ゲームホリック

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日本のゲームの作家性

2010年02月11日 | ゲーム
“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮本茂氏の設計哲学(前編) (1/5)(Business Media 誠)

ゲームを作ることに関しては、日本人が作るものに対して世界的な評価はすごく高いです。そのため、「どうして日本でそういうものが作られるのか」と興味を持って分析したがる人もいるのですが、僕は日本というより、また東京とか京都とかいうこととも関係なく、「基本的に個人が作っている」ということが大事かなと思っています。

ゲームを作ることに関しては、日本人が作るものに対して世界的な評価はすごく高いです。そのため、「どうして日本でそういうものが作られるのか」と興味を持って分析したがる人もいるのですが、僕は日本というより、また東京とか京都とかいうこととも関係なく、「基本的に個人が作っている」ということが大事かなと思っています。

中略

 そうすると、「どこで仕事をするか」ということよりは、「誰が作っているか」をはっきりさせて作ることが大事かなと思っています。
(上記リンクより一部引用)


再三、宮本さんがインタビューで語っているのがセンスの問題です。マリオのジャンプ時の滞空時間は全く現実には即していないが、それがゲームの面白さにつながっているとします。そしてそういった滞空時間を決めるのは調整であり、その能力こそ世界に誇る日本人の職人芸だと言った趣旨の発言です。

日本のゲームには多くの場合、開発者の「顔」が前面に出てきています。『マリオ』の宮本茂さん、『メタルギア』の小島監督、『キラー7』の須田剛一(51)さん、『オウガバトル』シリーズの松野泰己さんなどなど売れているゲームの多くにそのクリエーターの顔がセットになります。

もちろんコアユーザー向けのブランド力強化と言うこともあるのでしょうがそれにしても、海外のゲームのクリエーターはあまり目立ちません。『Fable』シリーズのピーター・モリニューやジェフ・ミンターなどごく少数のクリエーターを例外として、海外のゲームでは企業の”商品”である側面を強く感じます。

その前に補助線として、編集者の竹熊健一さんの『崖の上のポニョ』評を引証してみたいと思います。
パンダとポニョ(1)(たけくまメモ)
『カンフー・パンダ』と『崖の上のポニョ』こそ「別々の惑星で作られた映画」だと言いたくなります。

ハリウッドと日本の違いももちろんありますが、方や「大予算を投じて作られたウェルメイドな作品」であり、方や「大予算で作られてはいるが徹頭徹尾“作家の作品”」という意味で、根本的な違いがあるわけです。

中略

ところで俺は、『カンフー・パンダ』の監督名を未だに知りません。まあ、パンフを見直せば誰だかすぐわかりますけど、調べる気になりません。『白雪姫』の監督はディズニーではなくディビッド・ハンドという人なんですけど、100人が100人『ディズニーの白雪姫』だと認識していてそれで不都合がないように、『カンフー・パンダ』はハリウッドが作った面白いアニメだと思っていればそれでよく、監督(作家)が誰であろうが関係ない種類の作品であるわけです。
(上記リンクより一部引用)


その作家性とは何か。例えば宮本さんで言えば、一貫して貫かれているまるでAプロ、宮崎駿さんや大塚康生さん、手塚治虫さんに代表されるような動画的娯楽、漫画表現的娯楽がその特徴であると言えます。また小島監督で言えば、映画的な大人の鑑賞に堪えうる物語性や優れたルール性や遊び心です。須田さんはその風変わりな、ケレン味たっぷり、ケレンしか無いような世界観であり、松野さんはダークな中世ヨーロッパ的な世界観と緻密なシステムがその魅力であったりします。

一方で海外の場合、個々のクリエーターと言うよりも開発スタジオがその注目を集めているように感じます。ロックスターノースやEAカナダスタジオ、エピックゲームス。個々のクリエーターは確かに存在しメディアにも露出していますが、大変面白いゲームですが『ギアーズオブウォー』を作った人が誰かをぼくは知りません。でも作ったスタジオがどこかは知っています。『グランドセフトオートⅣ』は面白かったですし、『RED DEAD REDEMPTION』は面白そうですが、誰かディレクターなのか知りません。


