もかも拾い物、もらい物の類だったが、みすぼらしさは微塵もなかった。

私はあちこちで買い集めてきた土鈴を全部メルマスに提供した。

私の土鈴は真っ黒な天井からじゃらじゃらぶら下がっていた。

きらきらした目で土鈴を手にしていたメルマスの嬉しそうな顔を思い出す。

「KOKKOちゃんも続き彫っていいよ。」

彫刻刀を私に手渡しながら言う。

階段の裏に彫りかけの模様。

私などが介入できない世界がそこにはあった。

メルマスは、油絵が上手かった。

リサイクル御殿は、絵心の才能ゆえの傑作だったと思う。

特異な性癖の彼は、それゆえ実らぬ恋にいつも苦しんでいたが、こういった方面では実りがあって幸せだったと思う。

メルマス独自の異空間を創りあげ、幸せに生き、亡くなった。

  


セルフビルド考①

2010-06-29 23:50:09 | セルフビルド考

セルフビルドとしての迷建築「ノアの箱家」

セルフビルド言っても、設計士を立て業者に施工依頼しているので、純粋な意味ではセルフビルドとは言えない。

もしも私がお金に不自由していなかったら、自分で出来るだけやってやろうなんてことは思いつきもしなかったはずだ。

だから、私の「出来るところは自分でやってやろう」という発想は、思想としてのセルフビルドではない。

窮地に追い詰められてのセルフビルドである。

簡単に言えば、そうせざるをえないというだけの話だ。

 

土地の登記を自力でした。

これで、十数万円浮いた。

味をしめた。

(だが、この段階では、まだセルフビルドではなかった。単なる節約と「おもろいからやってみよ。」という野次馬根性)

 

分離発注・施主支給を取り入れた。

換気扇とフードカバーだけで5万円以上の見積もりだったのが、2万円で済んだ。

(実は、もっと安くすることも出来る。)

IHクッキングヒーターは、3個口(2個はIH,1個は電熱)のものを48500円で、業者向けの店で購入した。

電気温水器は20万円のものを9万円でネットで購入した。

木窓などの建具は、近所の古寺の檀家用食堂の解体現場からいただいてきた。

(この寺からは、骨董の便器や瓦を大量に譲り受けてきてもいる)

システムキッチンの流し台も解体現場からの物を囲炉裏茶屋が貰ったのを貰った。

ホーローの風呂桶(新品)は、1万円で鉄工所から売ってもらった。

土地の庭にある糸車や・石の椅子なども他の解体現場からの“戦果”である。

 

昔からいけそうなものは拾ってくる癖があって、壷などいくつも捨てられているのを拾ってきてはインテリアにしてきた(骨董品屋で見たらかなりの金額がついていた)

CD用に使っている本棚も拾い物である。

我が家の青少年パラちゃんもそんな私を見てきているので、

小さい頃から、

「お母さんの好きそうなのが公園にあったから拾ってきた。」

と、こんな調子である。

現在は、自分用の物を拾ってくる。

私には、ゴミ捨て場が宝の山に見える。

 

さて、「自分で出来ることは出来るだけやってやろう」と住居に関して初めて思いついたのは、数年前、下(都市部)に住んでいた頃、台所でボヤを起こした時である。

レンジフードがいかれてしまった。

換気扇が溶けた。

吊り戸棚と壁・天井も焦げた。

業者に見積もりを取ると、新品入れ替えのオンパレード、23万円!

修理は、壁・天井のクロス換えのみ。

何故、修理しないのだ?

どうして捨ててしまうのだ?

こりゃ、いかん。

素朴な疑問だった。

勿体無い。

じゃあ、何処まできれいに出来るかわかんないけど、自力でやってみよう!

22000円で出来た。

新品にしたのは換気扇10000円のみ。

後は、ペンキを塗り、木目シールを張り、クロス換えを自力でした。

お~、お~、10分の1の費用でできたじゃん!!

おまけに誰も修理したとは気付かなかった。

火災保険は見積もり金額通りもらったので、残りのお金で今使っているDELLのコンピューターを買った。

そうか、大半が人件費なんだ!

技術があれば安くできるんだ!

味をしめた。

セルフビルドの家に興味を持つようになった。

(正確に言うと、ずっと昔、芸術新潮でフランスの郵便局員が創った石ころの家や、誰が作ったかは記憶にないけれど、拾ってきたガラス瓶で創った家を見た時から。)

 

実は、私の父もセルフビルダーのはしりである。

近江今津に週末ごとにワゴンで通いつめ、建てた。

父がどういう考えでそれをやりだしたのか全く記憶にない。

ただ、彼の場合、お金には不自由していなかったのは確かである。

EECやYMCAのテキストを作り、英検の試験官、通訳、翻訳、ソニー・小松製作所・第一勧業銀行などの企業お抱えだった。

かなり稼いでいた。(その分、派手に使いまくってもいた。)

近江今津には二匹の愛犬を連れて通いつめ、家造りで生き生きしていた。

基礎工事中の父の写真が残っている。

それを見るたびいろんな想いがこみ上げてくるが、私はきっと父とは違うはずだ。

 

