迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

循環型生活(う○○の話)

2011-09-22 20:20:27 | 自給自足

天然水洗トイレ

何にでも興味を持ってしまう。持つと、ストーカーっぽくなってしまう。

で、20年ほど前にトイレに興味を持ってしまった。

きっかけは、国立民族学博物館で手にしたマール社の「世界のトイレ図鑑?」と「日本のトイレ図鑑?」(正式な名前は失念)だった。

なんて美しいのだろう!

フランスのルイ王朝時代のおまる?や尿瓶の装飾の美しさと言ったら、たまらなかった(私と同じことを考えた人間が、過去にもいた。千利休は、南蛮人から譲り受けた尿瓶を生け花に使っている)

日本の便器の藍染め装飾の美しさには、ため息をついた。

デレデレしながら図鑑の写真に見入ってしまい、とうとうそれらの超豪華本を二つとも買うことになってしまった。

当時からKOKKOは、すでに病的苔KOKKOだったのだと、今、思う。

 

車で寝泊りしながら各地を旅するのが我が家の慣わしだったので、出発に際しては、その図鑑や他のトイレ研究書を元に、見学したいトイレをいくつも地図に書き込んでから臨んだ。

象設計集団は、とてもドキドキするぐらい好きな建築家集団ではあるのだけれど、常滑(愛知)の彼らが設計したトイレは、実は今もあまり好きにはなれない。

会津若松の武家屋敷にある車付き引き出し型トイレ(箱の中の土の上にぽっとんする)のアイデアには嬉しくなった。

能代(秋田)の小学校では、前日深夜に校門脇に到着して一夜明かし、出勤したばかりの教頭先生に事情を説明して、案内してもらった。すでに使用禁止の歴史的建造物となってはいたが、映画のロケでも使われたというその古びた木造ポッタントイレは、とても好感が持てた。

 

他にも実にいろんなトイレを見学してきたが、一番感動したのが、青森県十和田市のブナの原生林に囲まれた山奥の一軒宿、蔦温泉のトイレだった。

マール社の図鑑を見て「ここだけは絶対見落としてはいけない!」そう心に決め、行くことになった(お金がないから宿泊は駐車場の車の中だが、温泉だけは入った)。

チェックアウトの時間を狙って館内の仲居さんに事情を説明し、見学させてもらった。

男女トイレとも、便壷に常時山水が流れている。排泄後、即刻“生産物”が視界から消えていくのだが、昔は、“生産物”の流れ先が旅館の前庭にある池だったそうだ。

ようするに、池に飼われている鯉が人間の“生産物”を“消費”して丸々太り、その鯉を宿泊客が“消費”して便を“生産”、それを再び池の鯉が“消費”してまたもや人間の口に帰っていくというのが延々繰り返されるシステムだ。

これは、かつての沖縄のトイレの便壷が豚小屋であったのと同じ仕組みである。

なんという無駄のなさであろう。そして、何とステキな発想なのだろうと、ワクワクした。

私が初めて訪ねた頃、すでに池には汚水が流れていかないような構造にはなっていたが、それでも山水が涼しげな音をたてて足下を流れていく仕組みだけは残されており、綺麗な流水を眺めながら用を足すことの優雅さはたまらなかった。

 

                      

蔦温泉:大町桂月の終の棲家ともなった。奥入瀬渓流を含む十和田が観光地として有名になっていったのには、彼の功績も大きいのではなかろうか。旅館の裏庭?に小さな墓があったのを記憶している。

 

 

あまりに建具(指物)が美しいので、仲居に頼み込んで、トイレだけでなく館内(本館)の客室全てを見学させてもらった。

驚いたことに、全室が全く異なるデザインなのであった。

指物の美しさという点では一致しているものの、障子や窓、欄間、床の間、テーブルと、どれもひとつひとつ部屋ごとにデザインが異なっていた。

なんという贅沢さ!

おそらくは、もうこのような指物を作る職人は出てこないであろう、文化財級であるというのはすぐに分かった。その文化財級の建造物が、普通の旅館として使われているというところに感動した。

 

外観は、本館入り口以外、一見したところ何の変哲もない建物のように見えるが、秋田指物の美しさはそれは見事と言う他はなく、今も私のベスト旅館のひとつだ。

指物のあまりの美しさに圧倒され、蔦温泉にはその後も訪ねて行くことになったのだが、残念なことに、しばらくして浴場が改築され、以前のような鄙びた感じがなくなってしまった。

けれども、ブナの葉の透過光の美しさは、今も息を飲むほどに違いない。

蔦七沼の散策をいつかもう一度したいものだ。そして、天然水洗トイレが今も健在ならば、ゆっくり用を足してみたいとも願う苔KOKKOちゃんなのである。

 


 


