迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

太助ニュース

2012-09-11 21:35:06 | 雑感

太助米の稲刈り

いつものように、敏さんからニュースが届いた。

毎度、勇気をもらえるニュースだ。

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まだまだ残暑厳しいおり、皆様いかがお過ごしでしょうか?


先般、お盆休みに太助は、奈良の田んぼで草刈りをしました。
昨年は斜面になったところの田んぼのアゼはなかなか歩くのも不安定なため、太助は必死で草刈り機を動かしているという状況で、見ていても心配でした。
しかし今年は全く安定して草刈りをしていました。これだけまた回復が進んだのだなあと改めて実感したことでした。


今は使っていない奈良の実家の畑を活用して太陽光発電のパネルを並べてみようかという計画が持ち上がっています。名付けて太助ソーラー発電所。畑で太陽光を作物に変える農業もいいけど、電気をつくる畑があってもいいのではないかなと・・・。

太助米は今のところ、順調です。10月13日~14日は奈良で今年も太助米の稲刈りを予定しています。
もしご参加くださる方がおられましたら、ぜひどうぞお出かけください。
  

  

さらに8月末の土曜日、太助のお世話になっているケアセンター「ふらっと」で夏祭り(エテマルシェと言います)があって、太助は宍道湖の漁師さん が提供してくださったしじみでしじみ汁をつくってバザーを出しました。何とその場に横浜から太極拳の鈴木先生がわざわざ駆けつけてくださいまして、びっくり!もう心が熱くなってしまいました。

夏祭り終了後、「ふらっと」のスタッフの皆様と今後の太助の進路についてご相談にのってくださいました。その中でまた大きな大きなヒントをいただ きました。


高次脳機能障害を負っている太助は自分の興味あることに取り組みながら日々新しい局面に遭遇する中で脳の可塑性を発揮してリハビリ効果を上げてき たわけですが、この考え方はリハビリに適用されるものと知らず知らずのうちに思い込んでいました。でも考えてみれば、仕事だって同じこと。太助にとってさらにリハビリが進むような仕事の在り方ってなんだろうという視点で太助の仕事づくりを考えてみよう。


太助の得意能力を活かして、しかも興味の向く方向の仕事づくり。
太助は何に興味を持つのだろう?どんな得意能力があるのだろう?
あと1年、東京一人暮らしリハビリを延長する中で、それを見極めた準備を進めていこうということになりました。
太助の眼が輝いていました。


太助の父 西村敏

           

 

              

                      太助君(右)

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ブログで稲刈りのことを紹介することを連絡したら、「ようやくトンネルの出口が見えてきた感じがし始めています。障害者が中心となる仕事作りの在り方ってどんなものになるんだろう・・・?捜し求めたいと思っています。」と返事が来た。

この5年、苦しむ敏さんと、立ち上がっていく敏さんと、両方の姿に触れてきた。親って何てすごいんだろう。人間って何て素晴らしいんだろうと、いつも感動してきた。親は子どもを育てるけれど、親は子どもによって育てられてもいるんだと思う。

敏さんの住まいは松江だ。

だが、実家は、奈良県の御所。

私が十津川や本宮へ向かうとき、いつも通過している里山。樫田よりもはるかに視界が開けている農村地帯だ。

 

今年は、太助米の稲刈りに参加しよう。

太助米は、EMぼかしを使っての有機栽培。私も農家の真似事をしているので、太助米の有機栽培に学ぼうっと。

いや、何より、太助君の回復ぶりを喜び、西村一家の家族としての成長を見届けたい思いがする。

 


 

 


雀のスズメ①

2012-06-27 21:35:59 | 雑感

落鳥雀

先日、緑ヶ丘病院へ診察に行った帰り、道で雀の雛を危うく踏みつけそうになった。後ろを見ると、フットワークのトラック。とっさに雀を拾って近くの本屋に駆け込んで段ボール箱を所望し、保護することに。

親雀はどこにいるのだろう?

雛を見つけた辺りを見回したところ、電信柱の上に一羽の雀がいた。

KOKKO:「お~い、あんたがこの子のお母さんかい?」

呼んでも返事をするでなし。

見かけたどの雀も母親に見えてしまって、「お~い、お~い。」の連呼。

通りすがりの人が「そこの茂みに置いといたら?」

えっ!雨が降ったらこの子はどうなる?

育て方もわからない。でも、私が何とかするしかない。

そのまま車でコーナンへ。鳥かごや“育ての親”なる餌やり器と餌を購入した。

中学生の頃、手乗り文鳥や手乗り十姉妹を育てたことがあるので、何となく出来そうな気がした。

しかし、野生の雀、しかも両足指骨折。果たして、助けてやれるだろうか?

