迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

死を想う

2010-11-20 07:50:20 | 写真

「死」

宮崎学の「死」という写真集がある。

カモシカと日本鹿と狸の死体を時間経過とともに変化していく様子を定点写真にしたものだ。

自然科学的視点から見ても興味深いが、この人の生き方がよく現れている写真だと思った。

奇麗ごとで動物を撮っているのではないのだ。

「カラスのお宅拝見!」とか「柿の木」とか、全て共通している視点があって、好感を持つ。

事象に対する凝視。

「死」についての前書きにそれが端的に言葉で表現されている。

 

輪廻転生

目をそむけてはならない、とおもいながら、ファインダーをのぞいていた。

鼻が曲がるかとおもわれるほどの死臭が漂うこともあり、

ハエのうじが体皮をやぶって湧き出してくることもある。

怯むことなく見つめていると、

そこにはふしぎなドラマが展開されてた。

「死は生の出発点である」

私は、自然の新しい摂理を、生きものたちから学んだ。

 

同じく、アラーキーの「チロ、愛死」

この人らしい。いい写真集だ。

陽子さんの棺を左に、チロの棺を右に編集してあるページがある。

また、陽子さんの遺骨を持った自分を左に、チロの遺骨を持った自分を右に編集してあるページがある。

チロが死に至る経過を淡々とアラキ流のヘタウマ写真で撮り続け、後半は空の定点写真ばかりが並んでいる。

最後の方になって初めて文字。「チロはAの愛人生、ずーっと」

裏表紙には「ずーっと」

たったそれだけの文字と泣いている自画像イラスト。

おい、アラキ!

思わず心の中でつぶやいていた。

写真の編集が秀逸だ。

 

30年ほど前、まだ若かった頃、彼が大嫌いだった。

巷に溢れるアラーキーの真似写真を見ると不愉快だった。

沖縄の知人石川真生さんの「熱き日々inキャンプハンセン」という写真集の寄せ書きに書いている文面なんて、当初は「こいつ、いい加減にしろ!」と思って読んでいた。

が、なんと私は浅い読み方をしていたのだろうと、数年してから気付いた。

彼の写真・文面を読み間違えていたことに。

そうか、そうか、そうだったのか。

彼が太陽賞を受賞した「よっちゃん」だったか「よっちん」だったか(「さっちん」か「さっちゃん」か?)

という写真集・・・彼は昔から一貫してちっとも変わっていなかったのだということに。

 いい写真家だ。

というより、いい人間だ、いや、もっと心情的に言うと「いい奴だ。」

ただ身にまとっている衣装が衣装なので、誤解を生みやすい。

凝視だ。柔らかな凝視。

愛情を持つということの一つの形がそこにはある。

物凄い写真家だと思う。

 

で、はたと自分の母の死を思った。

友人の死も。

また、かつて20年近くも消息をつかめなかったある人物のことも。

“消滅”が残された人間に残すものについて、考える。

「夫の死に救われる妻たち」(写真集ではない)なんて本もある。

これについてはタイトルが衝撃的ではあるが、内容には実に深いものがある。

“死”・・・やがて私にも訪れることを実感する一瞬がある。もう、歳だな、やっぱり。

 


 


ガメラとゴジラ

2010-08-17 21:20:52 | 写真

ガメラとゴジラ

 

世田谷村には白足袋が住んでいるが、沖縄にはキジムナーだけでなく、ガメラとゴジラが住んでいる。

気付いていない人が多いと思うので、地域住民への注意喚起のため書いておこう。

ガメラはNOAの代表者:本庄正之氏のことである。

彼の設計した沖縄武道館を「ガメラ」と言った子どもがいたとのことだが、いい年をしたおばちゃんまでそう思ったので、他にもいるだろう、いや絶対いるに違いない、お互い仲間がいることを知らないだけだ、そうだこの際同類を探してみようじゃないか、お~い、お~い、この指とまれ~!

???

とにかく、今日から勝手に一人でそう呼ぶことにした。

いや、せめて今日だけでもそう呼んでみる。

 

で、ゴジラとは誰か?

写真家の勇崎哲史氏のことである。

沖縄の彼の部屋に伊福部昭の分厚い本がいくつか・・・。

伊福部昭と言えば、「ジャジャジャン、ジャジャジャン」のゴジラの映画音楽の作曲家である。

勇崎さんは北海道出身だし、伊福部昭も北海道出身だ。

前から、気になってた。

ひょっとして・・・???

 

この間会った時、尋ねたら、

「うん、叔父さん。」

で、その時から勝手に一人でゴジラと呼ぶようになっていた。

 

沖縄には怪獣・妖精が集まるのか。

いやぁ、怪獣をやっつけるウルトラマンもいるなぁ・・・(生みの親は故金城哲夫氏。あけずば織りの上原美智子さんは彼の妹)

沖縄で三つ巴の戦いがおっぱじまったらどうなるか・・・

ギャオーッ、ギャオーッ、ハッシ、ハッシ、ピコピコ、ピコピコ

・・・オツムの中は怪獣映画の世界へひとっ飛び、3分間近く伊福部昭の「ジャジャジャン」の音に合わせて自分まで闘ってしまった、危ない危ない。

 

閑話休題。

そのゴジラが本土にやってくるので、地域住民への注意喚起のため、ゴジラから来た予告文をここに紹介しておく。

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 奈良市に出向いて、
無謀ともいえる講座を開講することにしました。
この講座は、やがて座学界のトライアスロン的鉄人講座、と呼ばれ、
あるいは講座の反面教師として、歴史に刻まれることと思います。

http://www.copi-nara.jp

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この間、奈良で会った時に「写真講座」の話は聞いていたが、チラシを見て、\(◎o◎)/!

文字通り、「トライアスロン・鉄人講座」、ゴジラはいつの間にか鉄人28号になっていたのだ。

そうとう硬派の講座である。

 

今のアマチュアの写真状況・・・写真機は普及してはいるが、コアになる写真の見方・とらえ方の部分がごっそり欠落している。

私は、昔から写真雑誌はほとんど見ない。

写真倶楽部とも無縁だ。

上記の理由からである。

 シ・ン・ド・ク・ナ・ッ・テ・シ・マ・ウ・ノ・ダ。

 今のカメラは誰が写しても写る。何とか絵にはなる。

それよりも、「何故それを撮るのか、撮らずにおれないのか・・・そこに写す人の人間が現れているいい写真を見たい。

写真は作品であると同時に思考手段でもある。

演奏家が音で思考するように、ダンサーがダンスによって思考するように、写真家は写真によって思考する。

その人の”語り”のある写真をいい写真と私は思っている。

「上手いなあ。」だけの写真は後に何も残らない。

私と同じようなことを沖縄でゴジラは考え続け、ある朝目覚めて鏡を見たら自分が鉄人28号になってしまっていることに気付き、私に告白してきたのだ。

思うところある人は、鉄人28号のHPで講座内容を見てみるといい。

 

残念ながら、超絶美的魔女KOKKOはガメラ(ノアの箱家)との格闘の続きが残っているので、ほとんど参加できないのだけれど。