日本と海外のゲームを隔てるもの。それはセンスか技術の蓄積か、という違いだと思います。海外のゲームの多くは使用ポリゴン数やテクスチャの綺麗さやティアリングが発生しないか、fpsレートがどれだけ出ているか、迫力があるか、オンラインを装備しているかなど、そういった技術的な問題に注目が集まっているように感じます。だからこそクリエーター個人にではなく、それを作っているスタジオなどが注目されるのでしょう。

一方の日本のゲームの場合、『マリオ』や『ゼルダ』もそういった技術的な問題に注目されなくは無いですが、世界観やシステムの新規性、若しくはそのクリエーターの作家性が発揮されているかどうかの方が注目されているように思います。『マリオ』に「unreal engine」や「GTA4のエンジン」を積んだところで宮本さんが関わらなければユーザーに意味が無いと言うことです。クリエーターの個性がコアユーザーを中心に認知されるよう。



で、これは海外と日本のゲームの捉え方の違いにあるのではないかと思えます。海外のゲーム、特にPS2以降のゲームの多くはそれまでの荒削りで大雑把な蔑称として洋ゲーといわれていた頃の特色はなりを潜め、全体的にクオリティーの高いゲームが多くなって来ました。それは一重にコンシューマとPCのゲーム開発のボーダレス化、それによる技術の蓄積、ゲームの基礎研究の結果、行き詰まりを見せていたIT業界からの資金と人材の流入にあると考えられます。

要は海外ゲーム業界の徹底的な商業主義化です。昭和的な言い方なのかもしれませんが、コカコーラやハンバーガー、ハリウッド映画に起きたことがゲーム業界でも起こったと言うことです。何が売れるのか、どうすれば面白くなるのか、そういったマーケット的、技術的な研究の結果が今の洋ゲーなのだと思います。これは決して悪いことではありません。どのゲームも平均的にゴージャスで、平均的にとても面白いからです。でもどれも似ています。


今一度、補助線として、編集者の竹熊健一さんの『崖の上のポニョ』評を引証してみたいと思います。
パンダとポニョ(1)(たけくまメモ)
日本映画界も、ただ予算とマーケットが小さいというだけで十分に商業主義であります。

日本であろうがハリウッドであろうがどちらも商業主義なのであり、それゆえどちらにも小規模な「アート系映画」の市場があって、作家性を貫きたければそちらで勝負すればいいわけです。その意味では、近年の宮崎アニメのように「作家」を貫いてなおかつ商業的にも成功してしてしまう(しかもそれが持続している)例は、洋の東西を問わず、歴史的にもほとんどないと言っていいのではないでしょうか。
(上記リンクより一部引用)


もちろん日本の作家性があるゲームも商業作品です。株式会社が資金調達をして、ある程度の市場調査を経て、企画が練られ、何人もの偉い人を通って市場に出るわけで十分に商業主義的です。けれどアメリカのそれと比べると、まだまだ個人が入る余地のある商業主義だとも言えます。だからゲームとしての個性が発揮される一方で、「よく出来た商品」である海外のゲームには勝てなくなってきています。

それでも日本の作家性は市場でそれなりの規模で受け入れられてはいます。それなりにではありますが。海外のそういった作家性の強いタイプのゲームと比べれば、日本の作家性が強調されたゲームは内外にそれなりの支持を持っています。だからこそ極度に商業主義化しなければ厳しい状況の中で未だに新作をリリースし続けてこられているわけです。

その中でも最も売れているのが任天堂のゲームであり、宮本さんのゲームであったりします。皮肉なのは宮本さんを始め、任天堂は「ゲームは作品ではなく工業製品」と言い続けているにもかかわらず、結果として任天堂の、殊に宮本さんが関わるゲームは宮本さんの作家性が出ているものになっています。そしてそれが宮崎駿さんのように売れているわけです。



