ゲームホリック

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ローカライズの必要

2009年11月02日 | ゲーム
いまさら言うことではないですが、例えば洋ゲーには「キャンペーン(Campaign)」や「シングル(Single)」などと呼ばれるモードが存在します。日本のゲームで言うところのストーリーモードです。正直当初は面食らってしまいました。これまでストーリーモードを「キャンペーン」だとか「シングル」だなんて表記するゲームをプレイしたことがありませんでしたから。

「キャンペーン」だとか「シングル」は「オンライン」だとか「マルチプレイ」の対概念でしかありません。広辞苑を見てみると、「キャンペーン」は①社会上・政治上の目的をもつ組織的な闘争や運動、②ある特定の問題についての啓蒙宣伝活動、③大がかりな商業宣伝としかありません。そして一方で「campaign」をジーニアス英和辞典で見てみると、名詞では軍事行動、動詞では従軍する、戦闘に参加するという意味がありそのものズバリです。

当然といえば当然の話ですが、原語の「campaign」には軍事行動、戦闘に参加するなどの意味がありプレイヤーに意味が伝わります。けれどもそれをカタカナの「キャンペーン」とすると全く意味が伝わりません。日本語の「キャンペーン」には軍事行動や戦闘に参加するという意味は普通含まれているという前提がないからです。だからこそ「campaign」を「キャンペーン」とそのまま訳してしまうローカライズには問題を感じます。


一時が万事こんな調子で直訳的にユーザーに甘えたローカライズばかりです。「campaign」にしてもそのまま「キャンペーン」と直訳しなくても「戦闘開始」なんなりと訳し様はあるわけです。でもそれがされない。いくら優れたゲームでも文化障壁は存在するわけで、それを放置したままリリースして、日本で売れないと嘆くのは方法論として間違ってると思います。そもそもスタート画面の形式でさえ日本のそれと海外のそれは大分異なるのですから。


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