迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

藤森照信の土俗的で懐かしい?建築

2012-05-20 20:18:48 | 建築一般

神長官資料館(茅野市)      

ゴールデンウィークに、茅野市の神長官資料館へ行った。土壁の農家風の土俗的でどこか懐かしさを感じる建築。何年か前から行きたかったところ。諏訪大社は観光バスで大勢の人が押しかけていたが、ここはまばら。

畑の中に立っている、素朴な姿は、とても美しいのだが、おそらくは、さりげなさすぎて素通りしてしまう人の方が多かろう。

人がいないので、おねだりしたところ、はね階段を降ろし、普段は未公開の2Fまで上げてくれた。ラッキー!!

たった100円の入館料。儲けたろうという気は全くない。

 

内壁に飾ってある鹿と猪の頭の大きさがまちまちなので、「数が足りなかったから、間に合わせしたみたいですね。」と言ったら、「本当は全て鹿のはずだったのですがね、鹿が足りなくて猪も使いました。また、成獣が足りないので、子どもも使いました。」とのこと。

まちまちでも何とか見れたけれども、思わず??ニチャッとしてしまった。

それにしてもいい。

「私、こんな家に住みたい。」と言ったら、「使う方にしたら、使い勝手は良くないですよ。暗いから。」

「でも、農家の倉庫をイメージしているのだから、暗くなるのは当然ですね。」と返したら、戸惑ったような笑顔が返ってきた。

建築家の美意識と施主の生活意識とは常にリンクするとは限らないのだ。

でも、あたしゃ、こんな薄暗さの方が落ち着くんだけどね。

あたしに別荘として、この資料館、下さい!!

                    

                    

                              畑の中の神長官資料館

 

畑の横に溶け込むように立っている。何も知らない人が見たら、それこそ、農家の倉庫に見えるだろう。いいねぇ。神長官末裔の個人宅の敷地の中。外からいけいけなので、誰でも勝手に行ける。散歩している人やら、農家の人やらを畑の小道で見かけた。

敷地内の社というか祠にお参りに来た老女が、「神様に挨拶もしないで素通りして行くの?ダメですよ。こっち来なさい。拝みなさい!」で、彼女に従って祠に向かってお参りし、後ろにある木の幹を抱きかかえ、気を身体に取り入れるしぐさを真似た。その後、お供えした団子をいただく。

「ここの男神は、酒が好きで、女神は団子が好きで・・・。」ひとしきり、諏訪の神と神長官について話を聞く、というより、聞かされる。彼女は、毎日ここにお参りしに来ているらしい。どうやら諏訪大社の神様よりも、こちらの負けた神様(神長官)の方に肩入れしているらしかった。

祠の四隅には、諏訪大社と同じく、御柱が建っていた。諏訪のいたるところで同じ光景(御柱)は見られる。

 

 

         

             神長官資料館(個人宅)の裏の畑の中というか、畑の上からぶら下がっているのは、これまた藤森照信設計の茶室。

 

まるでUFOだね。風が吹けば、お茶がこぼれちゃいそうだ。

あたしも登ってみたい。あたしも揺られてみたい。

茶室下のすぐ側に、梯子が二本置いてあった。一本は、茶室用で、もう一本は、どうやらさらに畑の上を登った所にあるツリーハウス用?

あたしゃ、ここの家の子どもに生まれたかった。

遊びまくってみたかった!!

 

 

                        

                                            ジョーズの口

 

茶会をするのは、ジョーズに食べられてから。梯子からにじり口に乗り移る時は、けっこうスリルだね。 

 でも、あたしも食べられたい!!

 

 

                          

                                 ツリーハウス  

 

ツリーハウスの下には、ふきやらたらの木やらなんやら一杯植えてあった。畑の片隅にあり、取り澄ました様子がない。いいねぇ。真似して造ってみたい。うちの家の横の小丘の柿の木に。隠れ家だ。冒険心をくすぐるよ。

 

 

                       

                            秋野不矩美術館の吹き抜けのライト

 

今年の連休は、富士山の母の墓参りはやめて、元天竜市二股(現浜松市)の秋野不矩美術館へ。ここは、以前来た時、休館日で、ガックリしながら帰ったところだ。藤森照信の建築。靴を脱いで中に入るという美術館。

別荘にしたいよ、この雰囲気は。ほっとする空間。特に、外壁の雨天時の水落としなんて、最高だね!!

