ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳画・吊忍

2018年08月23日 | 俳句

 今日も気温は30度を超して、蒸し暑~い一日、宇部では午後に雨の予報が出ていましたのに…空が薄暗くなっても一滴も落ちてきません。もうみんなが、台風でも何でもいいからとにかく〝雨降らせて~〟と叫んでおります。

 午後からは俳画教室でした。画題は〝吊忍〟(つりしのぶ)、夏の季語です。忍は岩や樹幹などに生えるシノブ科のシダ。その長い根茎を束ねて巻き付け「しのぶ玉」を作り、夏、軒下などに下げて葉の緑を楽しむ、江戸時代中期からのものです。

  薄べりにつどふ荵のしづくかな   小林一茶

  下町の今日も雨呼ぶ釣忍      水原春郎


 一茶の句の「薄べり」は、畳のように縁を付けた茣蓙(ござ)のことで、縁側や板の間などに敷きます。その薄べりに縁側に吊るした吊忍からぽたぽたと水のしずくが落ちて集まっている風景という解釈がありましたが、果たしてそうでしょうか?吊忍は涼しそうでいいと思うのですが、しずくが茣蓙の上に落ちて集まるというのはどうでしょう。せっかくの薄べりが湿ってしまってよくないのでは…。そう思ってみると、薄べりに「つどふ」のは人で、縁側に集まって涼んでいると、傍の吊忍からは今水をやったばかりでしずくがぽたぽたと落ちている…と考える方が自然なのではないかしら。そもそも畳が用いられるようになるのは平安時代からなのですが、最初は持ち運びの出来る薄べりのようなもので、それは貴人が座るところに敷かれたという。だとすればいくら江戸時代だといっても、ある意味薄べりはムシロのようなものではなく、値打ちのあるものだったのではないでしょうか。一茶が使っていたとしても、お客さんとかに敷いたのではと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

 後句はもちろん我が馬醉木の、嘗ての主宰。その春郎先生は東京の下町でも代表格の神田の生れ、チャキチャキの江戸っ子なんです。「釣忍」は、江戸時代中期、庭師が夏のご挨拶として取引先に配ったのが始まりとされ、明治から昭和初期にかけて広まり、東京下町の軒先を飾っていたそうですが、今でもほおずき市や朝顔市などで、釣忍が風鈴の音と共に涼を呼んでいるようです。あの濡れてしっとりとした釣忍を見ていると今にも一雨きそう…もちろんこれは夕立だと思いますが、その後にくる涼しさが予想されて、夏らしいいい句ですね。

 こんなこと書いていたら、以前若手勉強会の神田界隈の吟行で、案内と説明を買って出て下さった時のことが、ありありと思い出されます。春郎センセ~イ、あの世で秋櫻子先生と句会していますか?

 写真は、俳画の〝吊忍〟です。どうです…少しは涼しくなりますか?賛は〈母となる心の張りの浴衣かな  積穂〉です。

  今日はそんなこと(笑)より、とっても嬉しいことがあったんですよ。何かって?聞きたいですか?ウフフ…ちょっとじらしてみたの。ゴメンナサ~イ!

 実は先日(8月12日 またまた兼題は〝雲の峰〟)のブログで、軸の写真を載せましたよね。その時、字が読めないのでどなたか教えて下さいと書きましたら、それを読んでくださっていた俳画のOさんから情報を頂きました。

 彼女が以前習っていた先生が書かれたものだそうで、それを確かめて教えて下さったんです。〈はつ秋の柳をすかす朝日かな〉で、関成美さんの句だということでした。調べてみると関成美さんは東京の多摩で俳句を指導されている方のようです。

 書道の先生は、時重真秀(しんしゅう・本名は真紀子)さんで、福岡から2回ほど教えに来られる83歳の、とてもお元気でステキな方だということ。このブログの話を聞かれて、自分の書いたものに関心を持って頂いて…と、とても喜んでおられましたよと聞き、私も嬉しくなりました。ホントに有り難うございました。感謝です!


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