お世話になります
このたびの豪雨により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますまた、
被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします
この言葉を何回使えばいいのでしょうか
なんともやり切れません
「自然と闘うのではなく、向き合う」と良く言われますが、難しい問題です
今回のお題は災害について思い返したコト、そして災害や戦争について話題になると聞かれる“汚い言葉”について思いだしたコトを 今までのお題から再利用であります
■難民の救済 2014.8.28(EHAGAKI#290 氷川清話その2)
■少しだけやり方を変える 2014.2.19(EHAGAKI #281)
■忘れちゃいけません 2007.03.11 ブログ:橋長戯言)
■こんにゃく談義 2005.10.24(ブログ:橋長戯言)
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■難民の救済
2014.8.28 EHAGAKI#290≪氷川清話その2≫から一部抜粋
勝海舟が明治29年の8月末から9月にかけての全国的な大洪水によせて徳川時代と当時の治水土木工事について比較し 当時の明治政府のお粗末な工事や施策について
御維新前はただの素人でさえも、こんな丈夫な堤防をこしらえたのに、どうだい、今日ではヤレ何博士で候に、ヤレ何技師で候という者でなければ出来ないものと思うて居るぢゃないか。その癖コンナ人などが沢山の入費を貰うてこさえた堤防も少しばかりの出水に、、、、、
と批判しています
災害については明治29年の東北津波に際しても以下の談話を残しています
難民の救済
天災とは言いながら東北の津波は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事も出来ないのを、おれは実に歯痒く思ふよ。
全体人間は幾ら死んで居るか、生き残りたる者はまた幾らあるか、俺は当局で無いから知らないけれども、兎にも角にも怪我人と飢渇者とは、随分沢山あるに違いない。
この様な場合に手温い寄付金などと言うて少しばかりの紙ぎれを遣った処が、何にもならないよ。昔、徳川時代の遣り口と今の政府の遣り口とは丸で違ふよ。今では騒ぎ計りいらくって愚頭々々して居る内には、死ななくてもよい怪我人も死ぬし、飢渇者もみんな死んでしまう。
ツマリ遣り口が手温いからの事だ。何と酷ごたらしいぢゃないか。
徳川時代にはチャント手が揃って居るから、イザと言ふこの様な場合になると、直ぐにお代官が被害地に駆けつけて、村々の役人を集め、村番を使うて手宛をするのだ。
先ず相応な場所を選んで小屋掛けをするのだ、ここで大炊き出しをして、誰でも空腹で堪らない者にはドンドン惜し気もなくなく喰わせるのだ、さうすると、この様な時には、少し位身体の痛む者も、みんな元気がついて来るものだよ。
炊き出しの米は、平生やかましく責立てなくとも、チャンと天災時の用意がしてあって、何処へ行きてもお蔵米がかこってある。それだからイザ天災といふ時でも苦労せずに窮民を救うことが出来るのだヨ。
窮民に飯を喰わせなければ、みんな何処かへ逃げて行ってしまうヨ。逃げられては困るヂャないか、どこまでも住み慣れたる土地に居た者を、その土地より逃がさずにチャンと住まはしておくのが仁政というものだヨ。
それから怪我人は、矢張り急場の間に合わせに幾らも大小屋を建て、みんな一緒に入れて置くのヨ。さうして、村々のお医者はここへ集まって夜の目も眠らずに、急場の治療をするのだ。
何でもこの様な時は素早いのが勝ちだから、ぐづぐづせずに治療していったものだ。それゆえ、大怪我人も容易には死ななかったヨ。
徳川時代は、イクラお医者が開けないと言うても急場になってマゴマゴする様な者はなかったヨ。それに、なかなか手ばしつこい事をして治療するから、ドンナ者でも手遅れの為に殺す様な事は無かったものだヨ。
左様の風にやって行くと津波のために無惨なる者も憂き目を見る様な事が無くなって来る。それから三カ年も五カ年も、ツマリ被害の具合次第で納税を年賦にして、ごくゆるくしてやるのだ。
一方では怪我人や飢渇者を助け、他方では年貢をゆるめるから、被害の窮民は悦んで業につく様になるものだよ。こうなれば、モーしめたもので、安心さ。
ということで実際どうだったのか?は、わかりませんが「スピード」が大事なコトはよくわかりますし 現政府も明治政府からの延長であること思えてなりません
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■少しだけやり方を変える
2014.2.19 EHAGAKI #281≪少しだけやり方を変える≫から一部抜粋
この度の大雪で大変な思いをしておられる方が多いと存じます御見舞い申し上げます
自然の猛威になすすべも無く、、、、自然に蓋をしてしまう(対立する)ような人間の驕りが被害を大きくしているように感じます
雪で閉ざされる これは恐怖です
27年前の1988年 ログハウスにあこがれて友人と京都の山奥(京北)に建てました建てたといっても手作りではなく そこは地元のプロに委ねた訳です
斜面地に頑丈な基礎をしその上に8坪ほどの北山杉を使った小さくても立派なログハウスです
ログハウス本体以外 テラスやトイレ棟は手作りで 毎週通ってコツコツ作業をしておりました 当時 大阪市内に住み 土曜日の夜行き 日曜日の夕方帰る というパターン
ある時 大雪で車が出れない 国道まで出れば走れるんですが(もちろんチェーン必須)そこまでの300mほどの道がアウトあとちょっと助けがあればなんとかなりそうだったんですが
