◆「トリオの王道」を極めた?! ビルエヴァンス・トリオ◆
前回ご紹介した「ビルエヴァンス・トリオ」のもうひとつの『枯葉』はいかがでしたか? 私はこの二、三日原稿書きや雑務の間は、こちらの『枯葉』と1959年版の『Someday my Prince will come(いつか私の王子様が)』の2曲を中心に聴いていました。本原稿作成のためということもありますが、もちろん両曲が気に入ったからにほかなりません。
それでは前回お約束したように、『枯葉』(1959年)の「演奏」の素晴らしさを鑑賞しましょう。
☆ ☆ ☆
軽快に流れるビルエヴァンスのリズミカルなピアノサウンド。その転がるようなキータッチ。明るい華やぎを奏でながら、ときに穏やかで静かで……ときに切なく淡い、そして甘美な陶酔の世界へいざなうように……。
何よりもその魅力の第一は、「アンサンブル(合奏)」としての完成度の高さにあり、次に、静かな生命力と癒しに溢れた「ハーモニー」の美しさにあると思います。
……「緑」の盛りの樹木の葉が、季節の移ろいの中で「紅・黄葉」となって……。やがてそれも散って「落葉」となり、さらなるときの経過とともに「枯葉」となって朽ち果てていく。その無常の理(ことわり)を導き出す「光」と「風」……。
正味5分54秒の演奏は、ビル・エヴァンスの「ピアノ」とスコット・ラファロの「ベース」、それにポール・モチアンの「ブラッシング(ドラム)」が同時に入ります。
「ブラッシング」というのは、スティック(棒)で叩くのではなく、文字通り「ブラシ」の形をしたもので「スネヤドラム」や「ハイハット」、それに「シンバル」などを軽く“掃くような感じ”で演奏するものです。畳の上を箒で掃いたと同じような乾いた音がしますね。「ブラシ奏法」には、強く早く叩いたり、優しくゆっくり撫で付けたりするものがあります。
さて、演奏開始46秒からベースの「ソロ」が始まっています。ここからの75秒あまりが、この曲のクライマックスともいうべき部分です。この75秒あまりの間に、ベースのラファロとピアノのエヴァンスが「インプロビゼーション(即興演奏)」による「インタープレイ(呼応演奏)」をしているからです。
といっても、どこが「その部分」なのか。当事者でないかぎり正確な把握は難しいのですが、何度が聴いていくうちにある程度判るようになります。しかし、あまりそのことに神経質になる必要はありません。
大切なことは、ジャズ特有の「インプロビゼーション」や「インタープレイ」のすばらしさを“体感”することにあるのです。“ここがそうなのだな”と感じる部分が出てきます。何となく判ればよいのであって、とにかく自分の“感性”を信じ、リラックスして“演奏に触れる”ことです。
☆
ともあれ「2人」の「インタープレイ」に対し、ドラムのモチアンが絶妙なタイミングの「ブラシタッチ」で応えています。2人の「インタープレイ」を引き立てながら、実にデリケートなブラシ捌きを見せ、2人の「インタープレイ」に“つかず離れず”さりげなく、しかし、しっかりとドラマーとしての自分を際立たせもています。
それにしても、この「75秒あまり」の「ピアノ」と「ベース」の「インタープレイ」。その「ピアノ」と「ベース」の「インタープレイ」をより魅力あるものとしてさりげなく加わる「ブラッシング(ドラム)」。2つの楽器を、そして2人を実に効果的に引き立たせています。
ビルエヴァンスの他の「曲」や「演奏」の中でも、これほど見事な「インタープレイ」はないように思われます。それほど素晴らしいものです。
「散り敷かれた枯葉の光景」が鮮明に浮かんで来るからです。トランペッターのマイルス・デーヴィスが演奏する『枯葉』は、いまだ水気を含んだやや重たげな「枯葉」ですが、ここでのエヴァンスの「枯葉」は、爽やかに「枯れ切った」枯葉のようです。
