なぜか単行本のときに買いもらし、そのまま読まずにいた本が、うまい具合に文庫本となって、本屋さんの平台で”ご対面”という事態にぶち当たることがある。これは本当に有難い。本日の文庫は、本の読み手として、また文章の書き手としても敬愛している永江朗さんと坪内祐三さんである。
永江さんの『聞き上手は一日にしてならず』(新潮文庫)は、3年前の『話を聞く技術!』の文庫化だ。<プロの聞き手>である10人に、ご自身もまた<プロの聞き手>である永江さんがインタビューをしているところが面白い。その10人の中で、私がお会いしたことがあるのが3人。田原総一朗さん、糸井重里さん、黒柳徹子さんだ。ジョン・カビラさんは、昨夜のギャラクシー賞授賞式の司会をしていらしたので目撃はしたが、話をしたことはない。この4人以外には、『ビートルズが愛した女』などで知られるノンフィクション・ライターの小松成美さんや、プロ・インタビュアー&プロ書評家の吉田豪さんなどが並ぶ。
たとえば、黒柳さんがインタビュー(番組収録)の前に、いかに十全の「準備」をしているか。相手だけでなく、その家族や視聴者に対して細かな「配慮」をしているか。また、小松さんが取材対象者との「距離」をいかに保とうとしているか。そのあたりを、ソフトに、でもきっちりと聞き出している永江さんが見事だ。
坪内さんの『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』も同じく新潮文庫だが、あちらは先月の、こちらは今月の新刊。これまた同じく単行本は3年前に出ている。
小学校時代から大学時代までの約20年間に読んできた雑誌の話だ。ちょうど60年代半ばから80年代半ばにあたり、数年先に生まれただけの私の雑誌遍歴とそんなに変わらないから、まあ、懐かしいこと。
小学校のころの『少年画報』、中学生で『スクリーン』、このあたりは同じだが、坪内さんが高校生で手にした『宝島』のころ、私は大学生だった。そして創刊時の『本の雑誌』や、『噂の真相』の前の『マスコミひょうろん』。今でも、表紙のイラストの感じや、中身の紙質などを覚えている。
雑誌は、自分のそのときどきの日常と同時進行というか、同時代的というか、人生の<伴走者>みたいなものだ。ナマモノだから、放っておくと消えてしまったりするから、よけい愛しかったりするのだ。
この本は、もちろん坪内さんの「極私的青春クロニクル」だが、極私的であるからこそ普遍に通じる、そして共感をもって読めるのだと思う。
永江さんの『聞き上手は一日にしてならず』(新潮文庫)は、3年前の『話を聞く技術!』の文庫化だ。<プロの聞き手>である10人に、ご自身もまた<プロの聞き手>である永江さんがインタビューをしているところが面白い。その10人の中で、私がお会いしたことがあるのが3人。田原総一朗さん、糸井重里さん、黒柳徹子さんだ。ジョン・カビラさんは、昨夜のギャラクシー賞授賞式の司会をしていらしたので目撃はしたが、話をしたことはない。この4人以外には、『ビートルズが愛した女』などで知られるノンフィクション・ライターの小松成美さんや、プロ・インタビュアー&プロ書評家の吉田豪さんなどが並ぶ。
たとえば、黒柳さんがインタビュー(番組収録)の前に、いかに十全の「準備」をしているか。相手だけでなく、その家族や視聴者に対して細かな「配慮」をしているか。また、小松さんが取材対象者との「距離」をいかに保とうとしているか。そのあたりを、ソフトに、でもきっちりと聞き出している永江さんが見事だ。
聞き上手は一日にしてならず (新潮文庫 な 62-1)永江 朗新潮社このアイテムの詳細を見る |
坪内さんの『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』も同じく新潮文庫だが、あちらは先月の、こちらは今月の新刊。これまた同じく単行本は3年前に出ている。
小学校時代から大学時代までの約20年間に読んできた雑誌の話だ。ちょうど60年代半ばから80年代半ばにあたり、数年先に生まれただけの私の雑誌遍歴とそんなに変わらないから、まあ、懐かしいこと。
小学校のころの『少年画報』、中学生で『スクリーン』、このあたりは同じだが、坪内さんが高校生で手にした『宝島』のころ、私は大学生だった。そして創刊時の『本の雑誌』や、『噂の真相』の前の『マスコミひょうろん』。今でも、表紙のイラストの感じや、中身の紙質などを覚えている。
雑誌は、自分のそのときどきの日常と同時進行というか、同時代的というか、人生の<伴走者>みたいなものだ。ナマモノだから、放っておくと消えてしまったりするから、よけい愛しかったりするのだ。
この本は、もちろん坪内さんの「極私的青春クロニクル」だが、極私的であるからこそ普遍に通じる、そして共感をもって読めるのだと思う。
私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫 つ 18-2)坪内 祐三新潮社このアイテムの詳細を見る |