亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

写謡 夜討蘇我

2020-10-19 | 能楽
鬼王、団三郎を何とか帰そうとするが頑として受け入れない。
修羅物はテンポよく、普通の謡よりセリフが早い。
習いがけの私は鬼王の役が当たったが、うまくいくかどうか心配でならない。セリフが少ないが、どんどんぼっかけてくるので怖い。出番を間違えないように赤鉛筆で鬼王の所に印をつける。すっかり忘れていたが、こんな早く謡う場面だったのか。口が上手く回っていたのだろうか。今テープを流して見てつくずく思った。
改めて読んでみると、肝心の討ち入りする場面がない。
巻頭に間狂言というのが載っている。
観客を退屈させないため、演能の途中で狂言師が出てきて面白おかしく物語の内容を説明する場目なのだが、それによると、どうやら夜中に父の敵工藤祐経の寝所に忍び込んでザックと刃物を突き刺したようである。小袖曽我では矢を射かけたように書いてあったが、ここでは、寝ている所を襲ったようである。まったく卑怯な手を使っている。なんでこれが敵討ちの手本?になるのだろう。
さて、そうなると、家来たちは黙っていない。当然襲って来る。それが中入後の後半に出てくる。
捕らえられてなんでめでたいのだろうか。
兄貴の十郎がワキで弟の五郎が何でシテなのか、反対ではないかと不思議だったが、兄貴が先に殺されたんだね。やっとその訳が分かった。お寺の坊主をしていた弟の五郎が何でこんなに強いのだろう、不思議です。
当然穏やかではない、五郎は翌日になって斬首されたとなっている。
生きていられないと分かっていても敵(かたき)を取りにいかなければならないのか。侍の世界は怖いね。
江戸時代になって敵討ちは許可制になってお上の許しをもらえれば殺してもいいとなっていたとか。生きていられたのかね。
コスモスが咲いている。
すっかり寒くなった。ついこないだまで夏だったのに。ストーブが出てきた。
大丈夫ですか?
先日ウォーキングに行ってきた。
途中で行く方向が違うようなので、係の人に尋ねてみた。「どこから行くのですか」。「5キロしかないので、距離が足りないので、途中で5キロコースの人と出会いますから・・・。」なんて訳の分からないことを言うので不思議に思ったがついて行った。いつまで行っても折り返さない。やがて休憩に入ったので先導していた人に尋ねてみた。「ここで折り返すのですか」。「いや、雪見橋はまだ向こうですよ」。どうやら下流にある雪見橋ではなく、上流にも雪見橋があるようだ。てっきり勘違いをしていた。道理で係の人が「大丈夫ですか」と何度も聞いていた訳が分かった。彼女はたちは私が5キロコースと間違えたと勘違いしていたのだ。これも耳のせいか。耳が良かったら誤解がすぐ解けるのだが。悲しい。

コメント
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