亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

謡曲「大江山」

2010-04-02 | アート・文化

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         しろもくれん
  大江山
源の賴光は勅命を奉じて丹波の国大江山に籠もっている鬼神を平らげる為に、保昌及び4天王など50人を引き連れて、山伏姿で大江山に踏み込んだ。賴光は途中で道に迷った体を粧って、酒天童子の家にたどりつき、他意のない事を告げて一宿した。童子も安心して自分が比叡山から傳教大使に追い出されたために、今は此の処に隠れ住んでいるのであると語り、酒宴を催して打ち寛ぎ、酔い倒れて一同は寝ついた。賴光等はこの様子を見て、今こそ好機到来と彼の寝所に斬り込んだ。見れば彼は二条あまりの鬼の姿で臥していたが、賴光等を見て驚き立ち上がり、よくも我を偽ったりと大いに怒りを発し、賴光をつかんで組み敷したが、賴光は少しも騒がずして下から鬼神を刺し通し、ひるむところを刎ね返して遂に鬼神の首をあげ、一同は喜び勇んで都えかえった。(謡本より)
今週から謡曲「大江山」のお稽古です。
そこで、先生が突然言い出した。
「これはまるで騙まし討ちだ。大江山の鬼は何も悪いことしてないのに、何で殺されなければいけないのかね。」
鬼と言うのは、悪者に決まっている。何て、決め付けていたが、考えてみれば不思議な話だ。
早速、インターネットで調べてみた。
たしかに悪者だったが、大江山の酒天童子は実在の鬼ではなくフィクションのようだ。
当時、多くの民が飢饉で苦しんでいるのに一部の貴族達が優雅な生活を送っていた。
そういう中で生れたのが酒天童子の伝説だそう。
見方を変えれば、貴族達に対する憤りの裏返しではないか。
当時の政権で、都合が悪くなれば、勅命だと言って成敗される。
当たり前のこととはいえ、ちと面白くないな。
大江山の鬼は本当に悪いことしたのかな。

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1 コメント

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貴族は優雅というイメージは、パンがなければケー... (時雨)
2010-04-02 21:36:00
貴族は優雅というイメージは、パンがなければケーキを食えとのたまったフランス皇帝や、豪奢を尽くしたハプスブルク家など、西洋の公侯伯子男の階級性が模倣されてからでしょう。
基本的に貴族は食うや食わずでも血筋は上等で、地域全体の文化意識を底上げしていた存在です。京=町という連想はまだ通用します。
しかし、これだけ民主主義が浸透すると、新たな格式を設けることが必要かもしれません。
ちなみに、私はフロイラインとバロンについて興味を持っています。階段型の階級は、維持費がかさむし、世襲制を絶対だと思い込む田舎者はいけすかないのでね。
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