遠州灘(袋井)で、イチゴ狩りをするのは古くからの我が家の慣わしだった。その後、富士山で墓参りし、裏富士を巡るのが常だったが、 今年は、秋野不矩美術館を見て、浜松餃子と浜松祭りに浮かれた後、山道を走って天竜川を遡上し、飯田へ抜けた。そこから諏訪へ藤森建築巡りの旅ときた。

帰りは、高遠から駒ヶ根・中津川。中央道の夜は単調で、眠くて眠くて・・・。歳も歳だし、パーキングごとに仮眠をしながら帰るという疲れよう。

今回の旅は、茅野のカナディアンファームもお目当ての一つだった(これについては、後日報告)。


 

 


ノアの箱家、花盛り

2012-04-22 09:33:26 | 建築一般

ここの景色は、みんなあたいの物だいっ!

周りの景色も自分の家として、取り込もう。

この土地を買った時からずっと決めていた。

隣家の敷地である小丘も、あたかも私の家の庭のように景色の中に取り込む。

田んぼ越しに見える向かいのAさん所有の破竹林も私の庭、家の上の孟宗竹林(大阪経済大学所有)も私の庭、里道の崖(Tさんちの敷地)も私の庭だ!!

ここでしか味わえないものは、全部自分の物として、満喫しきる。

これは、お金に換えられないもの、そして、物理的に所有しない限りにおいて、視覚的に嗅覚的に楽しむ自由だけは保障されている、法的に違反していない!・・・法律の壁に苦しんでいた当時の私にとって、「じゃあ、法律の網目を何としてでも潜り抜けてやるんだ。合法的に認められることは何だってしてやる!」・・・ 「く」と「そ」と「っ」と「た」と「れ」と「!」の心境だった。

今思えば、そんなことは誰だって、普通にやっていることなのだけれど、ほとんど復讐心と言ってもいいぐらいの激しさで、当時の私は思いつめていた。

「水仙ロード計画」の思いつきもその延長だった。

幸い、土地所有者の承諾も得られたので、草刈・管理を請け負う形で、ここまでやって来た。近所の人たちが散歩コースを変更してまで、この道を通るようになったこと、旧明智街道抜けのハイカー達が水仙の写真を撮りまくっていること、これは、とても嬉しくて、励みになる。

 

「住居」だけが住居なのではない。

人間は、環境全部を自分の五感を通して「自分の居場所」として、感じ取っているのだ。

以前、見かけた某デザイナー設計の家は、窓や天窓が大きく取り付けられた素晴らしいデザインだったが、何と、隣の家との隙間が詰まっており、その立派な窓を開けると、隣の家の裏壁・窓と接していた。これでは、窓を開け放つことは出来ないし、カーテンまで常時締め切っていなければならない。実際、隣家は、窓に目隠しを設置していた。おまけに、斜め向かいの家の洗濯物が目の前にゆらゆら揺れていた。

「この家は、森の中の家、丘の上の家なら、デザイン的に素晴らしい、けれども、立地条件を無視した設計だ。」と、私は、不動産屋に文句を言った。自分の家でもないのに、腹が立ってきたのを記憶している。

周辺環境を無視して設計すると、これは、もう暴力と言っても差し支えない。

高いお金をかけて自分の居場所を求めたのに、居場所から終われるように、持ち主は、その家を売りに出したのだ。

 

私には、引き返すことが出来るお金は無い。

だったら、少ないお金で家を造ろう。その代わり、無料の環境を思い存分楽しめるような家が欲しい。そう思って、私は、ここへやって来た。樫田は、後に、大阪府の災害ファザードマップで、地震による揺れの大きな場所(樫田盆地は、自然水販売業者が地下水をくみ上げる工場を作っているぐらい、周囲の山からの湧き水の豊富な所。逆に言えば、地盤が緩い。)と知ったが、それでも、今はもう納得できる気持ちになっている。