明るく弾み、また跳ねたり転がったりする感じです。エヴァンスのピアノのメロディとリズムは、まさにその光景を演出する「光」なのです。ときには落葉した樹木の間から差し入る鮮烈な「光」であり、また地上に横たわった枯葉に優しく降り注ぐ「光」なのです。
それらの「光」に、ラファロのベースが奏でる「風」がまとい付くのでしょう。「風」はさっと大きな「一陣の風」となって吹き払うような荒々しさを見せたかと思うと、一転、小さな枯葉の先をくすぐるような「そよ風」となって……。
その「光」と「風」によって、「枯葉」は地上を這い回ったり、「風」に舞い上がったり、またふっと何処かへ「気ままな旅」に出かけるのでしょか。そのような「枯葉」の様子をドラマー、モチアンの「ブラシ捌き」がさりげなく表現しているのです。何という3人なのでしょうか。何という「アンサンブル」そして「ハーモニー」なのでしょうか。
もちろん、以上の「ピアノ」と「ベース」と「ブラシ」による「インタープレイ」は、75秒あまりに限られたものではありません。後半の4分40秒前後からも少しうかがえます。何よりも正味5分54秒全体の絶妙な「アンサンブル」が創り出す「ハーモニー」の“調和の美”とその“崇高な精神”とを感じとることができるのです。
癒しと安らぎをもたらす「ビルエヴァンス・トリオ」の「ピアノ」に「ベース」に「ドラム」……。飽きるということがありません。そのためにも、ぜひ「ヘッドフォン」を通してお聴きください。
☆ ☆ ☆
ここでのドラマー、モチアンを見ていると、“派手に叩く”だけが「演奏」でもなければ、また「プレーヤー」としての自己表現でもないことがよくわかります。
それにしても、昨今のドラミングの“おぞましさ”には言葉もありません。あまりにも多くのシンバルにタム。それを“のべつ幕なしに激しく大きく叩く”感性とは、どのようなものなのでしょうか。
前回申し上げたように、この「意味もなくモンスター化したドラムセット」による、これまた意味のない「騒々しいドラミング」。著しく音楽性や芸術性を毀損しているのであり、これこそ「ジャズ衰退化」の「最大要因」ではないかと私は思います。
「ピアノ・ソロ」としては好きなチックコリアや上原ひろみにしても、ライブ「バンド」でのドラムのあの轟音はどうでしょうか。それがどれだけ二人の“芳醇で繊細な”ピアノ・サウンドを傷つけていることでしょうか。残念としか言いようがありません。
☆ ☆ ☆
以上をご参考に、前回ご紹介した2つの『Someday may Prince will come』を鑑賞なさってはいかがですか。
次回がこの「シリーズ」の最終回となります。 (続く)
秀理さんご指摘の演奏部分に注意しながら【枯葉】を聞いてきました。エヴァンスとラファロのインタープレイはもちろんですがモチアンのブラシが効いていますね。
マイルス不在のジャズ界において,モチアン最強説を唱えるグループがありますが,彼らがなぜモチアンを支持しているのか何となる分かる気がしてきました。
次回がいよいよ最終回ですか? 最終回を撤回し長期連載に持ち込んでいただければうれしいのですが。秀理さんは頑固だからなぁ。(冗談)
セラビー師匠にだけこっそり言いますが、実はこの『枯葉』はヘッドフォンを通して50回以上は聴いています。ヘッドフォンなしでも同じ回数は超えているでしょう。つまりはこの1曲だけで軽く100回以上聴いたことになるようです。
こんなに聴いてどうして飽きないのでしょうか。その秘密を探るために、さらにまた聴き続けています。
しかし、ビルエヴァンスは傑出した存在です。「アーティスト」や「ジャズピアニスト」と、ひとことで片付けることはできません。
今回の「シリーズ」は次回で終わりですが、それは「ビルエヴァンス」を別に採り上げたいと思ったからです。しばらく整理してシリーズの連載に入りたいと思います。