橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #400≪あつめて涼し≫

2020年08月29日 | EHAGAKI

残暑お見舞い申し上げます

まだまだ先が見えず、油断ならないCOVID-19であります
暑さ対策と調整しつつ、油断なくご自愛下さい

五月雨を あつめて涼し 最上川

夏の暑い時、緑豊かな渓流で
木々の間から、爽やかな風を受け大きく深呼吸をする

そんなのどかな風景が思い浮かびます
そんな暢気なことを書いていると

「涼し」ではなく「早し」ですよ
とツッコミが入ると思います
私が長年勝手に、意味ではなく音から「勝手にイメージ」していただけなのですが

先般、最上川で水害がありました
そのニュースに接し
アレ?
イメージが違っていた
のんびりでは無いぞ!
と思いたまたま図書館で借りていた本を開きました

「芭蕉との対話」
復本一郎芭蕉論集成 
復本 一郎  (著)
https://amzn.to/3lmkIJv

それによると、、、

今回のお題は「五月雨を あつめて涼し 最上川」であります

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

五月雨を あつめて早し 最上川

この句の初案は

五月雨を 集て涼し 最上川
である、と

簡単に言うと
「お寒うございます」
「お暑うございます」
というような「あいさつ」であった、と

「おくのほそ道」の旅の途中、元禄2年(1689)5月28日
芭蕉は出羽国(山形県)の最上川(大石田)の
船問屋:高野一栄宅を宿として30日まで過ごした
そこで29日に作られたのが初案句であった

陰暦5月29日は、太陽暦の7月15日にあたる
まだ梅雨明けしていなかったであろうその五月雨を
「涼し」と表現した

「涼し」も夏の季題であるが
江戸時代には季重りは、あまり問題にされていない

芭蕉としては、世話になった高野一栄に対する感謝の気持を
一般的には敬遠したい雨を、最上川の情景を称美することによって
表現したかった、それが「涼し」の選択とな った

そしてその気持は、 一栄に伝わり
一栄はこの発句に七・七の十四文字で

岸にほたるを つなぐ舟杭

と付けて
みずからのもてなしの不十分さを
「蛍が飛ぶだけの宿」として、謙遜している

挨拶の応答である
まず、客から「挨拶」の気持を込めて「五・七・五」の「発句」を詠み
その「挨拶」の気持に応えるように
「亭主」も「七・七」の「脇句」で「挨拶」を返す

「脇句」の作者の心構えは
「発句」がたとえ四季の風物の句を詠んでいても
そこには「挨拶」の気持が込められているのだから
見落さないようにしなければならない
というルール

二人だけのプライベートな世界では、このやりとりで十分

しかしこの芭蕉句を公開するには、問題があった

「おくのほそ道」には次のようにある

最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす
ごてん、はやぶさなどと言うおそろしき難所あり
板敷山の北を流れ、果ては酒田の海に入る
左右山覆い、茂みの中に船を下す
これに稲つみたるをや、いな船というならし
白糸の瀧は、青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨で立つ
水みなぎって、舟あやうし

「五月雨を集て涼し」の表現は
五月雨の「本意」である「はれやらぬ心」「鬱々くとさびし」を
あまりにも逸脱している
本来「川水もみかさまさりてふちせもわかぬ心」を
詠まなければならないからである

そこで
不特定多数の読者を想定しての「おくのほそ道』では
「水みなぎって、舟あやうし」といった眼前の最上川の情景を

五月雨を あつめて早し 最上川

と形象化したのである

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

直感による挨拶、私はその方が好きですが

厳しい時は続きます

皆様も心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい