ドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』の監督である池谷薫さんの新著『人間を撮る~ドキュメンタリーがうまれる瞬間』(平凡社)を読んだ。これまでに監督してきた作品についての文章が収められている。
しかし、その中で一番鮮烈なのは、やはり『蟻の兵隊』の製作過程を綴った一編だ。敗戦となった昭和20年8月15日以降も、上官の命令によって中国山西省に残り、国民党軍に組み込まれて共産党軍と戦った日本人兵士たち。池谷さんは、その生き残りである奥村和一さんを撮った。
この文章でも、奥村さんが山西省を訪ね、かつて自分が現地の人たちを「処刑」した現場に立つ場面、そして日本軍によって暴行を加えられた中国人女性に会う場面には胸がつまる。「戦争の被害者であり、加害者でもあること」の厳しさ、重さが、映像とはまた違った形で迫ってくるからだ。
それと、この本には、なぜ撮るのか、相手とどう向き合うのか、どこを目指しているのか、撮っている自分とは何者か、といったドキュメンタリーを撮ることの原点のようなものが詰まっている。
国は、奥村さんたちが「自らの意思で残留した」として、責任をとろうとはしない。奥村さんたちの「戦い」は、まだ終わらない。しかし、奥村さんも元気とはいえ80歳を超えている。戦争体験者自体が、皆、超高齢者なのだ。次の世代、そのまた次の世代へと伝えていくためにも、映画で、活字で、その体験を残すことがますます重要になってくる。
池谷さんは、この本の「あとがき」に、「次はチベットの人々を撮ろうと思っている」と書いている。しかもドキュメンタリーではなく、フィクションだという。中国でオリンピックが開かれようとしている年に池谷監督が撮るチベット人の映画。ぜひ、観てみたいものだ。
今週発売の雑誌『GALAC(ぎゃらく)』7月号、「ギャラクシー賞報道活動部門」のページに、こんな文章を書いた。
全国各地で地方自治体が制作する「広報番組」が流されている。その多くは市町 村の役所からの地域住民への「お知らせ」が中心であり、行政としてはこんな施 策がありますとか、こんな催しを行いましたとか似たようなパターンの内容が多 い。長年決まった枠を持っているため、半分惰性で続いているのではないかと思 えるようなものもある。そういう番組は視聴者側の認知度も低く、貴重な税金が 惜しいような気持ちになる。
しかし、中には広報番組という既成概念を超えて、積極的に何かを「伝えよう」 としている番組も存在する。たとえば、福岡県北九州市の「あしたも笑顔 北九 州」(九州朝日放送)。十五分の番組だが、市からのお知らせではなく、地域に 暮らす様々な人たちの姿を映し出している。「認知症~この青空を忘れない」と いう一本では、認知症の八十九歳の母と暮らす六十八歳の娘との淡々とした日常 生活を追っていた。北九州市では五人に一人が高齢者であり、その中の十人に一人が認知症を発症していると推定されている。そんな現状を踏まえての「人間ドキュメント」である。母と娘の静かに通い合う情愛が感動的で、見る者に「認知症の家族と、こんな風に一緒に生きられたら」と思わせた。カメラの存在を感じさせない自然な映像も、取材者と被取材者との信頼関係の成果だと感じられた。
また、長野県駒ヶ根市では年間五十二本の「こまがね・市役所だより」(駒ヶ根 ケーブルテレビ)を自主制作しているが、昨年八月、「平和への願い」と題する番組が放送された。地元に暮らす八十五歳の男性と八十三歳の女性が「戦争体験」を語るインタビュー・ドキュメントである。戦争体験者が高齢化する中、映像を通じて次世代に伝える作業は非常に大切だ。その役割を広報番組が担っている点が目を引いた。また、ややもすれば制作側が「仕掛け過ぎる」ことになりがちなテーマだが、ここでは節度ある取材に終始している。広報課の職員が司会もリポートも行っていて、それが番組全体の温かみを生んでいた。
こうした広報番組での取り組みもまた、ジャンルを越えた立派な“報道活動”だ と思う。ぜひ今後も広報番組らしからぬトライを続けていただきたい。
