丸谷才一・山崎正和 1998年 文春文庫版
二年前の秋ごろに買った中古の文庫、ずっと放っておいて、最近やっと読んだ。
お二人の対談集なんだが、単行本は1995年の発行で、なんでも昭和47(1972)年に初めて対談してから、平成7(1995)年でなんと対談(鼎談も含む)の通算回数が100回になったのを記念して、出版となったらしい。
よく数えたねという気もするが、本人たちがやる気があっても、要は誌上対談で読物だから、ニーズがなきゃ成立しないんで、数多く企画されるのはすごいと思う。
実際、どれ読んでもおもしろいしね。いつも思うことだが早く読んどきゃよかった。
気になったとこ適当に抜き書きしてみる。
日本が優秀な中流大衆という社会基盤をつくったけど、知的頂点となるエリートを生まなかったことについて、
>山崎 もし日本がいま亡びて何が残るかといったら、世界で最初に最も高度な大衆化を実現した国としての記憶でしょうね。これは裏返せば哀しいことでもあるんです。(p.31)
日本人が政治家を歴史上の過去の人物に見立てて評したりするのが好きなことについて、
>丸谷 (略)西洋の政治家にくらべて、日本の政治家は言葉を使うことをしないでしょう。言葉で自分を印象づけない。(略)おもしろいことを日本の政治家はいわないのね。だからわれわれは彼らにいくら喝采したくても喝采することがむずかしい。これは政治の祝祭性からいって、困ることなんですよ。そこで政治の見物人としては、せめて、当代の政治家を誰か先人に見立てて親近感を持つしかない。つまりあれは言葉の才能のとぼしい政治家たちを無理やりスターに仕立てるための、大衆の知恵なのかもしれません。(p.43-44)
同じく政論の見立て好きを、文学論のなかのある人物が実は別の人間であるかもしれないというテーマからみると、
>山崎 西洋の場合、たとえばある人間が身分を隠していても、実は違う人であったということがわかる。あるいは、ある人間が成長していって、まるで違う人になってしまう。(略)これは、西洋文学の大好きなビルドゥングスロマン、つまり「人間は成長するんだ」というあの確信です。日本の小説の中に、ビルドゥングスロマンは全然ないんです。「昔男ありき」というのは、同じことをやって歩いているのであって、ちっとも成長しない。(p.62-63)
「文藝春秋」がわりと好きなことについて、
>丸谷 なぜ好きなのかというと、結局、読んで心が暗くならないということです。僕は心を暗くする雑誌というのはよくないと思う。本で心を暗くするというのは、また別の意味があります。キルケゴールのある種の本とか、そういうものですね。ところが、雑誌を読んで暗澹たる思いになるのはばかげているという気が、僕はするんです。(p.77)
「文藝春秋」の文体がよくないものが多い、日本の一般社会に文体がないということについて、
>山崎 (略)要するに文体というものを個人の力量でしか維持できない構造になってるのが、近代社会でしょう。(略)ですから、ベイシスになる文体が社会に存在して、その上で個人の個性が出てくる構造を持っている、西洋の場合とは違うんですね。
>丸谷 そうです。文体と口調は違うというのは、むしろ西洋ふうの考え方ですね。ところが、日本は「文は人なり」を簡単に考えて、文体とは個性のことだと思ったわけです。しかし、本当は文体というのは伝統なんですよ。伝統プラス個性、伝統という文体と個性という口調と、その二つによって文章の肌合いは成立するものなんです。それが日本では、口調がつまり文体だということになってしまった。それが日本文学の貧困、現代日本文学の非常に大きな問題点なんです。(p.99)
国文学者が歌会始の研究をしないでいることについて、
>山崎 (略)日本の国文学者も近代文学者も歌会始を注意の埒外に置いてきたのは、文学というものが世界のどこでも、特に日本の伝統の中では社交の大きな道具であり、むしろ社交の場で生れてきたという側面を見落してきたことと、関係があるだろうと思うんですね。文学は、もちろん個人の自己表現ですけれども、特に日本の場合、それと同時に人間関係の挨拶なんですね。(p.120-121)
文学のことも社交としてとらえるのは、さすが『社交する人間』の著者。
日本にはスポーツというものがない、相撲は藝能みたいなものではないかということについて、
>山崎 相撲の場合、睨みあいましてヤッと立つと、あとは一気に勝負が決る。この構図は、まさに序破急なんですね。睨みあって、睨みあって、序がやたら長い。この間に、気が充実してきます。すると、そこで破がくる。立ち上がる。あとは、一気に急に終る。(略)
>山崎 (略)「気」というもの、気合が大切で、気が充実してくる、それが序の段階。いちばん充実したところで、お互いに気合をはかって、破の段階が来る。この精神は日本の藝能一般にあると思うんです。(略)
>山崎 ちなみに、野球というのは長いゲームのように見えるけど、ひとつひとつの要素をとると、序破急なんですね。ピッチャーが構える、突然投げる。途端にボールはもうこっちに来ている。バッター、構える。ボールが来る、それを打つ。打った後、一塁まで走るとひと休みでしょう。また、一からやり直すわけですよ。あれは、序破急の繰り返しなんでね。(p.244-247)
東北の人は寡黙だというのは間違いで、表現が短縮されてるのは全体の情報量が多いということだってことについて、
>山崎 ただね、東北の人は東北以外の人と話をするときに、諦めが早いんだろうとおもいますね。どうせおまえらに言ってもわからないから、自分は黙っている。そのへんがたとえば大阪の男なら徹底的に喋って説得しようとするから、向こうのほうが饒舌に見えるんで、実はどっちが饒舌かよくわからないですよ。(p.278)
ちなみに丸谷さんは山形県鶴岡生まれの東北人。
明治維新に関わった人物には最初から最後まで一貫した行動をとった者はいないということについて、
>山崎 そこでどの個人の軌跡をとってみても、尊王から公武合体、そこから倒幕へという間には、不思議な、論理的でない、意志の移行がある。また攘夷から開国へという、まったく正反対の決意も、じつはだれも論理的に考えたのでなくて、成行きで生まれてくる。(略)
> そういう段階的な論理の発展というのは、褒め言葉を使って言えば自然科学的な試行錯誤なんですね(笑)。(p.297)
19世紀の小説とちがって、時間があっちへいったりこっちへいったりする形式の小説を書くことについて、
>丸谷 (略)というのは、僕は、はたして十九世紀型の小説を勉強したところで、どうなんだろうかということを、そのあとで少し考えこんじゃったんですよ。というのは、はたしてまっすぐに進む時間というものを、僕がどれだけ信じているかという疑惑が出てきたわけですね。実はそれは、いろんな便宜のために信じたふりをして生きてるだけであって、自分がほんとうに生きている時間というものは、まっすぐに進まない時間で生きているんじゃないか、というような疑惑が出てきたんです。
なんか、さりげに、すごいこと言ってるような気がする。
コンテンツは以下のとおり。
亡ぶ国 興る国 (第95回平成7年)
日本人の見立て好き 黒衣好き (第94回平成6年)
「文藝春秋」とはなにか (第91回平成4年)
あけぼのすぎの歌会始 (第81回昭和62年)
東京論――富士の見える町 (第80回昭和62年)
芸能としての相撲 (第79回昭和61年)
東北論――津軽を旅して (第65回昭和60年)
西郷隆盛と大久保利通 (第34回昭和53年)
明石元二郎と石光真清 (第9回昭和48年)
小説・劇・批評 (第1回昭和47年)
対談的人間とは何か あとがきにかえて (第100回平成7年)
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