亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

宝生紫雪縁の浅野川稲荷神社

2012-09-27 | 神社巡り

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浅野川大橋の近くにあります。

こじんまりした可愛い神社です。

昔は山伏寺天道寺と言って境内が3千坪もあったらしい。

宝生15代の宗家友于(ともゆき)は11代将軍家斉(いえなり)、12代将軍家慶(いえよし)に能を教えていましたが、12代将軍家慶が亡くなると宗家を九郎に譲って加賀の国へ移り住んで、名を紫雪(しせき)と名乗り、当時の加賀なまりの宝生能を本物の宝生流に正した。

その時住居としたのが天道寺(今の浅野川神社)であった。紫雪は加賀の国に移り住んでから1年と少しで天道寺で病没した。

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天井には神社の由来が書かれた看板が上がっているが所々読めないところがあり紫雪との関係がよくわからない。

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入口にはおみくじ選り取り見取り。

恋みくじ、花みくじ200円。

絵馬300円。おみくじ100円。

前の小さな兎さんには学業成就と書いてある。

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狛犬と言えば普通は鞠と子供を伴っている物だがここの狛犬さんは何も持っていない。

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手水所の隣に井戸が有りその上に面白い置物があった。

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宝生紫雪先生終焉之地と書いてある。門の陰に隠れるように立っている。鹿は何の意味があるのだろうか。

神社から 直線距離で約600m北東方向に行った所に宝生紫雪の墓がある全性寺がある。

         全性寺山門

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本堂より立派な山門で前にはわらじが沢山下がっている。

紫雪の墓はどう言う訳か宗家のいる江戸ではなく金沢だった。

紫雪のお世話したお弟子さん、波吉宮門(なみよしぐもん)お寺でこの境内でおでしさんと一緒に眠っている。

江戸の宗家は何故か1度もお参りに訪れていないと言う。

         宝生紫雪の墓

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今年紫雪の150回忌法要が行われた。

9月2日には追善能「動成寺、安宅」が県立能楽堂であった。

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