橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #335 ≪無意識の整え方≫

2016年08月08日 | EHAGAKI

お世話になります

8月、暑いです
意識して水分を摂りましょう、とはよく言われます

意識する

このEHAGAKIのネタにしようと粘菌関係の本を読んでおります

イグノーベル賞を2回取られた中垣俊之氏の本を読んでいるのですが、なかなか手強いのでまとまりません(まぁ、いつもまとまっておりませんが)

「単細胞」を広辞苑で探すと「愚か者」という意味も書かれています

しかしその単細胞である粘菌は、素晴らしい才能があり、人類を救う可能性がある、というのです

粘菌が迷路を解いたり、交通網のシュミレーションをすると実際の交通網と同じ結果になったり等々

 我々人間は、脳で考える、つまり“意識して考える”脳という中枢が無いと、死にいたる人間

脳はおろか神経の一本も無い粘菌は、再生能力が高く、切っても切っても再生するそうです

 脳が無いのに何らかの意思がある?  まぁ、そのあたりのお話はいずれまた改めて

今回のお題は、「無意識の整え方」文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚下ろし」を耳で聞いたメモとネット上にあった書き起こしを参考にしたメモであります(今回も、この本を読んでおりません)

参考図書)

人生が変わる! 無意識の整え方 - 身体も心も運命もなぜかうまく動きだす30の習慣 - (ワニプラス)
前野 隆司
ワニブックス

■ ■ ■ ■ ■


■2016年8月1日(月曜日)

 

◆おはようございます武田鉄矢です

◇おはようございます水谷加奈です 

◆「無意識の整え方」これは前野隆司(まえのたかし)さんという方がお書きになった本であります

無意識って、もし整うんだったらば整えたい
でも無意識をどうやって意識的にとらえて整えるか?

◇ややこしそうですね

◆著者は慶應義塾大学院教授で、ロボット・ヒューマン・インターフェース研究で心の問題を扱ってらっしゃる方、絶えず心の問題にぶつかった方であります

2002年秋ある仮説を立てる、それは

「受動意識仮説」=受け身で動く意識

これは脳の意図、例えば「指を動かそう」で指が動くということではない

「指を動かそう」で指が動くタイミングを計算すると
心が「動かそう」とする意図よりも、脳の運動神経の司令の方が0.35秒先だと

意味解らないよね?

野球で、打者が150キロのスピードでボールを投げる、
そのボールを打者がバッターボックスで見て、「これは良いコースにくるな」と思ってバットを振る

「良いコースだ、そうだ打とう」と「バットを振ろう」と脳の司令が腕に下ってバットを振る
で、ヒットとかホームランになる

というふうに人間は考えている

150キロのスピードでボールが飛んで来るのを、目で見て脳で判断し「良い」と思って「動け!」って命令すると、もうキャッチャーのミットにおさまるんです
つまり目で見て脳で判断する以外の何かが「打とう!」と決心しないかぎり、ヒットが出るはずがない

この矛盾に著者は、「脳の無意識が心を動かしているのであって、意識あるいは心というものは錯覚ではないか」

◇錯覚?

◆悩んだり喜んだり、色々感情ありますが、それは錯覚ではないか?っていう説なんです

意識主導で私たちは動く、あるいは生きているのではなくて、無意識がすでに私たちを動かしている

その無意識をどう意識すれば良いのか、いささか矛盾に満ちたこの問題に取り組む対談集であります

このへんどうです?

◇分かります

◆人間って不思議です

この続き、また明日のまな板の上で

 

