橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI#379≪サル化する社会≫

2019年09月26日 | EHAGAKI

いよいよ10月より消費税が25%上がります

よく8から10へ2%上がる、と言いますが値上率は25%です

税収を上げる為の増税
その為に軽減税率や膨大な広告費等の対策費?
日本は「健康の為なら死んでもいい」という国なんでしょうか

愚痴になり申し訳ありません

さて
今回のお題は「サル化する社会」であります

参考図書)
「サル化」する人間社会
山極寿一著 集英社インターナショナル

 ◆ ◆ ◆ ◆

人間社会はサル社会になり始めている

家族が崩壊してしまったら、 人間はどう変化していくのか
そうなれば、人間社会はサル社会そっくりに変わる
そしてその変化は、すでに始まっている

◆サル社会の経済的なシステム

絶対的な序列の中は、効率がいい
サルが群れているのは、集まっていたほうが得だから

サルは群れから離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ない

サルは所属する集団に愛着を持たない
サルの社会は、個体の利益を優先する

個体の利益とは
・より栄養価の高いものを食べること
・安全であること

群れの中で序列を作り、ルールに従うことで、個体の利益を最大化する

自分より強いサルの前では決して食べ物に手を出さない

食べ物をめぐるトラ ブルを未然に防ぐため

あらかじめ勝ち負けを決めておき、勝ったほうが食べ物を独占する

敗者は不利益を被るのかではないか

そんなことはない
サルの食べ物はほとんどが植物で、手に入りやすいので
争わないでもどうにかなる

無駄に争うより遠慮したほうが結局得だ、という知恵

これは非常に経済的なシステム
しかし「弱いものは弱いまま、強いものは強いまま」となる


◆平等主義的なゴリラ社会

ゴリラの社会には上下関係や「負け」が無い
喧嘩をしても、負けるものを作らない
誰も負けないで、 問題を解決する

誰も勝たない、 誰も負けない

つまり
誰のことも押しのけない
優劣をつけるのではなく全員が対等であることが、ゴリラの社会のルール

人類が家族を作り、 それを基本の単位として社会を構築してきたのは
人間にもゴリラのような平和主義的・平等主義的な側面が備わっていたから?

◆人間の社会性

1.奉仕
 見返りのない奉仕をすること
 共感能力、家族~共同体

2.互醸性
 お返しをする=共同体のルール~経済活動

3.帰属意識
 自分の所属を確認し証明することにより、相手との差異を認め尊重できる


◆通信革命と序列社会

インターネットによる人間関係は社会にどのよくな影響を与えるか?

人間はどんどん自由になる、同時にますます孤独になる
ネットを通したつながりが、かりそめの安心感を与えてくれる

無条件に自分を守ってくれる家族的なつながりとは全く種類が異なる

ゆるやかにつながることを目的とする集団
=サル的な序列社会となじみやすい


◆いままで

人類は家族を基本の単位として社会を構築
人間にもゴリラのような平和主義的・平等主義的な側面が備わっていた


◆これから

現代の人間はいつしかゴリラ的な価値観をなくし
サル的勝ち好みの社会に突き進んでいる

誰も負けない社会は生きやすい
負けないため、勝者にならないといけない世の中は生きにくい

現代社会は勝者をたたえる社会になった
勝者にならなければいけないかのような意識が世の中に蔓延
そのうえ、 勝者は敗者を押しのけるだけではなく支配する


◆サル型の階層社会

平等からは程遠く、平等よりも勝ち負けが優先する
弱いものは常に身を引いて強いものを優先させる

喧嘩が起きにくい
支配する側からは効率的で経済的 

集団が大きくなりすぎると、収拾がつかなくなる
ちょうどよいサイズで収まる必要がある

適当な規模の人数で集まってある程度の安全性を確保しつつ
上下関係の中で衝突を起こさずに、ラクに暮らす

弱いものは弱いまま、強いものは強いまま

家族が解体した集団本位の社会では、この傾向はいっそう進む

◇人間の本性からすると
サルのような序列社会はふさわしくないのでは?


◆IT化

人間の脳が許容できる集団の最大の人数は150人程度(マジックナンバー)
この程度は、それぞれの顔と性格を覚えていられる

しかしSNSでは多くの友達と繋がる
果たして、それを人間は受け止めることができるのか?


