迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

「ノアの箱家」の評価額と保存登記

2011-11-30 20:36:48 | 本人登記とお金

遅ればせながらの保存登記

表題登記1年以内に保存登記をすれば、登録免許税が安くなる。

これは知っていて、準備もしていたのに、夏の集中工事の忙しさのさなか、すっかり忘れてしまっていた。

最近になって、職場の事務員に「速く保存登記してください。」と言われ、

!!!

!!!

あわてて、法務局へ。

だが、そこで、またもや頭に来る事件発生!!

ただし、これは他人に対してではない。他ならぬ自分自身に対してである。

 

住宅家屋証明書

これは、表題登記した時点で市役所に申請し貰っていた。申請料金は、確か1000円程。

この証明書を法務局での保存登記の際に提出すれば、登録免許税が安くなるという仕組み。

ちなみに「ノアの箱家」の登録免許税は、今年5月1日付け高槻市の納税通知書によれば、軽量鉄骨扱いで、家屋評価額は1174822円だったので、所定の計算式を当てはめると、

本来収めなければならない金額1174822円×0.004=4699.288円(実際の納税額:4600円)が

1174822×0.0015=1762.33円(実際の納税額:1700円)に軽減されるはずであった。

それを、みすみす登記時期を見逃してしまったがために、軽減抜きで納めねばならなかった。

そこへ住宅家屋証明書申請代1000円を追加すると、私の損失は3900円!!にもなる。

KOKKOおばさんは、法務局で、苔KOKKO~っ!!と鳴き叫んでしまった。

役人:「結構な額ですよね。」

KOKKO:「ちょっとした食事代にはなりましたね。」

役人:「・・・。」

KOKKO:「・・・。」

鶏冠ふりふり、とぼとぼ法務局の階段を降りて帰宅していくKOKKOおばさんなのであった。

後姿もきっと馬鹿馬鹿しかったに違いない。

 

粘り勝ちしたこと

でも、粘り勝ち?したことがある。

それは、5月1日付けの高槻市からの納税通知書が来るまで保存登記を先延ばししたこと。

家屋評価額は市町村が決めるので、私は、高槻市の固定資産税課の役人と評価額について交渉を続けていた。その金額がどんどん値下がりしていったことについては、ずっと以前の記事で書いた。

高槻市の評価額が正式に決定するのは4月以降。私は、5月に納税通知書が高槻市から送られてくるのを待ったのである。

というのも、法務局で「高槻市が正式な評価額を決定していない現段階で保存登記をすると、法務局の“みなし評価額”登録免許税を算出して納税することになるが、法務局のみなし評価と高槻市の正式な評価額との間には必ずいくらかの誤差が生じ、場合によっては、4月以降の高槻市の決定を待った方が得することがある。」と、法務局の役人から聞いていたからだ。

その時、大阪法務局の豊国さんという役人さんは、「ノアの箱家」を税法上は「れんが造」とみなし評価することを上司と話し合って決めたと伝えてくれていた(れんが造は、もっとも安い建造物)。

「これは、博打だ。」と思いながら、それ以降高槻市と交渉していくことになったのだが、どうも高槻の固定資産税課の方が安くつきそうな感触はあった。問題は、高槻市の役人が「お宅の評価額は、だいたい120万円です。」といったのが本当かどうかだった(←私はと~っても疑い深い)。

「え~い、ままよ。いちかばちかだ、待ってみよう!」

というわけで、5月1日付けの高槻市の納税通知書を待ったのである。

 

「ノアの箱家」を「れんが造」とした時のみなし評価額は、55000円×58.08×0.004=3194400円

これは、高槻市の評価額1174822円と実に200万円ほどの違いがある。

で、その金額を元に登録免許税を計算すると、

3194400円×0.004=12777.6円(実際の納税額:12700円

仮に軽減措置があったとしても、3194400円×0.0015=4791・6円(実際の納税額は4700円

実に3倍近くもの開き。

 

おお!