■火曜日

◆慶應義塾大学院教授の前野隆司博士、その著書 『 無意識の整え方 』 読んでるうちに面白いなと思って、三枚におろしております

長い間、味は「塩味・甘い・酸っぱい・苦い」が4大要素と言われておりました

そこに日本人が、昆布などで見つけた「グルタミン酸」、これを第5の要素として「旨味」という味があるんだと主張したんです

寿司屋さんでも昆布で鯛なんかしめると、美味いよね 

◇はい

◆それが外国では初め、激しく否定されたんです

「そんなモノは無いんだ」と言われたんですが、日本料理が広まると共に、この旨味を理解する人が増えてきました

旨味を外国の方が感じるようになったんです

日本料理が国際的に認められて、第5番目の味の要素として今は承認された

そういうこともある

んだから無意識というのも、発見されて置かれれば、人間にとって無意識を感じる事が出来るんではないか、と

前野博士は、合気道の流派の「心身統一流」という、そこの道場主の人と語り合ってらっしゃる

合気道というのは無意識を刺激する武道なんです

合気道は「実践」は無いんです  「型稽古」と言う、同じ稽古を繰り返す

もちろん実践のあるとこもあります、だけど合気道で実践やると危ないんです

ですから本流の方の合気道は試合を認めません、ただひたすら型稽古、ズーッと型を繰り返すんです、無意識にまで叩き込んで体を動くようにする

「無意識に入っていかない技は、技じゃないんだ」と  その中で「心身統一流」の合気道をやってらっしゃる藤平(とうへい)さん

この指導者の方は
「(敵と味方、主体と客体、彼・我)そんなふうにして技を分けない、そこが合気道の凄い所なんです」

相手がいきなり手を掴んで、うしろに回りこんで私の首を絞めようとしてる

柔道だと、握られた手は払おうとします、空手は握ってきたら相手を打とうします

ところが合気道は違います

相手が手を握ってきたままにするんです

相手が手を握ってきたら、そのまま握らせていいんです

◇その後どうするんですか? 

◆相手が手を掴んで、後ろに回り込もうとしてるでしょ

何も逆らわないんです、回りこませればいいんです

ただし手首を人が掴んできて、後ろに回りこもうとしたら、貴方も一緒に回るんです

◇あはは、はい

◆そうするとですね、首が絞まるんです

◇相手の?

◆そう、その人の手首がねじれたり首が絞まったり、肩がねじれたりするんです

それでも尚、まだ貴方の手を掴んだまんま、さらに首を絞めようとすると、また同じように同じことをすればいいわけです

◇合気道ってそういう世界なんですね

◆そうなんです、一切逆らわないんです

だから回転する、敵が手首を掴んで私の後ろに回り込もうとする時、私は全く同じスピードで、その人と同じように1回転するんです

そうすると、その人の手首がねじれるように出来てるわけです、何一つ逆らわないんです

この藤平さんの喩え方は
「敵を見つけたんじゃないんだ」と
「この人を介護するんだ」っていう優しい気持ちで、回転するんだ」って

◇あー、面白い

◆そうすると相手は「自分で自分を倒す」ということになる

最も大事なのは「合気」ですから、気を合わせるんです

それは、まるでダンスを踊るが如く合わせるんです

気があった瞬間に、ほんの僅か気がズレると、今度攻撃してる人が攻撃される人になってしまう

◇だから合・気・道って言う?

◆そうそう、合気道って相手と気を合わせるの
だから外したり、向こうの人よりもこっち側が気を出す

「初め!」と言われて「よし、こいや!」とかつって構えたりするの、不必要なんです

◇はい?

◆そんなことすると、気が合わなくなっちゃう

相手は敵じゃないから
自分と同じ人だと思って、介護するつもりで寄り添って
同じ動きをするところに技が発生する、武道が発生するという

◇面白い

 ◆無意識に叩きこまないとダメなんだ、技を  意識すると気が合わなくなっちゃうんです

これまたゆっくり広げていきます、お付き合い下さい

 

■水曜日

 

◆慶応義塾の前野博士と合気道の藤平師範が、無意識について語ってらっしゃいます

最強の心理は何か、それは意識しないことだ  敵と味方とか、俺は強いんだとか

 同じく合気道をやってらっしゃる内田樹さんが仰った

「強くなりたいという気持ちは弱さに縛られています」 俺、すっごいショックだったのよ  強くなりたいと思うよね?

 「強くなりたい」と思うのは「自分が弱い」と思ってないと、そのエネルギーは湧いてこない  ということは、強くなりたい人は永遠に弱さに縛られる

こういう発想が面白いですね

「幸せになりたい!」 なりたいでしょ?

