kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

悩み中

2015-02-03 | 考える事


自分の体は誰のものか?

確かに自己責任に置いて行なう行動に

常に誰かがいちいち諭したり茶々を入れることは

しません。(されても迷惑)

聞かれれば応えるし、

気になれば言う。。。だけのことです。


また何かに向けて行なうことで論じる時間も

また夫々の発言の責任は自分にあるとおもっています。


しかし、ひとたび非日常の世界が目の前に広がった時、

モラルを欠く行為があったとき、

不測の事態が起きたとき、

もはや自己責任、私の勝手!とは言えない現実があります。


今の世界情勢の中で起きている痛ましい出来事は、

全てが自分の命は自分のもの!という枠を超えています。

一人の命にその人以外の命が動く、ざわめく、悲しむ。。。

そうです。

人はひとりでは生きられない。

生きてもいないのです。



そんな中で今回のまっちゃんの発病は、

家族での対応の温度差を埋めるのに大変な作業であると

改めて確認しました。

確かにまっちゃんの命ですから、

まっちゃんの責任で決めることです。

ならば全てを自分一人でやれるか?

と言えばどだい無理なこと。

やはり身近な家族の協力なしには進みません。

しかし、このことは自分。このことは皆。

その人を尊重して言われたことだけ従うべきなのか?

それならば家政婦さんやヘルパーさんを頼んでも同じでは?

家族と一緒に暮らし、家族と向き合いながら進む道は

2人入れば2人分、4人いれば4人分あり、

その方向性がズレれば道は自然と離れていきますよね。

何とかしてたい。

多分本人が一番辛いに決まってます。

でも 家族だって悩んでいます。

その温度差を埋めるにはきちんと意見交換をするべきで、

大抵のことは何となくで進めても問題ありませんが、

こと体の不調や病に対しては中途半端な行動や考え方で

後で後悔することだってあるかもしれません。

ないかもしれませんが・・・

それでも家族でいる意味をもう一度考える良い機会。

私の意見が絶対正しくて、押し通そうというわけではないのです。

協力するにあたって、自分自身が現実をどう受け止めているのか、

どうするべきなのか。擦り合わせが大事ではないかとおもうのですが・・・


どうも私は口調も態度もキツく

相手に与える印象が威圧的。。。

毎回反省しているんですがどうも難しい。。

やさしい感じにした途端、自分自身が戸惑うんですから

始末に悪いですね。


とにかく、慢性の頭痛や腰痛と違って

(頭痛や腰痛だって辛いですが・・・)

明らかにきちんとした治療をしなければ

辛い現実を生きなければならなくなる病気。

きちんと向き合えば幾らでも治ることだって

難しくないのに・・・


溝が広がらないうちに同じ方向を向いて進みたいですね。





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