 

自宅でインターネットで早速調べた。

野鳥は勝手に飼うのはいけない、獣医に連れて行くよう書かれていた。

たかが雀、されど雀というところか・・・。

亀岡は矢田のファミリー動物病院に連れて行くと、

「あなたは大阪府内でこの子を拾ったので、こちらで引き取るわけにはいきません。」

と言いつつも、石田先生という獣医は親切で、雀を診察をして下さり、私が保護飼育をするならと、育て方を本を引っ張り出して指導して下さった。おまけにミルワームまでワンパックプレゼント。診察料も「いいですよ。」無料だった。

石田:「9割がたこの子は死ぬでしょう。でも、自分を責めてはいけません。この子は、本当なら、あなたが道で発見した時点で死んでいる運命だったのです。人間に捕まったという時点で、すでに自然界では生き抜く力がないということなのです。もしも元気になって飛ぶことができるようになったとしたら、よかったと思いましょう。」

トイレットペーパーで巣をこしらえ、その下にカイロを敷いて、親鳥の暖かさとしたものの、ぐったりしていて餌もほとんど食べてくれない。夜は心配で何度も籠の中をのぞき、睡眠不足になった。

「こんな生活、長続きしない。しんどい。」と言いつつ、花壇や畑で青虫探し。

拾った当日はぐったりしていたものの、日ごとに元気に動き回るようになり、餌の量も増え、飛行距離も30cmから2mに伸びた。私の姿を見ると、親と思って飛んでくる。わずか数日で手乗り雀状態に。

が、両足指骨折のせいで、止まり木に止まれない。落下しては、床にしゃがみこんでいる。餌を求めて慌てふためいて前のめりにこけ、時にはでんぐり返りしてしまう姿の哀れさ。

これでは、飛べても、地面で寝るしかなく、イタチや猫にやられてしまうだろう。おりしも、我が家の花壇にイタチが遊びに来ているのを見かけた。

あいつの餌にするわけにはいかない!

毎日、虫かごに入れて職場に連れて行き、餌をやりながら仕事をしている。

同僚のマザリング女史が雀をたいそう可愛がってくれるので助かる。

 

元米屋の中ちゃんは、店に迷い込んできた落鳥スズメを「つくね」と名付けて育てていたが、ある日、床で遊んでいたところを家族に踏まれ、本物の「つくね」になって死んでしまったという。

だから、私は、この雀の名前を「スズメ」にした。

           

 

          

              マザリング女史の手のひらで休む雀のスズメ


 

 


ちょこちゃんの春

2012-03-02 21:17:15 | 雑感

ちょこちゃんの冬

今年は断熱工事をしたので、コンテナ内はストーブが効くようになった。

おかげで、早朝30分間、毎夕3時間、石油ストーブをつけるようになった。昨年は、ストーブが効かないので、燃料の無駄と気付き、屋内気温-3℃の中、暖房なしで越冬した。それを思うと、今は極楽、極楽。

さて、病気がちのちょこちゃんを中庭から室内に入れたのが、たしか12月1日。

ウサギは暑さには弱いものの寒さには強いとのことだったので、囲炉裏茶屋でも屋外倉庫で飼い、こちらに来てからも中庭で放し飼いにしていた。昨年は、-10℃でもぴんぴんしていた。

けれども、夏の暑さにちょこちゃんはやられてしまった。

今から思えば、中庭がいくら風の通りのいいところとはいえ、コンテナの鉄の照り返しと日陰なしは、老体に応えたのだろう、何も食べなくなってしまった。そこで、昼間は玄関デッキの最も風通しのよい所に小屋を置き、夜はコンテナ内に入れて獣から守ることにした。毎日、朝と夜に大きな籠を移動させるのはしんどかった。

おまけに、一度体調を壊すと、10日間は毎日下の病院へ点滴をしに連れて行かねばならない。仕事からいったん帰宅してから、ちょこを連れて再度下に降りる。二度目の帰宅は深夜になる。餌はみじん切りにしたものをすり鉢でさらに細かくする。それを注射器で口に流し込んで強制給餌。そういったことを6月以降何度も繰り返してきた。12月も中旬まで体調不良で、このままチョコちゃんは、新年を迎えずに死んでしまうのかもしれないと思っていた。

樫田の冬は厳しい。今冬の最低気温は-11度。今も零下が続いている。

老体保護のため、屋内で冬を過ごしたちょこちゃんは、うさぎ小屋の扉を開けてやると、大急ぎでストーブのところへ走ってきて、しばらく毛づくろいをした後、いきなりコテンと横になってくつろぐのが常であった。

 今、菜の花が咲き始め、ちょこちゃんは春を迎えようとしている。

 

