迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

ちょこの死

2015-01-15 19:14:02 | 日記

ちょこちゃん、死す。
11歳8か月だった。
12月17日未明のことだった。

ちょこは、12月に入って、急に食べなくなった。
同時に後ろ足が動かなくなった。やがて前足も。
その間、食欲をとりもどしたが、動けないのでエサの入れ物にたどり着けない。
私が、手からエサや水を食べさせた。
ちょこには「今度食べなくなったときは、病気じゃなくて老衰だからもう病院には連れて行かないよ。」と約束していた。

だのに、1回だけ連れて行ってしまった。以前骨折していた方の太腿が急速に晴れてきているのが分かったからである。
もしや、もしや?
老衰ではなく、折れた骨が肉に刺さって腫れて元気をなくしてるだけかも。だったら、抗生物質投与で乗り切れるかも。
一縷の希望を胸に診察時間外と知りつつ病院に飛び込んだ。

だが、レントゲンの結果、骨が原因でないことが判明した。
医師:「むごい写真ですから、覚悟して見て下さいね。骨が、溶けてなくなっています。」
信じられない気分だった。
が!足首から腰までの間の骨が本当に映ってなかった。あるのは、肉と膿のみ。

医師:「僕、こんな写真見たの初めてです。この子は腫れた膿のある太腿だから何とか足の形をしている。腫れてなかったら、足がぶらぶらしていたでしょう。腫れの原因はここの擦り傷から入ったばい菌だと思います。」
何とか腫れさえ引かせれば生きながらえるのではと思い、医師にわめきまくっていた。

だが、医者は言った。「お母さんが揺れ動いてどうすんの!覚悟せなあかん。これぐらいの傷で化膿するっちゅうのも老衰なんや。若くて元気やったらこんなくらいで膿んでへん。8歳まで生きたら万々歳やねん。ウサギとしてはもう充分長生きしてきたんや。いくら抗生物質投与してももう効かない。年内には死ぬ。覚悟し。」

で、私はかねてから決めていた通りの方針を貫徹することにした。
家で、できるだけのことをしてやろう。
ホットカーペットの上に小屋を置き、毛布や羽毛布団を掛けて一日中暖かくした。
好物のバナナも毎日一切れづつ食べさせた。

そうして約二週間、ちょこは逝った。
朝、いつものように毛布をどけたら、夕べと同じ姿勢で半分目を開けた状態で逝った。
瞳はまだ濡れており、逝ってそれほど時間はたっていなかったようだ。
安らかな死だったと思う。

墓石は数年前に用意してあった。
墓も丁寧な埋葬をしてやりたくて、1週間前には掘ってあったので、仕事に行く前に丁寧に丁寧に埋葬してやれた。
ちょこの好きだった窓際の花壇の中の1等地。たくさんの球根を周囲に植え込み、間違って遺体を掘り起こしてしまわないように、柵も設けた。ここでちょこは花に生まれ変わる。
生前から、ちょこには言っていた。
「お前は死んだら花になるんだよ。立派な立派な花になるんだよ。」と。

私の手のひらをつつくながらエサを食べていたちょこの口元の感触が今も残っている。
ちょこ、楽しい時間をありがとう。
墓を見ながら語り掛ける日々。

2015-01-15 18:34:46 | 竹取物語(仮題)

今年の竹は12月30日に竹の伐採、設置を大晦日に行った。
我が家の青少年の友人がやってきてくれたので、危ない作業もはかどった。
イルミネーションは猛吹雪の中、元旦に一人でやったが、屋根が凍っていて滑って場から、ひやひや。
村人のAさんが、「今年は賑やかやなあ。」とイルミネーションを見て言った。
もう充分に市民権を得た竹である。

しかし、写真がどうしても横向きになってしまうがな、なんでや?!!

冬眠しない熊

2014-12-15 19:46:17 | 高槻の観光案内
もう怖くて外に行けない!!

久しぶりの更新。
またもや、12月11日の夜、向日柏原線の二料~柏原の間の森の中でクマが出た。
回覧板には、毎回「小熊が出ました」と記載されているが、体長1メートル程とのことなので、ツキノワグマなら充分成獣の可能性がある。

秋には、四つ子ちゃんたちの住む空谷橋付近で出た数日後、森林観光センターのシイタケハウスの中にいるところを目撃されてもいる。
赤外線カメラを設置したしげちゃんの電車ハウス上の林道(明智道・・・昔、亀岡から明智光秀が高槻に出る時この道を使っていたらしい。上の口の摂津峡まで続く道)では、夜なったらごそごそごそごそ動き回っている熊の姿が映っていたという。

困ったものだ。
最近家を出る時は大声を出したり大きな物音を出してから出るようにしている。
とはいえ、熊さんたちが何かに夢中で私と至近距離になってからしか気づいてくれぬことだってある。
絶対遭遇したくない相手だ。


