橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI#381≪進化論というお守り≫

2019年10月31日 | EHAGAKI

10月も今日で終わり11月から秋が来るのか冬が来るのか
地球規模の大きな変化の時代なのでしょうか

今のままではいけないと思います
だからこそ
日本は今のままではいけないと思っている

と言った人が居ますが、同じコトの繰り返し
間違いではないですが、やれやれ、です
「御飯論法」なんてモノもあります

「弱肉強食」「適者生存」
社会に流通している進化論風の考え方がはびこり
「頑張れ」「強くないと生き残れない」と言われ
生きづらさを感じる人も多いハズです

適者とは単に生き延びて子孫を残した者を指し
強さや能力とは関係ないそうです

今回のお題は「進化論というお守り」
本来の進化論とは別物の進化論的お守りの言葉についてであります

参考図書)
「理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ」
吉川浩満 著

※横に写っているのは「長生き」が地球を滅ぼす」本川達雄著 これもお勧めです

 

 ◆ ◆ ◆ ◆

◆進化論という「お守り」

一般人が漠然とイメージしている進化論と
専門家が研究している科学的な進化論は別物

どうしてそうなってしまったのか?

その理由は、根本仮説である自然淘汰説の独特の性質

「適者生存」という言葉
これは自然淘汰説を言い換える言葉
(スペンサーによって考案され、ダーウィン本人にも採用された)

この言葉は社会ダーウィニズムによって濫用されたので
現在ではあまり用いられない

その中心アイデアとは
「適者」は「生存(繁殖)」によってのみ定義される
というもの

適者とは単に生き延びて子孫を残した者を指すのであって
「弱肉強食」や「優勝劣敗」のイメージで想定するような
強さや能力とは関係ない

生きのびて子孫を残すことができる者を単に「適者」とみなしている

ところが「生存する者を適者とする」をひっくり返して
「適者は生存する」という自然法則のようなものとして
適者生存のアイデアを用いている

法則じゃない?

適者生存の原理は、「適者は生存する」という法則ではない
「生存する者を適者と呼ぶ」という約束事であり
そこから仮説をつくりだすための前提

「結婚していない人を独身者と呼ぶ」
と同じように適者の意味を定義しているにすぎない

つまり私たちは前提と結論を取り違えている
どうして取り違える?

おそらくはそれが都合のいい「言葉のお守り」になるから
私たちは、半分は無意識に、半分は意図的にそうしている

哲学者の鶴見俊輔は終戦直後の1946年
「言葉のお守り的使用法について」という論文を発表

言葉には「主張的な言葉」と「表現的な言葉」がある

主張的な言葉とは
1+1=2のように、真偽を確かめることができる言葉
表現的な言葉とは
「結婚してください」のように、真偽に関係なく
呼びかける相手になんらかの影響を及ぼすような言葉

