橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #419 ≪人それぞれ≫

2022年01月27日 | EHAGAKI

 



「かつての日常は、、、」という言葉も
リアリティが無くなりつつある、今日この頃であります
新たな日常に向け、進みたいものです
 
とはいえ今しばらくは慎重に
「寝てて転んだ試しなし」
 
さて、厚さ約6cmの本を図書館から借りました
150人の聞き手が、150人を選びインタビュー
1200ページを超える本であります
 
1990年頃、営業について
「全体と平均は真実ではない」的な論法で話をしていました
パソコンの普及により
すべてを「見たまま、聞いたまま」記録し、必要な時は検索する
という手段を目指していました
 
全体、平均、要約
これに疑問を持つことは大切、と愚考しております
 
今回のお題は、人それぞれ、人の中身もそれぞれ
 
参考図書)
 




◆ ◆ ◆ ◆
 
ある人がそこに居ることには意味があり必然性がある

ひとつの電車の車両
ひとつのシートに隣り合うということには何の意味もない
 
しかし
その一人ひとりは、どこから来てどこへ行くのか
すべてに理由があり、動機があり、そして目的がある
<東京の生活史>
 
◆ ◆ ◆ ◆
 
「企業のDNA」
「自分の中のDNAに深く刻まれている」
という言い方は、ひどい誤用・乱用である

普通に「企業の理念」
とか
「自分の中の記憶に刻まれている」と言えばすむ
ここにDNAを用いるのはおかしい

DNAには、企業の理念も、個人の原体験も
そんなものは全く書かれていない

DNAに書かれているのは
それぞれの種に固有のタンバク質のアミノ酸配列である
地図でもないし、プログラムでもない

DNAを過大評価してはいけない
せいぜい材料表、もしくはカタログがいいところである

細胞の内部で使う部品(タンバク質)のリストに過ぎない
精子と卵子が合体してできた受精卵は
細胞分裂を開始し2.4.8.16.32と増殖していく
その都度、DNAもコピーされて受け渡されていく
だから
すべての細胞は同じDNAをもつ

不思議な点は
同じDNAをもつ細胞が身体の中で
個性をもって役割分担をしていくということ
<迷走生活の方法「DNA禁止令」2018.5.24>
 
◆ ◆ ◆ ◆
 
「原点」とは何か
 
それは私たちがまだ若かったあるとき
自然の精妙さや美しさ、あるいは地の広がりや奥行きを発見し
自分が確かに世界とつながっていることを実感した
そのときの陶酔に似た感覚のことだ
 
生きていくための支点を見つけた瞬間といってもよい
<迷走生活の方法「原点」2019.11.21>

◆ ◆ ◆ ◆




どうなっているのか
 
細胞は、512(9回分裂)か1024(10回分裂)
くらいまで増えると
初期胚と呼ばれる段階に達し
それぞれの細胞に僅かな差が生じる

それは細胞が位置する場所による
外側か、内側かで酸素や栄養素の濃度が異なる
この差がそれぞれの細胞に微妙な変化をもたらす

細胞表面には接着分子群と呼ばれる特殊なタンバク質がある
これにより細胞と細胞は前後左右の細胞と交信する
 
初期胚の細胞は
自分が置かれている場所の環境に応じ異なる
 
順列・組み合わせの接着分子を細胞の外側に出す
つまり
同じカタログの中から
細胞によって異なる部品を選んで使うようになる
 
これが細胞の個性化=細胞分化の始まり
互いの個性を知り、相補的に分化していく

君が皮膚の細胞になるなら
僕はその下を支える組織の細胞になろう

あなたが神経をつくるなら
私は血管をつくるわ、という風に

それに応じてに
書かれているタンバク質のカタログを参照して
必要な部品を作り出す

筋肉の細胞なら筋繊維タンバク質のアクチンとミオシン
皮膚の細胞なら角質をつくるケラチン
膵臓の細胞のうち内分泌細胞ならインシュリン
という具合に特異的なタンバク質のアミノ酸配列を読み出す

DNAはここまで

DNAの役割は、トンビがタカを産まないように
トンビの羽の色や姿かたちを決めること
つまり
トンビ固有のタンバク質の構造を細胞ごとに指定しているだけ

トンビの子どもはトンビになる
しかしそのトンビがどんなトンビになるか
 
いいかえれば

私たちがどんな人間になるかについて
ほとんどはDNAの中ではなくDNAの外にあることによって決ま

つまり
習俗、教育、本、文化、伝統や映画体験や経験ということである
DNAが姿かたちを決めた後は
環境の影響の方が圧倒的に大きい
<迷走生活の方法「DNA禁止令」2018.5.24>
 
