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ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

劇団四季の〝キャッツ〟を観てきました!

2025年01月06日 | 俳句
 今日は5日の日曜日。今年の長い年末年始の9連休が今日で終わりですね。年中休日の私にはあまり関係はないのですが、気分的には私も何となくの~んびり。きっと病院へ行くこともないし、俳句教室や句会もなかったからかも知れませんね。
 ところで、2日はサイバー攻撃でブログ閲覧者も非常に少なかったのですが、その影響なんでしょうか。昨日4日のブログ閲覧者数と訪問者数が急激に増えていて、ナント2568PV |1093UU |3196414ブログ中359位となっていて、ビックリですよ!
 今年は本当に何だかいいことばかりが続いて…ちょっと先が怖い気もしますが。ではそのいいことのついでに、今日は3日のことを書いておきますね。
 実は、昨年広島で劇団四季のミュージカル〝キャッツ〟が上演されるというニュースを見て、一度は観てみたいと思っていましたので、早々にチケットを入手していました。2024年11月11日(月)~2025年2月23日(日・祝)のロングランでしたから、できれば私と娘の誕生祝にその近くでと考えたのですが、どうせなら主人やお婿さんも誘って、今年の正月の楽しみにでもと、3日(金)に行くことにしたんです。

 娘夫婦は年末から高松へ行っていましたので、そこからの帰りに広島で途中下車。息子は他の予定で行かないと言っていましたので、私たち二人新山口から新幹線で広島へ。12時15分開場・13時開演でしたから、早めに広島へ着いてランチでも食べて行こうということにしました。

 会場は「上野学園ホール(広島県立文化芸術ホール)」。行ったことがない所ですので、少し早めに行き、そこの地下のレストランで食事をして開場まで待ちました。私は以前博多へ友人たちと「ライオンキング」を観に行ったことがありましたので、本物の感動を娘たちにも是非味わってほしいと考えての計画でした。

 入場すると先ず館内や舞台の装飾の豪華さに驚きます。まるでクリスマスか何かのパーティーが今から始まるかのような別世界…。全席指定でしたので自分の席へ着くと、その場での館内の撮影は開演まではOKだということで…ほら、下のようにとってもキラキラして鮮やかでしたよ。

 「いつか」じゃなく「今」。人生をゆるがす感動体験!人類必見。キャッツ

伝説のミュージカルが、新たな感動をひっさげて12年ぶりに広島へ!誰も見たことのない斬新な舞台と画期的な手法で、初演時には日本中に一大センセーションを巻き起こした「キャッツ」。日本の演劇界に革命をもたらし未来を切り開いた、まさに伝説の作品なのです。

 現在まで日本各地でロングランを続け、通算公演回数は10000回、総入場者数は1000万人を超える驚異の記録を更新しています。(パンフレットより)

 もしまだ観たことのない方は、是非一度くらいは体験されるといいかも。やはり演劇などの生の迫力というのはそれに触れてみないと分かりません。どんな分野であろうと終演後のアンコールの拍手が鳴りやまないというのはよくよく分かります。一度観たらこれは中毒になりそう…きっとまた観たくなりますもの。でも、昔はお金も時間もなく諦めていましたけど、今は時間はあってもお金の方が…。なんて言わずに、また機会があれば行きたいものです。だってもう後がないんですから…。(笑)

 大都会に住んでおられる方は観たければ何度でも観られるのではと思いますが、田舎に住んでいると余ほどのことがなければその機会がないんですよ。子供のころは音楽や芸能へは縁がなく、大人になってからは観たいと思ってもせいぜいテレビで鑑賞するぐらい。宇部に結婚して来て、ここには県下に誇る渡辺翁記念会館という立派なホールがありますので、本物が観られるよと聞いていましたが、他所にもっといいホールが次々とできたりして徐々に廃れていき、来なくなりましたから。そう言えば娘が思い出したように、小学生のころ「おやこ劇場」というのがあって、よく連れて行ったもらってたよねと…。

 そう言えばそうでしたね。田舎ではなかなか本物の芸術文化に触れる機会がないということで、毎月会費を積み立てて割安で結構有名な劇団や音楽家、バレー団などを呼んで年に何回かの公演を親子で観に行ってました。子供たちの情操教育のためにと言って…ずいぶん昔のことで、あれは今も続いているのかしら。あの頃は子供のためにと一生懸命で、私も会員になってお世話もしていましたけど…。

 あら、調べてみるとありましたよ!今は名前もシステムも変わって…でも、子どもたちのための文化や芸術の体験という根幹はまだ同じのようですね。よかった、よかった!

 NPO法人うべ★子ども21 (旧宇部おやこ劇場)
『子どもをみんなで育てよう』と願いを込めて1975年〜観る(鑑賞)遊ぶ(体験)を2本柱に活動し、2001年〜大人会費で子ども達に文化を届けています。宇部SDGsフレンズ・クールチョイス賛同登録。2021年ソロプチミスト日本財団「社会ボランティア賞」

 終わって混雑したホールから外へ出ると、側を流れている川の風が冷たいこと!しかし、ミュージカルの熱気がまだ冷めない頬には却って気持ちが良かったですね。信号を待っていると面白い犬が…ちょこんと座って餌を待っているのがカワイイ!でも見たことのない犬やわと言うと…娘が〝ブルテリアよ〟と教えてくれました。

 

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今年は〝三社参り〟をしましたよ!

2025年01月03日 | 俳句

 昨日2日は、もう皆さまご存じのように朝から一日中gooブログがアクセスできず、本当にあくせく…しました。(笑)だって私が珍しく真面目に書こうかなと思って、せっかくやる気になっていましたのに…。

 というわけで、今日のことは明日に回して、昨日書こうと思ったことを書きますね。

 実は今年は元旦からとても幸先の良いことがあったんです。義弟・義母と亡くなり、喪中が続いていましたので、このところ元旦はどこへも行かず、また誰も来ないという静かでのんびりとしたお正月でした。ところが、今年はナント〝〟が飛び込んできたんです。以前俳句教室に通っていて、東京やいろいろなところへも一緒に旅をしたMさんが、手作りのシホンケーキとレモングラス茶を持って訪ねて来てくれたんですよ。嬉しかったですね。私が〝今年は春から縁起がいいわあ~~〟と言ったら、〝そりゃ、私の名前には幸が付いていますもの!〟と、大笑い。ああ、こんなにいい天気に愉しい話ができて、おまけに美味しいものが食べられるなんて…ナント幸せなことでしょう。これで、今年は何でもうまくいきそうな気がしました。ありがとうございました。

  南縁の日に迎へたる賀客かな     室積徂春

 この句のように、この日は余りにもポカポカして気持ちよかったので、〈南縁〉ではありませんでしたが庭のテラスでお茶を飲んで話したんですよ。


 さて2日はというと、元旦と同じようにこの日もとてもいい天気で、風もなくポカポカしていましたので、今度は〝初詣〟へ主人と出かけることにしました。でも、一番近い産土神の琴崎八幡宮へは、きっとまだ人が多くて延々と並ばないといけないだろうと思って、他のところへ行くことに。

 そこで行ったのが「南方八幡宮」。ここは奈良時代の天平勝宝三年(751)、厚東氏四代の白松太夫武綱公が、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、古尾(現在の東岐波区古尾)の地に社を建て、吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まります。古尾八幡宮を氏神様として信仰していたのは、宇部市西岐波から山口市佐山と広範囲で不便だったため、1233年(天福元年)、宇部市西岐波・東岐波は南方八幡宮、山口市阿知須・佐山は北方八幡宮に分社したんです。

  広々と大石段や初詣         池内たけし

 そこで、南方へ行ったんなら「北方八幡宮」へもと、参拝に行きました。

 ところで、上の写真にもあるように、御手洗の水はなぜ龍の口から出るのか知っていますか?それは龍神が昔から水を司る神として崇められてきたからなんですよ。 水は全ての命の源、命を繋ぐ尊いものと云われ、穢れや邪気を祓うものです。 この水が「龍の口から出ている水」とすることで「神聖な水」という意味を含んでいます。 その神聖な水を出すこのような龍は「吐水龍」と呼ばれています。

