橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

暮れましてありがとうございました・EHAGAKI #385

2019年12月27日 | EHAGAKI

暮れましてありがとうございました

来年は子年
「庚子(かのえ・ね)」の年となります
「庚」「子」それぞれに様々な意味合いがあるようですが
それぞれが、それぞれの願いが叶うことを祈るばかりです

子年、皆様に幸多き事を祈念いたします

来年もよろしくお願いします

過去の子年メモ

〇1948年 昭和23年
美空ひばりデビュー(デビュー曲:河童ブギウギ)
プロ野球初のナイター
110番スタート(警視庁)
男性はリーゼント、女性はロングスカートが流行
ポテトチップス発売開始(日本人には、受け入れられず)
ロンドンオリンピック


〇1960年 昭和35年
日本でカラーテレビの本放送開始
「キャベジンコーワ」発売
麒麟麦酒が缶入りビールを発売
インスタントコーヒーが発売
大洋ホエールズ日本一(三原マジック)
日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)調印
ダッコちゃんブーム
ローマオリンピック


〇1972年 昭和47年
沖縄返還
自動車の初心者マークが制定
パーソナル電卓「カシオミニ」発売
必殺仕掛人(朝日放送)が放送開始
太陽にほえろ!放送開始
グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一さん発見
連合赤軍によるあさま山荘事件
第1次田中角栄内閣
パンダ来日
札幌オリンピック


〇1984年 昭和59年
アップルコンピュータがMacintoshを発表
かい人21面相~グリコ森永事件
「風の谷のナウシカ」封切り
ハーゲンダッツ
カラムーチョ
コアラのマーチ
日経平均株価が初めて10,000円の大台を突破
冬季サラエボオリンピック
ロサンゼルスオリンピック


〇1996年 平成8年
ルーズソックスが流行
たまごっち
ポータブルMDプレーヤー
「NINTENDO64」を発売
「ポケットモンスター 赤・緑」発売
チャールズ皇太子、ダイアナ皇太子妃夫妻が離婚
日本の原爆ドームが世界遺産に登録される
アトランタオリンピック

サラリーマン川柳
・人が減り 給料減って 仕事増え(あんどう)
・やせるお茶 せっせとのんで 水ぶとり(プアール)
・なぜ太る 同じ食事で 妻だけが(太りたい夫)
・ダイエット 形状記憶で 元どおり(珍素材)
・そっと起き そっと出掛けて そっと寝る(やさしい夫)
・カーナビを 使える頃には 道覚え(百楽太郎)
・クラス会 担任よりも 老けた奴(落第生)

〇2008年 平成20年
iPhoneが日本で発売
リーマン・ショック
松下電器産業が社名を「パナソニック株式会社」に変更
欧州中央銀行、新ユーロ紙幣発行予定
北京オリンピック

サラリーマン川柳
・空気読め それより部下の 気持ち読め(のりちゃん)
・今帰る 妻から返信 まだいいよ(えむ)
・減っていく ボーナス年金 髪愛情(ピュアレディ)
・円満は 見ざる言わざる 逆らわず(ソクラテス)
・国民の 年金損なの 関係ねえ(官僚)
・社長より 現場を良く知る アルバイト(岩手一戸の人)
・赤字だぞ あんたが辞めれば すぐ黒字(はぐれ鳥)


EHAGAKI#384 ≪子育て指南≫

2019年12月23日 | EHAGAKI
 
知らないコトを知らないまま
答えのないコトは答えのないまま
 
そんな曖昧な時代に育ったと思います
 
白黒テレビのウルトラQから
カラーになってウルトラマン~ウルトラセブン
という世代であります
 
当時、理解出来ずに見ていた回が結構あったものです
だけど楽しみに見ました
再放送を見て理解できたり、それでも解らなかったり
 
近所には、おかしなおじさん、怖いおじさん
うるさいおばちゃんが居ました
 
そんな時代でした
 
さて、今回のお題は「子育て指南」であります
 
参考図書)
 
