橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #367≪積み重ね≫

2019年03月22日 | EHAGAKI

お世話になります

印象に残っていること、という問いに対し
「華やかなプレーや記録ではない、昨年5月から今日まで、
今日の試合に出場出する為に毎日欠かさず練習を続けて来たこと」
と答えたイチロー

引退の記者会見を夜中にライブ見て、私が最も印象に残った点

それは「間」です

間(ま)、タイミング、話し方であります

質問を受け、答えるまで結構時間がかかってます
しかし、見ていてじれったく感じることもありません

それはまるで打席に入るイチローのいつものルーチンの様でもあります
その時間、聞いている我々は、集中して次の発言を待ちます

ひとたび語りだすと、所々「間」をあける
まるでキャッチャーが投げ返し、ピッチャーが次の投球をするまで
間合いのように

そうやって進められる会話(記者会見)は、なごやかで
聞く側と答える側、攻守が一緒に作り上げる、
記憶に残るベストゲームの様でありました

記者会見しかり、国会しかり、人前で語るということは難しいものです

内容に自信がなかったり、人の書いた原稿であったりすると
その時間を埋める為に余計な「音」を入れてしまいます

え~、まぁ~、それはですね、まさに、まさにですね

と、ここで
談志の「芝浜」や、いとしこいしの「うちのさい(妻)がね」
「え!きみとこさい(サイ)飼うてんの」
なんて話になると思ったアナタ、それは読みすぎです

今回のお題は、昨夜のイチローの引退記者会見から
タイムリーなネタ、橋長的切り取りであります


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

これを重ねてきて、重ねることでしか
「後悔を生まない」ということは出来ないと思います

10年200本(安打)を続けてきたこととか、MVPをとったとか、
オールスターでどうたらとか、ほんと小さなことに過ぎない

去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、
その後チームと一緒になって練習を続けてきたんですけど、
それを最後まで成し遂げられなければ、
今日のこの日はなかったと思うんですよね

去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら
誰にもできないことかもしれないと、
ささやかな誇りを生んだ日々であったんですね

どの記録よりも自分の中では、
ほんの少しだけ誇りを持てたことかな、と思います

野球のことを愛したことだと思います。
これは変わることはなかったですね。
おかしなこと言ってます?僕。大丈夫?

僕にも、感情がないと思っている人いるみたいですけど、
意外とあるんですよ(笑)

言葉にすること。難しいかもしれないけど、
言葉にして表現することというのは、
目標に近づく一つの方法ではないかなというふうに思っています

多分、明日もトレーニングはしてますよ
それは変わらないでしょうね

人より頑張ることなんてとてもできないんですよね
あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある

少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけない、
というふうに思うんですよね

地道に進むしかない、進むだけではないですね
後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので

自分がやると決めたことを信じてやっていく
でもそれは正解とは限らないですよね
間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど
でもそうやって遠回りすることでしか、
本当の自分に出会えないというか
そんな気がしているので

引退というよりは、
「クビになるんじゃないか」というのはいつもありましたね

それはそうでしょ
だって、二人の会話だから しかも僕から声をかけているので
それをここで、僕が「こんなことを僕は言いました」
って馬鹿ですよね
絶対信頼されないもんね、そんな人間は それはダメです

だって、そういうものでしょ
いちいちそれを説明すると本当に野暮ったいもんね

まぁ、粋って自分で言えないけど
言うと「無粋」であることは間違いないでしょうね


妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるんですけど
その数が2800ぐらいだったんですよ
3000行きたかったみたいですね
そこは、うーん、3000個握らせて上げたかったなと思います

問◇3月終盤に引退を決めたと、技術の質問で恐縮だが
打席内での感覚の変化は今年はなにかあったか

答◆いる?それ、ここで(笑)いる?

 ◇ぜひとも、はい。
 ◆裏で話そう、あとで。裏で。

仰木監督だったら美味しいご飯とお酒を飲ませたら…「飲ませたら」って、
これはあえて言ってますけど
これはうまくいくんじゃないかなとおもったら、まんまとうまく行って

口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなぁと思いますね
だめだだめだと仰っていたものが、
お酒でこんなに変わってくれるんだと思って

お酒の力を、まざまざと見ましたし、
でもやっぱりシャレた人だったなぁ、というふうに思いますね
だから、仰木監督から学んだもの…計り知れないと思います

僕、我慢できない人なんですよ
我慢が苦手で、楽なこと楽なことを重ねているという感じなんです

自分ができること、やりたいことを重ねているので、
我慢の感覚がないんですけど

同じ瞬間がないということ
必ず、必ずどの瞬間も違う

成功かどうかって、よくわからないですよね
じゃ、どこからが成功で、そうじゃないのかって、
全く僕には判断できない
成功という言葉は、だから僕は嫌いなんですけど

やりたいならやってみればいい
「できる」と思うから挑戦するのではなく、
「やりたい」と思えば挑戦すれば良い
その時に、どんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね

制度だけに目を向けるのはフェアじゃない、
かなというふうに思いますけどね

お腹減ってきた~もぉ~!結構やってませんか?1時間20分?