◆人間は、 生身の体を簡単には乗り越えられない

◆「生物学的な体」と「生物学的な心」が常に基盤

その部分はあまり変化していない
人類の脳は言葉を持たない60万年前にはすでに現代人と 同じ容量


◆サルは
笑っているように見える「口を開けて歯茎を出す表情」は
劣位なものが優位なものに対して
「自分はあなたへの敵対心は無く、恐れています」という
気持ちを示している

劣位なサルは、自分が劣位であることをいつも態度で示す


◆ゴリラは

自分の立場が相手よりも下であることを示す表情を
そもそも持っていない

ゴリラは じっと相手の目を見つめる
威嚇されても相手の視線を避けない


◆言葉とは  ~ 次回に

 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

これからの数年
日本にとって大きな転換期になることは間違い無いようです

つづく

ではまた


EHAGAKI #378≪人生を救う食卓≫

2019年09月12日 | EHAGAKI

この度の台風の被害に
大変な思いをしておられる方が多いと存じます
御見舞い申し上げます

毎年、必ずと言っていい程、大きな災害が起こります
大きな災害の度に非常時の準備をし
徐々に忘れる、この繰り返しをしております

私の場合、電気・水道の無い山小屋で毎週末
家族や友人らで遊んでおりましたので
その時の経験で、、、
と自信もあるつもりですが

「3日分の準備」と考えておりましたが
今回の様子を知るにつけ「1週間分」に
考えを変える必要を感じます

「Y2K問題」は覚えておられますでしょうか?

ライフラインが混乱した場合の正月の過ごし方を
1999年10月26日に書いております
復元した文章はコチラ

山小屋で雪により孤立した時の話

 

さて、今回のお題は

「もうレシピ本はいらない」人生を救う最強の食卓 稲垣えみ子著

無職で独身、アフロの元朝日新聞記者
震災を機に節電にはまり、とうとう冷蔵庫をやめたその結果
江戸時代の食生活を始める

という話で
レシピに囚われている現在への提言であります

◇ ◇ ◇ ◇ 

「小さなダ ツチオーブンをセットして火をつけ
買いたての揚げをポンと置く」
「油などひかない、揚げの油分があるから
フタをしてしばらくたつと、ジュワーッと音がしてくる」

◇ ◇ ◇ ◇ 

この部分、私もダッチオーブンユーザーなのでよくわかります
大そうな料理ではなくこういった簡単な料理に
力を発揮するのがダッチオーブン

大胆に、シンプルに、そして旨く以下、一部抜粋です

 ◆ ◆ ◆ ◆

味噌をお湯に溶いただけでも立派な味噌汁
味噌汁はどんどん進化していった
具は市販品だけでなく、 ベランダの干し野菜も投入
干しエノキ、 干し大根 干しタマネギ、干しキャベツなど何でもいい