「汚い言葉を文章や外部にむけて発信するべきでない」
というのが私の基本です
 
しかし、この宮台真司氏、ご存知の方も多いかと存じますが
クズ、クソ、ケツナメというワードが常套句の人です
 
以下の抜粋メモでは極力避けたつもりでもチラホラ出ますが
ご容赦下さい
※そもそも本のタイトルが「ウンコのおじさん」ですから
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ 
 
◆ウインドウズ95が
 
「インターネット元年」と呼ばれた1995年
それからコミュニケーション能力の「向上」が顕著に

その中身は「神経質に空気を読む能力」
不安が背景
 
当時の中高生の一部も、いまは親
親がこうした態度なら、子どもに悪影響を与える
 
不安な人は、損得勘定にめざとくなる
損得を超えた愛や正しさを示せなくなる
 
そんな親は、損得に拘泥(こうでい)する
愛や正しさの乏しい子どもを育てる

そんな「損得親」は同感能力
相手の心を自分の心に映す力が弱く
子どものためを思っているつもりで
自分の不安を埋め合わせる「自慰」に終始しがち


◆ウルトラセプン
全話の三分の一を監督した満田かずほ氏
 
1960年代に比べて子ども番組が劣化したのは
作り手の劣化のせいですか、と尋ねた
氏が答える
 
1960年代の作り手は
親が一緒に見ているという前提で番組を作った
だから親が説明するだろう
と思って難解な表現にも躊躇しなかった
 
それが、1970年代半ばまでに
親は一緒に見ない、という認識に変わった
 
子どもが一人で見てわかるように
番組から難解さを取り除いた
 
とのこと

勧善懲悪を否定する1960年代コンテンツは
子どもたちに、どんな体験を与え、何をしてくれているのか
 
一口で言えば
法外のカオスに対する免疫力を与え
さらに法外の魅惑を教えてくれている
 
 
◆マトモな 〈妄想〉 を身につける
 
子どもを抱え込めば必ず問題を生じる
抱え込もうとする親に子どもは適応しようとする

子どもから見た親は
ワケのわからない世界観を生きている
かつてと違い万人に共通の世界観ではない
 
どんな親も、多少なりとも妙ちくりんな妄想を生きている
親が子どもを抱え込めば、子どもは親の妄想に適応を迫られる
その結果
子どもは、親の適応に役立つ妄想、世界観や感情の枠組を抱え込む
 
子どもが自己防衛のために抱えるこうした妄想は
親への適応には役立っても、社会を生きるのには役立たない
たいてい有害
 
 
◆頓馬な親
 
子どもをコントロールし
カオスを全面回避し
法内に留め置きたがる、ダメな親

そんな親だらけなのはなぜか
親もそう育ったから
 
共同体が空洞化し、親が子を抱え込める度合がどんどん上がり
頓馬が連鎖するようになってきた
 
 
 