◆ ◆ ◆ ◆
 
この瞬間のこの場所に居合わせるということの
無意味な偶然と、固有の必然、確率と秩序

本書もまた、このようにして完成した
たまたま集まった聞き手がたまたまひとりの知り合いに声をかけ
その生活史を聞く
それを持ち寄って、 一冊の本に
 
ただの偶然で集められた、それぞれに必然的な語り
この本の成り立ち自体が、東京の成り立ちを再現している

それは
「代表」でもなければ「縮図」でもない
 
それは
人びとの交わりと集まりを縮小コピーした模型ではない
 
本書は偶然と必然によって集められた語りが並んでいる
そしてその偶然と必然によって、人びとが隣り合っている
ということそのものが「東京」を再現している

たった150人の
わずか一万字の語りでこれだけの分厚さになる

東京都の昼間人口はおよそ1500万人
全員分の生活史を書こうとすると
ひとり一万字でも、本書が10万冊必要になる
 
都市の、ひとりの生活史、この膨大さ
<東京の生活史>
 
◆ ◆ ◆ ◆

私たちは
つまりハカセくらいの壮年になった我々は
※ハカセ=福岡氏 私と同じ1959年生まれであります

今こそ自分の「原点」に立ち戻り
そのみずみずしい感触を思い出すべき
 
それは感傷や懐古のためではない
これからをもう一度生き直すためだ
 
人生は長い
令和の人生百年時代
そのためにも自分の出発点を今一度確かめた方がよい
 
私は何を美しいと感じ、何を求めて生きて来たのかを
 
葛飾北斎は、代表作「富嶽三十六景」を70代でなした
ピエト・モンドリアンは、「勝利のブギウギ」を描いたのは70歳
オズワルド・エイブリーがDNAの秘密を発見したのは60代後半

彼らは自分の原点を忘れなかった
むろん
誰もが北斎やモンドリアンになれるわけではないけれど
 
私たちは皆、もう一花、咲かせることができるはずなのだ
<迷走生活の方法「原点」2019.11.21>

◆ ◆ ◆ ◆
 
ということでした
 
もうひと花、どんな花
人それぞれですね

皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様ご自愛下さい

ではまた





EHAGAKI #418≪謹賀新年≫

2022年01月01日 | EHAGAKI

あけましておめでとうございます
本年も心の栄養補給を怠らずご自愛下さい

世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは
目に見えないテロリストのように恐れられているが
一方的に襲撃してくるのではない

これは福岡伸一氏の言葉です
昨年末に続いてコロナ禍の話題です
避けては通れないですからね

参考図書)
コロナ後の世界を語る
現代の治世たちの視線
朝日新聞社・編 第一章「福岡伸一」
から

◆ ◆ ◆ ◆

感染する時、何がおきてる?

ウイルス表面のたんばく質が
細胞側の血圧調整に関わるたんばく質と強力に結合する
偶然にも思えるが
ウイルスたんばく質と宿主たんばく質とは
もともと友だち関係があったと解釈できる

さらに
細胞膜に存在する宿主のたんばく質分解酵素が
ウイルスたんばく質に近づき、特別な位置で切断する
すると
その断端が指先のようにするすると伸び
ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ
ウイルス内部の遺伝物質を細胞内に注入する

かくして
ウイルスは宿主の細胞内に感染する
それは
宿主側が極めて積極的に
ウイルズを招き入れる挙動をした結果である

ウイルスはもともと私たちのものだった

それが家出し、またどこかから流れてきた家出人を
宿主は優しく迎え入れている

なぜそんなことをするのか

ウイル スは、生命発生の時から存在したのではなく
高等生物が登場したあと、遺伝子の一部が外部に飛び出したもの
そして
おそらくウイルスこそが進化を加速してくれている

親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない
しかし
ウイルスのような存在があれば
情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる 
 
それゆえに
ウイルスという存在が進化のプロ セスで温存された

おそらく宿主に全く気づかれることなく
行き来を繰り返し
さまようウイルスは数多く存在していることだろう

その運動はときに宿主に病気をもたらし
死をもたらすこともありうる

しかし
それにもまして遺伝情報の水平移動は
生命系全体の利他的なツールとして
情報の交換と包摂に役立っていった
 
病気は免疫システムの動的平衡を揺らし
新しい平衡状態を求めることに役立つ

かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに
それを根絶したり撲滅したりすることはできない

私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ
共に動的平衡を生きていくしかない

◆ ◆ ◆ ◆

ということでした
ほどほどに動的でも安定してほしいものです

さてさて、新年重ねて申し上げます
皆様におかれましても
心の栄養補給も怠らない様、くれぐれもご自愛下さい

ではまた