お世話になります
暑いです 考えるコトが億劫になりそうな暑さですが 考えてみれば例年のことなんですが
最近の情報収集? どうなんでしょうか?
前々回EHAGAKI #253 に大学時代の友人から返信をもらいました 近況 その他のあと
さて、「当事者」の時代(佐々木俊尚著)と言う新書本を読みました。徳島へ遠征している際、たまたま著者インタビューがFMから流れてきたため知ったというわけです。久しぶりに良い本に巡り合ったと思っています。
小生が日ごろからマスコミに対して抱いている不満をものの見事に解き明かしてくれました。
という返信をもらいました 早速 その本を買い読んでみました 友人の指摘通り “報道”についての側面を知ることが出来ました
政府に対して マスコミに対して その実態 正確な情報を知った上で考えたいものです
今回のお題は「当事者としての時代」であります
■これからの世界はどうなるのか?
■「当事者の時代」橋長メモ
■「当事者の時代」出版社/著者からの内容紹介
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大原浩の「金融・経済・グルメ」ブログ
■「これからの世界はどうなるのか?」
2012-07-13 16:21:44
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■「当事者の時代」橋長メモ
毎日新聞の元記者の佐々木氏が自らの体験をもとに書かれています 面白いのは記者時代の様々な逸話なのですが とにかく話が長い 飛ぶ迂回する 回りくどい という本でした
話題が飛ぶのは私のフェイバリットである 南方熊楠に通ずるような飛び方で 私にとっては楽しめましたが
ある報道カメラマンがバス火災の現場に遭遇し 写真を撮り 大スクープとなった しかしそのバスには妹が乗っていて大けがを負ったことを後に知ったカメラマンの苦悩のエピソード
震災後、マスメディアの報道に多くの人が違和感を覚えた一方で 当事者の発するブログやツイッターが心に響いた
仙台の大手地方紙・河北新報や地元紙が“当事者”として発した報道は取材相手と“共感によってつながることのできる物語”を紡ぎだすことができた
この2つのエピソード(当事者 Vs 第三者)に行き着く本でありました
本書では多岐に渡り論を進めていますが 以下はその一部のランダムなメモであります
マスメディア
記者は正義感に燃え入社 → 慣習に戸惑い やがて慣れていく
世の中は複雑で様々な要素が入り乱れているが 二極の対立軸にもっていく傾向
記者 Vs 警察・官僚
●オープン = 敵対 = 記者会見 = “マイノリティ憑依” = アウトサイド
●クローズ = 友好 = 夜回り = “夜回り共同体” =インサイド
善 Vs 悪
保守 Vs 革新
自民党 Vs 社会党
その後「日本人の人間関係は、昔とくらるとずっと多様化している。」
記者は自分をマイノリティであり 常に中立な立場 孤独な正義の味方であることを願う=“マイノリティ憑依”
自分の意見を市民運動家の口を借りて記事を書く
プロ市民? 反対の為の反対?
長良川河口堰反対運動の頃 著者の野田知佑氏へのインタビュー
「環境保護ってイデオロギーじゃないと思うんだよね。『日本の美しい川を守れ』っていうのは右翼の人にだって伝わるメッセージだと思うんだ。だから河口堰反対運動には右翼も左翼もいろんな人が参加できるはずなんだよ。」
しかし実際にはそうならず 様々なモノに反対する“いつもの人たち”が集まった そして 実はマイノリティである運動を市民の声として報道した
「新聞記者が市民運動を嫌うのは、マイノリティでしかない市民運動をまるでマジョリティであるかのように描き単純構図に記事を押しこめてしまっているというジレンマがあるからだ。
そしてそのジレンマに内心辟易しているところに、市民運動家が対等な目線で、時には上から目線で記者を見下ろしてくる。 これは記者にとって不快以外の何ものでもない。」
「なぜなら記者は「市民」という存在と自分たちが対等だとは思っていないからである。」
第三者として “マイノリティ憑依”
「メディア空間は“マイノリティ憑依”というアウトサイドからの視点と、“夜回り共同体”という徹底的なインサイドからの視点の両極端に断絶してしまっている。
この極端に乖離した二つの視点からの応酬のみで、日本の言論は成り立ってしまっている。」
「マスメディアの“マイノリティ憑依”に引きずりこまれ「少数派の意見を云々・・・」という言説のもと多くの改革や変化が叩き潰された。」
そして“今”と“これからについて”
「インターネットのソーシャルメディアは人々を否応なく当事者化していく。参加する者を第三者の立場に居座らせることを許さず、すべての人々を言及の対象にしてしまい、あらゆる存在ををメディア空間の中へと巻き込んでしまう。」
「インターネットの言論は同心円的な構造を持っている。誰かが何かについて、世界の中心で語る。その語りに対して、誰かが賛同し、また別の誰かが批判する。
誹謗中傷もある。的外れな意見も出る。そうした様々な反応に対し、また別の誰かが反応する。
水面に投げた小石の波紋が次々と同心円を形成し、外側に向けて広がっていくように、言論も同心円を作り出していく。
その同心円の外側には、言葉を発しない多くのサイレントマジョリティが液晶モニターの前で見守っている。怒れる者や同意する者たちの意見を、時には面白がりながら見つめている。」
「そしてその外側には・・・・
略
「このような新たな透明な世界が、今や“マイノリティ憑依”のパラダイムと衝突しつつある。そこではさまざまな亀裂も生まれ、そして個人の様々な“マイノリティ憑依”も可視化されてしまっている。このメディア空間はマスメディアをも巻き込み巨大化している。
そこではすべてのメディア、すべての個人が抱合されている。私も呑み込まれている。そしてあなたも呑み込まれているのだ。」
略
「この新たなメディア空間では、全員がインサイダーなのだ。インサイドとアウトサイドの境界は今まさに、消滅へと向かおうとしている。」
答えは難しいが 筆者は
「それでも闘いつづけるしかない。そこに当事者としての立ち位置を取り戻した者がきっと、次の時代をつくるのだ。」
とし 負け戦必至だが戦うことの意味を説いてしめくくっておられました
※「」内は引用しております
「当事者」の時代 (光文社新書)
佐々木 俊尚 (著)
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ということでした
「当事者として」何をいまさら と思われる方も多いかと思います
恐縮であります が なかなか難しいことであります
私の好きな言葉
大切なのは「続けること」である。(ブラックウルフ)
ではまた
「当事者」の時代 (光文社新書) 価格:¥ 998(税込) 発売日:2012-03-16 |