◆正しさよりも損得
 
「正しさよりも損得」という動き
こうしたデタラメな社会は制度の手直しでは治らない
 
未来の社会をマトモにしたければ
すべての親が子どもの抱え込みをやめなければならない

押し殺すのはつらい
ならば
押し殺すべき「本当の自分」を持たない方が得だ
そこからも
「愛や正しさよりも損得」の右往左往が生じる

いま、日本の中学生は7割に反抗期が無い
反抗期は
近代社会に残った唯一の通過儀礼らしきものであった
 
父親の機能は
家庭に社会を持ち込むエージェント(代弁者)
外から社会を持ち込むので大きな存在:権威に見える
 
だから子どもは従う
やがて、権威をうざったく感じはじめる
 
頭ごなしに否定して自信を喪失させる
すると、子どもは攻撃的になる
 
反抗期は長くて2年
その間に
父が"社会のなかの小さな存在にすぎないこと
自分も父のように社会のなかの小さな存在になること
を学ぶ
 
 
◆ 法外のめまい
 
「法外のめまい」があるから、クソな社会に耐えられた
この社会はクソだというのは
最近の社会が腐っているという意味ではない
 
本質的な意味で僕たちの本体は、法の外にある
法の外でのシンクロが、仲間かどうかを示してくれる
 
仲間を守るために、法を守り、破る
仲間が目的で、法が手段
 
今は
法に従うだけで仲間を忘れて生きられる(と思える)
ようになった
 
しかしそれはごく最近の話
映画などでノスタルジーの舞台になる昭和までは違った
 
法か禁止していても、花見のときは公園内で焚き火をして
お巡りさんも大目に見てくれた
 
 
◆タテマエ:法内とホンネ:法外
 
タテマエ=法内と、ホンネ=法外のシンクロがあった  
法内と法外の両方があったから生きる甲斐があった
 
交換バランスと損得勘定から成る
法内に閉じこもることがないよう
定期的に無礼講の祭りをしてきた
 
祭りにはバランスを崩した過剰な贈与があり
内から湧く力で贈与を支えた
 
 
 
◆なりすまし
 
「なりすまし」によってようやく生きられる世界、と言える
普通に社会というとき、法外ではなく、法内を指す
そんな社会は「なりすまし」でようやくしのげるクソ社会
 
「なりすまし」を忘れてマジガチになったらお終い 
ミイラ取りがミイラになる
社会のクソぶりに引張られて自分もクズになっちゃオシマイ
 
愛に見返りを求めるストーカーみたいなクズ
法外にいきり立っネトウヨみたいなクズ
 
クズにならないための原則を
子どもに伝えなければならない
 
多くの人が法内を社会だと思っている
しかし、法外の営みがある
それも含めて「社会」
 
その感覚がないと、祭りにノレず、性愛もショボい
貧相な人になる
 
ビジネスでエラぶっても
仲間がいないさびしい人やキモい人
 
 
◆政治と恋愛
 
過去20年間
政治と恋愛を「コストパフォーマンスが悪い」として
忌避する若者が多数派になった

政治に必要な「損得よりも正しさ」
恋愛に必要な「カネよりも愛」が枯渇
 
損得に拘泥する浅ましい生き方が蔓延し
政治が支える国と、恋愛に始まる家族の、持続すら怪しくなった
 
知識の専門性を高めれば危機に対処できると勘違いした
知識を何に使うかの「動機づけ」を不確かにし
競争動機のようなものに縮めた

いまの社会は
「正しさ(真理や正義)」への動機づけが枯渇し
専ら「損得」のために知識が使われる
 

◆すべきこと ~ ウンコのおじさん
 
「動機づけ」は知識の伝達では調達できない
「体験による学び」で成長する他ない 
 
するべきことは明らか
「劣化した大人が、劣化していない子どもを育てる」こと

さもないと
損得だけのクズが量産され、社会がさらにクソになる

あなたがウンコのおじさんになる
なれないなら他を探して委ねる
それだけ

 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

かなり過激な内容でした
そもそも「ウンコのおじさん」とは?
親子、上下ではなく斜めの関係ということの様です
 
答えは一つではない
YES/NO、損得だけではないことを意識して
 
ではまた
 

LS EHAGAKI #198≪淀んだ効果≫(2009.2.26)

2019年12月22日 | LS HAGAKI
『ぼちぼちいこか '08』フューチャリング くいだおれ太郎  

LS EHAGAKI #198(2009.2.26)

先般 久々にライブに行きました(自分たちのではなくプロの)

その後 ある本を読んでいて

そのライブの“有山じゅんじ”さんの古い曲のワンフレーズを思い出しました

「僕は人間 機械じゃない」by 有山じゅんじ(曲:そんなにガミガミ)

