迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

クマ、現る!

2014-05-17 21:07:36 | 高槻の観光案内

またもや、熊さんごそごそ

3月末頃からタラ谷のタラの芽を取りに行きたかった。けれど、早朝と夕方は熊さんが最もごそごそ動き回る時間だ。家からタラ谷までの約12分、人っ子一人いない森の中を歩かなければならない。2年前、熊が出たのはまさにその道だ。私の家から直線距離で100メートル強というところか。だから、行きたくても怖くて行けない。あの事件以来、山に住んでいながら山を歩けなくなってしまった。何とも不自由な生活。

タラ谷は地元民でもなかなか行かない上に、山男や山女が幾分知っている程度の穴場中の穴場だ。

去年、兄ちゃんたちと散歩していて偶然発見し、採って採って食べまくって食べまくって・・・それでもタラの芽はじゃんじゃか次々芽吹いてきた。で、「タラ谷」と勝手に命名した次第。

今年も兄ちゃんが「KOKKOちゃん、あそこのタラ、もう芽出た?」

KOKKO:「・・・・・。」

行ってないので、分からない。行きたくても行けない。

でも、食欲の誘惑に負けて、とうとう「行こう!」と決心し、びびりながら森の中にやっと足を踏み入れたのが四月末。もちろん、兄ちゃんたちと一緒に。1人でなんて行けるわけないよ~、苔っ、苔っ、苔KOKKO~。

兄ちゃんは、2週連続でやってきた。1回めは中ちゃんと、2回めは古曽部のおっちゃんとやって来て、採って採ってとりまくり、私の家でてんぷら大会。食べて食べて食べまくり。美味しいこと、美味しいこと!!

熊さんさえ出なければ、私はまだまだ採りに行きたいのだけれど・・・。

 

そうこうするうち、5月8日、回覧板が回ってきた、クマに関する注意事項

茨木の上音羽で出たという。

 ま、驚くには及ばない。

丹波・丹後での熊駆除数は年間数百頭という。だったら、地続きの高槻や茨木、箕面、能勢の山間部にいないわけがない。いない方が不思議だ。ただ、目撃されていないだけとみるのが正解だ。

つい1か月前にも友達と山登りの途中、亀岡の牛松山から明智越えに入ってもうすぐピークという地点で、私は鹿の死体がぐちゃぐちゃに食いちぎられて転がっているのを発見している。ビックリして保津峡へは行かず、大急ぎで走って引き返した。いまだにあの時の恐怖がぬぐえない。

1月半ばにも愛宕林道でクマは目撃されている。暖冬で冬眠しきれないのだ。

で、亀岡市役所に明智越えでの鹿の死体の目撃情報を伝え、至急クマによる仕業かどうか確認し、もしもクマならハイカーに注意喚起してくれるよう依頼しておいた。

 

2年前、樫田で熊が出たとき、自治体間の連携は全くなかった。

5月に釈迦ケ岳の島本町側で目撃されたのを朝日新聞が報道したのみで、各自治体からの注意喚起はなかった。自治体相互の情報交換もなかったので、朝日の記事を読んでいない周辺市民はそのことを知らないままだったのだ。

釈迦ケ岳と言えばポンポン山の隣の山だ。隣というより尾根伝い、実質は同じ山みたいなもんだ。クマが島本町だけでおとなしくとどまっているとは考えにくい。もっと山深い樫田方面への移動の可能性は高い。

だから、ずっとずっと気になっていた。

やがて、8月に樫田(西裏)での事件。樫田住民も5月の釈迦ケ岳での情報を全く知らなかったので、熊に遭遇した3軒隣のMさんは住民から「あんたの見間違いやろ。」と相手にされず、情報は一部の村人たちの世間話にとどまることになった。

そして、9月。亀岡の余野神社(樫田の黒柄山の裏側、桜峠を降りたところ)で柿の木に登っていたという。パラちゃんが亀岡でもらってきた注意喚起のチラシを見て、「このまま放置はできない。」と思い、私も独自にチラシを作って樫田住民に配布した。また、駐在所を通じて高槻市役所に安岡寺・上ノ口周辺住民にまで注意喚起のチラシ配布と自治体間での情報交換を要請をしておいた。

なぜなら、目撃情報のあった地点はいずれも直線距離5キロにも満たず、クマの行動範囲としてはむしろ狭いからである。

で、ついでに亀岡の役所にも「人間には行政区画があるから、互いの情報交換という発想は乏しいのだろう。けれども、熊には行政区画なんてない、自由に行動する。今後は近隣の自治体との情報交換をして欲しい。」と要望を出しておいた。