  御手洗(みたらし)の杓の柄青し初詣  杉田久女

 この句のように新年には御手洗の柄杓やその置き場などは新しい竹でやり替えるので青々しているのですが、コロナが流行してからは少し変わってきて、花などを浮かべるようになりましたね。

 せっかくだからと最後にもう一つ、「出雲大社宇部教会」にもお参りし、これで「三社参り」ということにしました。ここに出雲大社が創建されたのは、1928年(昭和3年)のことで、かつては厚狭郡楠木町吉部にあった神社を、渡辺祐策氏が宇部市内に神社を遷してほしいとお願いをされたことが始まりなのだそうです。

 また、西日本各地の風習としてある三社参りは、正月の初詣として、三つの神社に詣でることを指します。特に福岡県を中心として九州地方・中国地方の一部で根付いた風習で、私の実家ではそれが当たり前になっていましたね。

 ついでに、普通神社では二礼二拍手一礼という参拝が一般的ですが、出雲大社では二礼(二回おじぎ)四拍手(四回手を打つ)、最後にもう一度おじぎをしますので、ここでも同じようにします。

 このように今年はお天気も良くて、悲惨なニュースもなく穏やかに年が明けましたから、どこの神社でもこのような平安無事な日がこれからもずっと続きますようにと…こころからお祈りしました。

 ちなみにお神籤を引いたら、ナント〝大吉〟でした。〝辛い思いも祈れば神の、強い力で生き返る。七転び八起きという。……〟とは神の教えです。星野立子の〈よきみくじ四つに畳んで単(ひとへ)〉というのがありましたが、私はポケットに入れて持ち帰りました。しかし、念のために申しますが…この句は残念ながら〝初神籤〟ではなく、〝単帯〟が季語の夏の句なんですからね。 

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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしく!

2025年01月01日 | 俳句

    新年明けましておめでとうございます!

           今年もよろしくお願いいたします。 

                    かわいい手描きのヘビイラスト(線画)イラスト - No: 22495535 ...の画像

 今日は、上の写真のように本当に雲一つない青空のいい天気です。こんな元日の空を「初晴」という季語で表しますが、これはこの日が晴れると、農家では五穀豊穣の兆しとしてとても喜んだことから生まれた季語なんですよ。

  初晴や近くはるかに母なる山          上田五千石

 先日届いた俳句雑誌「馬醉木」の12月号に、拙句〈送水管巡らす地下も初日差〉を広渡敬雄氏(「沖」同人)が取り上げて、鑑賞文を書いて下さっていました。〝新年も休むことのない浄水場。その地下には、各地への送水管がびっしり巡らされており、初日も差し込んできた。一年中休むことなく水を供給する人へのエールの句でもあるが、地震と大水で水道不通の能登の人達を思うと胸が痛む。〟と。これを読んだ時とってもありがたかったですね。この句は昨年の新年吟行会で行った浄水場で詠んだものでしたが、まさに能登半島地震の起こった後でしたものね。

 確か昨年の元旦もお天気が良くてのんびりと過ごし、その後のそろそろ夕食のことでもと考えていた頃だったと思います。今まで大きな地震にはしばしば驚かされていますが、何もこんな一年中で一番お目出たいという日に発生しなくても…と、自然災害のむごさにはとても心が痛みました。さらに次の日は羽田空港の事故と続き、おまけに今度は能登半島は豪雨災害まで…。いろいろな事件や事故なども多くて、この一年で亡くなられた方がどれほどいることでしょう。これは日本だけのことじゃないでしょうけどね。世界中いたるところで自然災害が発生していますし、また、いまだに収まらない戦争や紛争とかでも…とどのつまりが先日の韓国の航空機事故では179人もの方が亡くなるという大惨事で締めくくられた一年でしたもの。

 どうか今年こそはそんな大きな災害に見舞われることがない良い年でありますよう…心から祈りたいと思います。しかし、私個人的には今年はどうも〝八方塞り〟という大凶のようですので、またまたどんな一年になるかは疑問ですけど。

 あら、今年の初詣はまだですので、明日にでも行ってお御籤でも引いてこようかしら。どんなに運勢が悪くても…頑張りますよ。こうなったら神仏の力にすがるしかありませんので。皆様も是非初詣に行って、それぞれの平安無事を祈ってくださいね。

 我が家のおせちは、今年も一日早く大晦日の昼に娘夫婦と一緒に食べました。二人はそれから婿殿の実家へ行きましたので、今朝は息子と三人でもう一度おせちを…。今年のおせちは、板前魂の飛翔 特大八.五寸 和洋中 中華風三段重おせち 5人前でした。ところが、みんなの感想は、これもおいしいけど去年の方がもっとおいしかったと…。はて?去年はどこだったのかしら…てっきり同じところだと思っていたのですが、私もそろそろボケてきたのかな…気を付けなくっちゃ!では、また…

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〝頭位めまい症〟という病気、知ってましたか?

2024年12月29日 | 俳句

 先日来のめまいについて、いろいろご心配やご助言をいただき、ありがとうございました。その後もう一度病院へも行き、血圧の薬も飲んで様子を見ていましたが、最終的には耳鼻科で「頭位めまい症」という診断。これは良性のものなのであまり心配しなくてもよいということでした。

 この「頭位めまい症」という病名、私は初めて聞いたんですが、皆さんはご存じでしたか?私は長いこと慢性中耳炎で、風邪をひいたり具合が悪くなったりするとすぐに耳に来ます。今まではてっきりメヌエール病からのめまいとばかり思っていましたから、そんな病気があることにびっくりです。

 実は先日弟からの話…、今月初め自転車に乗っていて接触事故に遭い頭を打ったので、脳外科で色々調べてもらったところ、どこも異常はなかった。ところがそれからめまいや吐き気、頭重などひどくて、また診てもらったところ、この病名を告げられたのだということ。聞けば私の症状と全く同じで…でも、私には頭を打ったという覚えはないんですけどね。

 そこで詳しく調べてみると、原因はいろいろあって、結局は耳石が動くことによって起こるのだとか。ほとんど良性の場合が多くて、石が動かなくなったら自然に良くなる、それも2,3週間から1ヶ月くらいでと。弟はその通りに何も治療しなかったが、今はもうよくなったそうです。

 病名が分かってホッとしました。血圧が高くなったのとこのめまいの関係は分からないが、私の場合はたまたま同時に起こったからで、どちらかが引き金になったとかは分からないということでした。

 そこで、もし私のような症状が出た人の参考にでもなればと、調べたことを書いておきましょう。

 概要 良性発作性頭位めまい症(BPPV)とは、特定の頭位をとることによってめまいが誘発される病気のことを指します。このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全におさまります。また、聞こえの悪化や耳鳴りといった症状が起こることもありません。この良性発作性頭位めまい症は、めまいが起こる原因としてもっとも多いといわれています。

 原因 平衡感覚に重要な役割を果たしているのが、内耳に存在する“半規管”と“耳石器”と呼ばれる器官。耳石は耳の奥にある重力を感知する前庭(耳石器)という場所にあって、小さな砂粒のようなカルシュウム結晶です。この耳石が外傷など何らかの理由で剥がれ落ち、それが半規管に入り込み動くことで、半規管を刺激してめまいが起きます。耳石がこぼれる明確な原因は不明ですが、更年期以後の女性に多いことから、加齢や女性ホルモンの低下により耳石がはがれやすくなると考えられています。また、外傷や長期の寝たきりも発症の原因となります。

 症状 良性発作性頭位めまい症では、特定の頭位を取ることで、めまいが誘発されます。たとえば、起床時にくらくらする、寝返りを打ったときにめまいが生じる、洗濯物を干すために頭を上げるとめまいがするなどです。このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全におさまります。また、吐き気を伴うことも少なくありません。難聴や耳鳴りなどを伴わないことが、メニエール病などほかの内耳疾患と異なります。また、発熱、手足の麻痺、感覚障害、視力低下、意識障害を伴うこともありません。

 治療 良性発作性頭位めまい症は自然軽快することも多いですが、耳石置換法(めまい体操)という理学療法が有効です。耳石置換法は半規管のどの部位が原因になっているかを確認し、半規管に入った耳石を半規管の外に導きだし、元の耳石器に戻し治癒させる方法です。耳石置換法を行うと治癒が早まります。また、吐き気などの症状が強いときには症状緩和を目的として抗めまい薬、制吐剤などの薬物治療を行います。ほかにも、半規管遮断術という術式があります。ただし、実際に適応になる方は少なく、1年以上再発を繰り返している、ずっと眼振が止まらないなど日常生活に強い支障をきたしている場合などに検討します。