「機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、

完成した後からでも部品を抜きとったり、交換することができる。

そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。

機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。」

「生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、

その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。」

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

福岡伸一 著 「生物と無生物のあいだ」の一節です

読書に関して天邪鬼な私はベストセラーを買うことはめったにないのですが

本屋さんでの露出量と店員さん手書きのPOPに負けてしまいました

表紙 というか表紙の大半を占めるオビには

生物と無生物のあいだ 福岡伸一  40万部突破 サントリー学芸賞受賞 

各メディア絶賛の嵐 必読のベストセラー  読み始めたら止らない 極上の科学ミステリー
生命とは何か? ・・・怒涛の大推薦!! 講談社現代新書

これだけのハンデ?を背負った本を自分が買うとは

今朝 本屋で見ると「60万部突破 新書大賞 ダブル受賞!!」も

オビに加わっていて その後の勢いも凄いようです

そして裏表紙のオビには推薦

「福岡伸一さんほど生物のことを熟知し、文章がうまい人は希有である。

サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す。」 茂木健一郎氏

露出量一番の先生の推薦 なんか信じ難い気がしますが「文章がうまい」とある

高橋源一郎氏は

「優れた科学者の書いたものは、昔から、凡百の文学者が書いたものより、

遥かに、人間的叡智に満ちたものだった。つまり、文学だった。

そのことをぼくは、あらためて確認させられたのだった。」

さらに よしもとばなな氏は

「スリルと絶望そして夢と希望と反逆の心にあふれたどきどきする読み物です!大推薦します。」

と パラパラと中を覘くとマンハッタンの風景や

アメリカでの野口英雄の評価について などなど 

「まぁ たまには こんなセンスも有りか」と“白とまぶしい緑”の装丁の新書をレジへと

運んだ次第であります

この本のもっとも大きいテーマ それは生命とは何かというコト

 「生命とは何か? それは自己複製するシステムである。」

「生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。」

「お変わりごさいませんね などと挨拶をかわすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、

分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。」

とのこと 分子レベルで見ると流れているそうです その流れが少し淀んでいるのが 

我々生物である訳です 

分子レベルの何かが集まった塊ではなく 

その流れの淀んだ状態が効果として現れたのが生物ということですね  

人生は 一方通行 戻ることは出来ない 

というのは分子レベルから見ても当然 ということでしょうか

この本 科学的に見ると説明不足ではないか 等々 表現・解釈について

色々議論があるようですが そういった知識の全く無い者にとっては

すんなり入ってくる読物であったことは間違いありません

こういう一節も 

「これはこうに違いない!という直感は、多くの場合、

潜在的なバイアスや単純な図式化の産物であり、

それは自然界の本来のあり方とは離れていたり異なったりしている。」

一番を狙って研究する すべてはスピード勝負 

僅差の二番には何の栄誉も与えられない そこに様々なドラマが生まれる 

私など全く関りの無い世界を 学問としてではなくドラマとして垣間見ることが出来ました

追求すること 間違い 勘違い 偶然 タナボタ 嫉妬 そして奇跡 

どれもこれも 我々生き物にとっては 一回コッキリ やり直し 

という選択肢は 基本的に無い ということでしょうね

 では どうするか すこしぐらい淀んでいた方が人間らしいということでしょうが 止まってはいけません

そして 生物全般に共通して言えることは“大切に生きる”  個別には? それは 皆様それぞれで

Thinkin’Of You

Thinkin’Of You 価格:¥ 2,730(税込)

僕は人間 機械じゃない と歌う「そんなにガミガミ」が入った

アルバム“MAKE A JOYFUL NOISE ”はアマゾンでは扱っていませんでした

探せばありと思いますが 有山じゅんじさんの音楽 

どれも“するめの様なコンセプト”ですので ぜひ

無生物と我々生物の差 それは “モノ(物)ではなくコト(効果)”  

解釈の応用範囲は広いように思います “淀み”を良い意味で意識していきたいものです

で 私の推薦図書ですが「生物と無生物のあいだ」ではありません この手の本にご興味がおありでしたら ぜひこの大作を

生命40億年全史  
  生命40億年全史  価格:¥ 2,520(税込) 発売日:2003-03

リチャード・フォーティ (著), 渡辺 政隆 (翻訳)

少々お高く 重い本ですが 

“生命の歴史 それを解き明かす研究者の臨場感ある目線 興奮 ワクワクして読めました 怒涛の大推薦です”

そして私は 次にこれを読もうと思っている次第であります

地球46億年全史  

地球46億年全史価格:¥ 2,940(税込)発売日:2008-12-25 

リチャード・フォーティ (著), 渡辺政隆 野中香方子 (翻訳)

