橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #432 ≪丁寧に注視≫

2024年02月07日 | EHAGAKI
昨年2月のブログですが、状況は変わらないどころか、ますます悪化しておりますナ


 
丁寧に
注視してたら
期限切れ
 
国会を見ての、つまらない川柳でした
 
議員さんがで良く使う慣用句
我々の社会では通じないモノばかりであります
社会で通じない言葉を話す人達が、社会の方向を決める
なんだかなぁ と思ってかれこれ50年になります
 
と言うことで今回のお題は「国会話法の正体」であります
 
参考図書)
◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇ ◆
 
 
◆丁寧に説明していきたい
◆必要に応じて適正に対処していきたい
◆緊張感を持って事態を注視したい
 
◇当たり前型
 
・丁寧に、適正に
 =裁量テク〜つまり発言者の胸三寸
・いきたい、したい
 =先送り効果→確約しない
・必要に応じて、緊張感を持って
 =水増しテク→裁量テクと併せてさらにボリュームアップ
 
◇つまり=何もしないよ
 
 
◆あってはならないこと
◆事実であれば問題だ
◆今後の成り行きが注目される
 
◇当たり前型(マスメディア編)
 
・否定確保=ならない、問題だ
・俯瞰冷静アピール=あってはならない、事実であれば、今後の成り行き
・非当事者テク=注目される
 
◇つまり:なんか報じないといけないが、たいしたこと言えない
 →前から危惧していたのかい?
 
 
◆誤解を招いたとすればお詫び申し上げたい
 
◇とすれば型
 
1.受け手側問題テク
・誤解を招いた
・そういう風に受けとられた
・不快な思いをされた方がいる
 
2.仮定変換作用
・とすれば
 
3-1.他人事作用
・問題だ
3-2.仮定の追認
・言葉足らずであった
3-3.先送り効果
・お詫び申し上げたい
※2を介すれば1と3の組み合わせは自由
 
◇つまり:そっちが勝手に誤解したのだ、こっちは悪くない
 
 
◆「○○」に政治を持ち込むな
 
◇錯覚型
 
・食い合わせ錯覚=「○○」に政治
一緒に食べると体に良くないと言う「食い合わせ」 化学的?
「普遍性」があるのではなく「個人の嗜好」
・タブー語錯覚=政治
 
「音楽」に「政治」を持ち込むな
 
◇つまり:オレの好きなコトにオレの嫌いなコトを持ち込むな
 
 
◆批判はあたらない
◆ご指摘はあたらない
 
◇門前払い型1<拒絶のトライアングル>
 
1.根拠不提示
「なぜならば〜」「〜という理由で」と言わない
2.強い否定=あたらない
3.強い態度
 
◇つまり:答える気などさらさらないよ
 
 
◆仮定の話にはお答え出来ない
◆個別の事案にはお答え出来ない
◆人事に関することはお答え出来ない
 
◇門前払い型2<弱いトライアングル>
 
1.限定化テク=仮定、個別の、人事の
2.強い拒否=お答え出来ない
3.強い態度
 
それぞれのフレーズに
「私にとって都合の悪いこの〜」と続けると意味が通じる
 
◇つまり:だから答えないって
 →それでは未来は語れないわ
 
 
◆詳細は承知していない
◆報道は承知していない
◆訴状をまだ見ていない
 
◇門前払い型3 <もっと弱いトライアングル>
 
1.狭い限定化テク=詳細、報道、訴状
2.弱い拒否=承知していない
3.強い態度
 
◇つまり:答えたくない
 →承知しとけよ
 
 
◆お答えを差し控えさせていただきます
◆答弁を差し控えさせていただきます
◆コメントを差し控えさせていただきます
 
◇勝手に控える型
 
・差し控えさせていただきます=水増しテク
・差し控え=すり替えテク
・させていただきます=許可偽装、敬語作用、別人格作用
 
言葉を水増して多く語れば
内容は無くても親身に丁寧に答えた印象を与える
 
答えない(4文字)
答えません(5文字)
お答えを控えます(8文字)
お答えを控えさせていただきます(15文字)
お答えを差し控えさせていただきます(17文字)
 