そうなると次第に出汁
つまりはカツオは入れなくても十分美味しいということがわかった

むしろカツオはあまりに強烈な旨味がある
どんな具に何を入れようが、全てが「カツオ味」に染まる

カツオ、確かに美味しい
でもいつも同じ味

食べ物はカツオならずとも
なんだってそれぞれに旨味を持っている

「出汁」ってカツオと昆布のことだと思っていたが
出汁、すなわち旨味を持っているのは

一部のエリート食材だけなんかじゃなかったのである
旨味の種類や強さが違うだけで、すべてに旨味がある

これって人間もそうじゃないのか

◇ ◇ ◇ ◇

野菜が残ったとき、ほとんどの人は
「ラップで包んで冷蔵庫に入れておこう」 と思う

ちょっと待った

その野菜を好きな大きさにカットして
ベランダや日の当たる窓際に置いておく
雨にさえ気をつけていれば (雨にあたるとカビる) 
必ずいい具合にしんなり

カラカラになるまで乾かなくたっていい
味噌汁の具だけでなく、炒めもの、煮物、揚げ物など
あらゆる料理の食材になってしまう

つまりは野菜の保管場所を
「冷蔵庫」から「ベランダ」 へと変えるだけ

野菜とは年中採れるわけじゃない
種類によって収穫時期が決まっているのである

これに多くの方が「バカじゃない?」と思われる

野菜には「旬」というものがある
ということは頭ではわかっている

しかし、改めて考えると
それは本当に「頭では」というレベルであって
実際には全く理解していなかった

改めて直売所の野菜をよく観察してみると
野菜の旬というのは実にハッキリしている

「タケノコそのものの味」って
知ってるようで知らない

ただ油で炒めて、塩胡椒をふって、食べてみるべき

◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

1時間程で読めますのでお勧めです

すべてを取り入れる必要は無いと思います

※私にとってビールや氷を冷やす為の冷蔵庫は必需品
ちなみに著者は、日本酒が大好きな様です

自分に合った取り入れ方があると、愚考する次第です

最後にこの本の “キメ” の部分を
以下、原文のまま

◇ ◇ ◇ ◇

料理なんて簡単だ。
そしてそこには無限の自由がある。

コンビニで買う自由?
いやいや、 自由ってそんなもんじゃないんだよ。

そこで売られているものは
「多くの人が一般的に好きそうなもの (つまりは売れそうなもの)」
である。

それを日々食べ続けることに慣れてしまうと
あなたは自分で自分の好きなものがわからなくなってくる。

つまりは「一般的に誰もが好きそうなもの」を
自分も好きになるしかない。

好きになれない場合は、それに慣れるしかない。

それは地獄ではないかもしれないが、
ある種の牢獄だ。

自分で自分を牢屋に入れてはならない。

息苦しい世の中で、少なからぬ人が
「こんなはずじゃなかった」と人を呪いながら生きている。

でも料理ができるあなたは、そんな世界とは無縁である。

どんな状況にあっても自分の足で
すっくと立って背筋を伸ばして歩いていくことができる。

そんなことができたなら、何を恐れることがあるだろう。
これを自由というんじゃないだろうか。

◇ ◇ ◇ ◇

ではまた


Vol.27≪Y2K問題≫(1999.10.26)

2019年09月12日 | EHAGAKI
Vol.27≪Y2K問題≫ (1999.10.26)


我が家の愚息(小3)はすごく恐がり屋でいつもスターウォーズの剣をもって何かと戦っています

(夜や闇に対してなんでしょうか) 

そういえば子供の頃は「恐いもの」がありました

何か悪戯をすると親はその「恐いもの」を悪魔の呪文のようにとなえて
こんどやったら絶対に…などと戒めたものです

自然界は人間と闘う為「恐いもの」をいっぱい創ってきました

恐怖から畏敬の念の様な感覚が生まれ自然と共存できていたのでしょう

今我々には「恐いもの」がなさすぎるのではと言われています 

恐いものといえば Y2K問題
 
「大きな混乱が起きる可能性はない」といいながら
ホームページで目立つのが
 
「このページは最善の努力を行っていることを説明するもので当社が何らかの保証義務の
発生を表明するものではありません」と

そこでLS・HAGAKI風の万一の備えは

家族全員家に居る

食料
緊急用食料よりも後でおいしく食べられるもの
(冬なので保存は楽)
ポン酢ゆずごしょう焼酎(できれば米焼酎)白菜
 
空のペットボトルを貯めておき12月31日に水を入れる
トイレ用に風呂の水

電池
懐中電灯用ラジオ用

キャンプ道具の手入れ
(ちなみにホワイトガソリンは高いので普通のガソリンでもだいたいOK)

調理器具
カセットコンロがベスト
ちなみにキャンプにおいてもどでかいコールマンよりも
強力カセットコンロ+自作の風除け
の方が携帯性・使いやすさにおいて優れ物 

暖房器具
ガス・電気がない場合を想定
といってもわざわざ石油ストーブを買うのは無駄
万一の時は防寒具を着込んでカセットコンロで
終日又は数日「鍋」を食べ続ける

新年をそんな風に迎えるのも
「恐さ」を知る良い機会かもしれない
きっと子供達 には忘れられない正月になるのでは、、、

と考えている今日このごろです

EHAGAKI #308≪備え≫・2015.9.16の再アップ

2019年09月11日 | EHAGAKI

お世話になります

このたびの豪雨により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますまた、

被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします

この言葉を何回使えばいいのでしょうか

なんともやり切れません

「自然と闘うのではなく、向き合う」と良く言われますが、難しい問題です

今回のお題は災害について思い返したコト、そして災害や戦争について話題になると聞かれる“汚い言葉”について思いだしたコトを 今までのお題から再利用であります

 

■難民の救済 2014.8.28(EHAGAKI#290 氷川清話その2)

■少しだけやり方を変える 2014.2.19(EHAGAKI #281)

■忘れちゃいけません 2007.03.11 ブログ:橋長戯言)