◇なりたいです

◆この「幸せになりたい!」というのは、どこか無理があるんです  何故かと言うと「私今幸せ」ってのは、非常に人間としては難度が高いんですよ

そんな毎日味わえる感覚じゃないじゃないですか

「あー、今幸せ!」とかって思うことって、そうそう無いでしょ?

◇まぁ、毎日じゃないですね

◆毎日は難しい、それはどう自分を切り替えていくか
「幸せになりたい!」よりも「誰かを幸せにしたい!」と
そう思うことのほうが、人間を大きく変えうる

◇あー、良い考え方ですね

◆それをこの合気道の先生は「これが合気なんですよ」という

相手の人が手を握ってきて、後ろに回りこんで首を絞めようとしてる
「分かった、絞めさせてあげよう」

◇ふん

◆目の前からモノが来るでしょ?  人間って、左右に体を振って逃げようとする  そうだよね、目の前何か出てくると
「おおっと!」って

◇避けますね

◆それ無意識で動いてるわけでしょ?   それでは避けきれないんですよ  外れて顔に当たることがあるんですよ、顔を左右に振るだけだったら

完璧に目の前にやって来たモノを避けるためにはどうしたらいいか、その場で1回転すればいいんです

◇エッ!1回転?

◆目の前に出てくる、、、やるか?  目の前に出てくると、こう、やるんじゃないですか

◇まぁ、左右にね避けます

◆と、外れれば当たるわけじゃないですか

飛んできたもので振ろうとすると、飛んできたほうに頭振ることだってあるわけじゃないですか  それを諦めて、1回転するんですよ  1回転したほうが外れる率が、避けれる率が高くなる

◇嘘です

◆ウウン、絶対、それも、「大きく」だよ

◇本当ですか?

◆それを合気道は「毎日繰り返すことによって出来るようになりなさい」っていう

◇だって、その向かって来たモノに自分の後頭部を見せるっていう事が、もう感覚的に怖いですもん

◆だから、それは脳が考えてるからだよ、それを体が覚えてくれれば回転するようになる
「その練習ですよ」って

◇ふう~ん

◆この辺は面白いですね

藤平師範は、無意識のことを「心の倉庫」と呼んでおります

ここにマイナスのモノを入れない、そして溜めない、それが無意識を整えることなんだ

加奈さん、俺とチョット趣味が似てて、女性のわりには筋肉隆々なんですよ、ジム通いが好きで

◇好きですね、動くことは

◆自転車漕いだりする?

◇たまにですね

◆ランニングマシンは?

◇あんまりやらないです

◆階段登りとかやる?

◇あんまりやらないです

◆ウォーキングとか軽いジョギングやる時に、ヘッドフォンで音楽聴きながらやったりする?

◇たまにやります

◆ダメ!

◇エーッ!なに?

◆そのことを藤平会長は言ってらっしゃるんです

◇だって皆音楽聴きながらやってますよ

◆NO ! NO ! だから皆もやめなさい

それは無意識の中に無用なモノを放り込むことなんだ  無意識をピッカピッカに磨くためには、絶対に耳から音なんか入れちゃダメなんだって

◇だって今ランニング用の「音がブレない・揺れない」のも開発されて、皆聴きながらマラソンしてますよ

◆ダメ!
俺は自転車漕ぐの好きなんだけど、テレビ観ながらやっちゃうんだ

◇あ、大体テレビついてますもん

◆何だっけ?4チャンネルで、明るい司会者、、何だっけ?アノ人。

◇何ですか?『 ミヤネ屋 』 ですか?

◆あの人の放送なんか、つけっぱなしにして、自転車こいでる
そうすると、あの人が「ホテル三日月」を笑ったりしてる、そういうのが無意識の中に溜まっていくんだって

そのうちにフッと空を見上げて三日月があると「あっ、クソ!三日月だ」って思っちゃうんだって  三日月が汚く見えちゃうんだって  だって、あれだけ「三日月、三日月」言われれば、三日月は印象悪いよ

何の罪もないのに

なるべく汚れた言葉、呪いの言葉を使用しない、そうやって無意識を綺麗にしていく

◇じゃ天ぷら見て「天ぷらダメ」とか思ったり「回転寿司ダメ」って思っちゃうわけですね?