◇つまり:答えない
 
 
◆遺憾である
◆真摯に受け止める
◆不徳の致すところ
 
◇謝罪偽装型
 
・漢語テク=遺憾、真摯、不得
・誤解誘導語=遺憾
・慣用句テク=不徳の致すところ
 
「遺憾」と言う言葉に謝罪の意味はない
辞典によると:思い通りにならず、心残りである、残念である
 
◇つまり:謝る気なんてない、これ言っときゃ世間は満足するだろ
 
 
◆野党は批判ばかり
◆いつまで< >をやっているんだ
◆国会は他にやるべきことがあるだろう
◆対案を出せ
 
◇批判封じ込め型
 
・抱き込みテク=批判、いつまで
・前提知識アピール=批判ばかり、いつまで< >
・批判否定作用=他にやるべきこと、対案
 
「批判」
批評して判断すること、物事を判定・評価すること
良い点については評価し、悪い点は指摘すること
 
・他にやるべきこと
 →いろんな委員会があって色々やってますよ
・対案を出せ
 →出してるか否か、実態を確かめてから言いましょう
 
◇つまり:従順でいろ、批判するな
 
 
◆記憶にございません
 
◇キング・オブ・ごまかし
 
・記憶に=すり替えテク、漢語テク
・ございません=丁寧作用
・ません=否定確保
・記憶にございません=短文繰り返しテク
 
◇つまり:潔白だったら言うに決まってるだろ
覚えてるか忘れたか、オレの心に中は誰にも判りっこない
 
 
◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇ ◆
 
ということでした
 
お気付きかと思いますが、
今回のテーマは政治を持ち込んだのではなく
言葉尻を捉えて「うわべ」だけを書き本質を書いておりません
って政治家さんには、ぜひ本質を語ってもらいたいものですが
 
ではまた
 

世界にまるで不用の物なし【EHAGAKI復刻版 #352】

2023年11月13日 | EHAGAKI

SDGsな、ネタ資源保護の為のEHAGAKI復刻版その1であります

 

分類して整理することは、大切で重要なコトでしょうが、私の場合は、

・情報を一か所に集める
・整理分類に時間労力を使わない
・忘れる力が益々充実しているので“忘れる前提”で“覚えない”
・手書きメモは好きなので書くが、書くのは一か所、分類せず時間順に
(コクヨのSKETCH BOOKで現在115冊目)

という塩梅であります

現在の情報処理は

・多くの材料を集め
・その材料をデータ化して蓄積
・必要に応じてそのデータを自在に取り出し
・提供する

というものが主流でしょうか

それとよく似た方法を100年前に実践していた日本人がいます

知の巨人と言われる南方熊楠がその人です

2018年の2月25日、お休みの日曜日、昼前に上野の国立科学博物館に向かいました

南方熊楠生誕150周年記念企画展「南方熊楠100年早かった智の人」を観る為です

まぁ、その後アメ横で知人と待ち合わせて昼酒でしたが、、、

南方熊楠、私が初めて取り上げたのは2002年3月19日です・・・※

なぜ、すぐに日付まで書けるかというと、まさに現在の情報処理方法(そんな大そうなこともないですが)