お金がない。

あくまでもそれが発端である。

だから拾い物・もらい物が多い。

セルフビルドを思想として実行している人たちからすれば、業者は入れるし、「出来りゃいいのさ」的だし、「何処がセルフビルド?」ということになる。

けれども、思想としてのセルフビルドは、スモーキーマウンテンの住人にはおそらく全く相手にされないはずだ。

スモーキーマウンテンの家もセルフビルドだが、思想もへったくれもない。

その日その日を「生きている」だけ、セルフビルドなんて意識したこともないだろう。

 

「ノアの箱家」も“1000分の1スモーキーマウンテン”だ。

そんな「ノアの箱家」が私は大好きだ。

 

 


迷建築「ノアの箱家」物語⑨

2010-06-27 23:33:11 | 迷建築「ノアの箱家」物語

NOAの設計士は名建築家だろうけれど、私の方はコンテナの迷人である。


迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、6月16日付けの「ノアの箱家」⑧の続きを書いておこう。

 

沖縄の設計事務所NOAは、ちっとも儲けにならない私の仕事を引き受けてくれた。

私の身に起きてくるであろう更なる苦悩の大洪水を予見し、救済してくれたのだ。

ありがたい。

だが、ありがたかったのはそれだけではない。

初めに、

「あなたは、何かしておられるのですか?」

と聞かれた。

「・・・う~ん、何か作っておられるとか・・・。」

私は、一部だけ答えた。

「布で物を創ります。」と。

“竹”のことは、実はその時点では、まだ言わなかった。

これは、言葉では説明しきれないので、相手が消化不良を起こす可能性が高いからである。

が、NOAが「何かあるな。」とピンと来てくれたことが、実はすごくありがたかった。

柔らかなふわふわしたものの上に着地して包み込まれたような感覚がしたのを記憶している。

何しろ、それまでがあまりに苦しかったから。

先の建築家にも“竹”のことは話していたが、それに沿った設計プランではなかった。

(敢えてそれ以上何も言わなかったのは、コンテナを引き受けてくれただけでもありがたかったからである。“竹”は、勝手に自分でやればいいと考えていた。)

 

「家」の建築は、“ライフ”の創造に他ならない。

言いかえれば、「家」は居住者の存在そのものである。

たとえ借家でも、器はともかく実相はその人の存在そのものだ。

けれども、残念ながら、多くの「家」は“共同幻想商品”になってしまっている。

これは、住み手の思想性もさることながら、設計士の思想性と“クライアントのライフ”への洞察力も問われているということになるのではないか。

NOAは、その後、私の意向を探るために、勅使河原宏氏の作品と分かるインスタレーションの写真を送ってきた。

曰く、「あなたの“竹”って、こんなのですか?」

人と同じにされてたまるかとばかりに、「いいえ、違います。」と答えたのを記憶している。

だが、嬉しかった。

ありがたかった。

「竹に語らせる以外にない。」という私に、

「じゃあ、逆に竹に語らせやすい家をつくりましょう。」

と言って、コンテナを巨大花器に見立てた設計をしてくれた。

NOAは、単に私を箱家に乗せてくれただけではなかったのだ。

 これ以上の幸せはない。

 

ものを創る人間なら、誰しも自分が創りたいイメージを持っている。

そのこと自体は大事なことだ。

だが、「家」となると、クライアントの意思や経済的事情が絡んでくるので、いくら建築家がこうだと思っても、それを相手に押し付けるわけにはいかない。

「俺様に設計を依頼したからには、俺様の言うとおりにしろ。」では誰のための「家」か分からなくなってしまうからだ。

法的規制も関係してくるので、自由に創りたい物をやりたい放題創れるわけではないので、建築家とは、何とストレス・フラストレーションの多い仕事だろうと気の毒になってしまうことがある。

自分の意思や感性とクライアントの意思・感性・法的規制との刷り合わせ・・・妥協点をいかに見つけ出していくか、時にはクライアントを自分のペースに乗せてその気にさせてしまうテクニックも必要になってくる職業のように思われる。

その点、好き勝手にやりたい放題自分の世界を展開できる職業は・・・ん~、どれだけあるかな?

 

 “ライフ”の水先案内人

ともあれ、NOAとの出会いは、私にとって幸運だった。

こちらの状況・感覚に対する洞察力を持ってくれている設計士だったから。

それまでに苦しみぬいた時間の流れは、NOAとの出会いのために用意されていたのではないかとさえ思えてくる。

NOAが謳っている「あなたのライフスタイルを形にする」とか「意思を形にする」・・・いい言葉だと思う。

 設計士に設計を依頼するとき、クライアントの全てが意思を持ってはいても、実は全てを自分で把握理解しているとは言えないのではないか。

自分で自分の求めているものに気付いていない人は、けっこういる。

漠然としていて、自分でも整理できていないのである。

設計士の出したプランを元にやり取りしていくうちに、漠然としたものが整理され、形になっていくのが「家」だと思う。

ならば、設計士の仕事とは、クライアントの自己理解を助けていくという側面をも持っているということになる。

“ライフ”の水先案内人だ。

しかし、これは優れた設計士にしかできない領域になってくるだろう。

相手への洞察力が要求される職業とは・・・

医療職・心理職・教育職・ファッション・美容・スポーツ・・・何れもかなり要求される。

自分の人生において、いい水先案内人と出会えるか出会えないかでは、その後はまるで違ったものになってくるはずだ。

迷建築「ノアの箱家」は、幸運な家である。

 

