中野重治さんが亡くなったのは、1979年8月24日のことだ。
私は、学生時代に刊行が始まった全28巻の全集(筑摩書房)を、社会人になってからも毎月大学の生協書籍部に通い、こつこつと買い続けていた。
すでに学生でなくなった自分が、中野重治全集の1冊を抱えながらキャンパスを歩く時間が、何かしら大切なものに思えた。
また、各巻の巻末に、中野さんが書き続けていた「著者うしろ書」(後に『わが生涯と文学』として単行本化)を読むのも楽しみだった。
死去した79年には、この全集は、まだ完結していない。
佐多稲子さんが、雑誌「新潮」に、この“哀惜の記”を連載したのが82年の1月号から12月号までだ。
単行本『夏の栞―中野重治をおくる―』は、翌83年3月に出版された。
戦中から戦後へと続く約50年の交わり。
確かに男と女ではあるが、どこかそれを超えて、しかし、単に“男女の友情”などという言葉では表しきれない互いへの思いが、佐多さんの文章から強く感じられる。
そして、その思いの“つややかさ”と、はるかな“持続”に、読む者はまた感動するのだ。
中野を知った当初の、水がしぶきを上げて流れているようなあの雰囲気の内に生じたその親しみは、つつましくもありながら率直さをも併せ持つという色合いでその後の私の感情の底に根づいた。
――佐多稲子『夏の栞―中野重治をおくる―』