 というわけで、私も薬は飲まなくていいから耳石置換法の体操をするようにと、指導されました。これはやればやるほど早く良くなるから、めまいがしても恐れずに朝夕しっかりとやりなさいと。そのお陰か、または精神的に安定したからか…徐々に収まってきて、これで何とか年を越せそう。やれ、やれです。

 このところこちらはとても気温の低い日が続き、天気も雨が降ったりどんよりとした曇りばかりでスカッとした晴天がありませんが、皆様どうぞ体調を整えられて新しい年を元気にお迎えくださいませね。

 写真の1枚目は26日の朝、2枚目が27日、3枚目は25日で、このような青空だと寒くても気持ちがいいんですけどね。今日も1枚目と同じで、大掃除でもしたいのに…その気になりません。イヤになります。

 先日の句会に〝猫団子〟という表現が出ていましたが、まさにこの猫ちゃんたち、団子になっていましたね。よく見ると、母猫の周りに子猫がかたまっていて…近づくと団子がほぐれていき、結局子猫が5匹もいたんですよ。それもみんな同じキジ柄で…。最初の写真見て、何匹いるか分かりますか?

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このめまいの原因は何?

2024年12月25日 | 俳句

 昨日の俳句教室が今年最後の行事でした。今まではこの後、俳誌「馬醉木」の「あしかび抄」の選評を書いて、すべてが終了していたのですが、この投句欄が今年度の12月号をもって閉じられました。なぜかというと、この欄は50歳未満だけが投句できるという若手育成欄なんです。ところがこのご時世、投句し始める若手はいないし、今いる人たちも50歳を超えてどんどん減ってしまったんです。

 このブログもこの欄を担当してから始めたもので、そのお陰で『目からウロコ』というエッセイ集も出版できました。丸8年間、私なりに一生懸命頑張ってきたつもりなんですが、なんせ相手のいること、残念ながら私一人の力ではどうしようもありませんでした。というわけで少しは暇になるのかなと思ったんですが…今度はこちらがくたびれていてやっぱりダメなんですね。

 では、昨日の話の続きをしますね。実は先週よりめまいと吐き気がして、耳鼻科へ行き薬を処方してもらい飲んでいました。ところが、少し良くなったかと思ったら、この日曜日にまたひどいめまいがして何もできなくなってしまいました。今度は吐き気だけでなく頭まで重苦しくて…起きていても寝ていても気分が悪い!年末だというのにこれでは何もできないと、もう一度耳鼻科へ行きました。

 そこで血圧を測ってみると、なんと180以上も…下も100以上です。びっくりして看護師さんが2,3回測りなおしてくれたんですが、同じ…。耳鼻科の先生はもう一度あれこれ調べてくださり、これはメヌエールではないから、すぐにかかりつけの内科へ行って相談しなさいと。

 こんな状態でしたから車の運転もやめて、主人に送ってもらっていましたので、すぐ電話して来てもらい、今度は内科へ。すると内科では更に190まで上がっていて…。今まではどんなに高くなっても160台で、このような数値が出たのは初めてです。しかし、内科の先生が仰るには、このめまいや吐き気,頭痛は血圧のせいではない。このめまいなどが原因で血圧が高くなったのだろうから、やっぱり耳のせいだと譲りません。だって、先月の血圧はそんなに高くなかったじゃないかと言われて…。

 さて、どちらが正しいのか私にはさっぱり分かりませんが、とにかくどうしたらいいのかと困ってしまいました。今年は年末年始の休診が長いので、このまま放置しているというのは不安でたまりませんし、それでは何もできませんものね。

 そこで、仕方なく内科の先生が降圧剤を処方してくださり、それを飲んで様子を見ようということに。もし、血圧が下がってもめまいがすれば、それはやはり耳鼻科か、さもなくば脳神経科かもしれないから、そうなったら紹介状を書いてあげるからということになりました。

 歯科も治療を中断してもらっていたのですが、年内にもう一度来てほしいということで、昨日の俳句教室の帰りに寄って治療してもらいました。

 それで月曜日の夜から血圧を測り記録しています。最初こそ高かったものの、次の日からは朝晩とも120台で下が70から80台と、正常になりました。でも、まだめまいと頭重は残っているし、気分はよくありません。ということは内科の先生が言うように血圧のせいではなかったということでしょうか。私はこの休みの間に何かあったらと不安が募るだけです。

 せっかく冬至南瓜や小豆を食べて厄を払い、心機一転して「一陽来復」を願ったのですが、ダメだったということなんでしょう。悔しい!これはまだまだ私の精進が足りないよという神様のお告げなのかも…。

 考えてみれば、今年は能登の地震から始まって、他人事とは思えなかったし、自分自身にも考えられないようなことがあって人間不信に陥りました。その後もコロナに罹って酷い後遺症に悩まされましたし、親しくしていた人たちが次々と去っていきました。もちろん少しはいいことや楽しいことはありましたけど、プラスマイナスするとやはり負の方が多かったですね。

 どうぞ来年はプラスの方が多くなりますように…心から祈りましょう。

 昨夜はクリスマスイブ、今日がクリスマスです。いつも体操に行くとき教会の窓にこんなクリスマスツリーが…。なかなかいいアイデアだと思いませんか。場所も取らないし、片付けも簡単だし…。できればこの真ん中に茶色の幹を貼りつけると完全なのにね。また、日曜日にはサンタクロースの衣装でバイクに乗りツーリングしている集団に出会って…ああ、写真撮りたかったのに…あっという間に走り去って撮れませんでした。残念!

 また、昨夜は息子が出かけましたので、主人と二人でシャンパンならぬ大吟醸とケンタッキーのフライドチキンでクリスマスを祝いました。お婆ちゃんがいたときは、息子や娘夫婦も来て、毎年一緒にクリスマスの牡蠣パーティーをしていたっけ。ついこの前なのに…懐かしい!でも〈クリスマスとは静けさの中にこそ〉と詠んだのは稲畑汀氏でしたが、今年はまさにこの通り。静かな夜を…すきっ腹で飲みましたので酔いがよく回り、いやなことなど何もかも忘れてあっという間にダウンです。これもたまにはいいですよね。

 できれば来年は、この句のように〈結局は何も起らず寝正月 稲畑廣太郎〉という新年だといいのですがね。では、また…

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いまさら冬至のこと?でも聞いてください!

2024年12月24日 | 俳句

 12月21日は「冬至」でしたね。一年で最も昼が短いので、古代中国ではこの日から陽気が復するとして「一陽来復」とよび、宮中でも民間でも正月と同じくらい盛大な行事を行ったようです。その習慣が今でも残っていて、「冬至粥」や「冬至南瓜」を食べたり、柚子を浮かべて「冬至風呂」に入ったりするのです。

  一陽来復雑木林に射す薄日        棚山波朗

 なぜそのような習慣があるのかというと、この日は夜の暗闇が長いから運気が下がり、人の魂も弱まると考えられていました。そのためこの冬至を境に、これからは陽も長くなり、明るく良い方向へ向かっていきたいという願いを込めたのです。

 ゆず湯には血行促進効果があり、身体を温めて免疫力アップにつながりますから、それに入ると風邪を引かないといわれ、この習慣は、江戸時代ごろの銭湯から始まったようです。ゆずの皮にはビタミンCが豊富に含まれ美肌効果も、更に爽やかな香りでリラックス効果もあり、ストレス解消にも役立つという、一石二鳥どころか三鳥も四鳥もと…、とってもいいものなんですよね。

  柚子風呂に浸す五体の蝶番(てふつがひ)  川崎展宏

 また、かぼちゃは緑黄色野菜の一種で栄養価が高く、豊富に含まれているβーカロテンは、体内でビタミンAとしてはたらき、粘膜や皮膚の細胞を強くしてくれます。ビタミンEやビタミンCも多くて、高い抗酸化作用により免疫力を高め、食物繊維が豊富なので腸内環境も整えてくれます。