◇プロ野球生活を振り返って、誇れることは
これ、先程お話しましたね?
小林くんも、ちょっと集中力切れてるんじゃないの?(笑)

アメリカに来て、外国人になったこと
アメリカでは僕は外国人ですから

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、
人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれたんですよ

孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました

だから、辛いこと、しんどいことから、
逃げたいと思うのは当然のことなんですけど
でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく
そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています

締まったね、最後(笑)
いやぁ、長い時間ありがとうございました


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ということでした

3月~4月節目の時、新しいスタート

私自身も新しいスタートを考えております

そのあたりはまた次回に


ではまた


EHAGAKI #366 ≪与太郎的こころ≫

2019年03月18日 | EHAGAKI

お世話になります

図書館で文藝別冊「立川談志」というムック本を借りました
2013年の発行です

その中で、まるでこの3月に入ってからの話題に対する
コメントの様な文章がありました
また、前回の「#365 虚構の中の現実」にも
通づる話題でもありました

ということで今回のお題は、
立川談志師匠1992年のエッセイ
「敢えて、与太郎興国論」をご紹介させて頂きます
またも少々長いですが


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

常識には不愉快な部分がある
その不愉快な部分を解決するために、落語が必要

落語は常識のほころびを直す役割も果たすが、根本的には、
常識を否定している 兄弟仲良くとか、隣人を愛せよなんて言わない

芸人なんてのは、常識の世界からドロップアウトした非常識な連中

ところが、ちゃんとやれないはずの芸人が、今は市民権を持っちまった
これはいけません
だから、ポケットにコカインを入れたら怒られるんですよ

芸人というのは、そんな非常識なものをやっていく稼業なんですよ、
まぁ、社会ルールに反したら、一応ペナルティは払いますが、
それだけで、あとはまたそのことを喋り、
同じことをやって捕まればいいだけなんです

そのはぐれ者の文化を、桂三枝とか春風亭小朝みたいな常識人が
とり入れようとしている
ビートたけし、上岡龍太郎、山城新伍しかりね

それが、今のテレビを中心とするお笑いの世界なんですよ

テレビは基本的には非常識に憧れているんだけど、それが出来ない 
テレビはあくまで常識サイドにある

落語は非常識の視点から常識サイドを見てる

「おれは人にものを教わるのが嫌いだ」
「私が教えてもか」
「おめえは別だい。何かあったら言ってくれよ」
「でも、怒りそう……」
「怒らねえッつってるじゃねえか」

「じゃ、言うけど、おまえが二服目の煙草をはたいた時、
火の玉が煙草盆に入えらねえでおまえの袂へ入えった。
見ているうちに、煙が出たよ。大丈夫かと思って。
今、燃え出したけど、ことによると消したほうがいい 」

