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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ニホン語日記2

2023-12-28 19:05:56 | 読んだ本

井上ひさし 2000年 文春文庫版
これは9月の古本まつりで見つけたもの、前にあげた『ニホン語日記』のシリーズ第二集。
以前だったら続けてすぐ読んだんだろうけどね、なんか最近そういうことしないようになってしまった。
単行本は1996年で、初出は「週刊文春」の1992年から1995年にかけての隔週連載だという。
内容はただ日本語で書いた日記ってんぢゃなく(あたりまえだ)、日本語の観察日記である、著者はおもしろいとおもった言葉を探して集めるのがけっこう好きだし。
なんせ冒頭の「すみません」の章では、「筆者には接客手引書蒐集癖があり」なんて告白してて、どの企業でも秘密にしている手引集をスパイを通して入手してるなんていう、それで「すみません」はどこの接客業でも禁句だとか分析してんだけど。
前巻でも政党パンフレットを集めてたエピソードがあったけど、本書を読んでて、なんとなく印象に残ったのは、けっこう政治家に文句言ってんなってことだった。
よくある近ごろの若い人の言葉が乱れてるって説を筆者は否定するんだけど、そっから、
>(略)この「仲間内ではよく喋るけれども、場面が公に変わると、ろくに喋れなくなる」というのが日本人の病気だということを、近ごろとくに痛感している(略) そのもっともいい例が、金丸センセイの上申書提出にまつわる一連の小事件群だろう。宮沢センセイは金丸センセイに、「副総裁はやめないでほしい」と言ってやり、誕生日に高級洋酒を贈った。仲間内ではけっこうよく喋っているのだ。ところが上申書提出をどう思うかと記者団に聞かれると、「私からは何も言うことはありません」と無口になる。しかもわたしたちはこういう語法に注文をつけることをしない。(略)
>金丸センセイの語法となるとさらに難解である。(略)「この体験をふまえて政界浄化と政治資金の明朗化に努めるよう微力を尽くしたい」となるとますます解らなくなる。泥棒が「こんどはドジをふんだが、次からはもっとうまいやり方を考えますぜ」と凄んでいるような印象なのに、永田町地方では、これが悔い改めることらしい。(p.45-46)
というように、日本語乱れてるのはどこの誰よ、公の場でちゃんと喋れよと政治家に厳しいとこ見せる。
「どうも」「すみません」「やっぱり」が戦後の三大「便利語」だとかいう話題を出したあとでも、
>(略)政治家のみなさんも便利語の達人だ。なかでも自民党の諸先生方のおっしゃる「政治改革」「政治にはカネがかかる」「カネのかからない政治は小選挙区制から」は、これまた自民三大便利語といってよかろう。
>政治とは、端的に言えば、「国民から集めた税金や国有財産をどう使うか」ということである。(略)言ってみれば、泣きの涙で血の出るような思いで税金を払っている人びとが、こんなめちゃくちゃをされては税金や国有財産の使い方を任せることができない。(略)もはや便利語の後ろに隠れて、ごそごそやっている秋(とき)ではあるまい。彼らの便利語は怠け心から発しているというよりは、他人様から預かったものを大事に扱おうとしない傲慢さから出ているように思われる。(p.63-64)
というように矛先を政治家に向けたりしてる、それにしても日本の政治家って30年経ってもなんも変わってないのねとか思っちゃうけど。
べつのとこで言葉は事実を覆い隠すために間接的な言い方をすることもある、経済活動の収縮期を19世紀には「恐慌」って言ってたけど、この語が人々に恐怖感を与えるから「不況」と言い換えられた、といった話題から、
>さて、そこで、山梨県一帯で猛烈に流行したという「コーヒー代」「まんじゅう」(略)ということばは何だったのだろう。説明は要らないだろうけれど、念のために言い添えておくと、「コーヒー代」「まんじゅう」は、県内建設業者から天下第一党の副総裁に差し出される上納金のことであり(略)
>これらをもちろん隠語と解することもできよう。(略)しかし、隠語などという在りきたりの言い方じゃすまないぞという気もしきりにするのだ。身を切られるような辛い思いをして払った税金が犯罪者どものコーヒー代やまんじゅう代に化けたのでは、こちらが浮かばれないではないか。そこで「かくしことば」という新語を発明したわけである。いずれにもせよ、言語は常に使う者の態度を反映する。税金をコーヒー代やまんじゅう代としか考えられない人間が国政の中枢にたしかにいたのである(いまもいるだろう)。この事実を、一切のことばの煙幕を吹き払って、しっかりと凝視する必要がありそうだ。(p.117-118)
と当代の政治を追及する展開になる。
