迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

春の足音

2012-02-21 20:50:48 | 高槻の観光案内

樫田に春がやって来た。

毎朝7時の気温が、零下7℃前後の日々が続いている。

雪の量は多くない。大雪警報がしばしば出た冬だったが、雪はほとんど丹波に落ちていたのだろう、ひたすら寒かっただけのこの冬だった。

すでに寒さは峠を越そうとしている。

ふきのとうたちはすでに芽吹き出し、クロッカスも黄色・紫と一輪ずつ咲いた。スノードロップもどんどん咲き出している。水仙ロードの水仙たちも蕾を膨らまし始めた。

春だ!

               

水仙ロードの反対側の崖に、秋に撒いておいた菜の花が咲き始めた。どうやらここの土に合うようなので、来年は、もっとたくさん種を撒こう。ここの崖にも水仙をいくつか植えた。分球が進む数年後には、崖一面が水仙で一杯になるだろう。早春は菜の花。春の盛りは水仙、夏はひまわり、初秋は彼岸花、晩秋はコスモスと、いつの季節も花で一杯になるといい。周囲の景観も「住居」の一部だ。「あそこへ行ったら、花が一杯あるんだよ。」と、言って貰えるようになるといい。


 


マホガニーとウォルナット

2012-02-20 21:21:16 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

どっちの色がいいかって? そりゃぁ、ウォルナット!!

毎度、兄ちゃんや中ちゃんとは喧嘩ばかりしている。

屋上デッキの杉板の色は、私はウォルナットがいいと主張した。が、中ちゃんが「うちの息子の家のデッキはマホガニーにしたで。絶対、そっちの方がいいって。言うこと聞いときって。」

建具はウォルナットなのに、何で?

しかし、何度も言われて、納得いかないままとうとう「うん。」と言ってしまった。

これが運の尽き。

みんなウォルナットで統一塗装し、最後に様子を見て、窓枠とコンテナの扉は赤に塗り替えるつもりでいたのだが・・・。

そうこうするうち、デッキの板塗りは終了し、早一年近くになろうとしている。

 

「ウォルナットの方がいい色やったなあ。」

中ちゃんが、デッキを見上げて言うのである。

おい、今頃になって、それを言うかぁ!?

中ちゃん:「うちの娘の家のデッキは、ウォルナットにしたで。

KOKKO:「ほれ、見ぃ、やっぱりウォルナットの方が落ち着いて見えるやろ~!!」

とまあ、こんなふうに喧嘩になってしまうのである。

で、素直に相手のいうことを聞くことや相手の言いなりになって泣きを見ることをマホガニーとよび、自分の意思を貫徹することや我を通して泣きを見ることをウォルナットと、私達の間ではよぶことになった。ノアの箱家関係者のスラングである。

中ちゃんや兄ちゃんが勝つこともあれば、私が勝つこともある。

ま、喧嘩しながらも楽しくやっているから、この「ノアの箱家」の工事は、幸せな工事である。

 

            

窓枠は、ウォルナット(ただし、そのうち、赤に塗り替える。)外壁はマホガニー。

だが、こいつはいただけない。マホガニーは赤味が強すぎる。これでは、窓の赤が生きてこない。外壁の二度塗り目の時に、ウォルナットに塗り替えるとしよう。

 

            

本当は、外壁は集めた廃材で覆う予定であった。が、断熱工法の決定が遅れ、置き場所に放置していた半年の間に、私の知らないうちに他の業者にめちゃくちゃにされてしまい、使えるのは半分以下になってしまっていた。長さ1mに切りそろえた廃材は、全て重機でバラバラにされ、土に埋もれ腐ってしまってたのであった・・・、トホホ。

おかげで、外壁材は、4m1枚750円の杉板を使うことになってしまった。またもや、想定外の散財・出費である。

さすがは、迷建築中の迷建築、たいしたものである。ということにしておこう。

 

               

無事だった頃の廃材お宝。これを1mに切りそろえて、山積みにしていた。野ざらし廃材は、私以外の人にとってはゴミでしかなかったのだろう。地主にはきちんと断りを入れてはいたものの、いつの間にか・・・の災難であった。


 


迷建築「ノアの箱家」物語⑳

2012-02-19 20:06:27 | 迷建築「ノアの箱家」物語

NOAの設計士は名建築家だろうけれど、私の方はコンテナの迷人である。


 迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、2010年12月24日付けの迷建築「ノアの箱家」物語⑲の続きを書いておこう。

 

ノア様、現る!

