天然水洗トイレ
何にでも興味を持ってしまう。持つと、ストーカーっぽくなってしまう。
で、20年ほど前にトイレに興味を持ってしまった。
きっかけは、国立民族学博物館で手にしたマール社の「世界のトイレ図鑑?」と「日本のトイレ図鑑?」(正式な名前は失念)だった。
なんて美しいのだろう!
フランスのルイ王朝時代のおまる?や尿瓶の装飾の美しさと言ったら、たまらなかった(私と同じことを考えた人間が、過去にもいた。千利休は、南蛮人から譲り受けた尿瓶を生け花に使っている)
日本の便器の藍染め装飾の美しさには、ため息をついた。
デレデレしながら図鑑の写真に見入ってしまい、とうとうそれらの超豪華本を二つとも買うことになってしまった。
当時からKOKKOは、すでに病的苔KOKKOだったのだと、今、思う。
車で寝泊りしながら各地を旅するのが我が家の慣わしだったので、出発に際しては、その図鑑や他のトイレ研究書を元に、見学したいトイレをいくつも地図に書き込んでから臨んだ。
象設計集団は、とてもドキドキするぐらい好きな建築家集団ではあるのだけれど、常滑(愛知)の彼らが設計したトイレは、実は今もあまり好きにはなれない。
会津若松の武家屋敷にある車付き引き出し型トイレ(箱の中の土の上にぽっとんする)のアイデアには嬉しくなった。
能代(秋田)の小学校では、前日深夜に校門脇に到着して一夜明かし、出勤したばかりの教頭先生に事情を説明して、案内してもらった。すでに使用禁止の歴史的建造物となってはいたが、映画のロケでも使われたというその古びた木造ポッタントイレは、とても好感が持てた。
他にも実にいろんなトイレを見学してきたが、一番感動したのが、青森県十和田市のブナの原生林に囲まれた山奥の一軒宿、蔦温泉のトイレだった。
マール社の図鑑を見て「ここだけは絶対見落としてはいけない!」そう心に決め、行くことになった(お金がないから宿泊は駐車場の車の中だが、温泉だけは入った)。
チェックアウトの時間を狙って館内の仲居さんに事情を説明し、見学させてもらった。
男女トイレとも、便壷に常時山水が流れている。排泄後、即刻“生産物”が視界から消えていくのだが、昔は、“生産物”の流れ先が旅館の前庭にある池だったそうだ。
ようするに、池に飼われている鯉が人間の“生産物”を“消費”して丸々太り、その鯉を宿泊客が“消費”して便を“生産”、それを再び池の鯉が“消費”してまたもや人間の口に帰っていくというのが延々繰り返されるシステムだ。
これは、かつての沖縄のトイレの便壷が豚小屋であったのと同じ仕組みである。
なんという無駄のなさであろう。そして、何とステキな発想なのだろうと、ワクワクした。
私が初めて訪ねた頃、すでに池には汚水が流れていかないような構造にはなっていたが、それでも山水が涼しげな音をたてて足下を流れていく仕組みだけは残されており、綺麗な流水を眺めながら用を足すことの優雅さはたまらなかった。
蔦温泉:大町桂月の終の棲家ともなった。奥入瀬渓流を含む十和田が観光地として有名になっていったのには、彼の功績も大きいのではなかろうか。旅館の裏庭?に小さな墓があったのを記憶している。
あまりに建具(指物)が美しいので、仲居に頼み込んで、トイレだけでなく館内(本館)の客室全てを見学させてもらった。
驚いたことに、全室が全く異なるデザインなのであった。
指物の美しさという点では一致しているものの、障子や窓、欄間、床の間、テーブルと、どれもひとつひとつ部屋ごとにデザインが異なっていた。
なんという贅沢さ!
おそらくは、もうこのような指物を作る職人は出てこないであろう、文化財級であるというのはすぐに分かった。その文化財級の建造物が、普通の旅館として使われているというところに感動した。
外観は、本館入り口以外、一見したところ何の変哲もない建物のように見えるが、秋田指物の美しさはそれは見事と言う他はなく、今も私のベスト旅館のひとつだ。
指物のあまりの美しさに圧倒され、蔦温泉にはその後も訪ねて行くことになったのだが、残念なことに、しばらくして浴場が改築され、以前のような鄙びた感じがなくなってしまった。
けれども、ブナの葉の透過光の美しさは、今も息を飲むほどに違いない。
蔦七沼の散策をいつかもう一度したいものだ。そして、天然水洗トイレが今も健在ならば、ゆっくり用を足してみたいとも願う苔KOKKOちゃんなのである。