NOAの設計士は名建築家だろうけれど、私の方はコンテナの迷人である。
迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、6月16日付けの「ノアの箱家」⑧の続きを書いておこう。
沖縄の設計事務所NOAは、ちっとも儲けにならない私の仕事を引き受けてくれた。
私の身に起きてくるであろう更なる苦悩の大洪水を予見し、救済してくれたのだ。
ありがたい。
だが、ありがたかったのはそれだけではない。
初めに、
「あなたは、何かしておられるのですか?」
と聞かれた。
「・・・う~ん、何か作っておられるとか・・・。」
私は、一部だけ答えた。
「布で物を創ります。」と。
“竹”のことは、実はその時点では、まだ言わなかった。
これは、言葉では説明しきれないので、相手が消化不良を起こす可能性が高いからである。
が、NOAが「何かあるな。」とピンと来てくれたことが、実はすごくありがたかった。
柔らかなふわふわしたものの上に着地して包み込まれたような感覚がしたのを記憶している。
何しろ、それまでがあまりに苦しかったから。
先の建築家にも“竹”のことは話していたが、それに沿った設計プランではなかった。
(敢えてそれ以上何も言わなかったのは、コンテナを引き受けてくれただけでもありがたかったからである。“竹”は、勝手に自分でやればいいと考えていた。)
「家」の建築は、“ライフ”の創造に他ならない。
言いかえれば、「家」は居住者の存在そのものである。
たとえ借家でも、器はともかく実相はその人の存在そのものだ。
けれども、残念ながら、多くの「家」は“共同幻想商品”になってしまっている。
これは、住み手の思想性もさることながら、設計士の思想性と“クライアントのライフ”への洞察力も問われているということになるのではないか。
NOAは、その後、私の意向を探るために、勅使河原宏氏の作品と分かるインスタレーションの写真を送ってきた。
曰く、「あなたの“竹”って、こんなのですか?」
人と同じにされてたまるかとばかりに、「いいえ、違います。」と答えたのを記憶している。
だが、嬉しかった。
ありがたかった。
「竹に語らせる以外にない。」という私に、
「じゃあ、逆に竹に語らせやすい家をつくりましょう。」
と言って、コンテナを巨大花器に見立てた設計をしてくれた。
NOAは、単に私を箱家に乗せてくれただけではなかったのだ。
これ以上の幸せはない。
ものを創る人間なら、誰しも自分が創りたいイメージを持っている。
そのこと自体は大事なことだ。
だが、「家」となると、クライアントの意思や経済的事情が絡んでくるので、いくら建築家がこうだと思っても、それを相手に押し付けるわけにはいかない。
「俺様に設計を依頼したからには、俺様の言うとおりにしろ。」では誰のための「家」か分からなくなってしまうからだ。
法的規制も関係してくるので、自由に創りたい物をやりたい放題創れるわけではないので、建築家とは、何とストレス・フラストレーションの多い仕事だろうと気の毒になってしまうことがある。
自分の意思や感性とクライアントの意思・感性・法的規制との刷り合わせ・・・妥協点をいかに見つけ出していくか、時にはクライアントを自分のペースに乗せてその気にさせてしまうテクニックも必要になってくる職業のように思われる。
その点、好き勝手にやりたい放題自分の世界を展開できる職業は・・・ん~、どれだけあるかな?
“ライフ”の水先案内人
ともあれ、NOAとの出会いは、私にとって幸運だった。
こちらの状況・感覚に対する洞察力を持ってくれている設計士だったから。
それまでに苦しみぬいた時間の流れは、NOAとの出会いのために用意されていたのではないかとさえ思えてくる。
NOAが謳っている「あなたのライフスタイルを形にする」とか「意思を形にする」・・・いい言葉だと思う。
設計士に設計を依頼するとき、クライアントの全てが意思を持ってはいても、実は全てを自分で把握理解しているとは言えないのではないか。
自分で自分の求めているものに気付いていない人は、けっこういる。
漠然としていて、自分でも整理できていないのである。
設計士の出したプランを元にやり取りしていくうちに、漠然としたものが整理され、形になっていくのが「家」だと思う。
ならば、設計士の仕事とは、クライアントの自己理解を助けていくという側面をも持っているということになる。
“ライフ”の水先案内人だ。
しかし、これは優れた設計士にしかできない領域になってくるだろう。
相手への洞察力が要求される職業とは・・・
医療職・心理職・教育職・ファッション・美容・スポーツ・・・何れもかなり要求される。
自分の人生において、いい水先案内人と出会えるか出会えないかでは、その後はまるで違ったものになってくるはずだ。
迷建築「ノアの箱家」は、幸運な家である。
これからも、たくさんのいい出会いがあればいいなと思う。
「ノアの箱家」を通じてそれが出来たら、私は幸せだ。