今回、札幌「石川書店」で入手した中に、松本清張の初版本2冊がある。
81年の『作家の手帖』(文藝春秋)と、90年の『過ぎゆく日暦(カレンダー)』(新潮社)だ。
清張は、日常の中で“気になること”“おやっと思うこと”を、実にこまめに書きつけていて、それらが発酵して作品の糸口になったりした。
『作家の手帖』に収録された「創作ヒント・ノート」や「折々のおぼえがき」など、実に興味深い。
テレビ界を舞台に、視聴率を扱った小説で『渦』(昭和51~52年、日経新聞連載)という作品がある。
これなど、「わたしの兄は某テレビ局のプロデューサーをしております」で始まる、未知の女性からの手紙がヒントとなっていたことが分かる。
そこには、視聴率の実体を知りたいとあった。
手紙が届いたのは昭和49年であり、視聴率調査に関するリサーチなどを経て、2年後には小説『渦』として結実しているのだ。
『過ぎゆく日暦』では、日記風の文章の中で、いくつもの鋭い論評を行っている。
たとえば、「芥川と三島」。
芥川の自殺に関して、「おもな原因はやはり筆の行き詰まりであろう」としながら、志賀直哉に脱帽したところに芥川の悲劇の出発があるという。
芥川は「志賀は恐ろしい」とまで思い込んでいたのだ。
さらに「彼(芥川)は文壇というものに囚われていたのだ」という村松梢風の言葉を引用し、評論家や研究家よりも芥川の本質を衝いていると言い切る。
しかも「今でも、批評家の顔だけを浮べて書いているような文壇作家がいないでもない」と、チクリと刺すような補足を忘れないのだ(笑)。
また、三島作品について、「新聞の社会面の記事的な出来事を素材とした」と指摘し、実生活経験を持たない三島としては「この着眼しかあるまい」と書いている。
加えて、批評家など歯牙にもかけない三島が、「自著の売行き」や「世評」を気にしたことも明かしている。
というわけで、どちらの本も、出版された当時より、今読むほうが、断然面白いのだ。