  ひときれの冬至南瓜に恙(つつが)あらじ  上村占魚     

 このように冬場の貴重な栄養源としてはもちろん、風邪を引きやすくなる季節に、免疫力を高める栄養たっぷりのかぼちゃを食べて柚子湯に入るということは、とっても理にかなったものなんですよね。昔はここまで詳しく理解されていたのかどうかは分かりませんけど、先人の知恵というのにはいつでも感心させられます。このような素晴らしい風習はぜひ残していきたいものですね。

 ところで、我が家ではこの日は小豆に南瓜と餅を入れて、粥ならぬぜんざいを作って食べました。だって、小豆の赤い色は魔除けの象徴とされ、古来から邪気払いに使われてきました。 それで昔から冬至に小豆粥を食べることで、厄を払い健康を祈るという意味が込められていたんですからね。

 考えてみると、今年私は本当にいいことがありませんでしたから、せめて冬至に南瓜と小豆を食べて厄払いをしたいと思ったんですよ。だというのに…最後の最後までよくないというのは一体どうしたことでしょう。

 実は、このところ病院通いばかりで、昨日も病院のはしごでした。内科と整形外科の通院はいつものこと、3か月に1回の医大への検査もですが、先月からは歯科治療も始まったんです。それが、更に先週からめまいと吐き気がして、今度は耳鼻科へ。耳は子供のころからの持病でしたから、てっきりメヌエール病がまた出たのかと…この続きはちょっと長くなりますので、また後で書きますからね。よろしく!今から俳句教室へ行ってきます。

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もう門松が立ちましたよ!

2024年12月13日 | 俳句

 今朝起きたら外が濡れていました。夜中に雨が降ったようで…全く気付かずに熟睡してたんですね。この頃は、イヤいつもですがよく眠れます。ただ、朝5時過ぎ頃になるとトイレへ行きたくなって目が覚めるんですが、まだ外は真っ暗だし寒いので、また布団に潜り込んでとろとろと…この時の気持の良いこと。でも時間が短いからか、良く夢を見るんですね。

 とてもイヤな夢だったり、時には懐かしい若い頃の夢だったり…意外に見ないのが父や母の夢。時には夢でいいから会いたいと思うのに…。ということは今はそんなに不幸ではないと言うことでしょうかね。病気などで辛くて泣きたくなるような時にはよく母の夢を見たりしていましたから。きっと母が心配して励ましに来てくれていたのでしょう。

 一昨日の朝ラジオ体操に行くと、ふれあいセンターの前に「門松」が飾られていました。今年も残すところ20日ほどになって、いよいよ新年に向けてのカウントダウンが始まったんですね。

  この「門松」は、新年を祝って戸口や門前に立てる松のことで、これはもう正月になった証ですので、新年の季語になります。門松を立てたり、飾ったりする時はまだ年内ですので、「門松立つ」とか「松飾る」とかいって、冬の季語になるんですよ。

  独り寝やはや門松も夜の雨     小林一茶

  門松の立ち初めしより夜の雨    小林一茶

 どちらも一茶の句でよく似ていますが、前句はすでに新年になった門松。後句が「門松立つ」というまだ年が明ける前にできたばかりの門松で、冬の季語になります。これらの句のように、このところこちらでも昼間は晴れていたかと思うと夕方や夜から雨になったりする日が多いんですよね。

 それはそうと一茶の時代はどんな気候だったのかしら。当然今のような地球温暖化などは夢にも考えられなかった時代でしょうからね。ちょっと興味が湧いて調べてみると、江戸時代は全体的に寒くて、今より気温は5度から7度ぐらいは低かったようですよ。暖房器具だって当時は火鉢や行火などで、田舎になると囲炉裏とかもあったでしょうが。でも昔の家は隙間だらけで…寒かったんでしょうから、目張りをしたりとか…何もかも懐かしいものばかり。こういう消えていくようなものは、せめて季語としてでも是非残していきたいものです。

 ところで、年末の季語にはたくさんあります。「十二月」「師走」「極月」などは一ヶ月間いつでも使えますが、中に「数へ日」というのがあります。さてこれはいつ頃からを言うのでしょうか。子供の頃の唱歌で〝もういくつ寝るとお正月…〟と、みんなでよく歌ったのも懐かしい想い出です。

  数へ日の数へるほどもなくなりぬ   鷹羽狩行

 この句などは〈数へるほどもなくなりぬ〉といっていますから「三十日」か「大晦日」ぐらいになってのことでしょう。しかし私が思うには、普通1週間を切った頃、即ち子どもたちが冬休みに入る頃からを「数へ日」というような気がするんですが、皆さんはどう思われますか。〈数へ日や昼の木立に子の遊び 岡本眸〉のような句は、やはり冬休みに入ってからの描写でしょうからね。

 このように年末から新年にかけての季語はたくさんあります。皆さんもこういう忙しい時こそ、一句詠んで気分転換されませんか。またお正月になったら新しい気分なども詠んだりして…楽しいですよ。

 では、また…

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今年最後の吟行会は鋳銭司(すぜんじ)でした!

2024年12月09日 | 俳句

 では今日は一日遅れですけど、お約束しました通り12月の月例吟行会の報告をしますね。

 12月6日の金曜日、先ず最初の吟行地は山口市鋳銭司にある両足(りょうそく)寺です。ここは臨済宗の寺で、秋には紅葉が美しく、春には〝五色八重散り椿〟の大きな木がありますので、私は何度か来たことがあります。しかし、初めての人が多くて、こんな所にこんな寺があるなんてと感激していました。

 本来はもう少し早くに紅葉するのですが、今年は異常気象で、見ごろが遅くなっていました。今月の幹事・N子さんが、先週下見に来た時はまだ緑の葉が残っていたけど、今週はきっと最高ですよと言っていましたが、本当にその通り。京都の紅葉に負けぬ見事な紅葉でした。おまけに石蕗や杜鵑の花などもしっかりと咲き残っていて、それはそれは美しい!目を奪われるような〝錦織りなす〟というのはまさにこの紅葉のことかも。

 ではしばしこれらの写真で目の保養をして下さいね。少々ボケ写真もありますが、ご容赦を…

 この寺の近くに千体仏の地蔵堂があるというので、次はそれを見学に。見てビックリ!何と小さな仏様がびっしりと…後からパンフレットを見ると、10センチほどの木彫の地蔵が千体並んでいるのだと。かつては彩色されていたというのが微かに見えて、中世の頃の俤を残しています。

 この鋳銭司というのは、飛鳥・奈良・平安時代に、国家の銭貨を造っていた役所で、ここ周防には平安時代の天長2年(825)から約200年間鋳銭司が置かれ、銭貨を鋳造していました。この遺跡から鋳銭に使用した道具などが多く出土し、工場跡もはっきりわかるので、国指定の史跡となっています。それらは鋳銭司郷土館へ行けば見られますが、今日は時間がなく見学はせず、大村益次郎の墓所と大村神社を見るだけにしました。

 明治維新の功労者の一人、大村益次郎は、文政8年(1825)にこの鋳銭司の地に生れ、洋学・医学を学び、兵学をもって長州藩に仕えました。四境戦争や戊辰の戦いには参謀として参加し、明治新政府樹立のために尽しましたが、明治2年(1869)9月、京都で旧思想の武士達に斬られて重傷を負い、それがもとで11月5日に死去しました。益次郎の横には、妻のお琴さんのお墓が同じように並んでありました。

 嘗てはこの墓の裏に大村神社が建っていたとか。回りには黄葉した大きな木が何本もあって、アメリカ楓かと思ったのですが、グーグルレンズで調べてみると、〝ユリノキ〟だと。こんなにたくさんあるのなら、今度花の咲く頃にもう一度来て、本当か確かめてみたいもの。

 この林の中の大本に、〝ムササビ〟の穴?のような洞のある幹があり、皆に教えるとこれが格好の句材になりましたよ。もし違っていても、そう思って見れば…(笑)句は詠めますからね。

 最後に行った大村神社は、大村益次郎が祭神で、最初明治5年(1872)にお墓の傍に建てられましたが、昭和21年(1946)にこちらに移ったようです。

 この後昼食を済ませて、鋳銭司地域交流センターの部屋をお借りし、句会。無事に17時までに終って、宇部まで帰りました。ちなみにこの辺りは大村益次郎の生家があったところで、そのため鋳銭司地域交流センターの前庭には大村益次郎の銅像が建っています。帰り際に撮ろうとしたのですが暗すぎてダメでしたので、この写真はお借りしました。スミマセン!

