kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

さて、さて

2018-02-16 | 考える事


6日のまっちゃんの誕生日を恙無く迎えて

いよいよ18日に迫った私の誕生日

改めて年を重ねる意味を考えてみました


多くの人生はその周りにいる人にしか

知ってもらえない命です

確かに良くも悪くもニュースになる人は

自分の意思に沿ってか

自分の意思に反してかのどちらかですが

メディア越しに名前が報じられても

悪意があってその人を追跡しなければ

何処の何方かなんて覚えていません

だから有名になりたいとかそんなことは

おもいませんが

せめて関わった人の記憶の片隅に生きていたい

そうおもうのです


亡き人を思い出し

集まる機会を与えてくれる法事は

ある意味誰かにとっては必要な時間であって欲しいのです

別に神仏の前に集まらなくても

一人ではなく共有する場所で

追われる生活の中で立ち止まり

自分の命を通して誰かの命を

思いやって欲しいて願っています


いつ別れるともわからない

この時を意味あるものにするのは

自分自身であるのですから

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