で、ついでにこしばらくの出来事を記しておこう。
畑では、亀岡の農協「朝霧」で買ってきたむかごの食べ残しを春に撒いたら、みなさん見事に育って大量の山芋の収穫とあいなった。
気を良くしたので、来春からは本格的に山芋栽培に着手予定。

ピーマンは、一株から数百個の実が取れた。それが3株だからすさまじいピーマン攻撃にさらされた。私が突発性難聴で入院中に我が家の青少年の友人夫妻が勝手にピーマン採取していた。

トマトは昨年のこぼれ種からの高級ミニトマトが大量に採れた。これも毎日ざるに1杯。あきれ返って物が言えないほどだった。脇芽を挿し芽にしていたがそれらもほぼ全部活着したので、菜園から庭に至るまでトマト天国。赤・橙・黄・小玉・中玉・大玉とバラエティに富んだトマトたちが11月に入っても採れつづけた。

伏見唐辛子・万願寺甘長・しし唐・激辛唐辛子も売りに出せるほど採れた。

今年は、柚子もたくさん実ったので、自家製柚子胡椒もたくさん作った。
冬になって黄色くなった柚子は、柚子味噌にし、残りは柚子風呂にして使い切った。

小芋・ヤーコン・しょうがなども豊作。
ただ、ニンジンが小さいのなぜか?種まきが二週間遅れたからだろう。
きゃべつ・白菜も豊作。
サツマイモは並みの収量。
カリフラワー豊作。
にんにく豊作。
じゃがいも超豊作。

悔しかったのはメロン。途中落果が多く、大半を漬物にする羽目に。

傾斜土槽を見学に京都の学生たちがやってきた。
京都芸大の学生や他の大学の学生たちが見学ついでに、庭石の分別運搬を手伝ってくれた。
若い彼らは美山で村おこし活動をしており、その一環でリノベーションや芸術活動・農業に手を染めていて、私のブログで生活排水の浄化システムの一つである「花土水}(傾斜土槽)のことを知って、四国電力技術開発の生地さんを通じて見学の申し入れをしてきたのだ。
彼らも傾斜土槽を私のブログを参考に作ったらしい。
だから、コンポストトイレも見せながら解説した。
若い連中との会話は楽しい。
おかげで楽しいひと時を過ごすことができた。

なお、傾斜土槽は、傾斜土槽が正しい呼称。私は今まで間違って「傾斜土浄化槽」とブログに記してきたが、法的には浄化槽と呼んではいけないらしい。生地さんから注意を受けたので、ここに記しておく。

突発性難聴については、後日。




熊、現る!!

2014-07-15 20:43:59 | 高槻の観光案内
クマ、現る!!


大阪府で初?のクマ捕獲 豊能町の山中、他府県から繁殖目的で移動か 2014.6.19 18:32

捕獲されたツキノワグマ=大阪府豊能町(府提供)
19日午前9時ごろ、大阪府豊能町野間口の山中で、仕掛けられていたイノシシ捕獲用の檻(おり)にツキノワグマ1頭がかかっているのを、府猟友会豊能支部の会員が発見し、同町に通報した。


・・・・・・・・・以上の記事が新聞に記載されたのは6月のこと。
そのクマは、5月に茨木の上音羽で目撃されたクマと同一熊物かどうかわからないままだった。だが、地元では、「もうこれで一安心」の空気が流れていた。
だけど、怖がりで疑い深い私は新たに登山用のソーラー・手回し両タイプ充電の携帯ラジオを購入し、そいつをガンガン鳴らしながら山道を歩くことにした。城山や明神岳が好きだからである。
そして、またしても、昨日の夕方、樫田の我が家の裏、嵐電の旧車両に住んでいるしげちゃんの駐車場で、しげちゃんが熊を目撃したのであった。
そのクマは小ぶりの熊だったらしいが、しげちゃんと遭遇した後、斜面を降りて西浦の方へ去って行ったという。
そのあたりは、2年前三軒隣に住んでいるM氏が遭遇し、追いかけられて逃げたという城山の谷筋にほど近い。どうやら、黒柄山から城山にかけての地域は熊の生活圏にされてしまったようだ。
我が家の玄関先には柿の古木が2本もあるので、ある朝起きたらクマと遭遇してしまう危険は充分にある。しげちゃんの電車とうちは100メートルも離れていない。あんな表通りというか自動車道にも堂々と現れてくるなんざ、熊もたいしたものよのう。
以前、父の住む近江今津の隣家にクマが入り込んで冷蔵庫を荒しているのを地元猟友会のメンバーが射殺したことがあった。
あたしのコンテナにもクマが入り込んであたしを襲い、それを猟友会のメンバーが退治しようとして誤ってあたしを射殺・・・オーマイガッ!! 
恐怖心はどんどんどんどん嵩じていき、もはや妄想と化してきた。
おっかないよう~!!

