今回のお題は「あの伝統は何年前から?」であります
伝統に合う、伝統に合わない、よく議論になります
ではその「伝統」とは?
その定義はなかなか曖昧です
政治家さんの「伝統に合わない」という言葉は
「私の意見と違う」という意味に聞こえます
2018年を基点に“何年前か”を探ってみました
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参考図書:「日本の伝統」の正体 藤井青銅著 柏書房
初日の出を拝むのは、約二百四十年。
重箱のおせちは、約百五十年。
「春の海」は、約九十年。昭和4年作曲。
箱根駅伝は、約百年。
正月の箱根駅伝は、約六十五年。
日本テレビが中継する箱根駅伝は、約三十年。
お中元、お歳暮は、約四百年。
七五三は、約三百四十年。
すべて一般的になって(デパートができて)、約百十五年。
大伴家持が「夏に鰻を食べろ」と言って、約千二百六十年。
醤油もまだ発明されてなくぶつ切りで食べていた。
開いて焼く蒲焼ができて、約三百二十年。
土用の丑の日の鰻が始まって、約二百四十年。
<平賀源内のコピーライト説が有名ですが諸説あり>
鰻丼ができて、約百八十年。
鰻の養殖が始まって、約百四十年。
バレンタイン司祭処刑から、約千七百五十年。
西洋のバレンタインデー(家族、友だちなど)から、約千年。
固形チョコ登場から、約百七十年。
西洋のバレンタインデー(恋人同士。チョコは関係ない)は、約百十年。
日本でチョコと愛の告白になって、約六十年。
盛んになって、約五十年。
義理チョコ誕生から、約四十年。
友チョコ誕生から、約十五年。
日本で白菜の栽培に成功して、約百五年。
日本にジャガイモが伝わって、約四百年。
日本人がおおっぴらに肉を食べ始めて、約百五十年。
「肉じゃがらしき料理」ができて、約百五年。
名前が「肉じゃが」になって、約四十年。
「目玉焼き」は、約百五十年。
「卵かけご飯」は、約百四十五年。
「卵かけご飯」が一般的になって、約六十年。
日本でのキリスト教式結婚式から、約百四十五年。
仏前結婚式から、約百二十五年。
神前結婚式から、約百二十年。
明治六年(1873) 黙認の形でキリスト教の禁止が解かれた
麹町の日本人女性が神田共立学校の外国人教師と結婚したのが、
日本におけるキリスト教式結婚式の最初だと言われている
それから、あちこちでキリスト教式の結婚式が行われた
(教会で神に誓う形式)
それを見て、西洋文明の香りを感じ、神聖だと思っただろう
そして欧米人からの「日本には、結婚の儀式もないのか?」
という視線も感じたに違いない
明治二十五年(1892)、最初の仏前結婚式が行われる
浄土真宗本願寺派の藤井宣正が東京白蓮社会堂で挙式
遅れて、明治三十三年(1900)、当時の皇太子(のちの大正天皇)の婚儀に
際して定めれらた様式が、神前結婚式
翌年、東京日比谷の神宮奉斎会本院(皇大神宮遙拝殿として明治十三年創建、
現在の飯田橋?東京大神宮)が、「模擬結婚式」なるものを開催して、
神前結婚式の様式を定めた
現在、東京大神宮のホームページには「神前結婚式の創始」と誇らしげに
書かれている
仏前、神前いずれも、キリスト教式を参考にして式次第が作られたのか、
内容はよく似ている
神前結婚式の「古式」は二十世紀に入って作られた訳である
ここから、
神社で行う神前結婚式が増えてくる
仏前でなく神前が多いのは、神道と家制度を使って国民を治める、という
明治政府の思惑が大か
告別式が始まって、約百十五年。
告別式が一般的になって約百五年。
天皇や皇族の霊は、平安時代以来、宮中の御黒戸に祀られていた
御黒戸とは、普通の家で言えば仏壇にあたるもので位牌が置かれた
仏式であった
天皇家の菩提寺は、京都にある泉涌寺
皇室の葬儀は代々、泉涌寺の僧侶を中心に仏教で行われてきた
神式に改められたのは、明治元年十二月二十五日の孝明天皇三年祭から
神道による国家運営という明治政府の基本方針はここにも及んだ
「平安神宮」は、約百二十年。
「橿原神宮」は、約百三十年。
「明治神宮」は、約百年。
「白峯神宮」は、約百五十年。
「吉野神宮」は、約百二十五年。
「湊川神社」は、約百四十五年。
「豊国神社」の再興から、約百五十年。
「建勲神社」は、約百五十年。
「東京招魂社」から、約百五十年。
「靖国神社」になって、約百四十年。
「伊勢神宮」は、約二千年。
「伊勢神宮」に天皇がはじめて参拝して、約百五十年。
「神田明神」は、約千二百九十年。
「神田明神」の将門が末社に遷されて、約百四十五年。
「神田明神」の将門が本殿に戻って、約三十五年。
落語の誕生から、約三百二十年。
寄席の誕生から、約二百二十年。
「芝浜、妥七元結」などの誕生から、約百五十年。
「落語」という名になって、約百三十年。
「古典落語」の誕生から、約六十五年。
庶民が「姓」を名乗るようになって、約百四十年。
「夫婦別姓」になって、約百四十年。
「夫婦同姓」に変更されて、約百二十年。
「選択的夫婦別姓」が議論されて、約五十年。
長すぎないか?
しば漬けは、約八百三十年。
すぐき漬けは、約四百二十年。
千枚漬けは、約百五十年。
したがって「京都三大漬物」は、約百五十年。
最初の元号「大化」から、約千三百七十年。
定着した「大宝」から、約千三百十五年。
一世一元号から、約百五十年。
元号の法的根拠ができて、約百三十年。
元号の法的根拠がなくなって、約七十年。
「元号法」で再び法的根拠ができて、約四十年。
西暦は、キリストが生まれたと言われる年から数えている
今では事実上の世界標準紀年法となっているが、西暦が生まれたのは
6世紀
それが一般化するのは10世紀頃と意外に新しい
しかも後に、肝心の起点がキリストの生年とズレていることが判明も、
そのまま使い続ける
もともと宗教由来の紀年法だが、この間違いのおかげで宗教色が
薄まった
そしてもう一つ
17世紀に、「紀元前(BC)」という数え方が発明されたことが大きい
ほとんどの国や宗教の紀年法は、起点以前に遡ることがなかったが、
この発明のおかげで西?は過去へも未来へも、えんえん伸びて行く
ことができるようなった
とびぬけて普遍性ができ、世界標準になる
紀元二千五百三十三年を言い始めてから、約百四十五年。
「紀元節」から、約百四十五年。
「紀元節」廃止から、約七十年。
「建国記念の日」実施から、約五十年。
葵祭は、約千四百五十年。
祇園祭は、約千百五十年。
時代祭は、約百二十年。
したがって、「京都三大祭り」は、約百二十年。
舞鶴の満願寺は、約八百年。
とうがらしの日本伝来から、約四百七十五年。
万願寺とうがらしは、約九十年。
万願寺とうがらしが「京野菜」になって、約三十年。
福沢諭吉が翻訳した「演説」から、約百四十五年。
川上音二郎が歌った「演歌」から約百三十年。
流しの「演歌師」から、約九十年。
五木寛之が再定義した「演歌」から、約五十年。
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ということでした
50歳を超えてから何年も経っているモノからすれば
幼い頃と今、無くなったモノ、新たなモノ
そこから生じるコトの変化
把握しておきたい、と愚考する今日この頃です
ではまた