このメールなどもエバーノートというアプリに入れてますので、検索すればすぐに見つけられる、という塩梅であります

エバーノートの様な最新のツールをうまく活かせば、まだまだ「智」は集められると愚考する次第です


以下その展示、私のメモです ↓

◆ ◆ ◆ ◆

一切智の人、熊楠の情報処理には、今日の情報処理、WikipediaやGoogleと類似

熊楠の情報処理の特徴

1)とにかくたくさん材料を集め

2)それぞれの材料をデータ化して蓄積し

3)必要に応じてそのデータを自在に取り出す

これはまさに、現在のサイバー空間における知識の蓄積と情報処理によく似ている

今日の情報機器を使って行っているような情報の利用を、熊楠は100年前に行っていたのかもしれない

◆ ◆ ◆ ◆

とのことです

こんな言葉の断片も展示されていました

◆ ◆ ◆ ◆

熊楠語録

しかるに、小生は多年間夢のことを研究す。
銭もなにもいらぬ研究ゆえ面白し。
熊楠26歳 1893(明治26)年12月24日土宜法龍(どぎほうりゅう)宛書簡より

学問と決死すべし。
熊楠28歳 1895(明治28 )年日記の見返しより

晩学如夜灯尚勝無之(晚学は夜の灯の如し、なおこれに勝るもの無からん)
熊楠28歳 1895 (明治28)年日記の見返しより

宇宙万有は無尽なり。(略) 宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとす。
これを智と称することかと思う。
熊楠36歳 1903 (明治36)年6月30日土宜法龍宛書簡より

物を多く識るばかりで、それを 一々つづけて考えねば何の悟りも用もなし。
熊楠36歳 1903(明治36)年8月8日付土宜法龍宛書簡より

世界にまるで不用の物なし。
熊楠56歳 1923(大正12)年12月11日「十二支考」
「鼠(ねずみ)に関する民俗と信念」より

人の交わりにも季節あり。
熊楠58歳 1925(大正14)年9月21日上松蓊(うえまつしげる)宛書簡より

小生はそのころ、たびたび『ネーチュール』 に投書致し、東洋にもありたることを西人に知らしむ ることに勤めたり。
熊楠58歳 1925(大正14)年1月31日
「そのころ」とは30歳前後のこと。東洋にもちゃんと研究者が居ることをアピール!

そのころは、熊野の天地は日本の本州にありながら、和歌山などとは別天地で、蒙昧といえば蒙昧、しかしその蒙昧なるがその地の科学上、
きわめて尊かりし所以で、小生はそれより今に熊野に止まり、おびただしく生物学上の発見をなし申し候。
熊楠58歳 1925(大正14)年1月31日  「そのころ」とは35歳のこと

小生のもっとも力を致したのは菌類で、これはもしおついであらば当地へ見に下られたく、主として熊野で採りし標品が、幾万と計えた
ことはないが、極彩色の画を添えたものが 三千五百種ばかり、これに画を添えざるものを合せばたしかに一万はあり。
熊楠58歳 1925 (大正14)年1月31日矢吹義夫宛書簡(履歴書)より

己れ九歳の程より菌学に志ざし、内外諸方を歴遊して息まず。今、六拾三に 及んで此地に来り、寒苦を忍び研究す。
これが何の役に立つ事か自らも知らず。

苔の下に 埋もれぬものや 蟹乃甲 熊楠
熊楠62歳 1929 (昭和4)年1月6日に書いた色紙より

人となれば自在ならず、 自在なれば人とならず
熊楠58歳 1925(大正14)年1月31日矢吹義夫宛書簡(履歴書)より

記憶という物ほどあてにならぬは、かいしんなしと今さら大いに戒心致し候。

戒心……用心すること。
熊楠70歳 1937 (昭和12)年8月11日上松蓊宛書簡より


◆ ◆ ◆ ◆

※ HAGAKI Vol.42(2002.3.19)より

If the river was whiskey, And I was a duck
I'd dive to the bottom, And I'd never come up

