お世話になります
COVID-19には、くれぐれもご用心下さい
と冒頭に書き出してもう1年
COVID-19の影響
様々な現実、過去から続く現実、これから起こる現実
ひとくくりに論じては危険だ、と愚考する次第です
目標とかノルマではなく、現実を見据えて行動したいものです
さて
かつてこんな国があったそうです
◆ ◆ ◆
宗教は単なる社会慣習であり、娯楽である
信心深く寺に詣でるのは下層階級と女性のみ
家財は数も少なく質素でシンプル
政治的抑圧が無く、民衆は政府の存在を意識していない
女性は尊厳と自信を持ち、地位は必ずしも低くない
不満があればいつでも離婚できた
離婚歴は再婚の障害にならなかった
美意識が下層階級にまで行きわたり品物を美しく飾る技術がある
貧乏人は存在するが、貧困は存在しない
金持は高ぶらず、貧乏人は卑下しない
勤勉だが、働きたい時に働き、休みたい時に休んだ
労働は苦役、労働生産性といった概念は無い
心労に打ちひしがれた顔は全く見られない
資本主義を前提とすれば怠惰、無気力、無規律と映る
大人も子供と同じように無邪気である
穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を楽しんでい
花、月、雪、虫それに伴う俳句など、四季の移ろいに喜びを見出し
皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである
混浴が一般的である
◆ ◆ ◆
これは江戸末期から明治の頃に
来日した外国人が書き残したモノです
よく歴史は、勝者の歴史と言われます
江戸幕府:悪
新政府:善 と刷り込まれています
これには英雄とされる人達の会話を
見てきた様に書いた白髪の作家さんの影響
勿論、作家さんご本人はエンターテインメントとして
書いておられる訳ですが
教科書よりも大河ドラマが真実だ!と勝手に思い込む傾向
(私個人の感想です)
さて本当は?
「事実はこうです」と言われても
それも真に受けてはいけないのではないか
と思います
誰にとってどうであったか、ということが重要です
勝者・権力者の歴史ではなく、その時の一般人
民衆側から見た歴史
それを外国人の残した「証言」から読み解く本を見つけました
逝きし世の面影
渡辺京二:著 平凡社ライブラリー(2005/9/1)
https://amzn.to/3iZ9b21
読みにくい
引用や時代がアチコチ飛んで理解しずらい
図書館で借りましたが、とても読み進めないので
kindle版を買い求めました
今回のお題はその「第一章」から
すでに資本主義に徒労感を持っていた異邦人の
「かつて、確かにあった文明」への賞賛と悲観です
混浴については次回以降であります
◆ ◆ ◆ ◆
1855年(安政2年)
◆リュードルフ Fr. Aug. Luhdorf
下田に来航したプロシャ商船の積荷上乗人(積荷の管理者)
日本人は宿命的な第一歩を踏み出した
ちょうど、自分の家の礎石を一個抜き取ったのと同じ
やがては全部の礎石が崩れ落ちることになるだろう
そして
日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう
1856年(安政3年)
◆ハリス Townsend Harris
日本に上陸して2週間後の日記
厳格な反省、変化の前兆
疑いもなく新しい時代が始まる
あえて問う
日本の真の幸福となるだろうか?
1857年(安政4年)12月7日
◆ヒュースケン Henry Heusken
ハリスの通訳
いまや私が愛しさを覚えはじめている国
この進歩は本当にお前の為の文明化なのか?
