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many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

サラの柔らかな香車

2012-05-13 19:48:02 | 読んだ本
橋本長道 2012年2月 集英社
最近読んだ小説。将棋小説ですね。
機関誌「将棋世界」に紹介記事があったんで、読んでみた。
著者は元奨励会員。四段になれず奨励会を退会したひとって、昔は将棋とは縁を切って駒を手にしないみたいな極端なイメージがあったけど、近年はアマ棋界で活躍するひとも多い。
なかには観戦記を書く仕事などへすすむひともいるみたいだけど、小説書いたひとは初めてぢゃない?
んで、「サラ」ってのは、主人公の少女の名前。護池・レメディオス・サラって、ブラジルから来た、ブロンドで白い肌で青い目の少女。
主人公なんで、将棋の天才なんだけど、異色の設定ですね、外国人の少女ってのは。
「香車」は、将棋の駒のひとつ、真っ直ぐ進むやつね、初期配置では両端に位置している。
で、「柔らかな」がキモ。ここに将棋に関する才能っつーか、感覚をめぐるものが込められてんで、これは読まないとわかんない。
将棋知らないで読んで分かるかどーかは、わかんない。私は既に将棋を知っちゃってて読んでるから。
著者の願いは、当然、将棋知らないひとにも読んで面白いと思ってもらうことだろうけど、ある手が見える感覚を表現したのが、将棋を知らないひとにどこまでスゲエって伝わるかは、私にはわかんない。
たとえば、マンガ「3月のライオン」でも、主人公がある形を「気持ち悪い」って表現するんだが、それは他のひと(もちろん同じ専門家である棋士)には当然理解しにくい。でも、その表現は実は名人と同じだったりする、ってとこあるんだけど。そのへんの「良い形」「悪い形」をパターンとしてパッと見で判断するトップの感覚がねえ、どのくらい伝わるのか。
どーでもいーけど、本作中で私がいちばん好きなとこは、引用しちゃうと、
>ある数学者の説によると、希代の天才数学者にはある共通点があるらしい。それは、彼らが子ども時代を過ごした地が、異様に美しい風景を持っていた、ということだった。
ってとこ。事実でもフィクションでもかまわない。すごく魅力的な一節である。
あと、棋界には才能あるひとがたくさんいて、奇人(失礼!)のようなキャラもつモデルには事欠かないんだけど、必要以上に人物を多数登場させないで絞り込んでるようなとこには好感が持てます。

ちなみに、作中でサラが天賦の才能を示す場面にあらわれる「3六歩」って指し手に関する部分があるんだけど、これは2010年8月16日第23期竜王戦挑戦者決定戦第一局久保利明対羽生善治戦で羽生が指した68手目です。
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カメラ・トーク

2012-05-10 17:53:21 | CD・DVD・ビデオ
フリッパーズ・ギター 1993年 ポリスター
なんの脈絡もなく採り上げるけど、とても好きな、パーフリのアルバム。
とびきり愛聴してるわけでもないが、なんかっつーと聴いてるな、飽きない一枚。
いい曲多いしね。
「恋とマシンガン」とか「カメラ!カメラ!カメラ!」なんかは、いかにも売れそうってポップな感じなんだけど、「バスルームで髪を切る100の方法」とか「午前3時のオプ」なんかがいいやね。
髪を切るさ/バスルームでひとりきり大暴れ/とか
雨の中大声で笑う/いつまでも不思議だと思う/なんて、
流れ去ってかないで、突き刺さってくるような感じなんだよねー、ときどき大音量で聴きたくなる。
前作が全部英語歌詞だったのに、これはタイトルこそ英語併記してっけど、みんな日本語。(3と10はインスト。)
独特の感性というか、意外性があって、耳に残るんだよねー。
こっそり作った爆弾かかえた/つけひげで忍びこんだ/夜の出来事さ/
なんてぇの、何の意味かって考えちゃう。(こういうのに比べ、先が予想できちゃう歌詞って退屈なんだよね。)
あと私の好きなのは、「ビッグ・バッド・ビンゴ」の出だしとかね、
カーラジオをつけて/僕が甘い言葉/ささやくから/
なんていうんだけど、ふつうは大事なこと言うときは「カーラジオを消して」だと思うんだよね。
ま、理屈ぢゃないんですけど。そういう引っ掛かりがあるとこが楽しいんで。
音楽にとくべつ詳しいわけぢゃないですが、傑作アルバムだと思います。