私と同じことを考えている人はきっとたくさんいたに違いない。

今回の熊情報は北摂の各自治体が一斉にインターネットで情報発信をした。もっと大きく、大阪府も情報発信している。

当然といえば当然なのだが、ありがたい限りである。

5月8日に家の自治会で回ってきた回覧板も茨木市のチラシのコピーだった。今回は本当に素早い動きだった。

春先、特に5月の熊さんたちの動きはとても怖い。

木の芽が出る。タケノコは彼らの大好物だから、連中も必死で久しぶりのエサにありついているわけで、人間の気配に気づかないことが増える。で、両者が至近距離で遭遇し、びっくりしたクマが人間を襲ってしまうのだ。こうなると、もう一人で山の中に入る気になれない。だって、あたしはか弱い苔KOKKO。

 

                       

                         写真がまたもや横向き。クマが怖くて死んだふりをしたからこうなったのかな?皆さんも横になって読んでおくれ。

 


 

 


どや!

2014-05-12 19:06:23 | 「ノアの箱家」工事進捗状況

どや!どや!どや!

どやしているのではない。

群集の騒ぎ声でもない。

ドヤ街にいるわけでもない。

KOKKOおばさんが鶏冠ふりふりうれしくなって得意顔になっている。

例の資材(廃材の山)だらけの庭をなんとかしようと戦った。

ここ1週間、毎日7時間は土方兼農婦だったってわけ。

女1匹、もとい、雌鶏1羽、苔KOKKO苔KOKKOと鳴きながら土方鶏。

 

その結果が、これ。

 

                           

 トイレはこの間、無事建った。

その手前にアプローチ作成。両サイドに敷地のあちこちで雑草化していたスミレを移植してみたら、いい感じ。

そこからドツボにはまってしまった。やめられない止まらない。腰が痛い、膝が痛い、でも、辞められない、止まらない。

長さ1メートルの廃材群をじゃんじゃか花壇兼菜園の縁取りにし、そこへ赤玉土やら腐葉土やら牛糞やらKOKKOの堆肥やらをどんどこどんどこ投入。鉢で小さく収まっていたグミやら甘夏やらを移植。

煉瓦も敷いたり外したりデザインを変更し続けた。(煉瓦はまだ仮置き。デザインが確定したら、土をならした上で正式に向きをきれいに整えて敷きなおす。)

 

                           

トイレ手前に階段上の通路。

トイレに行くのに階段の上り下りをわざわざしなければならない。

イイノダ、コレデ。「丘を越え行こうよ、口笛ふきつつ~」歌いながらトイレに行こう!

だが、漏らしそうな時、しんどい時のために丘の向こうにショートカット。

この丘は庭に変化をつけるためだけではない。

本当の目的は、階段の下のシイタケ栽培地。今もコンテナの北側で栽培しているが、どうも乾燥気味で実りが少ない。そこで薄暗がりと湿気確保のためにやってみることに。

階段の下は三つに分かれている。頂上の真下がシイタケのほだ木置き場。両サイドのステップ部分がしめじやマイタケなどの他のキノコ用。

ブロックは仮置き状態、今登ったらどえらい目に遭うで~。誰かがやってきて勝手に昇ったら大怪我間違いなし。梅雨が来るまでには鉄筋とコンクリートで固めてしまおう。

 

丘の手前はロックガーデン。もちろんまだ未完成。

このロックガーデンも本当の目的は、元々敷地の地下に投棄されていた大量のコンクリートの破片やがれきの隠し場所(楽ちんな合法的処分)である。水はけがたいへん良いので、サボテンや乾燥好きのハーブを植える。

 

                           

 ロックガーデンの土の下は、私が未使用のまま袋の中で湿らせて固まってしまった20キロ入りセメントの塊も。(この写真は2日前のもの。現在は上部に大きな岩が乗っかり、もっとロックガーデン化している。)

後ろに見えるのは、人造大理石のテーブルの天板。

これは、ずいぶん前に兄ちゃんが「KOKKOちゃん、解体現場でええのん出たから届けといたげるわ。」と言って、私の敷地を合法的処分地としてくれた成果である。

が、重い!40~50キロではきかんのではないかという重さ。それをKOKKOKOKKOところがしころがし、とりあえず邪魔にならない位置に移動させたら、ここになった。いずれ、モッコウバラのパーゴラの下に農作業用のテーブルとして正式活用。

 

我が家の青少年の友達にこの庭の現状を写メで送ったら、丘(階段)のことを

「石窯ですか?」

この階段のどこをどう見たら石窯に見えるねん!

が、KOKKOはまたもや思いついてしまった。

「そうだ!拾ってきた巨大U字溝、あれで石窯も作っちゃえ!」と。

かくして、60前の廃鶏寸前KOKKOおばさんは石窯作りに明日も飛ぶ。