これからも、たくさんのいい出会いがあればいいなと思う。

「ノアの箱家」を通じてそれが出来たら、私は幸せだ。

 

 



電線工事準備

2010-06-27 22:58:57 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

「電線、どうやって張ったらいいんですかね?」

電気屋も考えあぐねていたようである。

兄ちゃんは、「メルトガンで電線の束をコンテナにくっつけたらいいんじゃないの?」

と言っていた。

が、他にもっといい方法があるじゃん!!

コンテナの天井周囲にある鉄の輪を活用すればいい。

この輪は、コンテナ輸送中の積荷物を荷崩れしないように縛る紐を通すための物。

だったら、電線も紐じゃん。

一応、「固定」だ、完了検査にパスするはず。

「でも、コンセントやスイッチはどうしたらいいんですか?」

はい、簡単。

3m・6cm幅で1本数百円程度の安木材を天井と床の間のサイズにぴったり切って挟み込み、それを柱代わりにして取り付ければいい。

 

「どうして、そんなやつにするんですか?」

答えは簡単。

ひとえに、私にお金がないから。

本当は、山小屋のおっちゃんの変木を使って、電灯兼インテリアにしたい。

けれども、それは、床や天井などの内装仕上げを前提とするから、今その費用がない私としては、出来ない。

それに、変木を選んでアレンジしていくだけの時間的ゆとりも精神的ゆとりもない。

お楽しみは、住み始めてからである。

だから、一刻も早く完了検査を済ませてしまいたい。

そして、パスできるぎりぎりの水準の物を造るにとどめたい。

(完了検査の水準の妥当性の如何については、いろいろ思うところがあるが、ここでは述べない)

どうせ作り変える・もしくは不必要と分かっている物に乏しいお金をつぎ込むわけにはいかないので、どぶに捨てるお金は出来るだけ少なくしたいのだ。

で、風呂やトイレの壁も・・・。

電気屋が来週早々にも工事にやって来ると言うので、今日はコーナンへ行って材木を買ってきて、のこぎりでギーコギーコ。

かなづちでガンガン打って天井と床の間に挟みこんでいった。

手に豆が出来た。

は~、疲れた。

たこちゃんが言っていた窓枠の隙間を埋めるためのシーリング材も買ってきた。

今後は毎日、出勤前のわずかな時間を利用してやっていくことになる。

ちりも積もれば山となる。

千里の道も一歩から。

蟻の歩みも・・・。

あ~、しんどいけれど、こりゃ楽しい。

 

              

         柱代わりの安木材を挟み込んだコンテナ内部 

 

窓枠の隙間埋め用のシーリング                  

 

                                  

このセメントは、「排水浄化システム」用。試行錯誤中につき、コンクリートはまだ打っていない。

 

玄関と風呂部分には、まだ屋根がついていない。


開口部仕上げ

2010-06-26 21:42:38 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

職人:たこちゃん

    

     生蛸           ボルト締め

 

藪順の順造君(通称:たこちゃん)は、のん兵衛なので、7時を過ぎて電話をすると茹蛸になってしまう。

だから、電話をする時は早めでないといけない。

ところが、私の帰宅は遅い。

かといって電車やバスの中から電話することも出来ない。

いきおい、バスに飛び込む直前に電話することになる。

たこちゃんからも、時々バスの中にかかってくることがある、

勿論、電話には出られないので、樫田につくまでひやひやものである。

こうしている間にもに茹蛸になってしまってるかも・・・。

バスから降りてすぐにかけ直すと、

「中庭の水、ちゃんと抜けるようにしたか?」

「△△△は、・・・。」

「○○○は、・・・。」

「□□は、・・・・。」

「そんなんで大丈夫かいな。」

気にしてくれているのが伝わってくる。

先だっては、

換気扇の穴あけのことで、電気屋が「鉄工所に空けてもらって欲しい。」と言っていたことを伝えたら、

「何で電気屋のためにしたらなあかんねん、自分でせえ。そやけど、こっこちゃんが『して欲しい。』ゆうんやったらしたる。こっこちゃんのためやったらやったる。職人っちゅうのんはそういうもんや。」

入れ込んでくれてる、ありがたい。

 

さて、そのたこちゃんが、今日も雨の中、開口部の仕上げとボルト締め仕上げにやって来た。

弟さん(職人)と若い衆も連れてやってきた。

てきぱきてきぱき。

私の知らない生蛸である。

           

南側の大きな開口部            若い衆           切り取った鉄板を運び出す

 

                          

              台所の窓から里道を見る             風呂の出入り口から