しかし、その中で一番鮮烈なのは、やはり『蟻の兵隊』の製作過程を綴った一編だ。敗戦となった昭和20年8月15日以降も、上官の命令によって中国山西省に残り、国民党軍に組み込まれて共産党軍と戦った日本人兵士たち。池谷さんは、その生き残りである奥村和一さんを撮った。
この文章でも、奥村さんが山西省を訪ね、かつて自分が現地の人たちを「処刑」した現場に立つ場面、そして日本軍によって暴行を加えられた中国人女性に会う場面には胸がつまる。「戦争の被害者であり、加害者でもあること」の厳しさ、重さが、映像とはまた違った形で迫ってくるからだ。
それと、この本には、なぜ撮るのか、相手とどう向き合うのか、どこを目指しているのか、撮っている自分とは何者か、といったドキュメンタリーを撮ることの原点のようなものが詰まっている。
国は、奥村さんたちが「自らの意思で残留した」として、責任をとろうとはしない。奥村さんたちの「戦い」は、まだ終わらない。しかし、奥村さんも元気とはいえ80歳を超えている。戦争体験者自体が、皆、超高齢者なのだ。次の世代、そのまた次の世代へと伝えていくためにも、映画で、活字で、その体験を残すことがますます重要になってくる。
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池谷さんは、この本の「あとがき」に、「次はチベットの人々を撮ろうと思っている」と書いている。しかもドキュメンタリーではなく、フィクションだという。中国でオリンピックが開かれようとしている年に池谷監督が撮るチベット人の映画。ぜひ、観てみたいものだ。
今週発売の雑誌『GALAC(ぎゃらく)』7月号、「ギャラクシー賞報道活動部門」のページに、こんな文章を書いた。
全国各地で地方自治体が制作する「広報番組」が流されている。その多くは市町 村の役所からの地域住民への「お知らせ」が中心であり、行政としてはこんな施 策がありますとか、こんな催しを行いましたとか似たようなパターンの内容が多 い。長年決まった枠を持っているため、半分惰性で続いているのではないかと思 えるようなものもある。そういう番組は視聴者側の認知度も低く、貴重な税金が 惜しいような気持ちになる。
しかし、中には広報番組という既成概念を超えて、積極的に何かを「伝えよう」 としている番組も存在する。たとえば、福岡県北九州市の「あしたも笑顔 北九 州」(九州朝日放送)。十五分の番組だが、市からのお知らせではなく、地域に 暮らす様々な人たちの姿を映し出している。「認知症~この青空を忘れない」と いう一本では、認知症の八十九歳の母と暮らす六十八歳の娘との淡々とした日常 生活を追っていた。北九州市では五人に一人が高齢者であり、その中の十人に一人が認知症を発症していると推定されている。そんな現状を踏まえての「人間ドキュメント」である。母と娘の静かに通い合う情愛が感動的で、見る者に「認知症の家族と、こんな風に一緒に生きられたら」と思わせた。カメラの存在を感じさせない自然な映像も、取材者と被取材者との信頼関係の成果だと感じられた。
また、長野県駒ヶ根市では年間五十二本の「こまがね・市役所だより」(駒ヶ根 ケーブルテレビ)を自主制作しているが、昨年八月、「平和への願い」と題する番組が放送された。地元に暮らす八十五歳の男性と八十三歳の女性が「戦争体験」を語るインタビュー・ドキュメントである。戦争体験者が高齢化する中、映像を通じて次世代に伝える作業は非常に大切だ。その役割を広報番組が担っている点が目を引いた。また、ややもすれば制作側が「仕掛け過ぎる」ことになりがちなテーマだが、ここでは節度ある取材に終始している。広報課の職員が司会もリポートも行っていて、それが番組全体の温かみを生んでいた。
こうした広報番組での取り組みもまた、ジャンルを越えた立派な“報道活動”だ と思う。ぜひ今後も広報番組らしからぬトライを続けていただきたい。
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