『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・『愛と青春の旅立ち』-9/ザックとシドの友情

2012年06月10日 08時10分12秒 | ◆映画を読み解く

 

  【16】 男の友情

 次のシーンでは、ザックが“ペナルティ”として階段の上がり口を磨いています。そこへペリマン、そしてその後にシドが通りかかります。

 ザックはシドに、彼がポーラとリネットの3人で励ましてくれたことに対する礼を言っているようです
 
 そのあと、ペリマンとシドは寮の部屋に戻りますが、先に戻っていたペリマンが、後から入ってきたシドに「ある物」を見せます。それはピカピカに磨かれたベルトの真鍮の「バックル」でした。ペリマンはそれをシドに見せながら、感激と感謝の気持ちを込めて『あいつ……』とひと言。
 
 それに対してシドは、ペリマンの胸元を帽子でボディブローをするような仕草を見せます。シドは、『あいつ、いいとこあるだろう』……そう言いたいのでしょうが、もちろん言葉には出しません。「あいつ」とは「ザック」であり、彼は「磨きぬいたバックル」をペリマンにプレゼントしたというわけです。
 
 軍隊という「生死を共にするかもしれない仲間から儲けを得ようとしていたザック」。 ほんの少し前まで、ペリマンに10ドルで売りつけようとしていた「バックル」すなわち「商品」でした。
 
 ペリマンとの「やりとり」のあと、廊下の床磨きをしているザックを見守るように眺めるシド。ザックとの“友情”をあらためて心に刻み付けるような面持ちです。ペリマンとの「やりとり」のカットといい、ザックを離れた所から見守るシドのカットといい、「つなぎ」のための何でもない地味なシーンですが、実に効果的にザックとシドとペリマン3人の“男の友情”を描いています。
 
 これが女性同士であれば、“ワーワー、キャーキャー”と盛り上がるのでしょう。手を取り合ったり、肩を抱き合ったり、また駆け寄ってキスをしたりと、大変なアクションとなるのかもしれません
 
 男性同士なればこその“静かでゆったりとした“表現であり、控えめな表情や仕草が“3人の友情”を、さりげなく醸し出しています。好きなシーンの一つです。
 
 
 【17】 抑制の効いたラブシーン
 
 監督のテイラー・ハックフォードは、この映画の一つの「テーマ」として、「性の解放」を挙げています。そのため、ザックとポーラのベッドシーンは官能的なボディラインや表情が見せ場となっています。
 
 それでも抑制の効いたものであり、好意的に受け止めることができるのではないでしょうか。ポーラの大きな眼の演技(表情)が素晴らしく、ラブシーンの雰囲気を巧みに作り出しています。
 
 と同時に、ザックに対する女性としての情念や愛情といったものが、ピュアなものであることもよく伝わって来ます。
 
 二人はお互いの心情や思いを素直にぶつけながらも、存外、真剣な話をしており、決して性に溺れてはいません。その最大のポイントは、リネットとは正反対の男女交際哲学を持っているポーラでしょう。
 
 多少、将来の結婚をイメージしているとはいえ、ポーラは“今このときのザックとの愛に生きよう”としているのです。
 
 その結果、「結婚」という形に結びつけばそれでよし。そうならなければ、それはそれでまたよし。といった「割り切り方」です。恋や愛に対しては、打算や邪(よこしま)な心がないと言えるでしょう。
 
 
  
 【18】 ポーラとリネット
 
 そのポーラとリネットの気持ちや思惑が明確に示されるのが、「フェリー乗り場」のシーンであり、互いに本音を語り合っているようです。
 
 ――ポーラ。どこまで覚悟してるの? つまり妊娠するってことよ。 
   
 ――まさか。あんた?
 
 ――私もできないと思っていたけど、判らなくなったわ。本物の恋は9週間ではつかめないわ。
 
 と、リネットは現実的です。それに対してポーラは、
 
 ――だから罠にはめるの? ひと昔前の女たちがしたことだわ。
 
 ――じゃ、男はどうなの? 相変わらずその時だけ女をもてあそび、用がすめばゴミ同然。
   あんたは使い捨てされて平気? 男にもツケを払わせるべきよ。 
 
 ――そうは思わないわ。
 
 ポーラは、毅然とそう答えます。 
 
 ――私は違うわ。
 
 ポーラとリネット二人の性格や恋愛観、人間観の違いがよく表現されています。この女性二人の、「現在の交際相手」についての考え方の違いは、言うまでもなく、一人はその相手の「男性」を「死に追いやる」ことになり、他方は……。 (続く
 
       ★   ★   ★
 
 ――男性同士の友情は“静かでゆったりとしたもの”。でも女性同士の友情は、“ワーワー、キャーキャーの大変なアクションに”……ってなのかしら? 確かにそういう傾向はあるのかもしれないわ。でもだからといって、“ワーワー、キャーキャー”ってのは、ちょっと。……って言うか、実際に発せられた言葉かしら? 単なる「オノマトペ」(擬音語)? それとも雰囲気としての「擬態語」? どっちにしても“揶揄する気持ち”が含まれているような気がしてならないの。ここはもう少し冷静で穏やかに、こんなのいかが……。
 “彼女たちはあまりの感激と感動とにより、やや興奮気味に互いの気持ちや友情を強く確かめ合うかのように……” ねえ? どう? 聞いてる? ……あれっ? 眠ちゃったの?
 
   


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。