NOAの若い設計士が言っていたことを思い出す。
「セルフビルドにすると安上がりに出来ると思っている人が多い。でも、実際にやってみると、建売の方が安上がりになることがかなりある。経費節約のためだけでセルフビルドを目指すとがっかりしますよ」と。
どんな家を求めるかによって、ピンキリだ。
だが、セルフビルドをする人の大半は、こだわりの持ち主だ。しかも、家造りを楽しいと考えている。だから、やっているうちにあれこれもっとやりたくなる。おまけに資材や重機・道具の手配についてはプロに叶わないことがある。で、気が付いたら???!!!となってるらしい。
「建売住宅って、実は馬鹿に出来ないんですよ。必要な設備を最低の費用で造っている。大量生産だからコストダウンがはかれるんです」と。
ムムムムム・・・。
彼の言うことがほんとうなら、建売住宅って、生産費と販売額の間の開きが大きすぎるのではないか。何で?と思うぐらいに私には高いと感じるから。
仲間が大切
仕方なくセルフビルドの道を歩んだ私だった。
が、自分の都合で工事を中断させたりできる便利さは大いに気に入っている。
お金が出来た時に工事の続きをすればいい・・・そう思えるだけで、追い詰められた気分が無くなる。今は楽しめている。
もっとも、基礎屋や鉄工所が入っているときは毎日が工事漬け状態で、正直言ってしんどかった。資材の手配・業者との打ち合わせ・役所とのやり取り・サイズの測りなおし・工法細部の検討・預金通帳残額とのにらめっこ・・・・正規の勤務をしながらそれらをこなしていくことはストレスが大きく、時に押しつぶされそうになった。
女性一人(ご主人がいるが、日本語がそれほど出来ないので、事務的なことは全て彼女一人)でセルフビルドに挑戦したフランス帰りの人を以前紹介したが、彼女は現在無事入居。そのとたん、何もかもやる気がなくなってしまったと言っていた。緊張が一気に解けたからだろう。
背水の陣でやってるさなかは気付かなかった精神的肉体的ストレスが、いかに大きいかということだ。本宅があって経済的にゆとりもあり、別荘を作るのなら、精神的に追い詰められたりはしないだろうが、後戻りできない状況の中でのたった一人の家造りには、相当過酷なものがある。
我が家の青少年は、乳飲み子だった頃から私一人で育ててきた。その間、夫のいる人をうらやましいと感じたことが二度ある。
一回目は、阪神大震災の時。
高槻でも壊れた家があった。私の家も壊れる!と感じたが、激しい揺れの中、階下にいる子ども達を助けに行くことも出来ず、子ども達の泣き声を聞きながら「どうか下敷きにならないで」と祈るしか出来なかった。余震の時、二人を両側に抱きかかえながら、「私一人ではこの子達を守ってやれない! 誰か! 誰か!」と叫んでいた。その時、普段は喧嘩ばかりしている向かいの家で、夫婦がお互いを呼び合う声がして、「うらやましい」と心底思った。
二回目は、まさにこの家造りの難産の時。
ちょっとでも道をそらせば崖の下に真逆さま。たった一人の暗中模索。
夫のいる人をうらやましいと思った。
「どんなアホな奴でもええ、私に休む時間を与えてくれる連れが欲しい。」
とまあ、廃鶏寸前の大阪の病的苔KOKKOおばさんは、これまた心底思ったのであった。
そう、気心の知れた仲間・家族の存在は、家造りではとても大切だ。苦しみは分かち合え、歓びが何倍にも膨らむ。