東日本大震災のあの日から5年が経った。
復興住宅計画は5割で、今も仮設住宅に暮らす人は5万人を超えるという。
寒い日だった。工房にいた私は揺れが落ち着くと何故か駅に急いだ。
鎌倉駅は、帰る足を奪われた人であふれていた。
子連れの外国人も多く、寒さに震えていた。
近くの小学校が、一時避難所に指定されるまでかなりの時間がかかり、
夕暮れと共に寒さが増してきた。
私は工房に戻り、ありったけのホッカイロを握ってまた駅に向かった。
小さなお子さんを連れた人に声をかけ1枚ずつ配った。
とっさに、そんな事しかできなかった。
大宮に帰るという若い女性や、乳幼児を連れたお母さんに、
「よかったら、家にいらっしゃいませんか?」と、
私は何故言えなかったのかと後々悔やんだ。
災害はいつ起こるかわからない。
心構えも3月11日が過ぎれば薄れる。
せめて避難場所の確認を家族でする、非常食の準備をする、
これだけはちゃんとしましょう。
改めて、亡くなられた沢山の方々のご冥福をお祈りいたします。