 地球儀の傍らに立ち、手には「蘭語通 ABCD」と言うタイトルの本を持って蘭学の講義をする益次郎さんの像です。これを見て、これは等身大なのかしら? だとすると五頭身?などと、みんなでワイワイガヤガヤと…はい、これでオシマイ!どなた様もお疲れ様でした。

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昨日は月例吟行会…アレッ、先月の吟行会の報告は?

2024年12月07日 | 俳句

 今朝起きて…〝中山美穂さん急逝!〟のニュースを見てビックリ。エエッ、そんな年齢だったっけ?まだ若かったはずじゃと思って見るとやはり54歳、…これは若すぎますよね。そんなに病気だったという情報も流れていなかったから、まさか…と、韓国でよく芸能人が自殺するという話と一瞬重なったんですが、そんな様子は全くなく浴槽で倒れていて発見されたんだとか。

 前の夜も遅くまで仕事の打ち合わせをしていたというから、その後好きなお酒でも飲んで夜中か早朝かに入浴したのでしょう。すぐに3年前に亡くなった義弟のことが浮かびました。あの時も義弟はお酒を飲んだ後で気持ちよさそうに入浴していたんです。しかし、検死の結果水は飲んでいなかったということで入浴中の心臓マヒだろうということになりました。でも美穂さんは溺死だという情報が流れているということは…かなり酔っていてついウトウトと風呂の中で眠ってしまったのではと…そういうことも考えられるかも。また心臓が悪くなくても心筋梗塞はありえます。義弟だってそれまで一度も心臓が悪いと医者に言われたことはなかったんですものね。

 ありきたりですけど、私にはただ美穂さんのご冥福をお祈りすることしかできません。安らかにお眠り下さい。   合掌

 とにかくこのところ、エエッと驚かされるニュースが多すぎます。その度に私の心臓がドキドキして…心臓の悪い私の身体にはよくないですよ。このところ血圧も高めだし、何をするのもシンドイんですもの。ああ、気持が暗くなります。何か気持が上向くような出来事やニュースはないのかしら…

 ところで、この前からブログを頑張って書きますから読んで下さいねなんて言っておいて、10月は2回、11月は3回のUpでした。ナントも不甲斐ない!申し訳ありません。では、今日は、昨日行った月例吟行会の美しい写真がたくさんありますので、それでもUpして、せめて気分だけでも明るくしましょうか。しかし、考えたら先月の報告もまだしないままでしたよね。ゴメンナサイ!では、先ずそれを簡単に仕上げて…。

 11月1日の金曜日、山陽小野田市の本山岬~きららビーチ焼野海岸・竜王山へ。このところめったになかった小雨の中での吟行会だったんですよ。

 本山岬公園は、周防灘に突き出るように海に面して、自然の作りだした奇岩、特に〝くぐり岩〟が有名です。この日は満潮でその岩へは行けませんでしたが、代わりに大陸へ帰る秋燕でしょう、次から次と岬の上空に集結してきて、空を旋回する姿が見られましたからよかったです。

 浜辺には今年の暑さで、〝ハマゴウ〟や〝ハマエンドウ〟などの夏の花がまだ少し咲き残っていました。もうすぐ立冬だというのに…。

 また、岬にある神社の境内の藤袴にはアサギマダラが何頭か来ていて、初めて見たという人はとても感激していました。写真を撮ろうとすると、じっとしていなくてなかなかいいのが撮れなかったのですが、この一枚はまあまあかしら。

 次に行った〝きららビーチ〟は、「日本の夕日百選」にも認定されていて、お天気がいいと瀬戸内海に沈む美しい夕日が眺められるところ。この日は周防灘も雨で煙っていて、ビーチの尖端にある日時計も全く役に立たずに辛そう…。でもたまにはこんな海岸を歩いて、一句詠むのも一興かなと思いますけどね。

 その後、竜王山の登り口にアサギマダラの好きなヒヨドリバナの群生地があるというのでそこへ…でもここまで来ると急に雨脚が強くなり、残念ながら全く発見できませんでした。その代りノラ猫ちゃんが雨宿りをしていて、それが結構いい句材になってくれました。最後の花はヨメナかな?俳句では普通野菊と詠んだりしてますけどね。

 さて、〝簡単に…〟などと言いながら、ここまで書いたらまた長くなってしまいました。スミマセン!写真などまだまだあるんですが、一応ここで終りにして…。昨日の吟行会の報告は明日に廻します。今度は絶対書きますので、よろしく。

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義母の一周忌でした!

2024年10月23日 | 俳句

 またまた、ご無沙汰しました。皆さまお久しぶりです。私はコロナからはすっかり復活したんですけどね、今度は頑張ってさあブログを書こうと思ったら間が空きすぎて何を書いていいやら…困ってしまいました。

 そこで、先日の20日の日曜日に行った、広島のお寺での義母の一周忌のことを書こうかと…。

 早いものですね。去年の今頃はまだお婆ちゃんは元気でリハビリに励んでいましたのに…10月29日の夜あっと言う間に旅立ってしまいました。まさに一瞬の出来事で、その日はまだ私も自宅に帰らずにいましたし、お婆ちゃんの傍には主人も居ましたから…今思えばきっと淋しくはなかったのではと思って、自分の心を慰めました。

 昔から私は生徒たちに、人の一生というものは差し引き〝0(ぜろ)〟なのよと、話していました。長い人生の間には誰にでも良いことや悪いことがいろいろとあるでしょう。ても、そのプラス(良いこと)とマイナス(悪いこと)を全部計算すると、最後には0になって終るのだということなんです。だから良い思いばかりをしてきた人は晩年にそのツケ(プラス分)をマイナスで払っていかないと天国へは行けないのではと思っています。その反対も然りかと。

 そう考えると、私は少々の苦労や病気などの苦しみはいくらでも耐えられました。なぜだか私は小さい頃からこの苦しみは報われるときが必ず来ると信じていましたもの。私の母も若い時は苦しいことの方が多かったような…でも晩年は倖せで、毎日が〝天国!天国!〟と言って、99歳で亡くなりました。義母も若い時には大変な苦労をしてきたんだと、いつも聞かされていましたが…やはり晩年は倖せで、102歳の天寿を全うしましたものね。

 できれば私も母たちのようにありたいといつも願っているのですが、まだまだ人間としての修養が足りないようです。愚痴など言わず何事にも感謝して生きられるように、もっともっと努力しないといけませんね。

 先日俳句教室を辞めるという方にその理由を聞くと、〝そろそろ自分でも痴呆の出始めているのが分るので、これ以上悪くなる前に辞めたい。皆さんにご迷惑を掛けたくないから〟と。それで〝みんな迷惑だなんてちっとも思っていないわよ。むしろ来られるのを楽しみにしているくらいですよ〟と説得したのです。すると、〝実は、今まで積み上げてきた自分にはプライドを持っています。だから、それを壊したくない。皆さんには醜態を晒したくないのです。今が自分にけじめを付ける潮時だと思うから…〟とも。詳しいことは知りませんが、現役時代はもちろんのこと退職されてからも地域などのお世話をされたりして、活躍して来られた83歳の男性の方なんですよ。確かにそれなりの兆候が時々は出ていましたが、それを十分に自覚されていたようで、でも俳句が好きで迷惑かと思いながらも今日まで参加させていただきました。有り難うございました…と言われると、もう何も返す言葉がありませんでした。

 〝終活〟という言葉が流行するようになって早何年になるでしょう。私も10年前はそんな言葉を聞いても自分には関係ないことと考えもしませんでした。でも、今この歳になると何かにつけて先のことが思いやられます。自分の人生にどうピリオドを打つたらいいものかと…こんなことで思い悩んだりするのもやはり秋だからでしょうか。

 さて、またお婆ちゃんの一周忌の話からつい横道に逸れてしまいましたね。スミマセン!今回は日帰りで、朝8時に宇部を出て広島へは10時半到着。11時から菩提寺・本照寺の本堂をお借りして法要を行いました。