◆そうそう、分かるでしょ
無意識のお勉強、進めましょうね

 

■木曜日

◆「無意識」をまな板の上において勉強しとります  前野隆司博士の 『 無意識の整え方 』 読んでの三枚おろしでございます

心の倉庫、そこに無意識という倉庫がある

そこには、なるべく汚れた言葉や呪いの言葉を入れない  続けましょう

いつも良い出来事を5つ以上思い出す、という訓練を毎日して下さい

「良いことがあった アレとアレと、アレとアレとアレ」5つあげられれば心は平穏に戻ります 

不安やマイナスを感じたら「フッ!」って、勢い良くため息つくんです

それが、何かを吹き消す吹き飛ばすという動作になる

嫌なコトがある度にその動作を繰り返していると、やがて心理的にも、嫌なコトを吹き消せる貴方が生まれます

その小さな動作を丁寧に繰り返す  それが、別の世界に貴方を運ぶ道になるのです

◇はい

◆次いきましょう  若い浄土真宗本願寺派のお坊さん松本紹圭さんと語り合ってらっしゃいます

その中でこう言っております

「念仏」 あんま意味が解らないんではないか?

◇ナンマイダー、ナンマイダー

◆音として無意味な言葉っていうのが、無意識にとっては凄く重大で、ある

何か謎の言葉がずっと響いているっていうのが、人間をどこか優しく包んでくれてるような、そういう気がするんですよ

宗教には2つの方向の機能があるという

「トランスレーション」[ translation ] (物語化の水平)

「トランスフォーメーション」[ transformation ] (変容・変化する)ことの2つ

トランスレーションは、私の人生という水平の物語、私が繋がっていくための祈り

トランスフォーメーションは垂直、昨日と違う私へ私が変化していく

宗教は絶えずこの2つの方角に人を導く機能である  分かりにくいかもしれませんが、それで結構です

スティーブ・ジョブズ、日本の禅宗に惹かれたり、ドイツの哲学者の人が書いた弓の修行の物語を懸命に英語訳で読んでる

「無意識になれ 無意識になれ」っていうのね「的を狙っちゃ当たりませんよ」っていう

スティーブ・ジョブズさんは、仏教の、日本の仏教の「念仏」に惹かれたらしく、時々、新商品開発するために行き詰ったりすると

「コーリング」[ calling ]

◇コーリング?

◆日本語訳でいうと「念仏」って意味なんでしょう

◇コーリング

◆誰かからか教えてもらった念仏を唱えていたらしいんです、スティーブ・ジョブズが

◇エッ! 例えば「ナンマイダー ナンマイダー」

◆「ナンマイダー ナンマイダー よし!次はスケルトンでいこう」とかって

◇うふふ

◆ジョブズはね、この「コーリング」念仏ですね、日本の禅宗の何かなんでしょうけども  その時にジョブズはそのコーリング唱えながら

「私がコーリングを唱えると、コーリングの中に、私の声なんだけども全く違う誰かが、その念仏の中に居て私を呼んでいるような気がする」

分かる?

◇んー

◆これね、何でも良いです、般若心経でも何でもいいからね1回  まぁ、あなたも若いから、無理かな? ズーッと読んでごらん

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子 色不異空 空不異色」

唱えてるでしょ、
そん時にね、自分で唱えてるんだけど、「俺じゃねえな」って声が、フッと混じるんです

◇分かる気がする、やったことはないですけれども

◆分かる気するでしょ

書く人も居ますけども、唱えますと、俺ではない声が喉の奥から出たりするんです

そん時に念仏を唱えると、唱えてる私なんだけども、唱えの声の中に私を呼ぶような別の声がする、という

この辺面白いですよね

さて道元 『 正法眼蔵 』 この本の中に、良い言葉があります

「仏道をならふというふは、自己をならふなり

自己をならふといふは、自己をわするるなり
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」

という

仏教をお勉強する、それは自分を勉強することなんだ

自分を勉強するということは、自分を忘れることなんだ

自分をすっかり忘れたら、生きている、っていうことの心理が見えてくるんですよ

1回自分を忘れないとダメ、というそんな言葉なんです

この続き、また明日のまな板の上で

 