■こんにゃく談義 2005.10.24(ブログ:橋長戯言)

■ ■ ■ ■ ■

■難民の救済

2014.8.28 EHAGAKI#290≪氷川清話その2≫から一部抜粋

勝海舟が明治29年の8月末から9月にかけての全国的な大洪水によせて徳川時代と当時の治水土木工事について比較し 当時の明治政府のお粗末な工事や施策について

御維新前はただの素人でさえも、こんな丈夫な堤防をこしらえたのに、どうだい、今日ではヤレ何博士で候に、ヤレ何技師で候という者でなければ出来ないものと思うて居るぢゃないか。その癖コンナ人などが沢山の入費を貰うてこさえた堤防も少しばかりの出水に、、、、、

と批判しています

災害については明治29年の東北津波に際しても以下の談話を残しています

難民の救済

天災とは言いながら東北の津波は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事も出来ないのを、おれは実に歯痒く思ふよ。

全体人間は幾ら死んで居るか、生き残りたる者はまた幾らあるか、俺は当局で無いから知らないけれども、兎にも角にも怪我人と飢渇者とは、随分沢山あるに違いない。

この様な場合に手温い寄付金などと言うて少しばかりの紙ぎれを遣った処が、何にもならないよ。昔、徳川時代の遣り口と今の政府の遣り口とは丸で違ふよ。今では騒ぎ計りいらくって愚頭々々して居る内には、死ななくてもよい怪我人も死ぬし、飢渇者もみんな死んでしまう。

ツマリ遣り口が手温いからの事だ。何と酷ごたらしいぢゃないか。

徳川時代にはチャント手が揃って居るから、イザと言ふこの様な場合になると、直ぐにお代官が被害地に駆けつけて、村々の役人を集め、村番を使うて手宛をするのだ。

先ず相応な場所を選んで小屋掛けをするのだ、ここで大炊き出しをして、誰でも空腹で堪らない者にはドンドン惜し気もなくなく喰わせるのだ、さうすると、この様な時には、少し位身体の痛む者も、みんな元気がついて来るものだよ。

炊き出しの米は、平生やかましく責立てなくとも、チャンと天災時の用意がしてあって、何処へ行きてもお蔵米がかこってある。それだからイザ天災といふ時でも苦労せずに窮民を救うことが出来るのだヨ。

窮民に飯を喰わせなければ、みんな何処かへ逃げて行ってしまうヨ。逃げられては困るヂャないか、どこまでも住み慣れたる土地に居た者を、その土地より逃がさずにチャンと住まはしておくのが仁政というものだヨ。

それから怪我人は、矢張り急場の間に合わせに幾らも大小屋を建て、みんな一緒に入れて置くのヨ。さうして、村々のお医者はここへ集まって夜の目も眠らずに、急場の治療をするのだ。

何でもこの様な時は素早いのが勝ちだから、ぐづぐづせずに治療していったものだ。それゆえ、大怪我人も容易には死ななかったヨ。

徳川時代は、イクラお医者が開けないと言うても急場になってマゴマゴする様な者はなかったヨ。それに、なかなか手ばしつこい事をして治療するから、ドンナ者でも手遅れの為に殺す様な事は無かったものだヨ。

左様の風にやって行くと津波のために無惨なる者も憂き目を見る様な事が無くなって来る。それから三カ年も五カ年も、ツマリ被害の具合次第で納税を年賦にして、ごくゆるくしてやるのだ。

一方では怪我人や飢渇者を助け、他方では年貢をゆるめるから、被害の窮民は悦んで業につく様になるものだよ。こうなれば、モーしめたもので、安心さ。

ということで実際どうだったのか?は、わかりませんが「スピード」が大事なコトはよくわかりますし 現政府も明治政府からの延長であること思えてなりません

■ ■ ■ ■ ■

■少しだけやり方を変える

2014.2.19 EHAGAKI #281≪少しだけやり方を変える≫から一部抜粋

この度の大雪で大変な思いをしておられる方が多いと存じます御見舞い申し上げます

自然の猛威になすすべも無く、、、、自然に蓋をしてしまう(対立する)ような人間の驕りが被害を大きくしているように感じます

雪で閉ざされる これは恐怖です

27年前の1988年 ログハウスにあこがれて友人と京都の山奥(京北)に建てました建てたといっても手作りではなく そこは地元のプロに委ねた訳です

斜面地に頑丈な基礎をしその上に8坪ほどの北山杉を使った小さくても立派なログハウスです

ログハウス本体以外 テラスやトイレ棟は手作りで 毎週通ってコツコツ作業をしておりました 当時 大阪市内に住み 土曜日の夜行き 日曜日の夕方帰る というパターン

ある時 大雪で車が出れない 国道まで出れば走れるんですが(もちろんチェーン必須)そこまでの300mほどの道がアウトあとちょっと助けがあればなんとかなりそうだったんですが

