謹んで新春のお慶びを申し上げます
本年も何卒宜しくお願い致します
昨年「今だ科学者 その1」を発信し その後(その2)をお約束しながらなかなか宿題が出せず 年越しとなってしまいました
そのテーマは余りにも大きく 今 日本人が考えなければならない大きな問題に繋がっております
※ご興味がおありでしたらぜひ本を読んでみて下さい
以下 私が気になった「今だ科学者 その2」であります
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私のフェイバリットである南方熊楠の言葉がこの本にも登場します
◆南方熊楠
事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり。
予は、今日の科学は物不思議をあらかた片付け、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。
心界が物界とまじわりて生ずる事(すなわち、手をもって紙をとり鼻をかむより、教えを立て人を利するに至るまで)という事にはそれぞれ因果のあることを知らる。その事の条理を知りたきことなり。
今の学者(科学者及び欧州の哲学者の一大部分)ただ個々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事(人界の現象と見て可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。
◆それを受け中村桂子さんは「生命誌」の観点から「時間軸」を取り入れ「動詞で考える」ことを説いておられます
「変わる」「続く」「生る」「遊ぶ」など様々な動詞を切り口に考える
まさに「事」への注目であります
◆中村桂子
物を重視する社会が続き、物の大量生産を重視してきたために環境問題がおきた。自然のバランスを崩した。
私たち人間も自然の一部であり、その内に自然を持っている訳で、当然私たち人間のバランスも崩れてしまった。
心と物をつなぐのが事であり、それは具体的には「時間」と「関係」ではないか。
自然のバランスを壊したのは、あまりにも効率を求め過ぎることで時間を切り、人と人との関係を切ってきたから。
そして、時間と関係を必要とするもの、それは「生命」。熊楠の言っているのは、まさにこのことではないかと思う。
◆橋長
時間と関係と訳して頂き グッとわかったような気がします
南方熊楠の活動で「神社合祀令」への反対運動があります
1906年に公布された合祀令は中央集権化の中で 一町村一神社とし合祀された神社の跡地を田畑として払い下げるというものでした
そこには利権が絡み鎮守の杜の大木は売られ 一部の役人や有力者が儲けていたそうです
そこで熊楠の反対理由は
民の融和を妨げる、地方が衰退する、慰安を奪い人情を薄くし風俗を乱す、愛郷心ひいては愛国心を失う、土地の治安と利益に大害がある、史蹟と古伝を無くし天然風景を滅亡させる
と書いてます
20世紀前半の人として見た南方熊楠の独自性は 植物生態学 植物住居学いわゆるエコロジーの考え方を主張していたことです
自然に対して先進的な見方を持ち 複雑系につながる曼荼羅を描き「事」の重要性を指摘する熊楠の用いた言葉に「縁」があります
ニワトリのたまごからはニワトリが生まれると決まっていますが 途中に生じた細胞が脳になるか 胃になるかはその細胞が置かれた場所と周囲の細胞との関係で決まるそうです
これにピタリの日本語は「縁」だということです
◆南方熊楠
「今日の科学、因果は分かるが(もしくは分るべき見込みがあるが)縁がわからぬ。この縁を研究するのがわれわれの任なり。」
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「物と心を対立させることなく丁寧に事にあたる」
ビジネスにおいても 生活においても ますます重要になってくるハズと愚考する次第です
新年二日 枚方の山田神社でおみくじをひきました
第四十三番 吉
このみくじにあう人は、喜びあう運であるが、身に慢心あれば思うことたがいて禍い起こる。
謙虚にして誠に尽すれば、目上の引立により、思わないしあわが訪れる。神仏を信じ、心正しいこと肝要。
「丁寧にご縁を繋ぐ」ことを心得たいと存じます
本年もよろしくお願いします
ではまた