1 恋とマシンガン[young,alive,in love]
2 カメラ!カメラ!カメラ![camera!camera!camera!]
3 クールなスパイでぶっとばせ[cool spy on a hot car]
4 ラテンでレッツ・ラブまたは1990サマー・ビューティー計画[summer beauty 1990]
5 バスルームで髪を切る100の方法[haircut 100]
6 青春はいちどだけ[colour field]
7 ビッグ・バッド・ビンゴ[big bad bingo]
8 ワイルド・サマー/ビートでゴーゴー[wild wild summer]
9 偶然のナイフ・エッジ・カレス[knife edge caress]
10 南へ急ごう[southbound excursion]
11 午前3時のオプ[3 a.m. op]
12 全ての言葉はさよなら[camera full of kisses]
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ニアフュージョンで高い障害

2012-05-08 18:29:42 | 馬が好き
乗馬に行く。きのうは休んだんだけど、先週、月曜1頭、火曜に2頭、水曜も仕事前に7時から1頭乗ったんで、私としては、サボったわけぢゃなく、予定どおり。
年に一度の試合が近づいたこともあってか、練習に来るひとが多い。
ところで、私はその試合に出る気、ぜんぜん無い。でも、周りは出す気らしい。
こーゆー状態で馬に乗るのは、あまり幸せなものではない。

私が競技会に出る気がない理由は、挙げだすとキリがないんだけど、いろいろ複雑に思惑がからみあって、自分でも整理できない。
(1)そもそも競技志向がない。(試合に興味がない。)
(2)特に今年は、私が出なくても、人数が足りている。(いままでは人数いないか、引っ張り出すために出てた。)
(3)私が出ることで、試合にこそ出たいと思ってる(特に若い)ひとの機会が減ることは避けたい。(私と違ってみんな試合好きなんだもん。)
(4)もうトシだ。(私は馬術部出身でもなんでもないので、昔とった柄も取っ手も何にもない。)
(5)二年前にエアサンタムールで負けた。(試合にでる資格なし。)
(6)長靴を持っていない。(普段着[ジョッパーブーツにチャップス]で出ていい?)
試合行くってなったら、さすがに特訓しなきゃいけないし、練習はキライぢゃないけど、ウチのことだから、どーせまたイイ馬を用意されちゃったりすると、私の技量ですら、万一上位入賞してもアタリマエ、負けたらバカである。
勝つとか負けるとかいう次元で馬に乗るのは、楽しくないです、私にとっては。