■金曜日

◆「無意識」の勉強をしております

ロボット工学の前野博士は、意識こそが幻想であって

能動 「自分が主体的に世の中を見て動いてるんだ」  そういう感覚も全部幻想なのではないだろうか

受動 「周りの物に動かされている私」  実は主体の「私」という物の本質ではなかろうか

腹が立つから物を乱暴に扱うのではなくて、乱暴に扱ううちに腹が立ってくるのである

悲しいから泣くのではない、泣いているから悲しくなってくるのである

仏教の中にある「教え」でありますけども
シンプルな暮らし、それから清掃、整理整頓  これは「無意識の整え方」に繋がっている

◇はい

◆前野教授の仰る「受動意識仮説」ってのは、分かり難くくなっていくんですが、対談ごとに語っていく人たちの言葉が面白いんです

山田博さん、新しい能力開発として「コーチング」という、コーチなさるんですね

この人がこのコーチングを人に授ける場所が森の中なんです  山田さんはここでマイナスイオンの他、森を裸足で歩く効力を説いている

裸足というのが人の視覚あるいはバランス感覚を強く刺激するんです

この裸足は「感覚を開く」という無意識への呼びかけのスイッチになりうる

都市では歩くスピードも、早いほうが適応できる
しかし裸足の森では、ユックリでなければ裸足の足の裏の感覚を開くことが出来ない

感じる足の裏は、考える足の裏となるのである

森の中ではロジックで良い悪いは判断せず、とりあえず閃きの流れるままに、出来るだけ思いついたことを口にしよう

無意識から浮かんだことを否定・評価しない、そのまま「ポストイット」の中に入れてしまう

そして次なる変化を待つのである

他者の発言・意見・出来事を、今判断しない

「腐葉土」枯れ葉のように地面に落として、それを土の栄養にする

無意識の栄養にするように  森の中では、そんな大きな気持になれる

分かろうとし過ぎず「解らないままにしておきましょう」

解決出来ないことがあれば、どこか暮らしの中に取り入れると、心身に良い影響を与える、ささやかな知恵ではなかろうか、と思うんですね

少し役に立ちました? あんまり役に立ってねえな

■ ■ ■ ■ ■

ということでした

ラジオである本の紹介をする その紹介者は個性的で話は脱線する  はたしてその内容が正しく紹介されているのだろうか、と不安になります

著者ご本人のブログから ↓

心身統一合氣道会会長の藤平信一氏、僧侶の松本紹圭氏、株式会社森への山田博氏、東大病院循環器内科の稲葉俊郎氏との対談集です。

あとがきにも書きましたが、『人生が変わる! 無意識の整え方 - 身体も心も運命もなぜかうまく動き出す30の習慣』というタイトルは、ちょっとウケ狙い的で、タイトルと内容が一致していないという気もします。

無意識を整えるというよりも

『世界の整え方』『精神世界の科学』『前野隆司 四人の達人とのパラダイムシフト対談』

『21世紀はこう変わる 四人の次世代型リーダーとの対話』
『五人は知っている〜心・体・世界の未来』

といった壮大なタイトルの方が相応しい気もします。 

しかも、本書では運命の話はしていませんので「運命がなぜかうまく動き出す」保証はありません。

しかし、ここは、百戦錬磨の出版社の方が決めて下さったタイトルなので、尊重することにしました。 対談なのですらすら読めると思います。自分で読んでいても面白く、発売が楽しみです!

http://takashimaeno.blog.fc2.com/blog-entry-377.html

著者自身もこのように書いておられます

そう、コレはこうなんだ!という(たまたまその時)正しい答え(と思っているコト)に、大した意味は無いのかもしれませんね

ではまた