あけましておめでとうございます
手を変え、品を変えてくるCOVID-19
長期に構える必要があるようですが
それとは別に各自で明るい材料を持ち
心の栄養補給も怠らない様にしたいものです
本年もよろしくお願いします
さて
川が好きです
水遊び、釣り、散歩、なによりもそこに広がる空間が魅力です
田舎でも都市でもその風合いは違うものの
惹かれるものがある、と思います
川とは何か
河川とは、地表面に落下した雨や雪などの天水が集まり
海や湖などに注ぐ流れの筋(水路)などと
その流水とを含めた総称である
日本の河川工学の第一人者大熊 孝 新潟大学名誉教授、曰く
この定義は
「河川工学」といわれる教科書のほとんどに書かれているそうです
今回のお題は
「川から『いただきます』を考える」であります
見方を変えるヒントとして
参考図書)
「洪水と水害をとらえなおす」
~自然観の転換と川との共生~
大熊 孝著 農山漁村文化協会 (2020/5/29)
◆ ◆ ◆ ◆
冒頭の川の定義
水循環は意識されているが
そこに住む生物や人間にはふれていない
一側面を表現しているにすぎない
この定義のもとでは
生物が住めなくなるような川のコンクリート化や
ダムの建設に、良心の呵責は感じないですむ
大熊教授は、1990年頃から
次のような定義で学生に教えている
川とは、山と海とを双方向に繋ぐ
地球における物質循環の重要な担い手であるとともに
人間にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾のなかに
ゆっくりと時間をかけて
人の「からだ」と「こころ」をつくり、地域文化を育んできた存在
自然観とは
人々が地域の自然との関係のなかで
主たる生業によってさまざまな自然観が形成され
それが重層的に重なり合うものである
その日本人の伝統的な自然観の背景には
山川草木悉皆成仏
(さんせんそうもくしつかいじようぶつ)
あるいは
山川草木悉有仏性
(さんせんそうもくしつうぶつしょう)
という言葉で表わされる共通認識がある
山川草木悉皆成仏
動植物や人間のみならず土や石、水などの
無機物も含め自然界のあらゆるものが平等に仏になりうる
そして
山川草本悉有仏性
あらゆるものが平等に仏の心をもっている
という腑に落ちる考え方
石までが仏になるとは、現代人には理解しがたいかもしれない
この考え方は
天台宗の最澄が唱えた「草木国土悉皆成仏」などを経て
鎌倉時代初期の親鸞や道元などの
新しい仏教の布教とともに明確になったといわれている
「山川草木悉皆成仏」
「山川草木悉有仏性」は
縄文時代から自然のあらゆるものに神が宿る
と考えてきたアニミズムと仏教が融合したもの
日本人にとってなじみの深い考え方、腑に落ちる
哲学者の梅原猛は吉本隆明との対談のなかで
「「山川草木悉皆成仏』という考え方が
日本仏教の主流の考え方になったのは
アイヌの思想にはっきり残存しているように
一切の生きとし生けるもの、動物も植物も
すべて人間と同じ魂を持っていて
この世にそれぞれの仮装をつけて現れるにすぎない
という考え方が、その根底にあったからだと思います」
(梅原猛・吉本隆明「対話 日本の原像」中公文庫1989年
と語り
この考え方が縄文時代由来のものであると述べている
※EHAGAKI #370 ≪百代の過客≫2019年05月17日
にて梅原猛 著「森の思想が人類を救う」を取り上げています
すべてが関係しあって存在している
あらゆるものがすべて平等である
これが、この思想の本質
そのなかで
人間だけが「我」があり、「欲」がある
自然の関係性から外れ、他の命をむやみに収奪する
「うしろめたい存在」であるという考え方である
そして
「うしろめたさ」を少しでも自覚して生きていくことが肝要
その一つの表われとして食事をする時はいただく命に感謝して
「いただきます」
という習慣をもつようになったといわれている
※「洪水と水害をとらえなおす」についてはいずれ、また
◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
自然を壊して生きる
それは「うしろめたい」こと
そんな自然観は明治以降の150年間でほぼ消滅したようです
まだの残っている「いただきます」
大切に使い続けていきたいものです
そして持続可能な社会を
1歳になったばかりの孫君の寝顔を見て愚考する次第です
さてさて、重ねて申し上げます
皆様におかれましても
心の栄養補給も怠らない様、くれぐれもご自愛下さい
ではまた