「ノアの箱家」の現況確認のために、ノア様がはるばる沖縄からやってくると知らせてきたのは、2ヶ月ほど前のこと。

その約束の2月19日がやって来た。

阪急高槻市駅に10時半にノアご一行様と待ち合わせ。囲炉裏茶屋で借りた車で迎えに行く。

今回、本庄尚美さん(本庄正之さんの奥さん。こちらも建築士)は、我が家の青少年と同じ歳の青少年連れでの建築現場のご視察である。

しゃべりまくりながらの車30分。「ノアの箱家」に戻ると、兄ちゃんたちは外壁板を貼り続けていた。

本庄さん:「自分でやってるって言ってても、肝心なところはやってもらってるんだろうなとは思ってましたけど。」

「ピンポン!!」

「あってりめ~よ~! おいら、素人だぜよ、一人でできるわけねぇじゃん!」

土佐弁だか江戸弁だか分からないような言葉で、トサカ振り回しながら答えるKOKKOちゃんなのであった。改めて、兄ちゃんとその助っ人たちの存在に感謝し、苔KOKKO~!とKOKKOちゃんは井戸端で鳴き続けた。

家の周りや家の中を、ノアの本庄さんはカメラでパチパチ。

つい一ヶ月前までは、床が見えなかった「ごみ箱の家」も、今じゃ、何とか「散らかった家」ぐらいにはなっている。どうぞ、どうぞの撮影会。

本庄さん:「まさか、ここまで手を入れてるとは思いませんでした。頑張りましたね。でも、高くついたでしょう?『結果的には、業者に任せて建てた方が安くなるはずですよ。』って、言ってたでしょ?」

KOKKO:「はい、玉城さん(NOAの若い設計士)にもそう言われてました。怖くて、今では建築費の計算やってません。領収書はとっていますので、最後に計算しますけど。」

やってるうちに、どんどんアイデアが湧いてくる。持ち合わせのお金とのからみで、企画がどんどん変化していく。当初、北へ向かっていた舟が、蛇行の末、南東に向って航海しているようなものである。

でも、決められた道を行かない楽しさと自由がある。

あれこれ考えながら、その時その時で決めていける楽しさも、決めずにほったらかしにできる気楽さもある。これを業者任せにしていたら、「与えられる」だけで、納得いくまで迷う自由はない。我がままと私好みは追求できなかった。

水仙ロードの水仙を眺めているノア様ご一行を見て、苦しかった2年前のことを思い出し、今の幸せを噛み締めて、じ~んとなった。

住む家があることって、こんなにも精神的安定を与えるものなんだ、普段は気付きもしないだろうけれど、生活の基盤なんだと、改めて「家」の持つ意味の大きさに思い至り、東北の人たちのことを思いもした。

ノアの設計士の方々は、私に「ここがお前の居場所だよ。」と場所を示して下さったのである。

あの時、あの出会いがなければ、私の“ホーム”はなかった。さ迷える魂を抱いて、さすらいの日々を苔KOKKO~!と鳴き叫びながら過ごしていただろう。やせ細り、ボロボロの羽で病にのたうち、廃鶏になっていたに違いない。

ノア様!ありがとうございます!!

こうして、2年ぶりに「ノアの箱家」建築現場で、ノア様と再会できたことを心から嬉しく思い、久しぶりにクリスチャンのように敬虔な気持ちになるKOKKOちゃんなのだった。

            

ノア様からいただいたシーサー殿に、手を合わせて拝むKOKKOちゃん。台所の棚の上にシーサー殿は鎮座ましましている。

 

落ち着いたら、本庄正之さんや玉城さんも「ノアの箱家」に来ていただきたい!

南側のコンテナで、向かいの竹を見ながら皆でさんぴん茶を飲みたい。

 

「ノアの箱家」、迷建築の証

本庄さんご一行と兄ちゃんたちといっしょにお茶を飲んでいた時、発覚したこと。

兄ちゃん:「あっ、あそこだけ、板が一枚裏向けに貼ってある!」

コンテナとコンテナのつなぎ目部分の下から四枚目の板が一枚、確かに裏向け。もう、後戻りは出来ない位置、やり直しは効かない。さすがは、迷建築中の迷建築、どこまでもやってくれるじゃないのさ! 