とにかく、きょうはニアフュージョンに乗んなさい、障害やりますよ、ということで、べつにそのこと自体は断ることでもなんでもないけど。

のんびりとネワラいじくってたら、馬場に出るのが最後になっちゃった。
(どうでもいいけど、コンキスターのところは、ウォーターカップの不具合で、洪水になってた。かわいそうに。)
ほかのひとは駈歩もしてんだけど、私は急がずウォーミングアップ。常歩でハミうけさせて、うけたらクビ伸ばす。
いやあ、しかし気持ちよくハミうけるね、ニアフュージョン。いたって従順な感じ。常歩だけなら申し分ない乗り心地だ。
…どーして、これで、駈歩に移行するとき、ハネたりすんのか?
私の現時点でのレベルで思うに、アタマの位置が定まんないとハネるような気がする、ニアフュージョン。正確には頭と肩の関係によるんだろうが、馬の肩の動きを私が完全に制御できるわけないんで、気をつけるのはアタマである。
なので、速歩を始めて、角馬場の一角で20メートルの輪乗りをしてんだが、まず手綱いきなり短く持っちゃってどんどん前へ出す。んで、あとは「アタマ上げんなよー」と言いながら回る。
シュウゥっと耳しぼってきて、止まり(ハネ)そうになると、「違う違う、アタマ上げないで、前だよ、前!」ってガンガン出す。
アタマの位置をどこにおくかは迷うんだけど、どっちかっていうと、体勢起こしてそれキープしたりするより、アタマ前のほうに下げさせたほうが簡単そうな気がするんで、そうしているだけ。
大きい馬場のハロー掛けが終わったんで、障害やりにみんな移動してくんで、あわてて駈歩をする。
あわててっていっても、いきなり駈歩だしたりしない。速歩ですこし踏み込んで、フワッとした手ごたえになるのをたしかめて、そこから出す、アタマの位置変えないように。
発進はスムーズだったんだけど、輪乗りのなかで何度か跳ねた。そういうとき「違う、前に出んだ!」って脚ドスンと入れちゃうんだけどね。
私の座りがわるいから、どっかバランスに悪影響を与えてることで、そーゆー事態が生じてんだろうが、ひどいやつだね、俺も。
ただ、輪乗りのなかで、ラチが目の前に近づいたときに、妙にハネる気がする。これは今後の観察研究課題としとく。もしかすっと、私がラチに近づくとこで過剰な内方姿勢を強いてるのかもしれないけど。
さあ、障害やっか。でも、ちょっと準備が足りないなー。ニアフュージョンについては、とにかく段階を追っていきたい私。
みんな向こうのほうで障害の準備してんだけど、こっちの離れたとこに、速歩の横木が5本あるんで、私とニアフュージョンはそれを通過する。
お、一回目からわりとうまく通過したぞ、激ホメ。通り過ぎたら回転、あまり遠く行かずに回転して横木へ、左右3回ずつやる。横木の上ではアブミに立ってみる。いいぞ、チョコチョコっとリズムの合わないステップが入るようなとこがない、よく踏み込んでんぢゃないのぉ。
ぢゃあ障害へ合流するか。うかうかしてると、どんどん高さがあがってっちゃうから。
最初は、速歩で低いクロス飛んで、その先に3つ横木あるのを駈歩で通過。駈歩で通過してく横木んとこでは、馬の真上にいることだけを意識。(ハーフシート?)
手綱短く持って、あんまアタマの位置変わんないよーに、前に出しながら回転、障害に向かったら、うけて待つ感じで入ってく、つもりで行く。
ニアフュージョン、いつもは障害を前にすると、バタタッって急いで入ってくようなイメージがあるから、「ゆっくり行くぞ、ゆーっくり、このまま急ぐな」とか声掛けつつ行くと、あれれ、おとなしいよ、これぢゃ弱いかもしれないって思うくらい。
何度か繰り返し。後ろのほうの横木は、だんだん障害に組まれてって、最初クロスだったのが垂直、オクサー、そしてどんどん高さが上がってく。

しかし、いいよ、今日のニアフュージョン。なんといっても最初のへ入るときに落ち着きがある。
いつもは「ニア、いきまーすっ!」って、アムロ・レイの声が聞こえて、飛び出してくイメージなんだけどさ、そんなとこ何もなし。
あまり落ち着きすぎてて、油断すると二個目以降を越えてかないんぢゃないかと不安になるんで、ひとつ飛んだあと脚つかう、グイっと力強い動きで馬が上がってくる。
何度かやるうちに、今日は任せといて安心だなって思ったんで、馬が上がってくるのを待って、手を前に随伴の練習のほうを意識するようにした。
それでも、4つ目の障害を飛んだあと、回転するまでのあいだに、ニアフュージョンが耳を倒してハネようかという気配をみせるのは、私の身体が前にいって馬の肩に乗っちゃってんだろう。すいませんね、へたくそで。
終盤戦は、障害の高さがだいぶ上がったよ。4つ目のやつとか、私はニアでこの高さは飛んだことないなって思ったから、順番待ちんときに近寄ってソーっと確認すると、前が100・後ろが105のオクサーだ。

