ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝納豆〟

2020年11月25日 | 俳句

 一昨日は勤労感謝の日の祭日…でも句会でした。昨日もまた俳句教室。これで今月の俳句教室の予定は終りです。本当なら29日(日)が宇部市芸術祭「俳句の集い」の俳句大会だったのですが、新型コロナウイルス感染拡大の恐れにより、先日の会議で中止と決定しました。しかし、選句結果での受賞者は決まっていますので、当日はその授賞式のみ行うということでした。

 とても残念なことですがこれも仕方の無いこと。他の部門も殆ど中止のようでしたから、淋しい宇部市芸術祭になってしまいました。その芸術祭のフィナーレを飾り、12月20日(日)に「第九演奏会」が全席指定で予定されていますが、これはどうなるんでしょうか。まだ中止の報は出ていないようです。こんなことはきっと宇部市でも初めての経験でしょう。来年は宇部市が〝市制施行100周年〟を迎えての事業やイベントなどが早くから企画されて、気合いが入っていたようですが…。

 果たしてこのコロナが今後どうなることやら。宇部だけのことではありませんし、今のところ日本全国全く見通しがたちませんもの。

 実は、宇部市長だった久保田后子さんが体調不良と骨折のため、急遽3期目の途中でしたが、10月22日付で辞職されたのです。そのため1ヶ月後の22日に市長選挙が行われ、新宇部市長が24日付で39歳という若い篠崎圭二氏に変わったんですよ。

 昨日のニュースでは、篠﨑圭二新市長が宇部市役所の多くの職員に出迎えられて初登庁した様子が流れていました。「一つ一つの課題に正面から向き合い、職員の皆様と一緒になって、課題の克服に取り組み宇部市の未来がよりよいものになるように、一生懸命取り組んでいきたい」と述べられたようです。また、今早急に取り組むべき課題として新型コロナウイルス対策をあげて、大きな影響を受けている事業者などへの経済的な支援を行いたいとも。篠﨑市長の任期は2024年11月21日までの4年間。さて、さて、これからどんな宇部市になっていくのかしら?昨日は山口県のコロナ感染者も岩国市に1人だけだったようなので、これで少しは落ち着いてくれるといいのですが…ね。

 ところで、一昨日の句会の兼題は「納豆」で、昨日のは「焼芋(藷)」でした。どちらも冬の季語です。しかし、難しいといえば、「納豆」の方でしょう。俳句をしていなかったら、この納豆が季語だなんて思いもしなかったでしょうしね。だって、スーパーでは年中売られているんですから。

 なぜ冬の季語になったのかは、納豆を作る過程からきているようです。というのも納豆を作る工程で一度冷やさねばならないのですが、昔は人工的に低温環境を用意することが難しかったので、自然と冬に作るものとなり、冬の季語になったということでした。

 しかし、納豆にも二つ系統があって、一般的にはよく蒸した大豆を藁づとなどに入れ、適温で納豆菌を繁殖させて作った「糸引き納豆」を指し、これが冬の季語。もう一つは蒸し大豆に麦こがしと麹を加え発酵、塩水に漬けて熟成させ、乾し上げたもので、「大徳寺納豆」「塩辛納豆」などといわれているもの。後者は、古来もっぱら寺院において行われていたもので、夏に造ると最もいいものができるというので、「納豆造る」が夏の季語になっています。それで、できた「大徳寺納豆」や「塩辛納豆」なども夏の季語なんですよ。私は食べたことないけれど…。

  有明や納豆腹を都まで

  糟糠(そうこう)の妻が好みや納豆汁(なっとじる)

 前句は、小林一茶の句です。後句は…誰だと思いますか?なんとあの高浜虚子なんです。ビックリでしょ!こんな句を詠むということは虚子本人は納豆が嫌いだったのでは?考えてみれば、関西以西では納豆嫌いが多く、関東は好きな人が多いと。だとすれば、虚子は愛媛県の松山だから嫌いという確率が高いだろうし、妻は東京育ちならば当然納豆好きと考えられますものね。ちなみに、虚子の奥さんは、虚子の下宿していた家の娘さんだったということですから、当然東京の下宿屋の朝ご飯には納豆がよく出たんでしょう。好きな娘さんが出してくれる納豆ですから、虚子も渋々食べていて、そのうち好きになったかも。〈糟糠の妻〉というのは、貧乏なときから連れ添って苦労をともにしてきた妻のことをいいます。

 一茶の句は、〝早朝、空には淡くまだ有明の月が残っているよ。この朝餉の納豆汁を食べた腹で都まで行かねばならぬが…〟というような意味ではと思うのですが、どうでしょうか。一茶が48歳の時、文化7年(1810年)から書き始めた『七番日記』の、その年の作のようです。

 この頃の一茶は遺産相続問題で度々江戸から信濃へ帰郷していたようですから、都へ戻る旅立ちの朝、どこかの宿で食べた納豆汁だったのかも知れませんね。安くて栄養があり、体が温まる納豆汁は、当時の冬の常食だったのでは。しかし都までの長旅では直ぐに腹が減るだろうなあという不安もあったかも。一茶は貧しい暮しをしていたようですからね。詳しくは調べてみないと解りませんが、『七番日記』には〈百両の松をけなして納豆汁〉という句も同年に詠まれています。ついでにいうと、昔は「納豆汁」や「納豆売」が詠まれていて、「納豆」だけでは詠まていなかったようでしたが、いつ頃からこの納豆だけで季語になったのでしょう。

 私が子供の頃は殆ど納豆は食べなかった気がします。きっと九州人の両親が食べ付けていなかったので嫌いだったのかも。主人は子供の頃に納豆売の声を聞いていたと。それも藁づとに入った納豆だったって…。ヘエッ、広島なんですけどね…。

  このように「納豆」という季語一つにしても、いろいろと奥の深い話があります。まだまだ知らないことは山ほどあるでしょう。今からではもういくら勉強しても追いつきませんね。トホホッ…

 写真は、〝ランタナ〟で、季語ではありません。夏から晩秋まで咲くという息の長い花ですが、今年は早12月になろうかというのに、まだ綺麗に咲いています。ナント、ナント…ですね。

 


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2 コメント

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びっくり (ミルク)
2020-11-25 18:18:50
こんばんは。
納豆が冬の季語ですか@@
そういえば、子どもの頃 母が自家製納豆を作ってました。
季節までは記憶にないですが、寒い時期だったような・・・
あまり、美味しくなかったことだけ、記憶してます(^-^;
そうそう、藁つとに入れてましたが、あまり粘りが無かったような・・・
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Unknown (ちわき)
2020-11-25 21:17:32
ミルクさん、コメント有難うございます。
やっぱりみんな季語だと思ってもみませんよね。私だって全く知らずに、随分経ってから知ったんですもの。
ミルクさんの実家では自家製納豆を造っていたんですか。羨ましい!
田舎では大豆を必ず作っているでしょう。それで昔は味噌なども殆ど家で造っていたんだとか。
だから〝味噌造る〟も冬の季語なんですよ。これもスーパーではいつもありますが…ね。
だから新大豆が取れると納豆も造っていたのでしょうから、秋の終りから冬にかけてだったんですよ。
粘りがないのはきっと発酵の状態なんでしょうし、温度管理が大変だったのでは…。
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