日曜日のことです 翌日は会社もあるし 子供もいろいろ予定もあるなんとかせねば! と思案して
そのログハウスを建ててもらった地元の人に相談すべく 公衆電話のある国道沿いまで雪道を歩きました(たいした距離ではありません&携帯電話の無い時代です)
山の中では何でも解決してくれそうな頼りになる存在の大将 答えて曰く
「食糧は、水は、暖房の燃料は?」
「あります」
「そしたらもう一泊しいや」
「?・? は はぁ」
「それぞれ連絡すりゃあええやん 無理して動くより 明日なんともならんかったら助けに行くから 暗くなってから無理したらあかん」
「は、はい」
というやりとりがあり 会社や学校 帰りに寄る予定の実家にも連絡
街の生活 街のリズムで考えていたので帰ることしか頭になかったのですそんな自分達の焦りが パッと晴れ 「こんな簡単な解決策があったんだ」と
もう一泊すると決めると「あ ビールがなかった」ということで自販機でビールを買い 鍋をつついてそれなりに楽しく一泊
少し考え方を変えると 大変な事態も少し違う方向性をもつ恐怖と思い込んでいたものが 少し変えるとそうでもなかったりする
当時のログハウスは電気もなく 暖房は薪ストーブ明かりはコールマンの2バーナー コールマンの2バーナーはすごく熱を持ち熱くなるんですが 食卓の天井=ロフトの床がこの熱で床下暖房状態冬場は温かいものです(夏はたまらなく熱いのですが)
行政や政府に対しての不満だけではなく 我々も謙虚に反省し「少しだけやり方を変える」ことが求められる時代ではないでしょうか
江戸時代に戻る等々 極端な議論ではなく「少し変える」ことがポイントではないかと
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■忘れちゃいけません
(2007.03.11 ブログ:橋長戯言)
地域の防災についての講演会に行ってまいりました
忘れちゃいけません 様々なデータからみて大震災は必ず そしていつ発生しても不思議ではないコトを地震を防ぐことは出来ませんが被害を少なくすることは出来ます
備えが大切です 忘れちゃいけません
しかしまぁ〜 なんですなぁ〜
行政というものの“非効率”は至る所に散見されます但しこれは行政だけの責任ではなく住民側の問題も大きいハズです 著名な人が「よし ここは俺が立候補して・・・」という気持ちになるのも無理のないことでしょう
忘れちゃいけません
しっかりと意識する 自分が当事者だ ということを
忘れちゃいけません
被害者的感覚は持つべきでない ということをなんてことをぼんやり思い浮かべます が何もまとまりません
忘れちゃいけません もうすぐ木々が色づく ということを
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■こんにゃく談義
2005.10.24(ブログ:橋長戯言)
テレビ このごろ面白いと思う番組がありません 最近の時事番組は妙にテンションの高い当事者が“言える範囲だけ”言うという連中が幅を利かせています
一方 バラエティーは “言わずもがな” です
バラエティーでは「タモリの今夜は最高」や深夜に放送していた頃の「笑う犬の生活」なんかが良い線いってたと思うのですが
今 NHKアーカイブス見てます落語の「こんにゃく問答」をもじって「こんにゃく談義」
ご隠居役の徳川無声さんと八ツァン役の柳谷禽語楼《きんごろう》さんが毎回ゲストを迎えてお話する番組の様です
こんにゃく談義(NHK1957年放送)
水爆の難しい問題だけではなく「卵売り」「八百屋」の掛け声なんかも話題にし落語のシュチュエーションを活かして時事問題を語っています
当時話題の核実験の影響を解りやすく解説しています
徳川無声(ご隠居)、柳谷禽語楼(八ツァン)、桶谷繁雄さん(お客さん)
「水爆を作っている人達は一方で先祖を供養している!」
「放射能はお天とう様にいっぱいあって・・・」
「軽いからなかなか落ちてこない・・・」
「近頃『人類滅亡』とよく聞く 毎日聞いていると心に溜まるぞ、よくないぞ」
「こんな話はよそう」
「お花見だね」 「花」 「石の脇に桜」 「・・・」
「石は育たないぞ」「化石だね」「育つ石もある」「・・・」「胆石・・」
「魚辺に弱いでイワシ」「こんにゅあ~く~」「桜は日本のものかね」
「そうだよ」「だけどチェリーという言葉があるじゃねえか」
「桜の字は中国から・・・」 「・・・」
「中国には桜桃というものがあるの」「勝手にいろいろ使っているんだね」
「・・・」「放射能だか何だかが降ってくる・・・」
「字も怒れば 樹も怒ってんの」
「いらんものはいらないんだから」 「・・・・・」
こんな調子で話がすすんでいましたなかなかのものです
※10年前に書いたモノですが『良くない言葉を頻繁に使うと 心に溜まるから良くない』という言葉が忘れられません 日ごろから汚い言葉は使うべきでないと愚考しております (2015.9.16)
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ということでした
ネタ資源保護の為の再利用をお許し下さい
ということでここまでくれば“あとがき”も再利用で
「万一の備え」にあるべき公共事業や備えの体制 それを効率という短期の経済の尺度で行ってきたツケの大きさを虚しく実感します長期の経済の尺度でこの国を造る「人」が望まれます
「異常気象」という言葉はよくないと、どなたかがラジオで言ってました
曰く「自分たち人間の都合だけで見ている言葉 たかだか数百年の時間軸で自然はそんなものではないし 人間の傲慢さが出ている表現だ」と
たしかにそうであり、そう考える人でありたい、と愚考する次第です
ではまた