壁の断熱工事

2011-09-20 20:46:28 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

断熱工事進む

基本的に外断熱と決めている。

ただし、どうしても内断熱にせざるを得ないのがコンテナの扉部分。

コンテナのデザイン上の特性を生かすため、扉はそのまま残すので(いずれ深紅に塗装)、どうしても内断熱にせざるを得ない。が、扉4枚となると、全体に占める表面積は相当になるので、断熱効果の程は???である。

いずれにせよ、昨年冬のように室内で-3℃とまではいかないだろうから、ま、いいかっ。

下に住んでいる時で4℃~11℃だったから、樫田のコンテナで4℃~7℃あれば、私にとっては充分だ。(寒さにはもう慣れた)

お金もないので、床用の断熱材の残りを使って扉を断熱した。厚さは3cmほどしかないが、内側に檜の腰板を貼るので・・・。

しかし、外断熱の部分に5cmのスタイロを使うから、これって、厚さが逆じゃないのか?と思うことがある。

内断熱の方が断熱効果は低いのだから、扉部分を分厚いスタイロにした方がいいのにともふと思う。

が、そうすると、扉際の仕舞いがどうもうまくいかないらしい。これは、大工の弁なのだが・・・。私は、分厚くてもやれる方法はあると思うのだが・・・。ま、ええかあ・・・。

長野県の蚤(全国コンテナ居住者連絡会:正式名称“蚤の会”の第一号会員)は、「中途半端な断熱ならしない方がまし」と言っていたのが、ちょっと気になっている。

 

                      

扉内断熱・・・内側に木を打ちつけて、間に断熱材を挟みこむ。釘は最小限にして、錆からコンテナを守る。詳しくは、後日紹介。

 

 

                        

南側外断熱・・・コンテナの窪み部分に縦に木を挟んで金槌で叩き込んで固定(釘は使わない)。コンテナと木をコーキングで接着。

スタイロは、その上から木にコーキングで接着。写真に見える木の小片は、コーキングが乾くまで一時的に裏の木に釘でとめてあるだけ。乾けば外す。スタイロは、上から建築現場から出た廃材で覆ってしまうので、これで充分。

 

                        

                       

 東側外断熱・・・ここは、根太無し工法用の床用断熱材。我が家の断熱材は、ありあわせのもので工事しているため、四種類の断熱材が混じる。

窓の変木格子に絡んでいるのは、ぶどう(ピオーネ)。まだ二年目の若木、しかも、一本しか植えていないので結実していない。来年には、もう一本別の窓に這わせ、結実を図る。ぶどうに自然生えのルコウソウが絡み、手前には、八百屋から買ってきたユリネから咲いた鬼百合。よく考えれば、わざわざ買わなくても、樫田には、そこいらじゅう鬼百合が生えていたのだが、ま、いいかっ。

亀岡のユリネ農場で見た方法を真似て、来年から本格的にユリネ栽培に取り組む。すでに、近辺の山から鬼百合を拉致?してきて敷地近辺に移植してある。一部は、むかごをばら撒いてもいる。

 



消費は生産、生産は消費(下肥の話)

2011-09-19 20:51:56 | 自給自足

消費は生産、生産は消費

言葉のあやではなく、まじ、そう実感している。

樫田に来てから、生ごみを“棄てる”ことに躊躇しなくなった。

 勿論、無駄に棄てるつもりはない。

しかし、下に住んでいた時のように、生ごみの処理能力の限界がない土地なので、仕方なく一部をゴミ箱に棄てなければならないという事態が発生しなくなったので、野菜くずが出てしまうことに「勿体無い」という何だか追い詰められているような気持ちが無くなったのは確かだ。

生ごみをゴミ箱ではなく、コンポスターや庭に“棄てる”ことは、それが土に返った後に、新たな野菜や草花として生まれ変わるということを意味している。だから、罪の意識を感じなくなったし、残り物を無理やり胃袋に押し込む必要も無くなったのである。

又、トイレから出てくる堆肥も、ガーデニングや自給自足に貢献してくれている。

私は、自分の消費した食べ物でう○○を生産し、それを別の食べ物に変えていくわけだから、「消費は生産。生産は消費」である。

庭のねっとり甘い無花果も、いろんな生ごみや私のう○○が姿を変えたものだと思うと、不思議な感じがするし、愛しいと思う気持ちまで湧き出てくる。

私は、自分の命の分身を食べているのだ。

この世のもの全てに命と魂は宿る。

恵まれ、生かされているという気がしてくる。

感謝。

 とまあ、「循環型生活」を宗教っぽく語ると以上のようになる。

 