 それが済んで、12時半からはお婆ちゃんの大好きだった広島江波山にある、創業1900年の老舗フレンチレストラン「シェ・ヤマライ」で会食。京都からの義弟夫婦や千葉の甥夫婦など、総勢9名でのささやかな法要でした。でも義母の大好きな人たちばかりなんだから、きっとあの世から嬉しくてニコニコして眺めていたんじゃないのかしら。ねえ、お婆ちゃん!    合掌

 「シェ・ヤマライ」のランチメニュー

  ステーキメインのお得でおすすめのフルコースです。

   ● オードヴルの盛り合わせ

  冬期はオイスターヴァリエ(殻付きカキのオーブン焼き5種) 

  • 季節の野菜のクリームスープ(この日は薩摩芋でした)

  • シェフの気まぐれの本日のお魚料理

  • お口直しにフルーツシャーベット

  • 国産牛フィレ肉のステーキ

  • 小さなサラダ(写真なし)
  • お楽しみデザート

  • コーヒー又は紅茶(写真なし)

 この度はみんなそれぞれ忙しいということで、15時にレストランを出て解散しました。ここには嘗て1934(昭和9)年に建築された広島県立広島測候所があります。現在は広島市江波山気象館といって、気象と科学をテーマとした博物館で、気象観測や天気予報の様子を見学や豪雨・暴風疑似体験ができる、子ども達にも親しまれている施設だそうです。またこれは被爆建物で、広島市指定重要有形文化財にもなっていますし、柳田邦男の小説「空白の天気図」の舞台にもなったところなんだそうです。その傍に大きな銀杏の木が2本あました。その1本にはびっしりとぎんなんが…こんなに生っているのを初めて見ました。今年は異常に暑かったので我家の柿などは全滅なんですけどね。暇があれば拾って帰りたいんだけど…なんせあの匂いがね、車の中に籠ったら大変ですもの。諦めました。ザンネン!

 それからすぐに帰途に着き、18時前には無事宇部に戻りました。行きも帰りも運転してくれた息子が一番疲れたでしょうに…でも若いから元気。私は何もしなかったのに疲れました。やっぱり歳なんですね。悔しいけど。では、また…

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今月の吟行会は…ちょっといいところへ!

2024年10月06日 | 俳句

 あら今日はもう10月6日ですね。またまた前回から12日ぶりの更新で、ゴメンナサイ!でも今朝はちょっと曇ってはいましたが、秋風が爽やかで、あの暑さが嘘のようでしたよ。彼岸過ぎから秋の兆しが感じられるようになり、私の気分もやっと上向き。何をしてもイヤイヤというのでは成果も上がりませんものね。そろそろ気分を入れ替えて…またガンバロウっと!

 ということで、4日の第1金曜日に月例の吟行会を実施しました。今回は、山陽小野田市の厚狭地区にある山口ワイナリーの見学~寝太郎堰・沓古墳というコースです。

 実は今回の当番幹事Y子さんに、当日は大雨の予報ですが本当に来られますかという確認の電話がワイナリーから入ったと。それで、吟行会を延期しましょうかという打診を私にして来たのです。調べてみると、確かに台風の影響で前日から当日にかけては雨、それも西日本では大雨が降るかもと。しかし、私の天気アプリで見る限りは、前日は一日中雨だが、次の日は午前中が雨でも大したことがなさそうでした。ということで、俳句は雨でも決行(結構!)というのが私の信条ですからそのままと決定しました。

 さて、そういう訳で決行した当日の天気は…雲は少しありましたが、暑くもなくなんともいい気候ではありませんか。みんなから〝さすがは先生!〟と認識を新たにしましたと。自分ではそんなこと全く思ってもいなかったんですけど…やっぱりねと、ちょっと鼻が高くなりました。(笑)

 ワイナリーは厚狭の町からちょっと入った山手の方でしたから、途中の道々には彼岸花が今を盛りと咲いています。こちらではどこもかしこも例年に比べると約二週間遅れですね。

 見学を予約した10時に着くと、案内の人が待って居てくれました。実はこのワイナリーの営業日が土日と祝日のみ。その他での見学は事前に予約して下さいということ。それで、予約していても来られないことがあると職員の無駄足になるからということで、来られるかどうかの確認の連絡をするのだとか。そうとは知らず…でも、悪天候でも見学に来るというのは物好きな俳人ぐらいのものかもね。(笑)しかし、葡萄畑はこの雨の天気予報でその前に全てを収穫し終えたんだそうです。それは残念!

 知らなかったのですが、よいワインを作る葡萄には雨が一番禁物だとか。そのためここでは〝レインカット〟栽培法で育てているので、あのように全部ビニールが掛けてあるのですよとも。

 ところで、ここは永山酒造の創業者の嘗ての別荘だったとか。見事な自然美の景観を取り入れたところで、紅葉の頃はもっと美しくなっていることでしょう。案内された葡萄畑へ上っていく道の溝に蛇を見つけて…これは〝穴惑〟ならぬ〝溝惑〟やねなどと言いながら…途中には山栗も落ちていましたし、曼珠沙華や継子の尻ぬぐいオオオオオナモミのくっつき虫(実)や草の絮もこんなにたくさん…などなど、ここはまさに季語の宝庫でした。

 醸造場も見学させていただきました。中に入ると、途端に葡萄を搾っている香に酔いそう!その後ショップの方に行くと…勿論みんなお土産にワインを買って帰りましたよ。我家はYMGーWine「SOREINE」…これ山口弁の〝それいね〟(そうなのよという意味)からの命名なんですって。アハッ知りませんでした。そういえば、〝道の駅ソレーネ周南〟もそうだとか。

 家に帰り早速呑んでみると、とってもフルーティーで美味しかったですよ。

 さて次は、「寝太郎堰」。厚狭の里に伝えられている「寝太郎物語」によると、庄屋の息子のものぐさ太郎が三年三月寝て暮した後に草鞋を持って千石舟で佐渡島へ行き、その新しい草鞋と使い古された草鞋を交換して持って帰り、それで大もうけをしたんだと。そして、そのお金で厚狭川を堰き止め用水路を作って、湿地帯だった千町ヶ原を瑞々しい水田に変えたという伝説です。それをもとにした寝太郎祭が毎年4月29日に行われ、千石舟に乗った木像が厚狭駅前を練り歩くのだとか。ここ厚狭にはあちらこちら寝太郎にまつわるものがあって、この堰もその代表的なものの一つなんです。

 また、その堰近くの「沓(くつ)古墳」へも行きました。これは古墳時代後期の小さな古墳で横穴式石室があります。説明によると、厚狭川流域の沓の地一帯を治めていた村長(むらおさ)の墓で、彼の左の手には黄金色に輝く珍しい銅の腕輪がはめられていて、40本の弓矢と鉄の刀が収められていたそうです。

 その後、昼食まで少し時間がありましたので、傍にある厚狭の鎮守社「鴨神社」を見学。ここは嘗て私が勤めていた時の先輩の先生の家で、その「目(さっか)」という姓が官位の一つで由緒ある神職の位からきているのだということを初めて知ったところなんです。懐かしい!でも、悲しいけどその先生ももう神さまになってしまわれましたけどね。

 それから昼食、その後句会場へ移動して句会。3時間みっちりと俳句の勉強をしました。ここまで読んで下さった皆さまも大変お疲れ様でした。ありがとうございます。オシマイ!

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第28回俳人協会山口県支部の俳句大会でした!