「この野郎ツ、早く教えろツ、バカヤロウ」
「ほらみろ、だから怒るから教えねえほうがよかった」 

こういうのが落語

落語の基本には、
「文明というのはそんなにいいものではない」というのがある

つまり
不快感を自分の納得できる方法で解消するのが「文化」
納得はしてないんだけど便利だというので、いっちゃうのを「文明」

俺は「文明」に委ねてきた自分を今、こんな 形で謝罪している
もっと言うと、ボケ問題だろうが、覚醒剤の問題だろうが、
もともとあれが本質なんでね

たしか岸田秀先生が、「人間というのは本能が壊れている」 
とおっしゃったけど、たしかに本能がずれてると考えたほうがいい
だから、放っとくと人間は死んじゃうから

知性をつくってきた  その力がだめになったときにボケるのであって、
やっぱりあっちが本物なんじゃないのか

してみりゃ、幻覚剤、覚醒剤、と、あっちが本当で、
それを正常ってやつがストップさせてるだけで、
いつかはあっちへかえりたい、幻想とか非日常とか

 落語は、それを知ってて、「文明」というやつを笑っている
「文明」というのは、一口に言っちゃうと、全部便利さ優先

便利が先に立って、いろいろな知識を持ったやつがビール瓶を
こしらえたり、ライトをこしらえたりするのを「いい」としてきた

どうもそうじゃないような気がする 

なかでも腹がたつのは、経済人だね
だいぶ前だが、牛尾治朗に、

「右も左もわからないガキに、ちょいとライトが変わるからとか、
もっと小さくて軽いから、ってんで新製品を売りつけるのは、よくないよ」
と言ったら 

「いいものだから売るし、相手も買うんだ」って言ってた

そういった不快感の解消を「文明」という手段を使って、
金儲けという目的にすりかえているやつが
「若者に夢がない」なんて、よく言えたもんだ

与太郎でいいじゃないの 

倅もね、大学を途中でやめちやった
学校の先生の話より俺の話のほうがおもしろいって
「それじゃおまえ、どうやって食うの?」
「財産がくるだろ」
 「大したことないけど、法的には行くだろう」
「それでいい」
「逆らったらやらんぞ、おまえ」
「おれ、今まで逆らったことある?ないだろう」
と言うんだよ

一度もおれに逆らったことねえんだ、
こいつ、まるで落語の与太郎なんだ

それでね、ははぁ与太郎というのは、
こういう非生産的な人間のことを言うんだな、
ということがわかった

「飯は何で食うんだ?」
「箸と茶碗だ」なんて言ってる野郎なんだからね

だけど与太郎は、「非生産的でなぜ悪いんだ」ということを、
生産的なやつにいくら言っても無駄だと知っているし、
だから与太郎でいい、バカと言いたきゃそれでいいとひらきなおってる

「そのかわり、おれがいることによって、
あなた方はどれだけ助かっているんだ」ってね

牧伸二のジョークじゃないけど、
「寝てないで勉強しろ」
「勉強すると、どうなるんだ」
「成績が上がるんだよ」
「上がるとどうなるんだい」
「いい学校へ入れる」
「入れるとどうなんだい」
「いいところに就職できる」
「と、どうなんだよ」
「収入が増えるんだよ」
「増えてどうなる」
「寝てて暮らせる」
「だから、寝てるんじゃねぇか」 ってね。 

本質よりも利潤を優先する企業、それを相手にしている人間が、
テレビを牛耳っている限り、それを占めている電通とか博報堂が
やっている限り無理だろうけどな

そうなると、やっぱりライブ、高座の復権しかない

こんな噺もあるよ

与太郎がかぼちゃを売りに現われる

「何でこんなもん売らなきゃなんねえんだ」と言ってね

食うやつがいるから作るやつがいるのか、
作るやつがいるから食うやつがいるのか、いずれにせよ、
間の悪いやつは、あいだへ入って売らなきゃならねぇ

これは見事に経済を突いている
これが、今の経済人に踊らされているサラリーマン社員の代弁だ

そこに気がつかないと、落語も滅びるし、歌謡曲も滅びる
だからやっぱり私はこんな感じのことを、
伝えていかにゃぁならんのでしょうな、愚痴として

立川談志 「中央公論」92 . 2月号より

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


ということでした

長い文章を大胆に抜粋・修正したつもりでしたが、
それでも長くなってしまいました
ご容赦下さい


別のソースですが、与太郎はこうも言ってます

「壊れた時計だって、1日に2度は合う」


いろいろ考え直す、べきですかね

ではまた


EHAGAKI #365 ≪虚構の中の現実≫

2019年03月05日 | EHAGAKI

お世話になります

ネットでは「虚構新聞」というサイトがあります
たとえば

スマホ時代反映 縦長映画館オープン 横浜
http://kyoko-np.net/2017061301.html

「200年後、ネコが地球の支配者に」スパコン予測 千葉電波大
http://kyoko-np.net/2019020101.html

などなど、“嘘”と分かり易い内容です
パロディ・諷刺・皮肉を通じて、世の諸事象に関心を抱いてほしい
との主旨のようです

ところが

「国際社会に不確定性導入」 トランプ氏、ノーベル物理学賞候補に
http://kyoko-np.net/2019021901.html

いやいや、今の世界、ひょっとしてあるかも?
なんてことになります

そしてこれ

政府統計「信頼できる」100% 内閣府調査
http://kyoko-np.net/2019011501.html

これぐらいの発表があっても不思議でない?
現実が虚構を超えているのではないか、と思うことも

ちなみにこの記事の “オチ” は

「・・・無作為抽出した全国計3人を対象に調査票を郵送・・・
『政府統計を信頼できますか』
という質問に「はい」か「いいえ」で答え・・・
有効回答から3分の1を抽出した統計を四半期ごとに公表している。」