LS EHAGAKI #198より


EHAGAKI #247≪sense of wonder≫ 2012.2.27

2019年12月18日 | EHAGAKI

Konchan1958


2012.2.27の

EHAGAKI #247≪sense of wonder≫です

 

今回のお題は「sense of wonder」であります

 

■機械論的写真機考(省略)

■「センス・オブ・ワンダーを探して」から(省略)

■「生物と無生物にあいだ」感想文

■動的平衡(Wikipediaから)(省略)

■センス・オブ・ワンダー

 

 ■ ■ ■ ■

 

■「生物と無生物にあいだ」感想文

 

「機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることがで
き、完成した後からでも部品を抜きとったり、交換することができ
る。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがな
い。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間とい
うものがない。」

 

「生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れが
あり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度
と解くことのできないものとして生物はある。」

 

福岡伸一 著 「生物と無生物のあいだ」の一節です

 

この本のもっとも大きいテーマ それは生命とは何かというコト 
「生命とは何か? それは自己複製するシステムである。」
 
「生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがも
たらすところの効果なのである。」

 

「お変わりごさいませんね などと挨拶をかわすが、半年、あるい
は一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ
替わっていて、お変わりありまくりなのである。」
とのこと 分子レベルで見ると流れているそうです

 

その流れが少し淀んでいるのが 我々生物である訳です分子レベル
の何かが集まった塊ではなく その流れの淀んだ状態が効果とし 
現れたのが生物ということですね

 

人生は 一方通行 戻ることは出来ない というのは分子レベルか
ら見ても当然 ということでしょうか

 

この本 科学的に見ると説明不足ではないか 等々 表現・解釈に
ついて色々議論があるようですが そういった知識の全く無い者に
とっては すんなり入ってくる読物であったことは 間違いありま
せん

 

こういう一節も

 

「これはこうに違いない!という直感は、多くの場合、潜在的なバ
イアスや単純な図式化の産物であり、それは自然界の本来のあり方
とは離れていたり異なったりしている。」

 

一番を狙って研究する すべてはスピード勝負 僅差の二番には何
の栄誉も与えられない そこに様々なドラマが生まれる 私など全
く関りの無い世界を 学問としてではなくドラマとして垣間見るこ
とが出来ました

 

追求すること 間違い 勘違い 偶然 タナボタ 嫉妬 そして奇
跡どれもこれも 我々生き物にとっては 一回コッキリ
やり直し という選択肢は 基本的に無い ということでしょうね
では どうするか すこしぐらい淀んでいた方が人間らしいという
ことでしょうが 止まってはいけません 
そして 生物全般に共通して言えることは“大切に生きる”

 

個別には? それは 皆様それぞれで

 

無生物と我々生物の差 それは“モノ(物)ではなくコト(効果)”
解釈の応用範囲は広いように思います “淀み”を良い意味で意識
していきたいものです

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

 

■センス・オブ・ワンダー

 

 

「子どもたちよ。子ども時代をしっかりとたのしんでください。
おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくれ
るのは子ども時代の『あなた』です」石井桃子

 

「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激にみちあふれています。

 

残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきっ
た洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶら
せ、あるときはまったく失ってしまいます。

 

もしも私が、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話し 
かける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消え
ることのない『センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さ
に目を見はる感性』を授けてほしいとたのむでしょう。

 

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わた
したちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人
工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤に
なるのです。」

 

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

 

知ることは、感じることの半分も重要ではない。

 

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

 

 ということでした

 

“sense of wonder”


感動する 出来れば共感する何かを 

ビジネスにおいてもプライベートにおいても追い求めたいものです


ではまた


EHAGAKI#383≪街の変な日本語≫

2019年12月03日 | EHAGAKI

「右」の説明出来るでしょうか?