                   

初め、死んだのかと思ってびっくりした。完璧にストーブの前が自分の場所と決め込んでいるようで、ウサギ小屋に私が近づくと、金網を鼻でガチャガチャ突付きまくり、出してくれとせがむようになった。扉を開けると、ストーブの前に直行する。


 


ライオンの絞首刑

2011-12-03 21:22:48 | 雑感

物騒な光景

思わず足がすくんでしまった。

いくら、焼き物とはいえ、一応生き物の形をしているだけに、仰天してしまった。

それは、9月の下旬のこと。

屋根デッキの上に昇ってみたら、モッコウバラとルコウソウが屋上まで這い上がっていた。

ルコウソウときたら、シーサーの首をがんじがらめに絞めていた。

                          

何とゴーヤーまで上に這い上がっていた。白ゴーヤーはいくつも実ったが、緑のゴーヤーは背丈ばかりがでかくなる。腹が立つので、思いっきり切り取ってやった。

 

 

                      

絞首刑さながらの恐ろしい光景。植物の不気味さを感じた。不気味さといえば、西洋朝顔の恐ろしさも並大抵ではないが・・・。

 

 

さっそくシーサーを救出するも、ルコウソウについては、完全撤去とはいかない。

何しろ、キワーノが今頃になって次々実り始めていて、ルコウソウやヘチマと複雑に絡み合っているので、茎を切り落とすわけにはいかないのだ。

おまけに、ルコウソウは今が盛り。夕顔だってまだまだ咲いていた。

それ以降もシーサーを絞首刑から守ってやるべく監視体制を取ることに。

まだまだ暑い、ちょっとでも油断していたら、えらいことになっていて、シーサーは命がいくらあっても足りない。

そうこうしながら2ヶ月が過ぎた11月下旬。

キワーノが12個に増えていて、一気に全部収穫。

ついでに、南側コンテナの緑のカーテンを一気に撤去。

長さ10cmはゆうにあると思しき芋虫を二匹、キワーノの実と間違ってつかんでしまった。

KOKKOとはいえ、本物の鶏ではない、ヤツらを食べるわけにはいかない。

冷たくふわふわした感触に驚き、もう少しで脚立から転落するところだった。

一匹は黄色い美しい色。もう一匹は茶色で今一の容姿。

 

                                                  

               これは私が撮ったのではない。あるところからから拝借した。もう一匹のヤツは、気持ち悪い茶色。

 

なんという蝶(蛾)の幼虫だろう。

調べてみなくっちゃ。


 

 


あすなろ

2011-11-01 21:53:13 | 雑感

あすなろ

昨日、「あすなろ」の歌について書いた。

「あすなろはあすなろ、どんなに頑張っても檜にはなれない」との説明では、やはり悲観的な気がする。報われぬ努力を歌うなんて、そんな悲しい歌を子どもに歌わせるなんて・・・。本当は、もっと深い意味があるのではないか? 子ども心にそれがずっと引っかかっていた。

高校生になってから、修学旅行で訪れた能登半島で、地元の人から「アテの木(あすなろの能登での呼称)が、立派な檜に憧れて、自分もそうなりたいと心に決めて、一生懸命大きくなろうと努力している姿を歌ったものです。」と聞いた時、やっと腑に落ちた。おそらく、小学生時代の幼かった私は、先生の説明の一部分しか記憶に残すことが出来なかったに違いない。N先生のことだから、きっと「頑張りなさいよ。」とのエールをこめて卒業前の私達にあの歌を教えて下さったのに違いないと。

 

だが、どうも気になって仕方がない。

あすなろの歌は、本当はどんな歌詞だったのだろう。

で、「あすなろ」の歌をネットで調べてみた。

すると、私が記憶していたのより、歌がもっと長いと知った。

 

  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  お山の誰にも負けぬ程 麓の村でも見えるほど
  大きな檜に明日はなろう
  
  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  峠を越える人たちの 夏は日陰になるような
  大きな檜に明日はなろう
  
  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  いろんな小鳥が飛んできて 楽しい歌の巣を作る
  大きな檜に明日はなろう
  
  あすなろ あすなろ 明日はなろう
  雨にも風にも負けないで ぐーんと空まで届くほど
  大きな檜に明日はなろう

 

ああ、やはり、そうだったのか。

やはり、絶望の歌などではない。

うちの“樫の木”(本当は楢の木)にピッタリだ。

 

しかし、それにしても、再度全文をじっくり読み返してみると、なんとも説教臭い歌でもあるナァ。

いったい、いつの時代の歌だろう。

そういや、井上靖に「あすなろ物語」ってのがあったっけ・・・。