なんとも、現実と虚構の境界が無くなっているかのような、
今日この頃であります

「虚構」と「政治や経済」は同義語かもしれません


さて今回のお題は、ベストセラー「ホモ・ゼウス」からであります

「ホモ・ゼウス」
ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新書

この本は、いつもの様なサンプルだけでなく
しっかりと上下巻とも kindle版電子書籍で買いゆっくりと読み進んでおります

前著「サピエンス全史」で歴史を語り「ホモ・ゼウス」で
未来を語っているそうですが、今回はその中で、
「ホモ・ゼウス」の前半、振り返り部分であります


◆  ◆ ◆ ◆ ◆  

オオカミやチンパンジーのような動物は、
二重の現実の中で暮らている 
彼らは木や岩や川といった、
自分の外の客観的なものを理解している

また、恐れや喜びや欲求といった、
自分の中の主観的な経験も自覚している 

それに対し、サピエンスは三重の現実の中で生きている

木や川、恐れや欲求に加えて、サピエンスの世界には、
お金や神々、国家、企業についての物語も含まれている

21世紀の新しいテクノロジーは、
神や国家や企業といった虚構を、さらに強力なものにする

未来を理解するには 、
キリストやフランス共和国やアップル社についての物語が、
どうやってこれほどの力を獲得したかを理解する必要がある

「人間は自分たちが歴史を作る」と考えるが 、
歴史はこうした虚構の物語を中心にして展開する

人間の基本的能力は、石器時代から変わらず、
変わったとすれば「衰えた」ことぐらい

だが 、物語はそれによって歴史を石器時代から
シリコン時代へと強力に推し進めてきた

すべてが始まったのはおよそ七万年前

「認知革命」のおかげでサピエ ンスが自分の
想像の中にしか存在しないものについて語りだした

その後の六万年間、
サピエンスは多くの虚構の物語を織り成したが、
それは小さく局地的なものに限られた

小さな範囲ではあったが、
祖先の霊や貴重な貝殻についての物語は、
サピエンスにとって強みだった

そうした物語のおかげで、何百、何千ものサピエンスが
効果的に協力できた
それはネアンデルタール人やチンパンジーには望むべくもない

約12,000年前に始まった「農業革命」は、
共同主観的ネットワークを拡大・強化する物質的基盤を提供した 

農耕のおかげで、都市の多くの人々を集め、
軍隊は何千という兵士を養うことが可能になった

そうなると、新たな障害にぶつかる

集団的神話を維持する為に、初期の農耕民は
人間の脳のデータ処理能力に頼っていた

当然、その能力には限界がある 

そこで彼らは、お気に入りの神のために神殿を建て、
その神を称えて祝祭を催し、生贄を捧げ、
土地や収穫の一部や供物を献じた

6,000年前頃、古代シュメールの都市では、
神殿は崇拝の中心地であるばかりか、
最も重要な政治的中枢や経済的中枢でもあった

同時にシュメールの神々は、
現代のブランドや企業に相当する機能も果たした

神々は農地や奴隷を所有し、融資をしたり、給金を払ったり、
ダムや運河を建設したりできる法人であった

神々はけっして死ななかったし、
相続財産をめぐって争う子供もいないので、
多くの資産と力を蓄えていく

いつしか、多くのシュメール人が神に雇われ、
神から融資を受け、神の土地を耕し、
神に税を支払う義務を負わされることになった 

今日のサンフランシスコで、
たとえばジョンはグーグルに雇われ、
メアリーはマイクロソフトで働いているのと同じ

ある人は偉大な神エンキに雇われ、
その隣人は女神イナンナに仕えていた 

エンキとイナンナの神殿は堂々とそびえ、
その神聖なロゴがさまざまな建物や製品や衣服を飾っていた

私たちにとってグーグルとマイクロソフトが
現実味のある存在であるのに劣らず、
シュメール人にはエンキとイナンナは現実感があった

神々は、石器時代の魔物や霊といった先輩たちに比べると、
強力な存在となった

実際に神々が、
自らの業務を行なっていたわけではないことは言うまでもない 

理由は単純で、彼らは人間の想像の中以外の、
どこにも存在しなかったからだった


◆  ◆ ◆ ◆ ◆  


ということでした

虚構と嘘、似て非なるモノです

人間として「真摯に」活動したいものです


ではまた

虚構:実際にはない、作り上げたこと。作り事を仕組むこと。フィクション。
嘘:事実ではないこと。人をだますために言う、事実とは異なる言葉。