というフレーズは複数の歌に共通して使われています
なんともダメ男の現実逃避の歌詞なのですが 
それは「叫び」でありそこにも のすごいパワーを感じます

私の読書のフェイバリットである南方熊楠は知人からの
「酒を控えた方がいいですよ」という親切な忠告に対して
以下の様な返事の手紙を書いています

小生に酒をつつしめ云々と有之(これあり)。小生は親や兄弟が言うても酒をつつしまず。

又、たとえ慎むべしと約束した処が、酒をつつしむ男に無之候(これなくそうろう)。

小生、従来名を挙げ事を成したるは、みな酒の被護にて候。

其許は酒を飲まず。故に常に腰弱く・・・・酒がいやなら自分謹んで可なり。

人に勧むるに及ばず。・・・・小生酒を飲んでも其許の損に成らず。

其許は酒を飲まぬが、非常に小生及び当地方の多人数の迷惑を起こし居る也。・・・・体や酒の事は其許等の世話にならず。

ここまで言いきることにパワーとある種の感動を覚えるのは私だけでしょうか


◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

実はこのメモの部分
iPhoneで写真撮影、その写真をiPhoneアプリでスキャン

そのアプリはデジタルテキスト(文字)として読み取りできるのでそれをiPhoneからエバーノートへコピペ

パソコンでエバーノートを開いて読み込み間違い等を修正

思い出したい時は、キーワードで検索、ということで年々実力が増している「忘れる力」を新しい道具で薄めている今日この頃であります

◆ ◆ ◆ ◆

と書いたのは2018年5月6日

新しいiPhoneは写真から文字のテキスト化もそんな手間が要らなくなったようです

日進月歩

ではまた


追悼 澤田ケメコさん【復刻版EHAGAKI #425】

2023年08月05日 | EHAGAKI

 

澤田好宏さんが7月20日にご逝去されました

 

昭和22年(1947111日生れ

享年75

 

一時期は「澤田好宏と大坂城ジャグバンド」としてかなりの頻度で

あちこちでご一緒に演奏していました

 

もう一度ケメジャンのステージを一緒にやりたかったですが

これも自然の中の出来事、心よりご冥福をお祈り致します

 

澤田さんとは色々思い出がありますが

お会いして数回目か

MCEI大阪というマーケティング勉強会の役員になられた時にされた挨拶で

「泥棒に金庫番させるをさせるとは、、、」と

「かえって安心かな」的なことを仰って

「変なオッサンやなぁ」と思ったのが第一印象です

 

その後、ご縁がありバックバンドを務めさせて頂き、改めて思ったのが

「変なオッサンやなぁ」

 

ここ数年お会いしてませんでしたが

最後まで変なオッサンを全うされたのではないかと勝手に思っております

 以下2022/8/30 のEHAGAKI#425からであります

持続可能な開発目標(SDGs)17項目の16番目
「平和と公正をすべての人に(Peace, Justice and Strong Institutions)」であります

澤田さんが毎日送っておられた「ケメコ通信」

2002年8月15日に頂いたメールからの転送です

翌年8月21日にこのEHAGAKIでも紹介しております


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 

2002年8月15日■ケメコ通信 VOL.381 敗戦記念日特集
………………………………………
これは震災のあった年に死んだ親父(澤田好造)のはなしです。
親戚の叔父さんが書いてくれました。
明治43年生まれで小学校だけで
組み紐やに丁稚奉公に上がったおやじです。
ケメコはうすを遺してくれました。
こういう時間をくぐり抜けてぼくが生まれた。



■好造さんのしてくれた話

「海没」
戦争中自分の乗っている船が沈み海に投げ出された状態を海没と言う。
戦争も始めの内は堂々の輸送船団とニュース映画に見られたように
輸送船に護衛艦がついていたものだ。

主に水雷を積んだ駆逐艦がその任に当たった。
水雷とは潜水艦を攻撃するための水中で爆発する爆雷である。

その内に日本の護衛艦は減少しアメリカの潜水艦は増加する。
子供が勤労動員で造りに行った笠戸丸は造船所を
出て行ったら直ぐにやられてしまった。

戦地で弾に当たって死んだ人よりも、
輸送船が沈んで死んだ人の方が多いのではあるまいか。

学校の成績が良いばっかりに
四修で三高文科へ行った一中の同級生は
殆どが輸送船で死んだ。実にもったいない。

好造さんはこの海没に2度合っている。
そして2度とも死ななかった。
軍曹に迄なった器量がそうさせたのか
「かんながら」の御守りが利いたのか。

応召の時、好造さんは原田の叔父を訪ねた。
その時叔父は
困った時は「かんながら」と称えよと教えたという。

輸送船に魚雷が当たると電灯が直ぐに消えて暗くなる。
輸送船に乗ったら、直ぐに出口は何処か
何処に何が有るか等を
しっかり見て、暗闇でも行動の出来る様にしておく。

船に備え付けの浮きが有ったそうだが
これは役に立たなかった。
ゴムを引いた布で出来た大きい枕のような物だったが
文字通り兵隊がこれを枕代わりにした。
兵隊の頭の脂でゴムがやられ
いざという時には浸水して駄目になる。