2024年09月24日 | 俳句

 先日の大雨以後急に涼しい風が吹くようになって、今日の最高気温は28度。日中はまだまだ暑いのですが、30度を切る日が多くなりましたね。空を見上げるとまさしく秋の雲です。今朝はラジオ体操から帰る途中にやっと赤い彼岸花を見つけました。白や黄色は彼岸前から我家にも咲いていましたが、赤いのがどこにも見当らなかったんですよ。でもやはり例年よりは1週間ぐらい遅いような…。今までにない今年の酷暑といつまでも続いた残暑でいろんなものの歯車が狂ってしまったんではないでしょうか。

 

 ところで、一昨日の22日に「第28回俳人協会山口県支部俳句大会」が防府市で開催されましたので、今日はその報告をしましょう。

 私が宇部・山陽小野田地区の受付を担当していますので、9時までには着くように仲間たちと会場へ行きました。でも何だかいつもと違って様子がヘン!いやにガラ~ンとしているんです。一応準備のためにそれぞれの地区の役員はみんな来ているようですが、例年に比べると人数が少ない…よく見ると役員ばかりでお手伝いをしてくれるはずの一般の人たちが誰もいないんですよね。

 どうしたのかと聞いてみると、前日からの大雨のため早朝から山陽本線が上下線ともにストップしているんだとか。それで汽車で来る人たちが駅に待たされて動きがとれなくなっているんだそうです。私たちは車で来たのでそんなこととはつゆ知らず、ビックリ!です。復旧もいつ頃になるのかまだ見通しが立っていないようすで…でも、これって二次災害を出さないためにはどうしようもないことでしょうしね。それよりもこの度の大雨の被害では、またまた能登半島が大きくて、あの正月の地震からまだ完全に復旧していないというのにお気の毒で…何とお見舞い申し上げていいのか言葉が見つかりません。どうかもうこれ以上…能登に限らずどこであっても大きな天災が起こりませんようにと、私は祈ることしかできません。しかし、この異常気象はどこまで進むのでしょうか。あれこれ考えると怖ろしくなってしまいます。

 さてこの俳句大会は、防府駅の傍の「ルルサス防府」で、定刻の13時から開始されました。講演は、俳誌「若竹」主宰・加古宗谷先生の「俳人 村上鬼城」でした。先生は〝実は山口県に是非来たかったんですよ〟という話から始められ、その理由が山頭火が好きでその故里だからだと。それで講演の半分はその山頭火とそれを調べて書物に著わされた村上護氏のことでした。時間が少なくなってきて慌ててテーマの「境涯俳句の系譜 鬼城と木歩」についての話題になりましたが、これも話があちらこちらに飛んでやはり1時間では足りなかったようです。先生はもっともっと話されたかったんだろうなと思ったのですが…また、私たちも興味深い話が多くてもっといろいろ聞きたかったんですが、後の予定が詰っていましたので…残念至極!

 その講演が終った後、応募句と席題句の表彰、続いて事務局長・支部長・加古宗也先生のそれぞれの選評があって、予定通り15時半に無事閉会でした。皆さま大変お疲れ様でした。

 ちなみに今年度の受賞作は、以下の3句と優秀賞7句、秀逸賞13句でした。また、当日の席題は「法師蟬」で、加古宗也先生の特選3句と優秀賞10句が表彰されました。

  山口県知事賞 水鉄砲の水に撃たれてより元気  光市 竹本チヱ子

  朝日新聞社賞 離任式待つ間あかるし花ミモザ  山口市 杉山久子

  俳協県支部長賞 堰板に水豊かなる芒種かな   四万十市 中平キリン

 席題の部・加古宗也先生の特選3句は以下です。

  子らは皆遠くに在りてつくつくし     熊本 綵乃

  法師蟬朱文字のままの墓仕舞ひ      木村たけま

  木洩れ日は山のオアシス法師蟬      阿部 明美   

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やっと月例の吟行会を開催しました!

2024年09月13日 | 俳句

 今日はもう9月13日ですが、今年の「二百二十日」は10日でした。早稲(わせ)の花が咲く頃の「二百十日」と同じように、中稲(なかて)の開花時期に当るからなんです。晩稲(おくて)の花の頃は「二百三十日」と。どれも大風が吹きやすい日なので、どの日であっても農家の人たちは「厄日(やくび)」として恐れ警戒したのです。

  八方に二百二十日の湖(うみ)荒るる  稲荷島人

  降り出して厄日の雨の荒れやうに    稲畑汀子

 そういえば、毎朝行くラジオ体操でのこと。主人はまだ肋骨の痛みがとれないので、いつも私一人で行ってます。それがこの10日に狭い裏道を歩いていて…あっ、ああっ…と、自分でもビックリするぐらい大げさに転んでしまいました。転ぶ瞬間、これはヤバイ!と必死で踏ん張ったのですが、体を支えきれず地面へどどどどっとスライディング(笑)…ちょっと坂になっていましたので。でも、胸を打ったら私も肋骨が…と思って手足でがむしゃらに止めました。それで今日が三日目ですのでとても痛いんですが、骨には異常がなさそう…安心しました。いくら〝気を付ける〟と頭では思っていても、一瞬の油断に体は言うことを聞いてはくれませんから、危ない、危ない…。 まあ、これも一種の厄日だったからと考えて、我家の厄災がこれで逃げてくれると有り難いんですけどね。

 さて、今日は9月6日の金曜日のことを書きましょう。先月コロナのため中止していた月例吟行会を実施したんです。もう9月だから先月よりは少しマシだろうと思ったら、何のことはありません。相変わらずの猛暑で、最高気温は35度。でもそんなことは言っておられませんから、いざ決行です。

 今回の吟行地は、山陽小野田市の洞玄寺と松嶽山(まつたけさん)の正法寺。

 洞玄寺は、毛利元就の五男元秋を祖とする厚狭毛利家の墓所があり、山陽小野田市の文化財に指定されています。厚狭毛利家の菩提寺として二代元康以降のお墓があり、三代元宣が元康の法号から洞玄寺と命名しました。明治2年、洞玄寺の住職が奇兵隊の脱退に加担したことで廃寺となりましたが、正福寺と一度名前を変えた後、昭和44年に洞玄寺に戻りました。昭和46年に納骨堂を建設する際、地中から西暦600年前後の須恵器が数多く出土したそうです。

 境内に入って山門のすぐ傍に、歌人・今川了俊(貞世)の詠んだ〈雨にきる 我身の代に かへななむ ころもをるてふ あさの里人〉という歌碑がありました。室町幕府から九州探題として太宰府に派遣される道中の旅行記の「道ゆきぶり」に、〈建徳2年(1371)10月8日、当寺に一泊して〉詠んだと記載されていて、厚狭の地名を詠込んだ最古の歌ということです。

 やはり厚狭毛利家の菩提寺らしく至るところに、その家紋の「一文字に三つ星」や「立ち沢瀉(おもだか)」が残されていました。

 毛利家墓所には、二代元康以降十三代四一に至る歴代当主及び一門43基の墓碑が建立されています。この暑さのなかでもここは、やはり森閑として山からの気がひんやりと感じられましたね。あら、二枚目の写真がボケいます。ゴメンナサイ!

 次は、洞玄寺からくねくねとした狭い山道へ入って、それを奥へ奥へと…エエッ、こんな所に寺なんかがあるの?というような何もない道を約5㎞ほど走る。するとやっとそれらしき入口と看板があり、ホッとしました。

 そこからもう少し上に駐車場があるというので、そこへ着いて今度は歩いて行くと…大きな犬の声が…ナント吠えること、吠えること。そりゃ見たこともない怪しげな男女が7人もゾロゾロとやって来るんですものね。境内に上がっても吠えるの止めなかったんですが、見れば吠えながら尻尾を振ってました。ということは歓迎してくれてたんですね。分からないものだからみんな怖れて避けていたんですけど、そろそろと近づいて撫でてあげると喜んで…。

 余りにも声が大きいし威勢がいいので、てっきり雄と思ったら…名前は〝花ちゃん〟ですって!では記念写真を…はい、ポーズ!あら、どうしたの?あまりにも吠えたから照れてるのかしら。(笑)

 この正法寺は、山頂からは九州の山々、眼下には関門橋が望見できて、ハイキングやキャンプに好適といわれる松嶽山(標高324m)の8合目にあります。藤原氏全盛期の建立で、灯籠、丁塚、お大師様を配した狭い道を進んだ先にあるお寺です。今から約1000年前に花山法皇により開創されたと。その花山法皇が自ら彫ったとされる十一面観音が本殿に祀られているそうです。境内には願掛け不動明王や交通安全の菩薩、水子地蔵の石像があり、ほかに南北朝時代、厚東氏17代の武貞が九州の菊池氏を討つために戦勝祈願をした際に寄進したと伝えられる鐘楼があって、山口県の重要文化財に指定されています。

 写真は、願掛け不動明王。下のは〝ボタンヅル〟の花…だと思うのですが?