でかした、KOKKO!

お主、なかなかやるじゃないか!

と、保存登記時期を逃して損をした自分を一生懸命慰めているKOKKOおばさんなのであった。


 

 


コンテナとコンテナのつなぎ目

2011-11-29 06:14:49 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

ぼちぼちぼちぼち・・・

明石の叔父の調子が悪く、見舞いや引越し手伝いなどする一方で、仕事も集中、なかなか工事が進まない秋。

しかし、少しずつ少しずつカタツムリの歩みで建築は進む。

 以前、コンテナとコンテナのつなぎ目のことを紹介した。もう少し詳しく書いてみる。

 

                     

            夏の集中工事の時のまま中途半端に残しておいたコンテナとコンテナのつなぎ目

 

 

                  

下から見るとこんな具合。茶色いのは、根太ボンド。右側に張り出し状態の棚をつけて、つなぎ目を隠していく。コンテナの天井表(屋根側)には、すでに断熱材を貼り付けてある。

  

          

ピストル式の釘打機で、横と手前を留めていく。45度の角度で打ち込むのが基本らしいが、時々角度が浅いことも・・・。二回目に登場する自分の姿(今回は、左手)。

 

今後の集中工事は、年末年始。廃材で外壁を留めていく作業が残ったまま。キッチンと風呂の境目の壁はまだ断熱もしていない。けれども、全体の90パーセントは終了したので、暖かさは去年とまるで違う。台所で料理をするだけで、居間まで暖かい。ストーブもちょっと焚いただけで部屋全体が温まる。

昨年は、全く効かないので、ストーブをつけるのをやめ、マイナス室温で越冬したが、先日、外気温-2℃の朝、室温は10℃あった。おそらく、屋根の断熱が一番効果を発しているのではないかと考える。


 

 


あすなろ

2011-11-01 21:53:13 | 雑感

あすなろ

昨日、「あすなろ」の歌について書いた。

「あすなろはあすなろ、どんなに頑張っても檜にはなれない」との説明では、やはり悲観的な気がする。報われぬ努力を歌うなんて、そんな悲しい歌を子どもに歌わせるなんて・・・。本当は、もっと深い意味があるのではないか? 子ども心にそれがずっと引っかかっていた。

高校生になってから、修学旅行で訪れた能登半島で、地元の人から「アテの木(あすなろの能登での呼称)が、立派な檜に憧れて、自分もそうなりたいと心に決めて、一生懸命大きくなろうと努力している姿を歌ったものです。」と聞いた時、やっと腑に落ちた。おそらく、小学生時代の幼かった私は、先生の説明の一部分しか記憶に残すことが出来なかったに違いない。N先生のことだから、きっと「頑張りなさいよ。」とのエールをこめて卒業前の私達にあの歌を教えて下さったのに違いないと。

 

だが、どうも気になって仕方がない。

あすなろの歌は、本当はどんな歌詞だったのだろう。

で、「あすなろ」の歌をネットで調べてみた。

すると、私が記憶していたのより、歌がもっと長いと知った。

 

  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  お山の誰にも負けぬ程 麓の村でも見えるほど
  大きな檜に明日はなろう
  
  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  峠を越える人たちの 夏は日陰になるような
  大きな檜に明日はなろう
  
  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  いろんな小鳥が飛んできて 楽しい歌の巣を作る
  大きな檜に明日はなろう
  
  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  雨にも風にも負けないで ぐーんと空まで届くほど
  大きな檜に明日はなろう

 

ああ、やはり、そうだったのか。

やはり、絶望の歌などではない。

うちの“樫の木”(本当は楢の木)にピッタリだ。

 

しかし、それにしても、再度全文をじっくり読み返してみると、なんとも説教臭い歌でもあるナァ。

いったい、いつの時代の歌だろう。

そういや、井上靖に「あすなろ物語」ってのがあったっけ・・・。