ドンと来て電灯がパッと消えたら
かねて目を付けておいた周囲の水筒を
出来る限り手ばやく集め一目散に脱出する。

水筒は初めは水の補給、空になると良い浮きになる。
海に浮かんだ時、周囲は水ばっかりだが
いくら喉が乾いてもこれは飲めない。
水筒の水は命をつないでくれる。

甲板に出たら船は大抵もう傾いている。
甲板の高い方に行く。
水面迄もの凄く高いが、思い切ってお先にと飛び込む。

船の沈む時大きい渦が出来るので船から出来るだけ離れる。
自分で泳ぐのはこの時だけである。
泳ぐと体力を消耗する。

ホンチヤンの将校が
金太郎のように刀を背負っているのを見たと言う。
伝家の刀かも知れず、その気持ちは判らぬでもないが
重い刀を持っていたのでは生き通せない。

船が沈むと必ず板切れか材木かが浮いてくる。
それに捕まってじっと浮いている。


夜が明けてまわりを見渡すと
それは酷いもので、見える限り死体。
不思議に皆うつむいている。

そのうちに小便がしたくなり、便所は何処かしらと思う。
ソーダ、海の中で便所は不要だと気着く。

尿意のある内は良いが
やがて小便が何時出たのか判らなくなる。
こうなるとぼつぼつ危ないのだそうな。

1日か2日浮かんでいたら
海軍の喫水の浅い船が救助に来てくれる。
一度海没の経験を経ると、うんと賢くなる。

輸送船に乗る前になると、色々の準備をする。
鰹節に孔を開け、そこに紐を通して肩から掛ける。
鰹節は海水に1~2日漬かっていると
丁度良い程度にふやけて塩加減も適当になる。

煙草とマッチを油紙に厳重に包み服にしのばせる。
海に浮かんだらこれは頭の上に移動さす。

喫煙は気持ちを落ち着かせる。
しかし海の上で煙草の煙を上げている奴を見ることは
周囲の人々にとっては羨望の極みであろう。

その次は小さいナイフを用意する。
海没にあっても助かるのは海水の温度の高い南方の話である。
タイタニツク号のように北極に近い海にはいると
瞬く間に死ぬらしい。

南方の海は温かい半面、太陽は物凄く強い。
しかも顔には塩が着いている。
一日もすると日に焼けて顔がずるずるになる。

ナイフを持っていると
自分の服を切り裂いて細い紐を作る事が出来る。
浮かんでいる適当な木切れをナイフで切り割り、
この紐で編んで簾を作り、頭の上に乗せる。

時間は幾らでもある。
木切れを枕に、頭の上には簾
適当な硬さと丁度ほどよい塩加減の鰹節をしがみ
ちぴりちぴりと水筒の水を飲み
時々燈草を吸って、たゞ助けを待つ。

友軍の水上飛行機が偵察に来たことがある。
着水しなくても良いのにこの飛行機が下りた。

兵隊たちがこの飛行機に群がる。
遂には飛行機が沈みそうになる。
止むを得ずエンジンをかけ、飛行機は報告に帰る。

前後の事情の
判断の出来無くなっていた人たち何人かゞ犠牲になった。

畳一畳程で周囲にロープの看いた浮きが有ったが、
周囲に捕まるべきものを、楽だと思うのであろう
其の上に乗る奴が有る。
浮きはひっくり返って皆が体力を消費して
生き延びることが出来ない。