 とにかく暑いながらも今月の吟行会を無事に終えて、昼食後いつもの会場へ戻り17時までみっちり勉強しました。では、これでオシマイ!皆さまお疲れ様でした。私も久し振りでとても疲れましたが、楽しかったです。やっぱり俳句は吟行しなくっちゃね…部屋の中ばかりでは類想句の山ですもの。

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露の世は露の世ながらさりながら…

2024年09月09日 | 俳句

 今日は9月9日。陰暦では五節句の一つ「重陽」といって、陽の数である九が重なることから目出度いとして祝われます。別に「菊の節句」ともいって、菊を酒に浮かべて飲む慣わしやこの日に小高い丘や山に登るという「登高」。これらは天災や厄を避けて長寿をもたらすための中国の古い習俗で、それが日本でも中世以降に広まったものです。だから九を重ねるという意味では確かに陽暦でも縁起はいいでしょうが、「登高」や「菊酒」というにはちょっと早すぎるし暑すぎるような気がしますね。やはり、これらは旧暦の九月九日(今年は10月11日)に相応しい行事ではないでしょうか。

  重陽や海の青きを見に登る     野村喜舟 

  菊の酒醒めて高きに登りけり    高桑闌更

 さて、先日の9月7日も二十四節気の一つ「白露(はくろ)」といって、露が凝って白くなるという旧暦八月の節なんですよ。

  白露の日召されし父の形見かな   稲畑廣太郎

 この白露も年によっては8日になったりしますが、とにかくその日に〈召されし父〉の形見を見て感慨に耽っている作者でしょう。アッ、もしかして亡くなった日が白露だったのかも。ちなみにその父とは、高浜虚子の孫・稲畑汀子さんの夫、稲畑順三さんなんですよ。一体どんな形見だったんでしょうかね。

 ところで、そもそも「露」というのは、夕方から夜分、さらに明け方に気温の低下に伴って大気中の水分が結露したもので、秋の代表的な季語です。また、露は日差しとともにはかなく消えることから古来「露の命」などといって、生命の儚さにたとえられてきました。

 その「露」を詠んだのに〈露の世は露の世ながらさりながら〉という小林一茶の有名な句がありますが、これは最愛の幼い娘を亡くして、いき場のない悲しみを一茶が詠んだもの。その気持が何度読んでもひしひしと伝わってきます。以前義母が亡くなったときにも書いたような…。

 それをまた書いているということは…そうなんです。実は「白露」前日の6日、甥の葬儀に実家へ行って来たからなんです。甥は私の長兄の長男、2年ほど前から闘病生活をしていました。病状がよくないということを聞いて、私たちがコロナに罹る前の7月15日に見舞いに行ったばかりなんです。それから2ヶ月にもならないというのに…享年57歳でした。余りにも若すぎますよね。でも兄も退職寸前の59歳、義姉もコロナ禍の始る直前に亡くなりました。母と一緒に本家を守ると言っていた兄が余りにも早く逝き、その後は義姉が何かと母の世話をして実家を守ってくれていました。それが母が亡くなると、その後3年足らずで。そして、その後を継ぐといった甥もとうとう…他の兄弟やその子どもたちはみんな元気だというのに。どうして本家だけがと…私にはもう里帰りする家がなくなったようでとっても淋しいです。

 よく悪いことは重なると聞きますが、まさに今年の我家は厄年なんでしょうか。コロナの後遺症で散々ヒドイ目にあったというのに、今度は主人が何かを取ろうとして椅子から落ち、診て貰うと肋骨にひびが入っていました。そのため大分まで初めての鉄道の旅です。厚狭駅までは車、そこから小倉駅まで新幹線、それから特急ソニック号で大分まで。駅には弟が迎えに来てくれていましたので、その車で葬儀場へ。

 その日は絶対車で来た方が楽だったとブツブツ言っていた主人も…帰ってから日に日に痛くなるらしくて、今は家でおとなしくしています。年を取ると転んだりしてもすぐには痛くなくて、大したこと無いと安心していると、その後がなかなかよくならないんですよ。特に高齢者は骨折などがダメ!考えると、まだまだ何かが起こりそうでコワイんですが、十分に気を付けますね。

 というわけで、写真の花は甥の葬儀で貰ったもの。どんなに美しい花に飾られてもイヤですよね。生きている方がいい!でも…お父さんとお母さんに…ああ、お婆ちゃんにも会って、安らかに成仏して下さいね。 合掌

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早くも9月、ぼちぼちガンバラなくっちゃ!

2024年09月02日 | 俳句

 コロナの感染と後遺症で8月がとうとう終わってしまいました。コロナに罹る7月末までは、自分で言うのもおこがましいぐらいとても元気だったんですよ。それなのにこの1ヶ月でぐ~んと歳を取ってしまった感じ。イヤですね!

 でも今日から9月、もういい加減に気を入れて頑張らなくっちゃと思っているところに、こんなメールが入っていました。

 9月1日は「防災の日」です。
 この機会に、災害に備える大切さを改めて考えてみませんか。
 日頃から防災や災害発生時に備えて活動している団体をご紹介します。
 あなたの寄付が、防災・減災支援の活動を支え、未来の災害から多くの命を守る力となります。
 皆さまのあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

 ああ、そういえば今日9月1日は、俳句でも「防災の日」や「震災忌」「震災記念日」として季語になっています。大正12年(1923年)のこの日、相模灘一帯を震源とする大地震が関東地方南部を襲い、各地に甚大な被害をもたらし、死傷者はナント20万人にものぼったんだとか。

  十二時に十二時打ちぬ震災忌    遠藤悟逸

 マグニチュード7.9と推定されるこの大地震は、この日の11時58分に発生。ちょうど昼食時だったため、家屋の倒壊と出火で大火災が生じ、また各地に津波も生じたという。その被災者は、東京府を中心に神奈川、千葉、埼玉、茨城、静岡、山梨と、1府6県に及び、その人口の29%にあたる約340万人であったんだとも。これがどんなに悲惨であったかということは、実際には知り得なくても、平成23年(2011年)の東日本大震災のことを思い出せば想像に難くはないでしょう。

 掲載句のように、時計が12時に12時を打つという何の変哲も無いことがどんなに有り難いことなのか。言われてみれば誰でもが分かること。なのにその平々凡々とした日々が続くと、人はそのよさを忘れて、何か変化を求めようしたがります。やっぱり人間って懲りない生き物なんですよね。だから昔から〝歴史は繰り返す〟と言うんでしょうけど。

 まあ、とにかくこの日本に、いや日本だけじゃなく世界に何か災害が起こる度に、私は何らかの支援をしてきました。それで今回もささやかながら寄付をさせていただきました。一種の自己満足ですけども…でも気分はいい!

 また、ブログを見ると「今日のひとこと テーマ:9月の目標は?」とありましたので、「コロナからの完全復活!」と書きました。これには〝一度投稿すると編集はできません〟と書いてありますから、もう取消したり書直したりはできないということ。これで私の心の準備は万事整いましたので、後は体を鍛えるばかりです。

 よ~し、これで打倒コロナだ。ガンバルゾ!でも、ボチボチですよ…無理はしませんから。というわけで、これからも応援よろしくお願いします。

 写真は、7月の「きらら俳句教室」の吟行で撮らせてもらった〝蝶蜻蛉(ちょうとんぼ)〟の翅です。きっと何かの鳥に狙われて食べられ、翅だけが残ったのでしょう。でも、この写真を撮らせてくれた人が、家に戻って次の日に写真を撮ろうとすると、この光沢はもうなくなっていて、真っ黒にしか映らなかったそうなんです。ということは、この蜻蛉は食われて間がなく、この時は翅の細胞がまだ生きていたということでしょうか。不思議ですね。飛んでいる写真は撮れませんので、お借りしました。スミマセン!

チョウトンボ - Wikipedia

 蝶蜻蛉とは、梅雨明け直後の風のない日にヒラヒラと、まるで蝶のように飛ぶので、知らない人はみんな蝶だと思ったりします。分布は本州~九州ですが、近年では本州の北端でも見られるようになったとか。遠目に黒く見える翅は、表面が紫色に輝き虹色の幻光を放って、真夏の太陽によく似合う。だからこれを見た人は、珍しいのでみんな句に詠みたがります。でも、まだ季語としては認められていませんので、どう詠むかが問題でしょうね。 

コメント (2)
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