橋長戯言

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橋長です。

LS HAGAKI Vol.51 ≪暦について≫

2003年12月04日 | EHAGAKI
LS HAGAKI Vol.51 ≪暦について≫2003.12.4(旧暦では11/11) 
 
現在の暦は太陽の運行を基にした太陽暦です(1年=365.2422日)
太陰暦は月の運行を基準にし1ヶ月は29.53日(1年=354.37日)となり
イスラム教徒はこの「月ごよみ」を生活基準としています
 
日本では太陽と月の運行を両方取り入れた太陰太陽暦
いわゆる旧暦が使われていました
 
太陽と月の1年の差=11日を調整し「閏月」を一定の法則で入れることにより
日本の気候風土に合致した「科学的な暦」でした 
 
また時刻についても江戸後期の天保暦制定から
「不定時法」を採用しました
 
この不定時法では昼と夜の時間が季節によって5時間近く違ってきます
 
日の出が明け六つ(卯の刻:6時)太陽が真上にあれば昼九つ(午の刻:12時)
日の入りが暮れ六つ(酉の刻:18時)という自然に合わせた省エネ時間でした
 
当時は節気ごとに昼夜の時間が異なる“和時計”を使っていました
サマータイムなんかは裸足で逃げ出す柔軟性です 
 
太陽暦が使われ始めたのは、ほんの420年前のことです
 
かつてシーザー(ユリウス・カエサル)は紀元前46年に
ユダヤ教徒と同じ太陰太陽暦を使っていたローマ帝国を
シリウス星の観測に基づいたエジプトの太陽暦に改暦したのです
 
エジプトの女王クレオパトラの気を引く為だったんでしょうかね
 
この「ユリウス暦」は16世紀後半になると誤差が積み重なって
昼と夜の長さが同じになるはずの春分の日が10日ほどズレてしまいました
 
そこで1582年ローマ教皇・グレゴリウス13世が改暦し
現在の「グレゴリウス暦=太陽暦」となったのです
 
一方日本では
「明治5年12月3日を以って明治6年1月1日とする」
という太政官布告がだされ「太陽暦」に改暦されました
 
当時、岩倉具視、大久保利通といった政府首脳の多くが
遣欧米使節団として不在の間に
大隈重信は福沢諭吉とともにこの大改革を断行したのです
 
「改暦は、脱亜入欧、富国強兵、文明開化促進の要」
という大義名分のもと便利な太陰太陽暦(旧暦)を捨てたのです 
 
しかし、実際のところは政府の財政事情があった様です
 
維新後の様々な改革による大出費
そして当時すでにお役人のサラリーは月給制になっていました
 
明治6年は旧暦のままですと「閏6月」があり
13回給料日のある年でした
 
「もし明治5年12月3日が明治6年のお正月になり
翌年が太陽暦で閏月がなくなったら」
 
「難なく、12月と6月、2ヶ月分の給料カット!」
 
どうもこれが大急ぎの改暦の第一の理由だったようです 
 
我々はどうも「年月日や時間は絶対」と考えがちですが
その時々の一時的な理由で変えられてきた様です
 
技術が進歩している現在こそ「見やすい和時計」でもあれば便利かな
と 考えている今日この頃です