沢田軍曹の何と合理的で沈着なことよ。
海軍の船が救助に来て、甲枚からロープを垂らしてくれる。
それだけで何もしてくれない。

喫水の浅い船と言っても、疲れた体で
しかも自力で甲板迄上がるのは並大抵のことではない。

好造さんは之を上った。
すると海軍の兵隊が好造さんの顔を二つ三つ殴った。

何をするか、自分は沢田軍曹だ。
失礼しました。
確りしていらっしゃいますね。

一椀のお粥を貰って食べて寝たが
2昼夜ばかりは何も知らなかった。

この様にして好造さんは生還した。
好造さんは海軍の船で、何処かの港へ行く迄の間
海軍の人達から色々の話を聞いたのであろう。

ロープを自力で上がってくる人でないと
船に上げても直ぐに死んで終うそうだ。
上がってきても、一度海の中に突き落とす程だと言う。

甲板にむしろが二三枚敷いてあったが
助け上げた人だとそのむしろ迄、コテコテと逼って行って
ころりとむしろの上に寝たと思ったらもう死んでいると言う。

連獅子の様だが、上がってきても突き落とす。
また上がってきたら殴りつける。
なお反抗するぐらいに元気でないと助からないらしい。

ビルマに死者の街道と言うのが有った。
戦いに敗れ、隊伍をくんで帰るのだが
道脇に坐っている人の隣に坐りたい。

道脇の人は皆死人なのだ。
そこに坐れば直ぐに死ぬ。

坐りたがる人を
皆で列の中央に入れて引きずる様にして歩く。

ピルマの場合は死の願望に近い。

海没の場合はホッとした安心が死につながる。
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震災の年(1995)に88歳で死んだ父親は
ぼくにはあまり戦争の話をしませんでした。

毎年15日の「戦没者慰霊祭」のテレビ中継を見ながら、
肩を震わしながら涙を流していたことが記憶に残っています。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

ということでした

澤田さんは、バンド仲間
我々の「大坂城JUG BAND」にてバックバンドをしておりました
また
「ケメコ通信【おやかまっさんどす】」として
ほぼ毎日メルマガをだしておられました
その数なんと6843号

このお話も複数回“敗戦記念日”に読んでおりますが
内容を知っていても、引き込まれてしまいます

国の勝ち負けではなく
その時
個人に何がおこったか、何を考えていたのか
そんなことに思いをはせる8月15日にしたい
と、愚考する次第です

皆様におかれましても心の栄養補給は怠らない様ご自愛下さい


ではまた

 


EHAGAKI #434≪電柱でござる≫2023.6.11

2023年06月11日 | EHAGAKI
 
人それぞれ
 
こんな当たり前のコトを否定する様な動き
組織が大きくなればなるほど
その傾向は増し、国となると真向否定
 
そんな今日この頃に、心を痛めております
 
私は電線のある景色を愛しているし
電線のない景色を憎んでもいない
 
これは
「電線の恋人」 石山蓮華(著) 平凡社 (2022/12/23)
の一節です
 
無電柱化推進の為に「電柱=醜い」という論法で
繰り広げられるキャンペーン
「無電柱は素晴らしい」と真正面から訴えればいいものを
何かを否定する、その了見が狭さが野暮の極み、と愚考する次第です
 
今回のお題は「電線の恋人」から一部抜粋であります
 
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
 
電線の地中化・無電柱化にはメリットもデメリットもある
 
無電柱化を進める人たちがこぞって口にする
「電線のある景観は美しくない」
という言葉には素直に頷くことができない
 
 
小池百合子氏のツイート
「無電柱化を進めるための、 フォトコンテストのお知らせ。
どんどん綺麗な景色、醜い景色を写真で送って下さい。」は議論の的になった
 
栄えある「醜い景色」として選ばれたのは
富士山の手前に電線が架かった写真と
桜並木に並んで電柱が立ち並ぶ 風景の2枚だ
 
富士山と電線といえば、
無電柱化推進キャンペーンのために作られた啓発ビジュアル か話題になった
葛飾北斎の《冨嶽三十六景》シリーズの一つ《凱風快晴》に
電柱や電線のシルエットを重ねたビジュアルは
キャンペーンの意図に反して、電線の姿に美しさがあることを多くの人に発見させた
同時に美しさは決して一つだけではないことも証明した
 
