しかし、筆者にとっての本当の《おもてなし》は、まだまだ先にあった。
☆ ☆ ☆
「入口」専用の右手から「迎賓館」内に入った。というより、自然に導かれた。入口の係がコートを預けるよう促し、B家の「控室」へと誘導する。
「控室」には、花嫁(姪)の父親と二人の甥、それに筆者の兄の姿があった。兄は筆者にカメラを渡し、自分の代わりに撮影を引き受けてくれと言う。「迎賓館」の専任カメラマンはいるものの、スナップ用のためだ。了解して二、三言葉を交わし終えたとき、
――何かお飲物をお持ちしましょうか?
若い女性スタッフが、いつの間にかそばにいる。腰を低くした控えの姿勢と位置、それに呼び掛けのタイミングの良さに感心した。
――コーヒー、紅茶……日本茶もございます。
控えめの声ではあっても、正確な言葉遣いと明瞭な発音であり、何よりも〈語尾〉がはっきりしている。一瞬、筆者の脳裏に行きつけのコンビニ店の女性店員の姿が浮かんだ。いつ聞いても〈語尾〉の判らないフレーズと、無表情の『ありがとうございます』――。何と言う違いだろうか……。
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筆者は再び気付いた。というより、気づかされた。
入口から控室まで案内してくれた女性。その途中でコートを預かった女性。そして、いま飲み物のオーダーを取りに来た女性……の女性スタッフ3人。それに加え、前回述べた「新高島駅付近から迎賓館門扉」までの3人の案内スタッフ」。
彼ら6人は、当たり前のことをごく自然に行っている。誰かが特に抜きん出ていたわけでもない。感動的なメッセージを披露したわけでも、仕草や言葉遣いが取り立てて優れていたわけでもない。
しかし、これまでのホテルやイベント会場などのスタッフとは何かが違う。
〈行き届いたサービス〉……? いや、違う。〈サービスを受けている〉という意識が微塵もない。それどころか、〈サービス〉という言葉すら感 じさせない。〈自然体の接遇〉とでも言うのだろうか。筆者は〈適切な表現〉を探し得ないまま、「結婚式」が行われる「迎賓館」内の「教会」に入った。
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外人神父が、英語を交えたメッセージで新郎新婦に呼び掛ける。讃美歌や聖歌の斉唱。そして終了後の記念撮影。教会前の長い階段を下りてくる新郎新婦とその撮影。そして花嫁がブーケを投げるセレモニー。どの場面においても、何人ものスタッフが活き活きと行動している。
「披露宴」が始まった。もちろん、筆者は花嫁にカメラを向けるとともに、スタッフにも視線を送っていた。そのため、テーブルに坐ってゆっくり料理を愉しむこともそこそこに、何度も何度もカメラ片手に動き回った。
懸命にスナップ写真を撮りながらも、「二つ」のことを意識していた。
一つ目は、専任カメラマンのシャッターチャンスや撮影アングルを学び取ること。二つ目は、スタッフの動きや発する言葉の内容をできるだけ把握すること。
要するに筆者は、かなり欲張った行動をしたことになる。すなわち、花嫁撮影のためにプロカメラマンの技を盗み見しながらも、邪魔にならないようにと注意していた。邪魔にならないようにというのは、「迎賓館」あげての《おもてなし》に対する感謝と敬意の気持ちであり、筆者なりの《お返し》だった。(続く)