「え!? 大便とか小便って、肥料になるんですか?」

我が家の青少年の友人が、日本人は、つい最近まで下肥で野菜作りをしていたということを話したら、ビックリ仰天した。

無理もない。水洗トイレで暮らしてきた世代にとって、排泄物は文字通り排泄物でしかない。

レバー一つで目の前から消えていってくれる。正真正銘“臭いものには蓋”。

防空壕時代、私は祖父の命じられるまま、便壷にはちり紙を投げ落とすことはしなかった。いや、ちり紙なんて上等なものはあまり使わなかった。新聞紙をしわくちゃにしてよく揉み、それでお尻を拭いていたのである。

昭和30年代生まれの子供たち、特に農村の子どもたちの中には、それに近かった子どもはけっこういたのではないだろうか。

それが、今では、大小便は単なる排泄物でしかなくなり、自分の身体から直接“生産”したそれらを肥料にするなんて、大変不潔なゲテモノとして怪しまれることが増えた。

私が、コンポストトイレで家の建築確認申請を取ろうとしたときに、若い設計士がぎょっとしたのも、まあそんなところからだったのではないだろうか。

 

下肥は商品

江戸時代の大阪では、淀川沿い農民達が舟に乗って、浪速の都心部まで下肥を買いに行っていたというのは有名な話である。大家が、店子の便壷の中身を売ることで二度“おいしい”思いを味わっていたというのも有名な史実だ(便壷の中身の所有権は店子ではなく大家にあった)。

廓と武家屋敷の下肥は特によい値で取引されていたというから、人間が何を消費することによって下肥を生産しているのかということは、下肥に含まれる栄養分(肥料分)、ひいては下肥の価格を決定する重要なファクターだったということだ。

そうだ、私もせいぜい、美味いものをしっかり食べようじゃないか!

自給自足をしようとしている限り、野菜作りで一儲けする気なんてさらさらないけど、ふと、大根一本と便壷の中身を物々交換している百姓姿の自分を想像してニタニタしまうKOKKOなのである。

 


 

 


無花果の収穫

2011-09-19 07:40:06 | 自給自足

無花果たわわ

この木は、植えて三年目。

去年もいくつか実ったが、大半は霜でやられて食べられなかった。水っぽくて甘くなかった。

今年は、春先から生ごみ堆肥を根っこの周囲に埋めたこともあって、急激に大きくなり、近所の古木と差が無くなった。たわわに実っている。

収穫に備えて、枝張り調整のための剪定と誘引を昨年夏から行っていたため、どの実もとりやすい位置にあるから助かる。

兄ちゃんが、先日の工事のときに

「美味いで!」となにやら口をもぐもぐさせていたので、見てみると、勝手に無花果をつまみ食いしていた。

「ジャムみたいやで。」

口に含んで見ると、ねっとり。生なのにすでにジャム状。これなら、砂糖無しでジャムが作れる。

「白無花果は甘いねん。」

確かに、果物屋やスーパーの無花果とはまるで違う。正直言って、こんなに美味しい無花果は生まれて初めてである。

おそらく生ごみ堆肥のおかげと思われる。

 

                    

やや小ぶりで、色も白いが充分熟している。ねっとり。トルコから輸入している干無花果は、この手の物かもしれない。次兄に教えてもらったイチジクのコンポートを作るのが楽しみだ。

  ※無花果コンポート

   フランスの田舎菓子。ひたひたの紅茶(砂糖入り)に皮を剥いた無花果を入れて一煮たちさせて、冷蔵庫で冷やして食べる。

  ※無花果ジャム

   砂糖入りのひたひた紅茶に小さく切った無花果を入れる。生クリーム100CCほどを入れて煮詰める。

   他の無花果ジャムと違って、生クリームのまろやかさがリッチ。

 

 

                      

西洋系の無花果か?昨年夏から主枝を3本低い位置で真横に牽引。今年の新枝は真上に伸びるので、日当たりもよく、収穫もしやすい。周囲に生ごみを大量に埋め、トイレから出た堆肥も埋めてある。以前、根元に尿の乾燥用の籾殻コンテナを置いていたが、あまりに成長して枝が邪魔になってきたので、モッコウバラの根元に移動した。ひょっとしたら、廃材を燃やした後の灰も効いているのではないか?

生ごみの中のかぼちゃの種が自生し、無花果に絡みついている。これも収穫が楽しみである。

無花果は、これから10月末まで次々と収穫出来る。

 



望月

2011-09-10 23:20:31 | 高槻の観光案内

月がとっても青いから~

満月か? とにかく真ん丸い。

家の向いの田の上に昇る月を眺めていると、時間を忘れる。

囲炉裏茶屋の山の木の上に昇る月もそれはそれは美しかった。

が、こちらの月は展望が開けている場所だけに、田んぼ一面が月の光に照らされて青く明るく、別の趣がある。

南側のコンテナに寝転がって眺めるもよし、屋上デッキの上に寝ころがって眺めるもよし、見飽きぬ光景である。庭ではこおろぎが鳴いている。

 

                        

                               柿の木の上に昇る月