啓発ビジュアルが話題になったのは単に見た目がかっこよかったからではない
醜いものとして提示されたビジュアルがなぜ美しく見えるのか
 
 
そもそも
「美しい景観を作るために「醜い景観」を集める」
というやり方にねじれがあったからだ
 
電線は醜いものだ、とまず断定
それを知らせることが振り付けのようになっている手法
 
せっかくなら
電線のない風景の良さをもっと前のめりに語ってくれたらいいのに
 
私は電線のある景色を愛しているし
電線のない景色を憎んでもいない
 
電線愛好家は電線を見るたびに心が上向くけれど
電線のある景色を嫌いな人は、上を見るたびにため息をついているのだろうか
 
普段目にするものに対して、嫌いだ嫌いだと思い続けるのもなかなかハードだろう
気苦労が絶えない社会で生きるのは、なかなかにしんどい
 
好き嫌いの話はわかり合えないのかもしれないけれど
 
健気に働き続ける電線が責められ
後ろ指を差されたまま地中に埋まっていくのを見るのは
電線愛好家として、恋人として、苦い気分だ
 
 
 
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
ということでした
 
ではまた
 
電線の恋人
石山蓮華(著) 平凡社 (2022/12/23)

EHAGAKI#416≪カメラをさげて≫ 2021.11.13

2023年06月11日 | EHAGAKI

2019/11/17 7:02 江東区-大島

お世話になります
COVID-19は落ち着いたのでしょうか
油断なく、くれぐれもご用心下さい

さて「趣味は?」
と聞かれれば、まぁ相手に応じて答える訳ですが
「写真、カメラです」と答えるコトが多いです

で、何をしてるか、というと
カメラを持って散歩
普段のカバンの中には必ずフィルムカメラを持っている
ってことですが、これは皆様もほぼ同じ
スマホを持っておられるかと思います

散歩とカメラ
スマホで撮ると何時何処に居たか
撮ったかが記録されます


よく知られた
「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は
戦前の物理学者で随筆家、俳人の寺田寅彦による言葉です

この人の文章、今や無料で読むことが出来ます
インターネットの図書館「青空文庫」
http://www.aozora.gr.jp/


ということで今回のお題は
写真というモノの存在が周知され
カメラを持っている人も増えはじめて来た頃の
寺田寅彦のエッセイです

今回の写真は「11月に東京で撮ったスマホ写真」のみです


2018/11/23 12:57 青山霊園


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

カメラをさげて
寺田寅彦昭和6(1931)年11月(大阪朝日新聞)


このごろ時々写真機をさげて
新東京風景断片の採集に出かける
技術の未熟なために失敗ばかり多くて
獲物ははなはだ少ない
しかし
写真をとろうという気で町を歩いていると
今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や
事実が急に目に立って見えて来る

つまり
写真機を持って歩くのは
生来持ち合わせている二つの目のほかに
もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである

この目はまず極端な色盲であって
現実の世界からあらゆる色彩を奪ってしまう

そうして空間を平面に押しひしいでしまう
その上にその平面の中のある
特別な長方形の部分だけを切り抜いて
残る全部の大千世界を惜しげもなく
むざむざと捨ててしまうのである

実に乱暴にぜいたくな目である

それだから
カメラをさげて秋晴れの郊外を歩いている人たちは
おそらく幾平方センチメートルの紙片の中に
全武蔵野の秋を圧縮して持って来るつもりで歩いているのであろう

