中沢新一 2004年 講談社選書メチエ
ようやくたどりついたカイエ・ソバージュV、最終巻。
人がつくって語り継いできた神話は対称性の論理でできているんだけど、現実世界は非対称的な関係に満ちてしまっている。
しょうがないじゃん、現実には人が熊になったり山羊と家族になれたりするわけないんだから、と言ってしまっては元も子もない。
>現生人類が幸福を感じているとき、いつもそこには対称性、多次元性(高次元性)、個と全体との一体感など、贈与の原理と結びついている多くの特徴が、絶妙な働きをおこなっているものです。交換をベースとする資本主義には、そういう無意識を幸福にできる「原理」が欠如しています。(p.98)
非対称性の論理の現実世界では幸福を感じられないのはどうしてか、そんならどうしたらいいのか、そういう話が始まるのがとてもいい。
哲学のよくわかんないのは、それがどうしたって言いたくなるとこにあるんで、卑俗な幸福感の周辺で話してくれると読む気が増すというか。
で、ふつうの理屈ぢゃないものがまかりとおる、神話的思考というか対称性の論理がはたらいている人間のアタマは、流動的知性というものなんだが、これは精神分析学が「無意識」と読んでるものと一緒だと。
こないだ、河合隼雄さんの本読んで、無意識について新しく学ぶとこあったのは個人的にはタイミングよかった、人類には共通の心理ってのがあるらしい。
それが一神教なり資本主義なりが支配してる世の中では、制限されたり抑圧されたりして、人の心には危機が訪れると。
そこで本書では、満を持してとでもいうべきか、仏教が登場。
>仏教とは(略)、無意識=流動的知性の本質をなす対称性の論理に磨きをかけて、その可能性を極限まで追求した思想にほかならない。これが私の確信です。(p.153)
と、さすがチベット仏教を実践したひとの言うことはちがう。
>ホモサピエンスの「心」のおおもとは流動的知性だ。それは高次元で働く対称性の論理によって、世界の真実の姿をとらえている。ところが、人々はその流動的知性の中に勝手に非対称性論理を作動させて、世界を分離と不均質の相貌のもとに見ようとする。言語の構造が、それをバックアップする。神経症的な文明の基礎が、こうしてつくられてきた。(p.173)
だけど、さまざまな実践をとおして流動的知性の働きを回復してけば、自由に運動する心をとりもどせるのではないかという。
>どうして世界はグローバル化していくのか? それはホモサピエンスの「心」に、形而上学化へ向かおうとする因子が、もともとセットしてあるからです。その因子がはらんでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを、対称性の原理を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。(p292-293)
伝統的社会はよくできていたんだけど、そこんとこ突き崩していっちゃったのが一神教で、その先は資本主義とか国民国家とか科学的な論理とかに結びついてって、いまのような世界になっている。
なかでも資本主義は何でも数値に変えて価値観つくっちゃうんで強敵。経済の問題は大事、
>経済システムをつうじて、ホモサピエンスが真実の幸福を体験できるような経済システムを構想するためには、無意識の作動と経済システムの関わり合いを、これ以上はないと思われるほどの深い部分で考え抜いてみる必要があります。(p.244)
っていうのが、現代思想が現実として扱わなきゃいけない最も大きな問題なんぢゃないかなという気がした。
序章 対称性の方へ
第一章 夢と神話と分裂症
第二章 はじめに無意識ありき
第三章 〈一〉の魔力
第四章 隠された知恵の系譜
第五章 完成された無意識―仏教(1)
第六章 原初的抑圧の彼方へ―仏教(2)
第七章 ホモサピエンスの幸福
第八章 よみがえる普遍経済学
終章 形而上学革命への道案内
ようやくたどりついたカイエ・ソバージュV、最終巻。
人がつくって語り継いできた神話は対称性の論理でできているんだけど、現実世界は非対称的な関係に満ちてしまっている。
しょうがないじゃん、現実には人が熊になったり山羊と家族になれたりするわけないんだから、と言ってしまっては元も子もない。
>現生人類が幸福を感じているとき、いつもそこには対称性、多次元性(高次元性)、個と全体との一体感など、贈与の原理と結びついている多くの特徴が、絶妙な働きをおこなっているものです。交換をベースとする資本主義には、そういう無意識を幸福にできる「原理」が欠如しています。(p.98)
非対称性の論理の現実世界では幸福を感じられないのはどうしてか、そんならどうしたらいいのか、そういう話が始まるのがとてもいい。
哲学のよくわかんないのは、それがどうしたって言いたくなるとこにあるんで、卑俗な幸福感の周辺で話してくれると読む気が増すというか。
で、ふつうの理屈ぢゃないものがまかりとおる、神話的思考というか対称性の論理がはたらいている人間のアタマは、流動的知性というものなんだが、これは精神分析学が「無意識」と読んでるものと一緒だと。
こないだ、河合隼雄さんの本読んで、無意識について新しく学ぶとこあったのは個人的にはタイミングよかった、人類には共通の心理ってのがあるらしい。
それが一神教なり資本主義なりが支配してる世の中では、制限されたり抑圧されたりして、人の心には危機が訪れると。
そこで本書では、満を持してとでもいうべきか、仏教が登場。
>仏教とは(略)、無意識=流動的知性の本質をなす対称性の論理に磨きをかけて、その可能性を極限まで追求した思想にほかならない。これが私の確信です。(p.153)
と、さすがチベット仏教を実践したひとの言うことはちがう。
>ホモサピエンスの「心」のおおもとは流動的知性だ。それは高次元で働く対称性の論理によって、世界の真実の姿をとらえている。ところが、人々はその流動的知性の中に勝手に非対称性論理を作動させて、世界を分離と不均質の相貌のもとに見ようとする。言語の構造が、それをバックアップする。神経症的な文明の基礎が、こうしてつくられてきた。(p.173)
だけど、さまざまな実践をとおして流動的知性の働きを回復してけば、自由に運動する心をとりもどせるのではないかという。
>どうして世界はグローバル化していくのか? それはホモサピエンスの「心」に、形而上学化へ向かおうとする因子が、もともとセットしてあるからです。その因子がはらんでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを、対称性の原理を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。(p292-293)
伝統的社会はよくできていたんだけど、そこんとこ突き崩していっちゃったのが一神教で、その先は資本主義とか国民国家とか科学的な論理とかに結びついてって、いまのような世界になっている。
なかでも資本主義は何でも数値に変えて価値観つくっちゃうんで強敵。経済の問題は大事、
>経済システムをつうじて、ホモサピエンスが真実の幸福を体験できるような経済システムを構想するためには、無意識の作動と経済システムの関わり合いを、これ以上はないと思われるほどの深い部分で考え抜いてみる必要があります。(p.244)
っていうのが、現代思想が現実として扱わなきゃいけない最も大きな問題なんぢゃないかなという気がした。
序章 対称性の方へ
第一章 夢と神話と分裂症
第二章 はじめに無意識ありき
第三章 〈一〉の魔力
第四章 隠された知恵の系譜
第五章 完成された無意識―仏教(1)
第六章 原初的抑圧の彼方へ―仏教(2)
第七章 ホモサピエンスの幸福
第八章 よみがえる普遍経済学
終章 形而上学革命への道案内