 

 

        

サクランボ(暖地)は、去年、初めて実った。サクランボの開花は、他の桜よりも一足早いので、今年はもう花は散った。サクランボの左の山吹が、今は蕾を膨らましている。手前の薄桃雪柳が、現在満開。これからは、芝桜が斜面全体を見事な薄紫の絨毯で覆いつくしてくれるだろう。水仙は、近所のKさんが分けてくれたとてもいい香りの水仙を中心に植え込んだので、アプローチを通るとき、むせ返る程。はくモクレンは、3年目。昨年の剪定が失敗。今年の花数はとても少なかった。沈丁花は、350円で買った苗が、今では立派な木となった。沈丁花の足元に、畑山葵とうるいなんどの山菜が増えつつある。プランターには茗荷。

 

 

     

新聞配達のオジサンが、どうしてもアプローチの花芽を踏んでしまうので、咲くことなく枯れてしまったムスカリがいくつもある。クロッカス→ミニ水仙→シラー、プスキニア→ムスカリ→ミニチューリップ→すみれ→なでしこ→アイリス→レインリリー→サフラン(秋)の順で咲くよう、植え込んだ。日当たりがいいので、球根の分球が凄まじく、植え替える場所に困ることがあるほど。アネモネも恐ろしい勢いで求婚が増えたので、水仙ロードの斜面に分球した。畑の周りも花だらけにしよう!!

 

 

              

水仙ロードの水仙は、盛りを越し、今は、ムスカリが咲き始めた。変わり咲き水仙と香りの強い水仙が多い。今、れんげが咲き始めている。そのうち、水仙ロードは、レンゲロードに切り替わる。

 

 

                     

水仙ロードの左崖には、もともとすみれが咲いていた。現在、山から次々色んなすみれや鬼百合を誘拐してきて、ここに根付かせている。すみれは、ここと相性がいいよう出、小さな花が雑草の隙間から見える姿は、とても可憐だ。

 

 

                 

菜の花が満開。来年は、もっとたくさん菜の花の種を撒き、菜の花の斜面にしよう。日当たりがいいので、美味しい菜の花がたくさん育つし、とても綺麗だ。菜の花の間からは、実験的に植えたアネモネやムスカリがのぞく。鉄砲百合は、どうやら、寒さで上部が枯れてしまったようだ。

  


 

 


石山修武 考える、動く、建築が変わる

2010-12-06 20:18:41 | 建築一般

「石山修武 考える、動く、建築が変わる」

なんと柔らかな人だろう。

なんと創造力豊かな人だろう。

そして、何て正直な人だろう。

毎度のことながら、ドキドキしながら一気に読み上げてしまった。

 

ひろしまハウスや世田谷村の出来ていく経過とか意義が、またひとつ深く理解できた。

世田谷村は、かなりの入れ込みようで造られたセルフビルド実験住居、見栄えとかには価値を見出さない石山氏の真髄だ。

いいねえ!

 「建築を作品とは考えていない。でも、時々『作品ぐらいは出来ますよ』ってところを見せとかなきゃ、誰も私の話を聞かなくなってしまう」と、戦術としての作品作りをするところなんて、ハチャメチャやってるだけでなく、ちゃんと世渡りも心得てる。だから、王道の際をいく対抗馬的存在としてのポジションが確保されてるんだろう。

 

さて、石山修武ことドリトル先生動物園倶楽部事務猫白足袋の飼い主君は、この本の中でも師匠の川合健二氏を語っているが、この人が川合健二を語るとき、いつも少年のように熱くまっすぐな表現になる。頭ではないところで、川合健二氏を受け止め、慕っていたのだというのがよく分かる。

人生において、自分のその後を左右するような人物に出会えるということは、それほど多くはない。

また、相手の影響力がいくら強くても、一方的な要因だけでは出会いは成立しない。

こちらの感受性が鈍ければ、出会っていてもそのことに気付かないまま通り過ぎてしまうだけだ。

石山氏と川合氏は、お互いピピピピピと来ていたに違いない。

早稲田バウハウス実験スクールでは、石山氏が川合氏を慕ったように、石山氏を慕う多くの学生が集まったと想像するが、参加者のその後はどうなっているだろう?