この国の人々の質朴な習俗とともに
その飾りけのなさを私は賛美する
いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き
どこにも悲惨なモノを見出せなかった
おお神よ
この幸福な情景が終わろうとしており
西洋の人々が彼らに
重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない
1858年(安政5年)
◆ハリス Townsend Harris
衣食住に関する限り完璧にみえる(日本の)生存システムを
ヨーロッパ文明とその異質な信条が
破壊し悲惨と革命の長い過程が続くだろうことに
愛情に満ちた当然の懸念を表明する
1859年(安政6年)
◆カティンディーケ Huijssen van Kattendike
長崎海軍伝習所 教育隊長
私は心の中で
どうか今一度ここに来て
この美しい国を見る幸運にめぐり合いたい、と思った
しかし同時に
日本はこれまで実に幸運に恵まれていたが
今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば
恐ろしさに耐えきれない
ゆえに心も自然に暗くなった
1866年(慶応2年)
◆ジェフテン R. Mounteney Jephson
エルマースト Edward Pennell Elmhirst
英国第九連隊将校
新奇さは一般に魅力だ
しかし
新しい場所に着くとまもなく色褪せてしまう
ところが我々にとって日本とその住民は
けっして新奇さを失うことはなかった
常に驚くべきことがあった
彼らは世界のどんな国民ともまったく異なっているので
1年住んでみても、その習慣と習俗については
他国なら6週間で得られる洞察すら得られない
1881年(明治14年)
◆クロウ Artur H. Crow
英国の商人
村人は、炎天下の労働を終え、子供連れで
ただ一本の通りで世間話にふけり
夕涼みを楽しんでいるところだった
道の真ん中を澄んだ小川が音をたてて流れ
設えられた洗い場へ娘たちが
あとからあとから木の桶を持って走っていく
その水を汲んで夕方の浴槽を満たすのである
子供たちは鬼ごっこに余念がない
(須原にて)
1889年(明治22年)
◆エドウィン・アーノルド Edwin Arnold
英国の詩人
◇歓迎会でのスピーチ
地上で天国あるいは極楽にもっとも近い国だ
その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり
その神のようにやさしい性質はさらに美しく
その魅力的な態度、その礼儀正しさは謙虚であるが卑屈に堕するこ
精巧であるが飾ることもない
あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである
◇翌朝の各紙の論説※1
産業、政治、軍備における日本の進歩にいささかも触れず
もっぱら美術、風景、人々のやさしさや礼節などを褒め上げたのは
日本に対する一種の軽蔑であり、侮辱で有る、と憤慨
1905年(明治38年)
◆チェンバレン Basil Hall Chamberlain
捨てた過去よりも残している過去の方が大きい
古い日本は死んだのである
新しい教育を受けた日本人の前で
心から感嘆するような古い奇妙な美しい日本の事物について
詳しく説いてはいけない
一般的に言って
教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている
彼らは過去の日本人とは別のものになろうとしている
(その好例が※1)
◆当時、日本の知識人は
西欧人の深い徒労感を思いやるに至らなかった
気楽な旅行者の無責任なエキゾティシズムとして片づけがちだった
西洋産業文明を追い求め、疲れた欧米人になろうとした日本人
その西洋産業文明の問題点を指摘するアジア人も居た
1940年(昭和15年)
◆林語堂 Lin Yutang
華人の文学者・言語学者・評論家
あなた方は
価値を精神的と物質的に分ける
ところが
我々はそれを一つのモノとして混同している
あなた方は
同時に精神的であり、また物質的であることは出来ない
しかし
我々にはそれが出来るし
なんらそこに衝突しなければならないものを感じない
あなた方の精神の故郷は天上にある
しかし
我々の精神の故郷は地上にある
◆林語堂はさらにこう説く
西洋の輝しき進歩
漫剌たる知性
戦争、悪魔の如き武器
それはそれとして、我々には
あなた方が根本的に子供染みて見えることがある
人生において重要なのは
いかに進歩すべきか、を知ることではなく
辛抱強く働き、気高く堪え忍び
そして
幸福な生活ができるように
我々の人生をいかに整理すべきかを知ることである
金銭や名誉のためのあらゆる空しき闘いの後には
人生は主として実みのある或る事柄に還元される
例えばうまいもの、良き家庭、苦労のない平和な心
寒い朝の一杯の熱い粥
その他は、空の空なるものにすぎない
林語堂:著「支那のユーモア」より
◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
著者の渡辺京二氏は第一章の冒頭で
18世紀初頭から19世紀にかけて存続した我々の祖先の生活は
確かに文明の名に値した
明治末期にその滅亡がほぼ確認されたことは確実である
近代日本が、前代の文明の滅亡の上にうち立てられた事実を
自覚していたのは同時代の異邦人たちである
と述べています
笑顔が絶えなかったというその文明
焼津の半次が居そうな宿場町
混浴については、次回以降
ということで
厳しい時は続きます
皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい
以前書いていたその頃↓
EHAGAKI #322 ≪御一新≫ 2016.3.14
EHAGAKI #396≪いつからの伝統、いつから昔≫2020.05.17
ではまた