鶴見が問題にしているのは実質的には表現的だが
形だけは主張的な言葉に見える場合

たとえば戦争中に唱えられた「米英は鬼畜だ」という言葉
たんに米英を憎み嫌う表現的な言葉が
あたかも主張的な言葉のように使われた

「ニセ主張的命題」
お守りのように、なんらの検証なしにありがたがられる言葉になりがち

「米英は鬼畜だ」はその典型で
社会で認められている価値観に乗っかることで、なんとなく安心する

自分の言葉に箔がつく
これが言葉のお守り

「適者が生存する」という擬似法則は
このお守り的使用法にぴったり

ぱっと見、それは自然法則のようなものに見える
しかし、適者生存の原理は「生存」によって「適者」を定義するもの

「生存する者は生存する」という同語反復になる

検証をまつまでもなく、つねに正しい
命題自然法則に見えながら、正しい同語反復的な命題

何も言っていないに等しい

あらゆる物事に当てはまる言葉
これ以上にお守り的使用法に適したものはない

各種メディアや広告、Twitterなどで
私たちが出会う進化論はそのように機能している

「優れた者が勝ち残る」
「劣ったものは淘汰される」
「滅びる運命だった」とか、いろいろなヴァリエーションがある

「適者は生存する(生存する者は生存する)」という同語反復を
さも自然法則の結果であるかのように言い立てているだけ

実際には「ざまあみろ」とか「残念だ」とか「そうなりたい」
といった表現的な言葉であらわされる感情

まるで主張的な科学理論であるかのような
パッケージにくるんで送り出す

こんな便利なものはなかなか手放しづらい

◆通俗的な進化論

社会に流通している通俗的な進化論=「発展的進化論」
ダーウィン以前の進化論
フランスの博物学者ラマルク

キリンの首が長いのは、先祖のキリンが高所の葉っぱを食べるために
努力をつづけたからだ

生物の進化には目標があると主張
目標の達成度に応じて優劣の序列がある

進化とは前進であり発展

その後、イギリスの思想家ハーバート・スペンサーが
ラマルクの進化論を発展・拡張させて、世界中で大ブームに

宇宙のあらゆる物事が進化する社会も
古代国家や未開社会から近代的な国家へと進化する
その過程において、「適者生存」の競争が行われる

スペンサーは、ラマルクの発展的進化論と自由競争主義を
接続上昇志向の近代人にぴったりの「進化論」を仕立てた

歴史の教科書などで「社会ダーウィニズム」と呼ばれるが
ダーウィニズムではない

正しくは社会ラマルク主義あるいはスペンサー主義と呼ばれるべきもの
学問の世界ではすでに否定されている

学問の世界で認められているのはダーウィン由来の進化論

生物の進化にいっさいの目的や目標を認めない

生物の進化を左右するのは目的や目標ではなく
偶然進化は単なる結果生物間に優劣の序列も無い

進化の目的や生物の序列といった発展的な考えと手を切ったのが進化論

学問としての進化論と、一般人の世界像としての進化論前者は
ダーウィンが発祥、後者はスペンサーによってつくられたもの

現在、「ダーウィニズム」という言葉が
「進化論」の同義語のように使われている

「進化論のせいで生きづらい」と思うとき元
凶はダーウィンにあるように感じるのは濡れ衣

社会にも進化論を当てはめることに問題があった
20世紀半ばまで世界を席巻した元祖「社会ダーウィニズム」は
科学的に間違っているだけでなく
植民地主義や人種差別を正当化するひどい代物

本来ダーウィニズムは、進化の目的や生物の序列を認めない
現在では生物学だけでなく、心理学や経済学、社会学などにも
どんどん採り入れられている

 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

これまでに登場した生物種の99.9%は絶滅したそうです
存続しているのは0.1%にすぎない、と
つまり生物種はほぼ絶滅する

通俗的に考えれば、生存競争に敗れたからと思ってしまいますが
膨大な化石標本と統計学を駆使して調べると

結論は
生物種は多くの場合、運がわるくて絶滅する、のだそうです

見も蓋もない気がしますが、それが現実だそうです

冷静に事実に基づいた言葉を使いたい
と、愚考する次第です

ではまた


EHAGAKI#380≪言葉、その誕生前≫

2019年10月08日 | EHAGAKI

前回「サル化する社会」での類人猿の社会に続き
人類のみが持つ言葉、その誕生前についてであります

「21世紀に入って日本の国家は日本語を積極的に劣化させている

これは詩人のアーサー・ビナードさん(日本在住)の説です

かつて、1970年 佐藤栄作首相の時代
「国民総背番号制」を打ち出しました

ある意味まともな言葉で
呼び名と制度の実態か繋がっていました
意味がよく解る、だから廃案となってしまいました

「マイナンバー制度」

何語? 英語?
いや英語としてあり得ない言葉、欠陥品

What is your my number
アーサーさん曰く「英語?恥ずかしくて使えない」

日本語を劣化させ英語でも通用しない言葉が「マイナンバー」

国語とは国家の言葉
各地の言葉をまとめ標準語を定め
国家として使い続ける覚悟をもって作ったハズ

今、日本は「国語という覚悟」が欠如している、と

なるほど、そうかも知れません



さて「言葉の誕生前」
前回に引き続き
「サル化」する人間社会
山極寿一著 集英社インターナショナル


からであります

 ◆ ◆ ◆ ◆


◆言葉が生まれるきっかけとは?