日曜日のことです 翌日は会社もあるし 子供もいろいろ予定もあるなんとかせねば! と思案して

そのログハウスを建ててもらった地元の人に相談すべく 公衆電話のある国道沿いまで雪道を歩きました(たいした距離ではありません&携帯電話の無い時代です)

山の中では何でも解決してくれそうな頼りになる存在の大将 答えて曰く

「食糧は、水は、暖房の燃料は?」

「あります」

 「そしたらもう一泊しいや」

「?・? は はぁ」

「それぞれ連絡すりゃあええやん 無理して動くより 明日なんともならんかったら助けに行くから 暗くなってから無理したらあかん」

「は、はい」

というやりとりがあり 会社や学校 帰りに寄る予定の実家にも連絡

街の生活 街のリズムで考えていたので帰ることしか頭になかったのですそんな自分達の焦りが パッと晴れ 「こんな簡単な解決策があったんだ」と

もう一泊すると決めると「あ ビールがなかった」ということで自販機でビールを買い 鍋をつついてそれなりに楽しく一泊

少し考え方を変えると 大変な事態も少し違う方向性をもつ恐怖と思い込んでいたものが 少し変えるとそうでもなかったりする

当時のログハウスは電気もなく 暖房は薪ストーブ明かりはコールマンの2バーナー コールマンの2バーナーはすごく熱を持ち熱くなるんですが 食卓の天井=ロフトの床がこの熱で床下暖房状態冬場は温かいものです(夏はたまらなく熱いのですが)

行政や政府に対しての不満だけではなく 我々も謙虚に反省し「少しだけやり方を変える」ことが求められる時代ではないでしょうか

江戸時代に戻る等々 極端な議論ではなく「少し変える」ことがポイントではないかと

 ■ ■ ■ ■ ■

 ■忘れちゃいけません

2007.03.11 ブログ:橋長戯言)  

地域の防災についての講演会に行ってまいりました

忘れちゃいけません 様々なデータからみて大震災は必ず そしていつ発生しても不思議ではないコトを地震を防ぐことは出来ませんが被害を少なくすることは出来ます

備えが大切です 忘れちゃいけません

しかしまぁ〜 なんですなぁ〜

行政というものの“非効率”は至る所に散見されます但しこれは行政だけの責任ではなく住民側の問題も大きいハズです 著名な人が「よし ここは俺が立候補して・・・」という気持ちになるのも無理のないことでしょう

忘れちゃいけません

しっかりと意識する 自分が当事者だ ということを

忘れちゃいけません

被害者的感覚は持つべきでない ということをなんてことをぼんやり思い浮かべます が何もまとまりません

忘れちゃいけません もうすぐ木々が色づく ということを

 ■ ■ ■ ■ ■

 ■こんにゃく談義

2005.10.24(ブログ:橋長戯言)

テレビ このごろ面白いと思う番組がありません 最近の時事番組は妙にテンションの高い当事者が“言える範囲だけ”言うという連中が幅を利かせています

一方 バラエティーは “言わずもがな” です

バラエティーでは「タモリの今夜は最高」や深夜に放送していた頃の「笑う犬の生活」なんかが良い線いってたと思うのですが

今 NHKアーカイブス見てます落語の「こんにゃく問答」をもじって「こんにゃく談義」

ご隠居役の徳川無声さんと八ツァン役の柳谷禽語楼《きんごろう》さんが毎回ゲストを迎えてお話する番組の様です

こんにゃく談義(NHK1957年放送)

水爆の難しい問題だけではなく「卵売り」「八百屋」の掛け声なんかも話題にし落語のシュチュエーションを活かして時事問題を語っています

当時話題の核実験の影響を解りやすく解説しています

徳川無声(ご隠居)、柳谷禽語楼(八ツァン)、桶谷繁雄さん(お客さん)

 