右手の右、辞書での話です


・東を向いた時の南側
・ひらがなの「り」の長い側
・この辞書を開いて偶数ページ側

知らない人や正確な意味を知りたい人に
分かり易い表現で説明する、難しいものです

そしてなにより言葉は変化していくものであります

さて、今回のお題は

「知っておくと役立つ街の変な日本語」
飯間浩明著 朝日新書



変な日本語、文字通り「変な」ではなく
変わりゆく言葉でありそれこそが重要である、として
街でみかけた言葉をピックアップした本です

辞書の編纂者である著者独自の視点で書かれています

 ◆ ◆ ◆ ◆

◆静域
駅徒歩3分の静域「聖域」と掛けて静かな場所をアピール

ライターの大山顕氏は「マンションポエム」 と名づけた
言い得て妙

広告文の中の「杜」「住まう」など常用される語がある
香川県の物件ならば「うどんの杜に住まう」

「静域」も常用語で
「その奥の、静域へ」
「そこは、煌めく静域」など

広告の常用語は、やがて一般に広まる可能性がある



◆うまい!になる

キリンの広告
「あなたの一番うまい!になる」

「うまい」は形容詞なので
普通は「うまいを」「うまいに」などとは言わない

この広告では「うまい」は「うまいリキュール」の意味で
名詞として使われている
つまり、「あなたにとって一番うまいリキュールになる」というこ

アサヒは
「すべては、お客さまの「うまい!」のために」と
10年以上前から

サントリーにも
「うまいをつくる」という広告がある

この業界では「うまい」が名詞なのはもはや常識か

「形容詞の名詞化」に最初に気づいたのは1999年11月のこと
名鉄パスに乗った時
「地球にウレシイをこの街から」という
名古屋鉄道の広告を目に
形容詞「うれしい」が名詞として使われていた

ビール会社はなぜ「うまい」という言い切りの形を名詞として使うのか
それは、言い切りには「うまいなぁ!」という実感が伴うから

「うまさをあなたに」のように「うまさ」を使うと
意味が抽象化してしまう
一方「うまいをあなたに」と言うと
今ここで飲んで「あぁ、うまい!」という実感が出る

今後も広告で使われそうな効果的な語法




◆さん付け、から様へ

通りにレストランの地図を示す大きな看板
目印となる古書チェーン店を「ブックオフさん」と敬称つきで書いてある
ブックオフは、この看板を出したレストランのお得意さんなのかも

『朝日新聞』2000年3月27日付の「天声人語」が
「トヨタさん」「ソニーさん」と企業を「さん」づけで呼ぶことに
違和感を示している

さらに、約60年前の『言語生活』1957年7月号には
「富士銀行さん」「三菱銀行さん」と同業同士で呼び合う例が記されている

最初は同業者の間で「さん」で呼び合っていたのが
徐々にどんな場合にも 「さん」をつけるようになったのだろう

看板の地図上の店舗にまで「さん」をつけることも
21世紀になってからよく取り上げらる
口頭での表現から文字としても現れるようになった

敬語は「もっと丁寧に言わないと失礼ではないか」という心理から
地図に「ブックオフ様」と書く例もすでにあるかも?

◇橋長注
企業に対する「さん」「様」問題

「侵入ルポAmazon帝国」という本にはこうあります

◇ ◇ ◇
アルバイト面接での会話
「これまでアマゾン様で買い物をしたことがあるでしょ?」
「ああ、まぁ」
「ご存じのように、アマゾン様の荷物はすぐに届くんです。ということは、~略

私が気になったのは、「アマゾン様」という尊称だ ~略
最初の潜人時、当時の下請け業者であった日本通運は
「アマゾンさん」と呼んでいた

時がたち、今や「アマゾン様」に格上げである
その後に私が会うアルバイトたちも、「アマゾン様」と呼んでいた

「侵入ルポAmazon帝国」
横田増生著 小学館 2019年9月


「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」
横田増生著 朝日文庫 2010年12月

◇ ◇ ◇
もうすでに企業に対する「様」は始まっている様です
個人の感想としては、違和感以外ありませんが

◆ほぼほぼ

「ほぼほぼ」という言い方
「ほぼ」の強調形で
「ほぼほぼ完成」「ほぼほぼ决まり」などと使う

2010年代に特によく耳にするようになるが
この言い方が絶対に許せないという人がいる

一方で、優秀な校閲者がロ頭で「ほぼほぼ」を使うのを聞き
「定着したな」と感既を持った

三省堂の「今年の新語」という催しでは、2016年の大賞に
「ほぼほぼ」 を選んだ
この催しでは、近年の新語で
今後、一般の国語辞典に掲載されそうなことばを選ぶ
「ほぼほぼ」はその可能性が高いと認められた