んぢゃ、さらに練習は厳しさを増すよ。コンビネーション飛んでったら、左180度回転してオクサー、そこから真っ直ぐ6歩で垂直、行ってみよー。
例によって急がずに入って、ひとつ飛んだらギュッと推進。よく上がってくるよなあ、ニア。もう少し奥行きあったら、俺飛べないなと思いつつ、4つ目の100センチオクサーを飛ぶ。
幸い、左の駈歩が出てるんで、座って起こすようにして回転。待って飛べ、待って、と念じつつ、オクサーへ。
飛んだあと、「1・2ッ」で起こすことを意識、続いて「3、1・2ッ」ってあたりで、ありゃりゃ詰め過ぎた?って思ったんで、最後の「サーン!」のとこで放しちゃう感じで、少し遠くから飛んぢゃう。低いから飛んぢゃうけどね、ニアフュージョン。
つぎは、コンビネーションのあと左へ回転、オクサー飛んで6歩で垂直、そこから左に180度以上戻るようにヘアピンカーブを描いて垂直へ、それ飛んだら、斜めに振ってある形で、さっき飛んできたオクサーまで7歩。
オクサー飛んだあとの6歩は、なんとか行くんだけど、垂直のあと回転してると、次の垂直にまっすぐ入ることだけで一杯、垂直からオクサーまでの歩数はもう数えてない、右のラインに振るだけで余裕ナシ。
で、どうでもいいけど、何度やっても、コンビネーションから左へ回転して向かうオクサーで、手前のバーを落とす。
なんでかわかんないんで聞いたら、「近い」と言われた。
うーん、近くから飛ぼうとしてんだけど、落としちゃ意味ないわな。
ちなみに、オクサーから垂直のラインでは、遠くからでもニアは飛んぢゃうんだけどね。遠くからのほうが、高さ出ないで落としそうなもんだけど、そこは落とさないんだよな、これが。難しいよ。

障害、おわり。もうすこしだけ馬に付き合ってもらって、駈歩の輪乗りで、詰めたり伸ばしたりをやる。
いちど障害やったあとのほうが、ちっとやそっとバランスを変えたりしても、もういちいち怒ったりしないみたい、ニア。

前は、高い障害を飛ぼうとしたら、勢いよく向かってって、イチかバチか挑んでくようなとこが私にはあったんだけど、今はそういう感じぢゃない。どーせ飛ぶならラクに飛ぼうよ、って馬に相談してるつもり。
でも、今日のところは、馬のほうが一枚も二枚も何枚も上。いつもニアフュージョンには、注文つけるんだけど、きょうはつかまってるだけで連れてってもらった感じ。
そーゆーのって、私とそれぞれの馬との関係であって、競技に出て他の人馬と競ったりすることぢゃない。