おもしろいのは、そういうこと書いてるのが多いせいなのかどうか、政界進出をうわさされたことがあったらしい、1993年9月に駅の新聞売場で自分の名前が見出しになっているのに気づいて読んでみたところ、
>でかでかと書き立てていたのは「夕刊フジ」、見出しは「井上ひさし新党構想」、記事の内容は、ある市民グループが政党を結成し、その党首にわたしを担ぎ出すことにしたというもの。しばらくはただ呆然。その市民グループから連絡をもらったこともないし、フジの記者と会ったこともない。(略)この嘘八百の記事はなんだ。腹が立って、こまつ座の顧問弁護士の古川景一さんに「訴訟したい」と訴えた。古川さんは記事を一読して破顔。
>「『井上ひさしが新党構想』というふうに、『が』でも入っていれば裁判に持ち込めるんですがね。つまり井上が主語で構想が動詞にでもなっていれば、どういう取材をして、井上が主体的に動いていると書いたのかと、ぐいぐい詰め寄ることができますが、こう漫然と活字が並んでいるだけでは裁判はできません。まあ、笑ってすますことですね」
>そこでわたしは泣く泣く笑ってすませることにしたが、これまた国語学的怪事件であった。(p.147-148)
ということになったという、これは勉強になるなあ、漫然と活字を並べるだけだったら嘘八百を一面にして新聞売ってもいいってことか、ふーむ。
相手は特定の政治家だけぢゃなく、社会全体ってものに対してってこともあって、筒井康隆さんの断筆宣言のあとには、
>さて、筒井康隆さんの断筆宣言は、この見せかけだけは事もない社会に一つ大きな風穴を開けた。筒井さんの断筆の意味をわたしなりに受け止めればこうなるだろうか。
>「ほんとうにこの社会には何事もないのか。ことばから化粧を落として素顔にさせて、一度、じっくりと考えてみてはどうか」(p.186)
として、十一条からなる「差別語のための私家版憲法」を作成して、拡大特別版企画として公表して問うていたりする。
まあ、そんな社会派的なことばっか言ってるわけでもなく、本来の文法なんかの話もあいかわらずおもしろい。
本書では、オーストラリアの大学に行ってたときに日本語学科の学生から「日本語の基本文型を教えてくれ」といわれて「たぶん基本文型は四つである」と答えたって話なんかは興味深い。
>まず、日本語は述語中心に文を作るのだ、主語がなくても日本語は成り立つのだと強調しておいて、基本文型らしきものを並べた。
>一、ナニがドウする(花が咲く)式の動詞述語文
>二、ナニはドンナだ(花は美しい)式の形容詞(形容動詞)述語文
>三、ナニはナニ(花は植物)式の名詞述語文
>四、ナニはナニである(花は咲くものである)式の存在詞「ある」を述語とする存在詞述語文(p.107-108)
っていうんだけど、ふだんそんなこと全く考えないで日本語を使ってる身としては、そういう考え方あるんだと刺激を受けた。
ほかには、話し言葉と書き言葉はちがうもんだってことは前巻でもふれられてたんだけど、ふだんの会話でのものの言い方において、だんだんと西日本風な言い方が、東日本というか標準語を乗っ取りつつあるとして、
>(略)では、なぜ、こんな現象が起こり、そしていまも起こり続けているのだろうか。
>おそらく標準語が生活語ではないからだろうと思われる。たとえばNHKや民間放送のアナウンサーたちのことば、日本人は一人として普段の生活であんなふうには話していない。標準語には「生活」が込められていないから、日常生活では使えないのである。だれもが標準語とどこかの地域語が交じったことばを使っている。もっと言えば、標準語には「生活」というものが希薄で、その分、中身に鬆(す)があり、空洞がある。そこに西風が吹きつけてくるのではないか。(p.69-70)
みたいに喝破してるとこなんかもおもしろいと思った。
各章の見出しは以下のとおり。
すみません
読み書き並行論
文庫で始まり文庫で終わった日
日本海をどう呼ぶか
へんちき認識論
新方言時代
「ら抜き」と「さ入れ」
「お言葉」考
便利語
西風東漸
韻さぐり
カ゜キ゜ク゜ケ゜コ゜
早口の世界記録
漱石の「浪漫主義」
花便り
プロ野球選手座右の銘
ここに一枚の座布団がある
かくしことば
「新」という助字
社長の魅力
射精産業界の新語
十二年前の怪事件(上)
十二年前の怪事件(下)
作況指数
親愛なる移民の子孫の皆さん
映像報道言語
女性から見てのことば
ひどい年
悪魔の贈物
差別語のための私家版憲法
ヴィオラとビオラ
「……生活」
ユーモラスな金言集
政治家のことば
無用の用
松本市立清水小学校の四十人
大の字の読み方
電話の前の掲示板
今どきの高校生は……
ポケベル文法
業者の命名
小股の切れ上がった女
日米合併論
梅雨のあとさき
ハローワークって何だ?
「……的」の問題
子どもと漢字
野茂の噂
ら抜きは手抜きか
著作物とはどんな商品か


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