お〇○〇育ち

2014-06-12 05:52:43 | 自給自足

ここまでできる! お〇○〇パワー炸裂!

                          

 苺がほったらかしのまま、次々実をつけていき、毎日ざる一杯収穫という状態が続いていた。

今年はマルチングをさぼったので、土に接触した完熟近い苺はどんどん土中のバクテリアに分解されていく上、夜にはカタツムリや虫たちに喰われてしまうので、(連中は一晩で1匹当たり1粒ぐらい跡形もなくなるほどぺろりと平らげる)苺たちはあっという間に無くなっていってしまうので、収穫率は昨年までの半分ぐらいしかない。それでもこんなに収穫できているのは驚異である。

完熟苺を食べたいが、虫と微生物との戦いになるので、一足早く完熟前の色の薄い苺を夕方に収穫するようにせざるを得ないが、それでも新鮮な甘酸っぱさはたまらない。ざる1杯の苺をのどが渇くたびに水代わりに毎日食べ続けてきた。

来年は、マルチングを絶対さぼらない! 
                    

KOKKOの苺は、とうとう地主の苺を追い越した。

地主は、毎年親株を捨て苗を更新しているが、あたしゃそのまま。親株もランナーも放置状態のまま3年以上。異種6株が今や100株以上に増殖。密植状態なのに農場主の苺畑を上回る実りである。これは、ひとえにお〇〇〇の力以外の何物でもない。

実験のため、一昨年からお〇〇〇だけで育ててきた。微生物繁殖のせいもあるのだろう、土の状態はふかふか、農場主の畑をついには追い抜いてしまったようだ。

もともと借りた当時の畑の状態は水でじめじめしており、しかも日照りの時はカチカチで鍬やスコップもなかなか食い込まない大変な粘土質であった。

しかも12月以降は一切日が照らない。おかげで、これまでに借りていた人たちは次々離れていった。

が!ひつこいKOKKOは土壌改良に力を入れ、とうとうここまでやったのだ。いや、他に土地がないのでやるっきゃかった。遠く離れた所なら借りれるところはいくらでもあるが、家のそばが一番、キッチンガーデンなんだから。

農場主:「あんた、ええ土なっとるやんか。ぼろぼろぼろぼろ土が崩れていきよる。うちとことの土とえらい違いやで。ここに住んでる間は、畑続け。荒したらもったいないで。」

KOKKO:「そら、お金も体力もかけましたがな。」←本当にかけたのは、お〇〇〇なんだけど!

 

                            

「ああ、お〇○〇よ、苺の次はメロンに姿をかえとくれ。」  KOKKOは祈りながらメロンの赤ん坊たちの横に苺のへたを差し出すのであった。メロンちゃん曰く「おいしい、おいしい。」声が聞こえてくるんだから、可愛いったらありゃしない。

 

新田開発

というわけで、にんまりKOKKOは地主から新たに土地を借りた。

現在の畑の上にもう1面。荒れ放題の土地ではあるが、すでに3分の1を開墾。畳2畳分の実験水田もスタート。これでKOKKO農園は300平方メートル以上に広がった。あと100平方メートル追加すれば、行政から正式に農家としてのお墨付きをもらえる。

正式に農家登録するつもりは現在のところはない。が、自給自足に1歩近づけたことは確かだ。

今年は、大豆を大量生産し、味噌の原料から自作するつもり。

 

                                 

エンドウは去年と比べ物にならないほど甘い。まるで間違って砂糖を入れてしまったのかと思ってしまうほど。粘りもあり、何よりもコクというか旨みがすごい。今までに食べたことがない味になった。だから、シンプルにうす塩味だけで豆ごはんを炊き食べまくってきた。卵とじもしたが、やはり一番は豆ごはん。フードプロセッサーですりつぶして次回はポタージュもいいね!

 

 

                             

 にんにくは、業務スーパーの中国産の安物を種芋にして植えつけた。種苗屋で購入すると高いが、八百屋で買うと激安(これはユリ根も同じ。正月前に安いユリ根を八百屋で買って植えたら安上がりな上、どえらい増え方に)。右の籠の中のにんにくは1週間前に収穫したもの。左の新聞紙の上のは、昨日の収穫。たったの1週間でこれだけ大きさが違う。右の小さい方でも店で売ってるのと同じくらいの大きさだから、左半分がいかに大きいか想像できる。にんにくや玉ねぎは「上部の葉や茎が枯れて倒れるまで収穫を待て」という意味がよく分かった。実は、左半分のにんにく、まだ葉や茎は倒れていなかった。あと1週間待てばもっと大きくなっていたに違いない。来年は収穫を慌てずいこう。

 

 ぷららでのブログ更新はこれで最終。7月から他に転移します。(樫田・コンテナ)で検索してください)