市根井さんとかいう大工さんも確かその一人だったはず(世田谷村日記から分かる)。

マスイイなんて工務店の親分も予想の通り、世田谷村のビニールハウス育ちだったようだ。

石山氏がどこかで、レクチャーとかやる機会があれば、私も絶対行きたい。行かなきゃ損損。

拍手の替わりに豊洲有庵を投げまくりたい。投げなきゃ損損。

あたしゃ、ぞっこんだ。

 

ところで、文中に気仙沼港のガウディのトカゲのことが出てきた。

気仙沼に行くと毎回見てきたトカゲだが、なんと!石山氏がかんでいたらしいことを初めて知った。

建築家はあちこちで仕事してるから、KOKKOちゃんも歩けば石山に当たるのだ。


 

以下は、昨日の記事の再録

笑い転げた。

 “三年どころか毎年寝てやるんだ君”(勝手に彼をそう呼んでいる)のブログタイトル変更。「100万円で土地を買って家を建てる、云々」から「10万円で家を建てて生活する、云々」になった。

 

http://ameblo.jp/mainen-netaro/entry-10709082948.html

 

「写真ばかりでもう書くことが無くなった」と綴られている。「私の普段の生活に関心を持ってくれる人と結婚しようと考えていたら、二人も同時に出現して困惑している」などとも。

笑い転げた。

一般的“良識”から見れば、「そのような暮らしで結婚などとはとんでもない、嫁ハンや子どもの幸せを考えろ」とどやされるのが関の山。しかし、毎年寝太郎君は、その名の通りふぁ~んとしていて、決して力みはしない。

彼のブログは“10万円SELF BUILDマイホーム暮らし”の実践レポート的なブログではあるのだが、実際には「井戸も掘りたくなくなりました」とあるように、“実践してやるんだ”などと、ことさら力んでなどいないのである。淡々とした暮らしが続いているだけなんである。

いいねえ! 実にいい!

 

寝太郎君のブログは、タイトルを変更しただけでアクセス数が一気に3倍に。

ふ~む、そうか。センセーショナルなタイトルだもんな。インパクトあるもんな。

私のブログタイトルも「ノアの箱家」から「迷建築ノアの箱家」に変更したとたんアクセスが増えた。

タイトルっていかに大事なのかいうことだ。

逆にいかに目立つものに人間は飛びつきやすいかということだ。

妙に感心してしまった。

 

しかし・・・。

この毎年寝太郎君のBライフブログは、ある種の人間にとっては毒となり、またある種の人間にとっては大きな救いとなるだろう。

また、ある種の人間にとっては、晴天の霹靂、目から鱗。こんな生き方もあるんだと驚くのである。

私も素直にびっくりし、同時に人間って何て素敵な生き物なんだろうと思ってしまう。

結婚し、子どもが出来、彼のBライフが今後どのように変化していくのか見届けたい気分になる。

しかし、坂口恭平君の0円ハウスによる問題提起よりも、より「ノーマル」に近く(一応、世間一般に言うところの土地・マイホーム持ち)、人に理解されやすいというか、「普通の」生活感を感じさせる。頭の中でのBライフではなく、体から自然に出てきているBライフだからだろう。

いい、実にいい。

面白い。

ははは、寝太郎Bライフは建築家にとっては衝撃的だろう。

こんなことを真似する人間が出てくれば、建築家の存在意義なんて全く無くなってしまうんだから・・・。

住宅業界も大痛手を蒙ることになっちまうだろうなァ。


 


