現在の芝浜あたり by 携帯
東京に単身赴任 さて どこに住むか?「下町がいいよ」「居酒屋が~」「買物が~」などなど 諸先輩方から部下の社員まで有難いアドバイスを沢山頂きました
単身ですから最優先は利便性です それにせっかく東京 せっかく江戸などなど 自分の趣味が加味されてくる訳ですが
趣味? この数年のバタバタで すっかりご無沙汰している“釣り”が頭に浮かびます iPodで立川談志の「野ざらし」や三代目の桂三木助の「芝浜」などで「増上寺の鐘の音~」「芝浜の海岸~」などのフレーズを聞いているうち ついつい芝浦に住むことになってしまいました
そのご無沙汰の“釣り”私の場合はフライフィッシングですが これは全くの「遊び」 漁(仕事)とは異質のモノであります 大げさに言うと文化であります
「釣りは漁労の延長ではなく紳士の遊びたりうるものである」
と釣人の聖書 アイザック・ウォルトン著の「釣魚大全」が書かれたのは1653年です
もっともイギリスの河川は大半が貴族の所有 紳士とは貴族限定という意味合いが深かった様に推察します
しかしながらこういった書物があるおかげで 人々は大義名分をもち遊びに没頭できる訳です
日本の場合はどうか これが 案外 世界でも先駆けとなっております
“釣り”漁ではなく文化として開花したのは江戸時代です それも一部の階級だけではなく庶民に至るまで広まったらしいです
それには4つの条件がそろう偶然があったから
平和の訪れ
江戸湾の地形
仏教思想からの開放
テグスの伝来
そしてその条件に「生類憐みに令」という強烈なスパイスが加わり 釣り好き達の闘争心を一気に煽ったからではないかと愚考する次第です
戦乱の世が終わり 武士には心と時間の余裕が生まれた つまり暇をもて余した 釣り というと思い浮かぶのが太公望 釣り好きの戦略家というイメージが武士の釣りに対する大義名分を与えました 庄内藩では釣りは娯楽ではなく精神・身体の鍛錬の手段であるとして藩士達は公然と釣りに打ち込んだとか
漁そのものは西日本の方が技術的にも栄えていましたが 江戸の目の前にひろがる江戸湾 この静かで穏やかな江戸湾は多くの魚がおり 素人でも挑戦しやすかったようです
また 仏教界が中世の勢いをなくしたことで殺生への抵抗感が薄らいだという精神的な側面も
そして技術的には 魚に警戒心を抱かせない透明なテグスが普及 漁師以外の人にも魚が釣り易くなった テグスは中国広東地方に生息するテグスサンという蛾の幼虫を原料としていて 中国から日本へ輸出する薬の包みの梱包に使っていたもの それを大坂の漁師が釣り糸としてはじめて使ったのです 泥色の川が多い中国では必要に迫られず その結果
釣り技術の大革命が日本でおきた訳であります
簡単に言ってしまうと こんなことで「釣りあそび」は武士から庶民女性層まで広がり その後 将軍様もまさに世界に先駆けて“遊び”の「釣り文化」が栄えた訳であります
※参考図書:江戸の釣り 長辻象平 著 平凡社新書
先日 事務所の近くで通りがかった 徳川家康を祀っている芝東照宮にある大きなイチョウの樹が 寛永十八年(1641年)徳川家光が植えたとありました 「津軽采女」や「観世新九郎」「芝浜の魚屋さん?」もこの樹を見たかも知れない と思うと “江戸前の釣り”が ぐっと身近に感じることが出来ました
最近よく注目されている当時の大都市“江戸”いずれにしても“平和”がきっかけで生まれた文化には 何か 角がなく心配が少なく 誰でも親しめるモノがあるように感じます
江戸前の釣り 私の場合はフライフィッシングで“粋”にやってみたいと愚考する次第であります LS EHAGAKI #207