「進化の過程で脳が大きくなったから」
確かにそう
でも脳が大きくなる=自動的に言葉が生まれた
とは言えない

人類の脳は二百万年前に大きくなり始め
六十万年前にはすでに現代人と同じ容量に達していた

このころはまだ言語は生まれていない
ということは脳が物理的に大きくなった=言葉を使うではなく
あるときを境に言語を利用する必要性に迫られたから



◆子守唄が言葉のもとになった

言語のもととなったのは、大人が赤ん坊や
幼児をあやすときに使う「子守唄」

草原に進出した人類は、二足歩行と多産の道を歩む
他の類人猿に比べ成長が遅く
手のかかる人間の子どもを守り育てる

母親ひとりの手だけによらない共同での保育が必要だった

新たなコミュニケーションそれが子守唄
次々に出産する人間の母親は
一人の子どもにつきっきりではいられない
目を離すと赤ん坊は、わんわん声をあげて泣く

ゴリラの子どもは泣かない

それは常に母親に抱かれているから
安心感があれば類人猿の赤ん坊は泣かない

目を離さざるを得ない人間の母親たちは
泣いている子どもに向けて音声で
「ここにいるよ、安心してね」というメッセージを伝えた

それは音楽的なメロディを伴っていたと考えられる
母親だけではなく、みんなで歌った

みんなで同じ調子で歌うことで
共感を生み赤ん坊に安心感を伝えた

赤ん坊は、言葉を理解していない
赤ん坊は、抑揚だけを聞いて、言葉を
音の連なりとして聞いている

国や文化によって使う言語は違っても
人間の赤ん坊が安心を感じる声の抑揚は、みな同じ

子守唄から始まった音声によるコミュニケーション
最初は大人が子どもに向けて発した

次第に大人同士にも


◆一緒に歌を歌う

人間の共感能力を高める機能がある

音声的コミュニケーションは
一致して協力する行動を生み出し
複数の人間が一体となって
ひとつの目標に向かって歩むことが可能になった

言語に至る前に、人類には歌や踊りといった
音楽的なコミュニケーションが共有されていたと思われる

このころの暮らしは
男性たちが食料採取に出かけ、女性は安全な場所で
待ちながら子どもたちを育てる、という形式だった

男性を保護者とし、特定の女性とその子どもたちが
連合して家族を作った

女性は閉経すると、次世代の出産や育児を手伝った
これがきっかけとなり、家族同士の交流が生まれた

人類は子育ての必要性から
「家族」を作り「共同体」を作った

次第に 集団規模を増大させていった

男性たちが狩猟や採取に出かけている間
女性や子どもたちは食べ物が届けられるのを待っていた

待つという行為には、高度な共感能力が必要

「何日かかろうと、彼らは自分たちのために
食料を持って帰ってくるはずだ」
という信頼感を持たなければならない

仲間がいったん目の前から消えても
集団のアイデンティティを失わない、という
複雑な社会関係を作った

この社会性は、おそらく六十万年前には完成
しかしまだ言葉は存在しない
言語を使う前から、人類は共感に基づいた共同生活を行っていた



◆言語の創生と社会脳の発達

人間は言葉を使わずとも、ある程度までは共同作業ができる
サッカーやラグビーの選手たちは
毎日顔を合わせ、ともに練習をするうちに互いの性格や癖を熟知す
仲間が何を考え、どうしたいのかが自然に読み取れるようになる

白熱する試合の間、選手同士は目配せや実際の行動で
自分のやりたいことを示しそれに合った行動をとる
ここに言葉は必要ない


◆このような集団を「共鳴集団」と言う

共鳴集団は十人から十五人で、言葉を使わずとも理解し合い
信頼し合い、行動をとも にできる

人間社会でスポーツのチーム以外で、この規模の集団は家族
家族は昔から多くてせいぜい十人から十五人程度

無条件に信頼し合っている集団

共鳴集団の最大の特徴は、face to faceのコミュニケーション
みんな、ほとんど毎日互いの顔を見ている

それが、共鳴するためには必要条件だと言える
共鳴集団に属しているメンバーは、互いの後ろ姿を見るだけで
相手の気分がわかる

ゴリラの集団も平均サイズが十頭前後
言葉はなくとも非常にまとまりのいい集団
ちょうど、共鳴集団の範囲に収まっている

この程度の人数なら言葉はいらない


◆脳の発達は集団規模と比例する

三十人から五十人になる集団が、 共鳴集団の次に大きい集団
軍隊の小隊の規模、会社のひとつの部署や、学校のクラス
この程度の規模は互いの顔や名前を知っており、性格も熟知できる

この集団の特徴は、心をひとつにできる、ということ
気持ちを共有でき、同じ目標を分かち合える
この規模でも言葉は必要ない

音楽や踊りなどの音楽的コミュニケーシ ョンがあれば維持できる規模

◇百人から百五十人の集団
信頼できるコミュニ ティとして最大の規模で
互いの顔と名前が一致する関係性の上限人数

◇百五十人以上
人の顔や名前を一致させて認識することは難しくなり
何らかの指標が必要となる

たとえば「どこどこの学校に通っている誰々さん」という
レッテルを貼らないと覚えられない

集団が拡大するにつれ
より複雑なコミ ユニケーション能力が必要となる

◇イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーは
「人間に限らず、霊長類の脳の発達は、集団規模と正比例する」
という

集団規模が大きくなれば、 脳は大きくなる
脳が大きくなった理由は、社会的な複雑さに対応するためだ、と
つまり私たちの脳は「社会脳」だと主張している


◆言葉とは何か

言葉が生まれたのは、経験を他人に伝えたり
知らないことを教わったりする必要が出てきたから

最初に言葉を必要としたのはどんな状況か?

「五十キロ先に獲物がいるぞ」と伝えたいとき
「その獲物はどんな動物で、何頭いるのか」
といった情報を分かち合いたいとき

言葉によってかなえられた表現的なメリットに、比喩がある

「あいつはキツネのようにずるがしこいやつだ」

こう表現すれば、その人の意地悪さやずるさを具体的に説明しなくてもいい
比喩を使うと、複雑な情報も簡単に伝えられる

「あの湖は、顔でいうと口の部分。山は鼻の部分にあたる。
だから、湖に行くには、鼻から口の方角に辿っていけばいい。」
こう言えば、相手の頭の中に地図が思い浮かぶ

言葉はこういったことを成し遂げた
別個のものとして認知されていたものを結びつけ
発想の応用力を高めた

言葉の出現以降、 人類の情報伝達のスピードは加速
以降、人類の社会や文化が発展した



 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

現在の我々にとっては、気の遠くなる年月をかけて
やっと手に入れた言葉、そこから始まった文字

そして日本語、大事にしたい
と愚考する今日この頃です

ではまた