朝日新聞2016年6月30日付の記事では
「ほぼは90%で、ほぼほぼは95%かな」という男性の語感を紹介している

ただ「ほぼほぼ」のほうが確度が低いという人も居て差はよくわからない
「ほぼほぼ」の方が主観的という感じも

飲み物の自動販売機に「ほぼほぼ100円」という看板があった
数えてみると、全36本の商品のうち100円は32本

「ほぼほぼ」は、ここでは9割弱を指す


◆瞬乾

「忙しい朝に瞬乾!!ワキ汗ケア」
これまで、すぐに乾くことは「速乾」だった

三省堂国語辞典では、「速乾」は、1974年の第2版から載っている
速乾性のペンや、速乾性の下着などが現れて、よく使われる言葉に

「瞬乾」は、それよりもさらに速く、一瞬で乾くことを表現してい
「瞬」のつくことばを見る機会が増えている

あっという間に相手を倒したり
申し出を断ったりすることを、俗語で「秒殺」と言う

「提案してみたけど、秒殺された」のように
この「秒殺」は「瞬殺」とも言う

すぐに撮れる携帯写真は「瞬撮ケータイ」
見やすい画面は「瞬読性に優れる」
飲むとすぐひんやりするビールは「瞬冷辛口」
そしてこの「瞬乾」

「瞬」という漢字は、そんなに新語を作らなかった
最近、急に生産力を上げている
現代人が、何事も待ちきれなくなっているからでは


◆お昼のランチ

お食事処の看板に「お昼のランチ専門店」と
思わずニャッと学校で習った英語では、“lunch”は「昼食」のこと
すると「お昼の昼食」で重言ということになる

変なの、と笑って終わりになりそうですが、ちょっと待った
「お昼のランチ」にも、何か理由があるはずだという目で見てみる

過去に「弁当ランチ」というポスターを目撃
「弁当」も英語では“lunch”、重言のように見える

もっとすごいのは「夜ランチ」というメニュー
「夜の昼食」はさすがに矛盾なのでは?

これらは、英語で考えようとするからおかしくなる
「ランチ」は、日本語では「定食」的な意味がある

つまり「お昼のランチ」は「お昼の定食」「弁当ランチ」
「夜ランチ」は「弁当定食」「夜定食」ということ

外来語を元の意味のままで使えば、混乱はないかもしれない
しかし、それはしょせん無理
日本語で必要に応じて意味が変わるのは、ごく自然なこと



◆コミュ力

社会は私たち相互のコミュニケーションを基に成り立つ
「コミュニケーション」という言葉、長すぎて少々困る

「コミュニケーション」は、?世紀前から日本語に入ってる
よく使う語なのに、なぜか省略されることがなかった

「マスコミュニケーション」は、さすがに「マスコミ」と略された

街で、見かけたコピーライター養成講座のポスター
「コピーカは、コミュ力である」と訴える

「コミュカ」とは「コミュニケーション能力」のこと
文が長くなることを避けて、短く

ネット時代、お互いのやりとりがこれまでになく頻繁になり
ようやく「コミュ」という略語が現れた

コミュニケーション障害を「コミュ障」とも言う
これは失礼にもなる言い方

現在のところは「コミュ〇〇」 の形で使うが
いずれ「コミュ」単独で使う日も来るだろう

将来の会話では
「お互い、もっとコミュを取らなければ」などと

 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

「変」は一般的にはいい意味では使われないですが
著者の飯間浩明氏は「変」「変な日本語」こそが重要だと言います

世の中の「兆し」に敏感になるには
街の中の「変」を観ることが肝要である

と愚考する次第です

ではまた