で、結局何が言いたいかと言えば、日本のゲームの作家性はそれまでのゲーム制作の名残(ピーター・モリニューやジェフ・ミンターなどの有名クリエーターは洋ゲーが商業化する前のクリエーター)である一方で、マーケティング、技術の蓄積の不備、ビッグバジェットが組みにくいことの賜物でもあると言うことです。主流から外れる傾向が強いと言う意味で作家性にはイノベーティブを生む可能性が留保されると言い得ますが、その反対に大きな市場は取り辛いとも言えます。これはますます顕著になっていくと思います。

そしてこの作家性は再現性が高いものではないと言うことです。現在のクリエーターが一戦を離れた時、新しい才能が出ているのかと言う点で少し微妙な気持ちになります。一方でマーケティングと技術に長けたハリウッド的商業主義的な製作体制の敷かれた洋ゲーは、新規性という点では劣るもののコンスタントにクオリティの高いソフトをリリースし続けています。作家性が枯渇した時、日本のゲームはどうなるのか、ということです。

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3 コメント

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興味深い話ですね ()
2010-03-21 13:05:31
今更ですみませんが、単純化の話も含めて興味深く読ませて頂きました。ちょっと自分の記憶とリンクしたので一言。私はPSの初代ウイイレを初めてプレイした時、そのあまりのレベルの低さ(単純化…?)に愕然とした記憶があります。同時期のSFC作品、エキサイトステージなどと比較して、よくもまぁこれで発売したなという感じでした。そこからウイイレがサカゲーの本命へとのぼりつめる中で、高塚氏という作家?がどうやら有名になっているのですが、彼はどんな業績をのこしてこの地位を手に入れたのか非常に疑問なんですよね。私は最初のイメージの悪さもあって、ウイイレについてはまったくトレースしてこなかった(PS3になってようやく作品を買ってチェックするようになった)人間なので、高塚氏の発言がなぜこれほど注目されるのかよくわからないんです…少なくとも現在のウイイレは、PSの初代作品の延長線上で停滞し続けているようにしか見えないので…
噂の2011がどうなるのか興味深いです。
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Unknown (kameotoko)
2010-03-23 01:08:28
コメントありがとうございます。

個人的な感想としては、ぼくも初代ウイイレは発売当時にプレイして、ラガーマンみたいなモデルやコツをつかめばバカスカ点が入ってしまう底の浅いゲームという認識しかありませんでした。(それはそれで面白くはありましたが。)それに当時はコナミ大阪スタジオの実況シリーズがサッカーゲームの雄であると認識してましたし。

それ以来、初代以来ウイイレをプレイしていなかったのですが、2000年ごろサッカーマニアの友人から半ば強引に借りさせられたJリーグ実況ウイニングイレブン2000に驚かされたのを覚えています。当時にしては結構なクオリティでちゃんと”サッカー”していたことに驚かされました。

個人的には絶大な人気を誇ったコナミ大阪の凋落とFIFAの長い低迷、メジャーになりきれなかったフォーメーションサッカーなどの間隙を縫って、実名で堅実なサッカーゲームを出し続けたことがウイイレブランドと高塚氏の名前を上げたのでは感じています。

PS2のウイイレ6に至っては100万本以上売れてしまっているので実績としては十分だからではないでしょうか。少なくともウイイレの見せ方や操作方法はサッカーゲームの標準になりましたし。ただぼくはあんまり作家的熱量を今のウイイレからは感じられず、過去の人かなと思ってしまいます。
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なるほど ()
2010-03-27 22:51:01
ご返答ありがとうございます。なるほど、やはり売れているというのが一番の実績というわけですね。今でもまだ売れてる部類ですもんね…実況シリーズ懐かしいですね。SFCの初代作品には私も衝撃を受けました。ラモス、バルデラマの描写とか(笑)とりあえず、ウイイレ2011を首を長くして待ちましょうかね。あと、W杯需要を狙ったダークホースにも期待。
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