人間の知恵

2010-12-01 20:09:50 | 建築一般

エネルギーを自分で作り出す

電気や熱を自分で作り出す。水も作り出す。

そんなことが出来たら、サバイバルライフもエコライフもBライフもやりやすくなる。

人間の知恵の底知れぬことよ、

人間の根性の底知れぬことよ。

 

以前、読みまくって感激したサイトを紹介しておく。

RUPISUの環境志向のページ

http://www.cwo.zaq.ne.jp/rupisu/index.htm

 

太陽発電については小規模ながら導入しようと考えて、今勉強中。

埼玉かどっかでも物凄く頭のいいおじさんがいろいろやってるのをどっかで読んだ。

いい技術で、自分にも実践可能なものががあるなら、ばどんどん取り入れていきたい。


  

 


必要最小限

2010-11-30 20:04:13 | 建築一般

必要最小限の広さと設備

NOAに設計を依頼したとき、「必要最小限の設備でいい、それにお金をかけるよりも、そこでどう生きていくかの方を大事にしたい」と言った。

しかし、「必要最小限」とは、なんてあいまいな言葉なのだろう。

人によって、その言葉の意味するところは大きく異なる。

ある人にとっては、一畳のダンボールマンションが必要最小限であり、またある人にとっては、9㎡が必要最小限であり、ある人にとっては100㎡であったりするから厄介だ。

9㎡セルフビルドの小屋については、「これなら出来そう!」と思って見ていた。

建築確認申請の必要が無いから楽珍だし。(ただし、更地に新築の場合は必要)

 

しかし・・・。

本当にそれで満足できるか?

屋外をトイレ・キッチン・居間・インテリアを包括する空間とするならば、それもOK。

だが、屋内は寝るだけになってしまいそう・・・。

で、下(都市部)に住んでいる時、自分の動線をよく考えてみた。

キッチン・仕事部屋・寝室・風呂・トイレ・・・計算すると、やはり6畳二間分にはなってしまう。

特に、私は食器と料理用の道具、布とその道具がとても多い。収納にスペースを回すとなると、どうしても狭くなる。

で、仕事部屋兼キッチンで一間、収納・トイレ・風呂兼寝室(ロフト)で一間とすると、なんとか6畳二間でいけるかな?

なんてことを考えていたら、9㎡というのは私にとってはどうしても狭すぎると思えた。

「必要最小限」って、何てあいまいな言葉だろう・・・改めて感じてしまった。

同時に、私は何て恵まれているんだろうとも・・・。

昔、新聞少女としていくつもの○○荘などという所に出入りしていたことがある。

5人家族が6畳一間なんてのはざらだった。

部屋の入り口に散乱している生活用品を見て、子どもながらに色んなことを私は感じていた。

家を見るというのは、その人の生き様を見るということに他ならない。

「必要最小限」とは、その人の欲望の大きさの最小限を表しているいるのかもしれない。

 

ところで、正規雇用が大幅に減る今、若者たちは自分の棲家をどのようにイメージするのだろう?

生涯結婚しないで一人暮らしをすることになるか、シェアハウスで仲間と暮らしていくか、本人の意思ならいいのだが、中には意に反してこれまでの家のイメージからは大きく異なる道の選択をせざるを得ない人が増えるのではないか。

我が家の青少年のパラちゃんも、住み込み業務で(修行中の身とは言え、飼い殺しに近い過酷な労働。朝8時から深夜12時までの勤務。週に一回は明け方5時まで。狭いワンルームに二人の従業員。私にはタコ部屋生活に見えたが、それでも、非常に恵まれていたと今は思う。)身体を壊して私の所に舞い戻ってきた。現在、新たな道を見出しはしたものの、若者達の未来はそれほど明るいとは言えないような気がする。

私は、地震による都市機能の破壊に脅えてここへ来たので、ある種のサバイバル志向者の一人とも言えるだろうが、エコ・循環型生活やBライフとサバイバル生活は、技術的に大きく重なる部分があると考えている

「必要最小限」の言葉の意味をもう少し深く掘り下げてみたい。

  

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