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私家版鳥類図譜

2012-05-07 17:39:13 | 諸星大二郎
諸星大二郎 2003年 講談社
諸星の今世紀に入ってからの作品集だけど、これはイイ。
鳥をテーマにした話を集めたんだけど、それぞれが違う舞台を描いてて、それぞれが諸星らしさ満載だから。
第1羽「鳥を売る人」
空のない街の話。人々は皆、地下の建物というか廃墟のようなものが何層も重なっているアリの巣のような街に住んでいる。パイプとか地下鉄跡のような通路で街と街はつながっている。
その通路を通ってやってきた行商人が、カゴに入れた一羽のトリを持って歩いている。
一応、そのトリは売り物なんだけど、何の役に立つものか誰も知らないので、買い手がいるわけでもない。
地下で暮らす人達は、誰もほんものの空を見たことがないので、鳥とは何か、誰も知らない。
第2羽「鳥探偵スリーパー」
帽子をかぶってコートを着た鳥のキャラの探偵の話。10ページの軽いギャグっぽいもの。
第3羽「鵬の墜落」
著者得意の中国古代神話もの。
北冥(ほくめい)という北の海に鯤(こん)という長さが何千里もある大きな魚がいる。この鯤が時が来ると変じて鳥になる。それが翼を拡げると空いっぱいの雲のような鳥、鵬(ほう)。
その鵬が、海が激しく動く時を見計らって、海上を滑走すること三千里、空高く九万里の高さにまで飛び上がり、南目指して飛び立つという。
ところが、鵬が飛ぶのに失敗して、天にぶつかり、天の北西の角が裂けてしまった。
天地は傾き、嵐はやまず、世界は大混乱。そこで鳥たちは、人面蛇身の女神、女媧(じょか 媧は「女咼」環境依存文字ですいません)様に天の穴をふさいでもらおうと頼みに行く。
女媧様は泥から人間を創る作業の手を休めて、五色の石を練って、天を修復した。
第4羽「塔に飛ぶ鳥」
その世界は塔である。全世界は無数の層に分かれた円筒であり、塔の内部に太陽に似た光球が輝き、人々はその洞窟のような街に住んでいる。
塔の外側には「永遠の螺旋の道」と呼ばれる無限に続く階段があり、上や下にある別の世界に行くことは可能であるが、そんなことをするのは巡礼くらいで、上下の果てを極めた者などいるはずもない。
塔から離れた外は、虚空である。虚空の彼方にべつの無数の塔があるのが見えるが、それは幻とされている。自分たちのいる塔だけが、世界なのだ。
その世界の外、虚空であるはずの空を、鳥たちが飛んでいる。だから鳥は呪われた存在とされている。
そして、その鳥たちは、人が背中に翼を生やした形をしている。
諸星ワールドだなー、これがいちばん好きかも。
第5羽「本牟智和気(ほむちわけ)」
これまた著者得意の古代日本もの。日本書紀や古事記にある、おとなになっても口がきけず、あるとき鳥を見て言葉を発したという皇子の話がベース。
四世紀ころ、大和が出雲へ軍事行動を起こしたとき、大王の名代として遠征したのが本牟智和気の皇子。
人の魂は鳥の形をしていると信じられていて、その鳥を追って伯耆の国に入った大和の男が、鳥を呼ぶことのできる鳴女(なきめ)と出会う。
第6羽「鳥を見た」
少年が主人公のホラーっぽいもの。こういうのも著者は得意。
子どもたちのあいだで、病院の裏の古いビルの屋上に、大きな黒い鳥がいるという噂話が起こるんだけど、なかなか本当には見つからない。
病院にいる少年と知りあうんだが、彼はあそこにいるの化け物鳥であり、そのビルに行ってはいけないと言う。
少年たちは、あそこにいるのは、ハゲタカの爪と人間の女の顔をもつ、ギリシア神話の怪鳥ハルピュイアではないかと疑い、ある日とうとう屋上に確かめに行く。
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ありえなくない。

2012-05-06 20:26:01 | 読んだ本
泉麻人 2006年 講談社文庫版
なんとはなしに、ひさしぶりに読み返してみました、泉麻人のエッセイ集。
元ネタは「夕刊フジ」に2001年から2003年まで連載してたコラム(通勤快毒)なんで、内容はそのころのもの。小泉政権とか、9.11のテロとか、日韓ワールドカップとか。
あれからもう10年もたっちゃったんだねえ、って今回あらためて思ったけど。
泉麻人といえば、私としては『テレビ探偵団』の『私だけが知っている』のイメージが強い。(あのころのあの番組は大好きだった。)
そのあとは、『アド街ック天国』で、“街に詳しい”って役柄でコメントしてたけど、あれもよかった。
ちなみに、本書のなかでも、“千と千尋”の町並みに関して、
>目ん玉や床屋の看板が並ぶ古びた路地風景にぞくっとくる、ような感覚というのは、われわれ日本人の遺伝子レベルに刷り込まれた普遍的なものかもしれない
なんて、独自の分析してますけど。
あと、連載エッセイ以外に山田五郎との短い対談みたいなのも収録されてるんだけど、最近はネットでたいがいのものが手に入っちゃうんで、コレクターとしてのモチベーションが保てない、なんて話題で盛り上がってる。
あとがきの、さらに後に、やっぱり山田五郎との対談があって、そこで二人して現代を嘆いてます。
80年代にはオシャレ業界の人は風俗に行かなかったのに、最近平気で行くのは世の中の仕切りがなくなってるとか、ちょいと普通の年寄りの繰り言とは違うけどね。
「ありえない」ってタイトルになってる言葉にしても、以前は何か異常事態に出くわしたら「信じられない」って、“私が”こう思うという意思を表明したのに、いまは客観を装うかのような「ありえない」なんて表現が拡がってるんだが、それって周囲と合わせるっつーか同一化しようっつーか、要は個の喪失だっていうんだけど、鋭いと思います。
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