「水爆を作っている人達は一方で先祖を供養している!」

「放射能はお天とう様にいっぱいあって・・・」

「軽いからなかなか落ちてこない・・・」

 

「近頃『人類滅亡』とよく聞く 毎日聞いていると心に溜まるぞ、よくないぞ

「こんな話はよそう」

「お花見だね」 「花」 「石の脇に桜」 「・・・」

「石は育たないぞ」「化石だね」「育つ石もある」「・・・」「胆石・・」

「魚辺に弱いでイワシ」「こんにゅあ~く~」「桜は日本のものかね」

「そうだよ」「だけどチェリーという言葉があるじゃねえか」

「桜の字は中国から・・・」 「・・・」

「中国には桜桃というものがあるの」「勝手にいろいろ使っているんだね」

「・・・」「放射能だか何だかが降ってくる・・・」

「字も怒れば 樹も怒ってんの」

「いらんものはいらないんだから」 「・・・・・」

こんな調子で話がすすんでいましたなかなかのものです

 ※10年前に書いたモノですが『良くない言葉を頻繁に使うと 心に溜まるから良くない』という言葉が忘れられません 日ごろから汚い言葉は使うべきでないと愚考しております (2015.9.16)

 ■ ■ ■ ■ ■

ということでした

ネタ資源保護の為の再利用をお許し下さい

ということでここまでくれば“あとがき”も再利用で 

「万一の備え」にあるべき公共事業や備えの体制 それを効率という短期の経済の尺度で行ってきたツケの大きさを虚しく実感します長期の経済の尺度でこの国を造る「人」が望まれます

「異常気象」という言葉はよくないと、どなたかがラジオで言ってました

曰く「自分たち人間の都合だけで見ている言葉 たかだか数百年の時間軸で自然はそんなものではないし 人間の傲慢さが出ている表現だ」と

たしかにそうであり、そう考える人でありたい、と愚考する次第です

ではまた

 

こんにゃく談義・2015.9.16の再アップ

2019年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム


こんにゃく談義(NHK1957年放送)


テレビ このごろ面白いと思う番組がありません 

最近の時事番組は妙にテンションの高い当事者が“言える範囲だけ”言う

という連中が幅を利かせています

一方 バラエティーは “言わずもがな” です

バラエティーでは「タモリの今夜は最高」や深夜に放送していた頃の

「笑う犬の生活」なんかが良い線いってたと思うのですが

今(10/24 0時過ぎ)NHKアーカイブス見てます

落語の「こんにゃく問答」をもじって「こんにゃく談義」
ご隠居役の徳川無声さんと八ツァン役の柳谷禽語楼《きんごろう》さんが毎回ゲストを迎えてお話する番組の様です

こんにゃく談義(NHK1957年放送)
水爆の難しい問題だけではなく「卵売り」「八百屋」の掛け声なんかも話題にし落語のシュチュエーションを活かして時事問題を語っています 当時話題の核実験の影響を解りやすく解説しています

徳川無声(ご隠居)

柳谷禽語楼《きんごろう》(八ツァン)

桶谷繁雄さん(お客さん)

「水爆を作っている人達は一方で先祖を供養している!」

「放射能はお天とう様にいっぱいあって・・・」 

「軽いからなかなか落ちてこない・・・」

「近頃『人類滅亡』とよく聞く 毎日聞いていると心に溜まるぞ よくないぞ

「こんな話はよそう」

「お花見だね」 

「花」 

「石の脇に桜」 

「・・・」 「石は育たないぞ」 

「化石だね」

 「育つ石もある」 

「・・・」「胆石・・」

 「魚辺に弱いでイワシ」 

「こんにゅあ~く~」 

「桜は日本のものかね」 

「そうだよ」 

「だけどチェリーという言葉があるじゃねえか」 

「桜の字は中国から・・・」 「・・・」 

「中国には桜桃というものがあるの」 

「勝手にいろいろ使っているんだね」 「・・・」 

「放射能だか何だかが降ってくる・・・」 

「字も怒れば 樹も怒ってんの」  

「いらんものはいらないんだから」 「・・・・・」

こんな調子で話がすすんでいました

なかなかのものです


※10年前に書いたモノですが

『良くない言葉を頻繁に使うと心に溜まるから良くない』

という言葉が忘れられません
日ごろから汚い言葉は使うべきでないと愚考いたします
 (2015.9.16)