けれども、これは、きっと初めから約束されていたことだったに違いない。

安らかな気持ちでそれを受け入れた。「これは、きっと祝福された家の証なのだ。」と。 

        

ぱっと見ると、何のことはない。が、よく見ると、右の写真のように、一枚裏向けに貼ってある。兄ちゃん曰く、「ここは、KOKKOちゃんが貼ったところや。」KOKKO曰く、「うそ~。下のほうは、兄ちゃんが貼ったはずやで。」と喧嘩。工事中、何度喧嘩してきただろう。私が勝つこともあれば、兄ちゃんたちが勝つこともある。これを、「マホガニーとウォルナット」と私たちはよんでいる。


 

 


-11℃の冷え込み記録

2012-02-05 23:29:44 | 高槻の観光案内

今冬一の冷え込み

列島が大雪に見舞われた四日前の朝、樫田も-11℃になった。

昨年、-10℃というのがあったが、今年は暖かく、雪もそんなに積もらない。日本海側が大雪で困り果てているというのに、雪を恋しがっている私だった。

雪はそんなに降らないが、道路の上にわずかに積もった雪がアイスバーンとなり、その上に粉雪がちらちら・・・。これって、一番危険な状態じゃん!!

あちこちで事故を起こしているに違いないと思いつつ、バスに揺られて下山をしたが、考えてみれば、樫田は標高360メートルから420メートルほどあるわけだ、高槻市街地までは下り坂ばかり。スノボーとかスケボーとかで18kmを下り続けたらどんなだろう、いつかやってみようと、あの日、本気で考えていた。

 

さて、今夜は樫船神社の春節祭。

例によって護摩木を焚いてのお祭り。我が家は一番最後に神社に行った。

外は0℃だが、汗をかきまくっていた。身体が寒さに慣れているので、暑く感じるのだ。

福引きで、軍手一束あたる。我が家の必需品なので嬉しい。

 

「樫田温泉」がリニューアルオープン!

樫田の森林センター内の温泉が、温泉基準から外れてしまうという泉質変化をし、最近は、「単なる浴場」運営となっていた。そこで、新たに温泉掘削工事をしていたが、今度はにごり湯の掘削に成功。2月末までは、700円のところ500円に値下げ運営している。

来たれ、樫田へ!

来たれ、樫田温泉へ!

 

春の足音の中での工事

外気は連日-4℃以下だが、それでもクロッカスは蕾を膨らませ、スノードロップなんぞ、清楚な姿で次から次へと咲いてくれている。ふきのとうもぷっくりしてきた。

春だ、春。

ウキウキしてきた。

 

今日は、夕方近くになってから、外気とほぼ同じ温度の風呂場に“簡易断熱”を施した。これでお金が出来るまで様子を見ながら、本格的な工事の方法を考えていく。“簡易断熱”とは、何のことはない、天井の柵にスタイロを乗せ、例の有名な“プチプチ様”にもご登場いただいただけである。プチプチ様は、1.2m幅40メートル巻きで、たったの1680円。こりゃ、嬉しい存在!

午前中は、北摂スーパーに資材の買出し。外壁工事がまだ出来ていないので、その準備の資材探し。スーパーの振る舞いの焼きそばをパクツキながら、兄ちゃんや中ちゃんやひでちゃんやジャイアンとわいわいガヤガヤ。

コンテナ裏側の倉庫?見たいな通路に雨よけの波板をつける工事もしたい。

トイレを見栄えよく作りなおしたい。

外庭(果樹園になる)もちゃんとしたい。

中庭の漆喰塗りもしたい。

窓や戸の塗装もしたい。

鉄骨に錆止め塗装をしたい。

太陽光発電のコードを付け直したい。

やらなければならないことは山積みだ!!

そして、何よりコンテナの天井の断熱材の上に板を早く貼り付けたい。これをしないことには、竹を集めることも出来ない。屋外の荷物も整理できないのだから。

 

さて、構造用合板が、一枚1050円で手に入ったので、一気に天井工事だけは出来そうだ!!

コンパネ(コート)は、この一年間、一時980円だったのが、1120円とか1280円とか1380円。いよいよ天井工事をしたいと思った頃には、1480円とか、とうとう1580円にまで値上がっていた。

値下がりするまで待っていたが、値下がりするどころか値上がりする一方。とうとう痺れをきらして、コートではない普通の構造用合板が安かったので、手を打つことにした。

近いうちにいよいよ天井工事に着手する。