この特別な目をぶらさげて歩いているだけで
もかなり多くの発見をすることがある

2019/11/20 18:07 品川区-東大井


手近な些末な例をあげると
銀座の裏河岸のある町の片側に
昔ふうの荷車が十台ほどもずらりと並べておいてある
その反対側にはオートバイがこれも五、六台ほど
並んで置かれてあった

その平凡な光景がカメラの目からは
非常におもしろく見えるのであった

昭和通りに二つ並んで建ちかかっている
大ビルディングの鉄骨構造をねらったピントの中へ
板橋あたりから来たかと思う駄馬が顔を出したり
小さな教会堂の門前へ
隣のカフェの開業祝いの花輪飾りが押し立ててあったり
また日本一モダーンなショーウィンドウの前に
めざしの頭が二つ三つころがっていたりするのも
やはりカメラの目を通して得られた小さな発見であった

2020/11/28 8:33 佃


こういう目をもって見て歩いた新東京の市街ほど
不思議な市街はおそらく世界じゅうどこを捜してもないであろう

極端な古いものから極端な新しいものまでが
平気できわめてあたりまえな顔をして隣り合い並び立って
仲よくにぎやかに
1931年らしい東京ジャズを奏しているのである

こういうものに長い間慣らされて来たわれわれは
もはやそれらから不調和とか矛盾とかを感ずる代わりに
かえってその間に
新しい一種の興趣らしいものを感じさせられるのであろう

こういうものの並んでいる間に
散点してまた実に昔のままの日本を代表する
塩煎餅屋や袋物屋や芸者屋の立派に生存しているのも
やはり印画記録の価値が充分にある

2018/11/4 11:42 千代田区-神田駿河台


鳥羽僧正の鳥獣戯画なども
当時のスポーツや
いろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見れば
この僧正はやはり
一種のカメラをさげて歩いた一人であったかもしれない

この僧正にアメリカ野球選手との試合を
記録させなかったのは残念である

2019/11/11 17:08 江東区-亀戸


親譲りの目は物覚えが悪いので有名である
朝晩に見ている懐中時計の六時が
どんな字で書いてあるかと人に聞かれると
まごつくくらいであるが
写真の目くらい記憶力のすぐれた目もまた珍しい

1秒の50分の1くらいな短時間にでも
あらゆるものをすっかり認めて
一度に覚え込んでしまうのである

2018/11/16 8:18 墨田区-横網


その上にわれわれの二つの目の網膜には
映じていながら心の目には少しも見えなかったものを
ちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである

たとえばショーウィンドウの内の
花を写すつもりでとった写真を見ると
とるつもりの夢にもなかった
あらゆる街頭の人影の反映が写っているのである

2020/11/13 16:17 江東区-富岡


盛り場である人がなんの気なしにとった写真に
スリが椋鳥(むくどり)のふところへ手を入れたのが
ちゃんと写っていたという話を聞いたこともある

カメラをさげて歩いている途中で
知人に会ってちょっと立ち話をするとする

そのとき、相手の人によると
自分のカメラをさげていることなどにはあまり無関心なように見えるが
また人によると何よりも第一にすぐ写真機に目をつける人もある
同病相哀れむゆえんであろうか

2018/11/23 13:34 港区-青山


いちょうの黄葉は東京の名物である
しかし
いくらとっても写真にはあの美しさは出しようがない

そのいちょうも次第に落葉して
箒をたてたようなこずえにNWの木枯らしが
イオリアンハープをかなでるのも遠くないであろう

そうなれば自身の寒がりのカメラも
しばらく冬眠期に入って
来年の春の若芽のもえ立つころを
待つことになるであろう
(昭和六年十一月、大阪朝日新聞)

2018/11/2 11:18 港区-北青山


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

ということでした
大幅にカットしてますのでぜひ全文をお読み下さい
「青空文庫」http://www.aozora.gr.jp/


さてさて、かつての日常は帰ってくるのでしょうか
この間の経験を、どう活かすか

「寝てて転んだ試しなし」

スローに行くべきかと愚考する次第です
皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様ご自愛下さい

ではまた

2019/11/9 12:11 猿江恩賜公園