『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・劇空間の広がり/『ジョニィへの伝言』のドラマ性:4(最終章)

2012年03月23日 00時05分17秒 | ○MUSIC

 

 5.「友だち」の正体は?

 さて、この「友だち」とはどのような人物でしょうか。前回、「友だち」は「ジョニィ」と「依頼者」双方に共通の「男友だち」と想定しました。
 しかし、筆者は「2人に共通の女性(友だち)」としたいのです。その方が3人の人間関係が濃密になることでしょう。
 
 この「女性」は、「依頼者・ジョニィ」の2人が現在の「さびしげな町」に住むようになってから知り合ったとの想定です。
 
 知り合った「きっかけ」ですか? 筆者にはドラマチックなストーリーがあるのですが、語り出したらこの連載が終わらなくなるのでやめておきましょう。
 
 というより、みなさんの「イマジネーション」の邪魔にならないために控えます。米国であれば、「ホームパーティ」などで簡単に「友人」を作ることは可能です。
 
 ともあれ、時間の経過とともに「女性」と「ジョニィ」は「友人」の枠を超えてしまった……ということでしょうか。その結果、「依頼者」と「ジョニィ」の関係が揺らぎ、2人は別れることに……。
 
 そして、「依頼者」は「今住んでいる街(町)を出」て行き、「もとの踊り子」に戻ろうとしているのです。 
 
 
 6.「伝言」の「託し方」は? 
 
 ところで「依頼者」は、どのような形で「ジョニィへの伝言」を「女性」に託したのでしょうか。
 筆者は、歌詞のニュアンスから「電話」による「伝言」のような気がします。その「3つ」の理由は――。
 
 1.『ジョニィが来たなら 伝えてよ』と、単に「ジョニィに伝えてよ」ではないからです。もちろん「女性」が眼の前にいても、「ジョニィが来たなら伝えてよ」と言うことは可能でしょう。
 
 しかし、この一節が「3回」繰り返されているところから、「女性」は眼の前にいなかったのではないでしょうか。このフレーズに、「ジョニィがあなたのところに来たなら……」というニュアンスが感じられませんか。
 
 2.『友だちなら そこのところ うまく伝えて』の一節を「4回」も繰り返していることにあります。しかも最後の4回目は、「うまく伝えて」をもう一度繰り返していますね。
 
 無論、以上のような「歌詞の繰り返し」は、歌謡曲の基本でもあるわけですが、それだけではないように、筆者は感じました。
 
 3.「電話」の方が、「直接会って託す」よりも、「依頼者・女性」そして「ジョニィ」を含めた3人のその後の展開に深みが出るからです。
 
 
 7.その瞬間、彼女は何処にいたのか?
 
 「旅立とう」としている今このとき、「依頼者(彼女)」は田舎町の「バスターミナル」にいるのでしょう。「ジョニィ」に「ひと言」告げたかったと思います。そのために「会う約束」をしたのです。
 
 「彼女」は待合室で「ジョニィ」を待ちながら、発着する何台ものバスを迎え、また見送っていたのでしょう。
 
 だが「ジョニィ」は現れそうにもない……。いつまでも「待合室」に座ってばかりもいられない。そう思った「彼女」は「電話」をかけ、「ジョニィへの伝言」を「女性」に託したのです。それが「ジョニィ」への、「最後のメッセージ」になるかも知れないと予感しながら。
 
 『わりと元気よく出て行ったよと お酒のついでに話してよ』というひと言は、「彼女」のささやかな意地であり、自分自身を励ます意味もあったのでしょう。このフレーズの繰り返しが、とても効果的ですね。
 
 そしてそのあと、「彼女」は、「いろいろなもの」を断ち切るために、敢然と自分に言い聞かせるのです。
 
 『今度のバスで行く 西でも東でも
 
            ☆   ☆   ☆
 
 たった一曲の「歌謡曲」であっても、これまでみたように奥深い人間の世界が息づいています。留まることを知らない「イマジネーション」の広がりは、執拗なまでに「クリエイティヴィティ」を刺激し続けるようです。
 
 そして「イマジネーション」は、与えられた「作品の表現」がシンプルであればあるほど、いっそうその「イマジネーション」を広げていくのです。
 しかし、どこまで行ってもその「イマジネーション」が満たされることはありません。だからこそ再度「その作品」を、そして「他の作品」を求めようとするのでしょう。
 
 人が「芸術」を求めようとするのは、そういうことではないでしょうか。
 
 ……それにしても、「彼女」の「その後」が気になりますね。
 
            ☆
 
 阿久悠氏は言いました。『感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである』と。(wikipedia)
 
 同感であり、「逆もまた真なり」ということでしょう。
 
            ★   ★   ★
 
  「Wikipedia」によれば、ボーカルの高橋真梨子さん(当時は「高橋まり」)は、この曲によってレコードデビューを果たしたとのこと。また「ペドロ&カプリシャス」は、この『ジョニィへの伝言』によって翌年1974年の「紅白歌合戦」に初出場したようです。
  
 また『五番街のマリー』のリリースは、『ジョニィへの伝言』から遅れること7か月半後の1973年10月」25日。ちなみに「ジョニィへの伝言」はシングル約25万枚、「五番街のマリー」は約21万枚のヒットとなったようです。(完)
 
  
                   ★★★ 伝言? ★★★   
 
 ――あたくし思うの。旅立った彼女や、「イマジネーション」によってお話が終わる方はそれでいいでしょうね。でも残された「ジョニィさん」と「その彼女」はどうなるのかしら? 
 
 何かが起きそうな気がするの。下手をすれば、「その彼女」も「元踊り子さん」と同じように、"ジョニィさんへの伝言" を誰かに託して何処かへ行ってしまうってこともあるんじゃない? 
 
 少なくとも "あたくしの「イマジネーション」" はそのように広がり始めたの……。
 
  ああ、やだ、やだ。 どんどん「イマジネーション」が、あたくしの「クリエイティビティ」を刺激し始めたみたい。
 
 やだァ! 眠れなくなりそう! ねえ? 何とかしてくださらない? あなたのせいよ。ねえ……。 聞いてる? あれっ? 眠ちゃったの? 
 
 「伝言」しゃちゃおうかな…………意味がないとは思うけど…………。
 
 


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